81番札所・白峯寺
白峯寺(しろみねじ)
弘仁6年(815年)、弘法大師が開基。貞観2年(860年)に智証大師が流木で千手観世音菩薩を刻み本尊として安置、堂塔を整えた。本堂は数回火災で消失したが、慶長4年(1599年)、高松城主生駒一正が再建した。寺の裏山の白峯御陵には崇徳上皇がまつられている。
JR予讃線坂出駅から王越行きバスに乗り、約15分の「高屋」下車、徒歩で約1時間20分。香川県坂出市青海町2635。
82番札所・根香寺
根香寺(ねごろじ)
弘法大師が唐に渡る前に航海の無事を祈願して、五大明王を刻んでまつったのが始まり。832年(天長9)、智証大師が千手観音菩薩を香木で刻んで安置し、本尊とした。
寺には天正年間(1573―92)に住民に危害を加えた怪物「牛鬼」を、弓の名人・山田蔵人高清が射止めたという「牛鬼伝説」が伝わっており、仁王門わきに牛鬼の像が立っている。
第81番札所・白峰寺から約8キロ。徒歩約2時間半。高松市中山町1506。
83番札所・一宮寺
一宮寺(いちのみやじ)
大宝年間(701―704)、義淵僧正が開基。行基が堂宇を修築して讃岐一の宮(現・田村神社)の別当寺となり、大同年間(806―810)に空海が札所に定めた。戦国時代には戦火に巻き込まれて全焼したが、その後、僧侑勢によって復興された。
本堂周辺に一の宮御陵と呼ばれる3基の宝塔のほか、堂内から地獄の音がすると言われる石造りの薬師堂がある。
高松琴平電鉄一宮駅の北東0.5キロ。高松市一宮町607。
84番札所・屋島寺
屋島寺(やしまじ)
唐の高僧・鑑真が754年、屋島山ろくの北側に伽藍(がらん)を建立し、弟子の恵雲律師が初代住職になったと言われる。810年に空海(弘法大師)が伽藍を現在の山ろく南側に移した。
入り母屋造りの本堂は、鎌倉時代末期の建物。本尊、梵鐘(ぼんしょう)とともに国の重要文化財になっている。
JR高松駅から「屋島山上行き」バスで約25分。高松市屋島東町1808。
85番札所・八栗寺
八栗寺(やくりじ)
弘法大師が804年(延暦23年)、観世音菩薩を安置したのが始まりとされる。大師はその際、栗の実8つを植えた。唐から帰国後の808年(大同3年)、再び訪れると、栗の木が8本、大樹に成長していた。これが「八栗寺」の名の由来と言われる。
五剣山は、その名の通りかつては5つの峰が連なっていたが、1706年(宝永3年)の大地震で東端の峰が崩れ、今は4つ。
JR高徳線八栗口駅から徒歩約40分。牟礼町牟礼3416。
86番札所・志度寺
志度寺(しどじ)
真言宗の開祖・空海(弘法大師、774―835)が修行の場として求めた四国各地を、信仰者たちが聖地とし、空海の霊力にあやかろうと訪ねたのが「遍路」の始まりといわれる。それが1500年ごろから、庶民の間にも広まった。
志度寺は625年、薗(その)子という尼がお堂を建てたのが始まり。江戸時代に初代高松藩主・松平頼重が寄進した仁王門は、重要文化財。
JR高徳線志度駅から徒歩約15分。高松市中心部から車で約30分。志度町志度1102。
87番札所・長尾寺
長尾寺(ながおじ)
聖徳太子の開創と伝えられる寺。境内には根回りが6メートルもある大楠(くす)と、枝ぶりのよい松が並ぶ。弘法大師が唐へ渡る前にとどまり、護摩符を丘の上から人々に投げ与えたとされ、それが1月7日の大会陽福奪いの行事となった。大鏡もちを運ぶ力くらべも行われ、大勢の見物客でにぎわう。
高松琴平電鉄長尾線琴電長尾駅から東へ約100メートル。香川県長尾町西653。
88番札所・大窪寺
本堂で読経する巡礼者たち。結願を遂げた喜びと長い旅路を振り返っての感慨は言葉では言い尽くせない
大窪寺(おおくぼじ)
行基が養老年間(717―724)に草堂を建築、後に弘法大師が錫杖(しゃくじょう)をまつった。山のくぼみに建てたのが寺号の由来。女人の入山を許したので「女人高野」とも呼ばれる。
大師堂には88か所すべての本尊がまつられている。結願したお遍路さんは菅がさ、金剛杖を奉納、護摩供養で炎に投ぜられる。
バス停「多和小学校前」南東7キロ、徒歩1時間40分。香川県さぬき市多和96。