71番札所・弥谷寺
弥谷寺(いやだにじ)
「死霊が帰る山」と言われる弥谷山の中腹にある。山門をくぐり、石段を約300段登ったところに高さ6メートルの金剛挙大菩薩像。さらに108段上ると、弘法大師が岩くつを掘ったという大師堂があり、修験の場の厳かな雰囲気が漂う。奈良時代、行基が神秘な山容にひかれ、堂を開いたのが始まりと伝えられている。
JR予讃線詫間駅から善通寺行きバスで「弥谷寺口」下車、徒歩40分。香川県三野町大見乙70。
72番札所・曼荼羅寺
曼荼羅寺(まんだらじ)
596年、弘法大師の先祖で讃岐の豪族、佐伯氏の氏寺として建立。弘法大師が807年、唐から持ち帰った大日如来を本尊とし、金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置した。境内には、弘法大師が手入れしたとされ、2枚の菅笠を重ねて伏せたような樹齢1200年の「不老の松」がある。
JR土讃線善通寺駅から詫間行きバス11分、吉原下車徒歩10分。香川県善通寺市吉原町1380の1。
73番札所・出釈迦寺
出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
弘法大師捨身ヶ岳の奇跡で知られる寺。本堂から1.8キロ登った我拝師山の頂上(481メートル)に奥の院がある。弘法大師が7歳の時、仏門に帰依した自分の決意を仏にゆだねるため、頂上の断がいから飛び降りたところ、釈迦如来と天女が現れ抱きしめたという言い伝えがあり、寺号の由来となっている。平安時代の歌人西行も近くに庵(いおり)を構え、しばしば座禅を組みに訪れたという。
JR土讃線善通寺駅の西4.5キロ。徒歩1時間。善通寺市吉原町1091。
74番札所・甲山寺
甲山寺(こうやまじ)
甲山寺の寺伝によると、曼陀羅寺と善通寺の間に寺を建てたいと考えていた弘法大師が、霊地を探していると、山ろくの岩窟から1人の老人が現れて「この地に堂塔を建立すべし」と告げた。
弘法大師は早速、毘沙門天の石像を岩窟(くつ)に安置。821年(弘仁12)、満濃池を修築して朝廷から賜った報償金の一部で寺を建て、薬師如来の木像を刻んで安置したと伝えられている。
JR土讃線善通寺駅から徒歩40分。善通寺市弘田町1765の1。
75番札所・善通寺
善通寺(ぜんつうじ)
高野山、東寺と並ぶ弘法大師の三大霊場。大師は宝亀5(774)年にここで生まれたとされる。唐から帰国後の弘仁4(813)年、長安の青龍寺を模して建立した。寺号の由来は大師の父・佐伯善通(さえきよしみち)。
広さ45万平方メートルの敷地は東院、西院に分かれ、南大門前の五重塔が有名。国宝など多くの文化財が残る。
JR土讃線善通寺駅から徒歩20分。香川県善通寺市善通寺町3の3の1
76番札所・金倉寺
金倉寺(こんぞうじ)
弘法大師と血縁である天台宗寺門派開祖・円珍の祖父、和気道善が宝亀5年(774年)開基した。門前には格子戸が残る古い旅館が立ち並ぶ。隆盛時、132の坊舎があったことをうかがわせる広い境内には、善通寺師団長に赴任した乃木希典の「乃木将軍妻返し松」の碑が立つ。
JR土讃線金蔵寺駅下車徒歩7分。バス金蔵寺立場から東へ80メートル。香川県善通寺市金蔵寺町1160
77番札所・道隆寺
道隆寺(どうりゅうじ)
言い伝えによると、奈良時代、道隆寺の一帯は豪族・和気道隆の桑園だった。ある日、道隆が光る桑の木を見つけ、弓を射たところ、乳母が矢を受けて倒れていた。嘆き悲しんだ道隆がその供養のため、桑の大樹で薬師如来の小像を刻み、堂を立てて安置したのが始まりという。
仁王門から本堂までずらりと並ぶ観音像が壮観だ。
JR予讃線多度津駅から徒歩約15分。76番札所・金倉寺から北約4.5キロ。徒歩約1時間半。車なら15分程度。香川県多度津町北鴨1の5の42。
78番札所・郷照寺
郷照寺(ごうしょうじ)
四国霊場唯一の時宗の寺。行基が霊亀年間(715―717年)、自作の阿弥陀如来像を本尊に仏光山道場寺として開基。弘法大師が伽藍(がらん)を改築して霊場に定めた。その後、時宗の開祖、一遍上人が病気療養で一時滞在したことから寛文4年(1664年)に時宗に改めた。境内には「天狗(てんぐ)池」を囲んだ美しい庭園が広がる。
JR予讃線宇多津駅の東1キロ、徒歩20分。香川県宇多津町1435。
79番札所・天皇寺
天王寺(てんのうじ)
寺伝によると、弘仁年間(810―824)に弘法大師が今も天皇寺近くに残る「八十場の泉」付近にさしかかると、霊気を感じ取り、霊木を用いて十一面観世音菩薩と阿弥陀如来、愛染明王を刻んだ。それらを安置したのが始まりと言われる。
1164年(長寛2)、保元の乱(1156年)に敗れて讃岐に流され、亡くなった崇徳上皇のひつぎを、二条天皇が八十場の泉に安置し、寺の敷地内に「白峰宮」を建立した。以来、天皇寺は神の信仰と仏教信仰を融和した「別当寺」となっている。
JR予讃線八十場駅から徒歩5分。香川県坂出市西庄町八十場1713の2。
80番札所・国分寺
国分寺(こくぶんじ)
聖武天皇が741年、国家安穏、万民豊楽を祈願するため全国に国分寺の建立を命じ、行基が十一面千手観世音菩薩像を自ら彫って本尊として安置、開基した。
鎌倉時代に建立された入り母屋造りの本堂と鐘楼は、国の重要文化財。本尊の千手観世音像はケヤキの一本造りの立像。たたくと音の出る「讃岐岩」は寺の西で産出される。
JR予讃線国分寺駅下車徒歩5分。香川県国分寺町国分2065。


