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源氏物語〔34帖 若菜 64〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院の前に並べた。院の席には沈香の木で作られた盆が四つ置かれ、上品な杯台などがささげられた。朱雀院がまだ病から回復していなかったため、専門の楽人は招かれなかったが、音楽の準備は周到であった。玉鬘の実父である太政大臣が担当し、選び抜かれた名器が並べられた。その際、大臣は「この世に六条院の賀宴以上に高雅な集まりはないだろう」と語り、心を尽くして楽器を揃えた。和琴は大臣が秘蔵してきた逸品であり、かつて名手が弾き込んだために扱いにくいと敬遠されていたが、院の強い求めで右衛門督が演奏することになった。若者は父譲りの技を見事に発揮し、予想以上の腕前を披露した。その演奏は人々を驚かせ、父から子へと芸が受け継がれることの稀有さを思わせた。特に和琴は中国から伝来した楽器と違い、清掻きだけで他の楽器を統率する難しいものであるが、右衛門督の爪音は澄んで響き渡り、場を圧倒した。
2025.12.03
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源氏物語〔34帖 若菜 63〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。松の年齢に引き寄せられるようにして、野辺に芽を出したばかりの若菜も、これから年を重ねていくのだろうか。つまり、松の長寿になぞらえて、若菜もこれから年を重ねて成長していくように、自分たちの縁も長く続き、共に年を重ねていきたいという思いを込めたと歌を詠んだ。これは、自らの年齢を松の齢に重ね、若菜のように年を重ねていきたいという思いを表したもので、集まった人々に深い印象を与えた。高官たちは南の外座敷に着座し、やや気まずさを抱えながらも式部卿宮も出席した。彼は六条院の娘婿でありながら、祝宴の主催者が玉鬘を妻とする左大将であることを見て、内心では不快を覚えたに違いなかった。しかし一方で、自分の孫である左大将の子どもたちが紫の上の甥としても、主催者の子としても場にふさわしく動き回っている姿を見て、世代の移り変わりを感じざるを得なかった。祝宴では、料理や贈り物も整えられていた。枝に籠詰めの料理が四十添えられ、折櫃に詰められた品々が四十、それらを中納言をはじめ若い親族たちが運び入れた。
2025.12.02
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「魚のすり身のうどん」「魚のすり身のうどん」って知ってます?これは、小麦粉から作った「うどんで」はない。結構、歯ざわりがモチモチした感じだ。始めは、普通のうどんと思っていたが違った。中国語で魚面条(yu2mian4tiao2)と呼ぶ。初めて食べる人は、うどんかな~?なんて思ってしまっても不思議ではありません。これは誰でも知っている饅頭(man2tou)中国名を生煎(sheng1jian1)饅頭(man2tou)油を少し入れてフライパンで焼いたもの。中に具は入ってない。具が入っているものを包子(bao1zi)と呼ぶ。私は皮の厚いものはあまり好きではない。やはり、皮の薄い小籠包が好きである。皮の厚い饅頭も、食べてみると美味しくは感じる。お腹がいっぱいの時は食べる気が起こらない。何となく、無理して食べると胃が勿体無いような、気持ちになる。もっと美味しいものを期待する。しかし、食べると結構香ばしく美味しい。餡(あん)の入っているものや、肉などもある。また韮(ニラ)なども入っているものもあるが、細かく分けて呼ぶ名前は知らない。これは何の点心(おやつ)でしょうか?俗に倭瓜(wo1gua1)とか北瓜(bei3gua1)と、呼び、カンボジアから伝来したウリ科の果菜。夏に黄色い花を咲かせ、その後実が成る。原産地はアメリカ大陸である。この円盤状に伸ばし、平鍋で焼くか、蒸したものを餅(bing3)と呼ぶ。しかし、日本で言う糯ではないので注意!私から酒を取り上げたら丘に上がった河童?と、言ってもアルコール中毒ではない。日本の大企業の本部長で友人が居るが、引き出しにスコッチが隠してあり、事ある毎に、チビチビやっていたりする。そんなアル中の所から指示が発せられると思うと、何とも言えない感情が湧くが、別に、犯罪ではないのでないのでセーフにするか。画像は上海老酒である。これは黄酒を呼ばれ、紹興酒と同じ味がしアルコール度は16.5度ほど。
2006.05.05
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「浮気者と評判がたっている」 「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部日記」の研鑽を公開してます。人にまだ折られぬものを---『源氏物語』が中宮さまの所にあるのを、殿がごらんになって、いつもの冗談を言い出されたついでに、梅の実の下に敷かれている紙にお書きになる。すきものと 名にし立てれば 見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思ふ 浮気者と評判がたっているので おまえを見た人で口説かないですます人はいないと思うという歌をくださったので、人にまだ 折られぬものを たれかこの すきものぞとは 口ならしけむ だれにもまだ口説かれたこともないのに、だれがわたしを浮気者などと言いふらしたのでしょう 心外なことと申し上げた。 藤原道長は、物語の世界で様々な恋愛を書く紫式部を実生活でも恋愛に精通したものとしてからかっているが、このからかいの中には紫式部を抱いてみたいという本音が混じっているのではないだろうかと思う。
2023.02.21
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源氏物語〔8帖 花宴 3〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語8帖花宴(はなのえん)の研鑽」を公開してます。頭中将は「柳花苑」という曲で踊る事をどうやら事前に察知し、この場面を予期して稽古をしていたらしく、非常に見事に舞ったため、中将はその功績により御衣を賜った。この出来事は、花宴の場で非常に珍しい光栄なことだと人々は見ていた。そして、この宴も終わりに近づき、暗くなってくると、舞の巧拙が見分けにくくなってきた。一方、詩の講義が行われた際も、源氏の作は簡単に済ませられることはなく、その作品が非常に優れていたため、賞賛の声が絶えなかった。博士たちもその出来栄えに感心し、称賛していた。このような状況で、源氏の存在感はますます際立ち、父君である帝が源氏を軽んじることは到底あり得なかった。中宮は、源氏の美しい容姿に目を留めるたびに、東宮の母である女御がどのような理由で源氏を憎むことができるのか、まったく理解できないと感じ、不思議に思っている。しかし同時に、自身がこのように源氏に関心を寄せることは、あまり良い事なのではないかと自らを戒める気持ちも抱いていた。この一連の描写からは、宮廷内での詩や舞の技量に対する厳しい評価、源氏の際立った才能と美しさが強調されており、それが人々の感情にどう影響を与えたかが細やかに表現されている。「大かたに花の姿を見ましかばつゆも心のおかれましやは/もし大まかに花の姿を見ただけであったならば、少しでも心が引き留められたであろうか」ただ単に表面的に花(または美しいもの)の姿を見ただけでは、その美しさや価値に深い感動や関心を抱くことはなかっただろうという意味合いを持つ。「大かたに花の姿を見ましかば」では、花をただ大雑把に見る、つまり深く鑑賞せずに表面的に見ることを示し、「つゆも心のおかれましやは」は「少しでも心が引き留められることはなかっただろう」という推量を表している。全体として、この表現は、ただ表面的に物事を眺めるだけでは、その本質に触れる事なく、心を動かされる事はないという意味を含んでいる。こんな歌はだれにもお見せになるはずのものではないが、どうして伝わっているのであろうか。夜がふけた頃南殿の宴は終わった。
2024.10.03
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源氏物語〔34帖 若菜 44〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。実父である太政大臣への親子としての情はもちろんあるものの、実際に自分を育て導き、今の幸福な境遇を与えてくれたのは六条院であるという感謝の念が強く、年月が経つほどにその思いは深まっていた。しかし、玉鬘が六条院のもとを訪れても、長居せず早く帰ってしまうことがあり、六条院はその態度をどこか物足りなく感じていた。ここには、親子や養父子という関係を超えた、複雑な絆と距離感が描かれている。やがて二月十余日、朱雀院の娘である女三の宮が六条院に入る日がやってくる。六条院の邸宅でもその準備が整えられていた。先日の若菜の賀で使われた寝殿の西の対に帳台が立てられ、さらにその周辺の部屋や渡殿も女房たちの居所として割り当てられ、華やかな婚礼の場が整った。形式は入内に準じるもので、朱雀院からも婚礼道具が運び込まれ、列の行列はきらびやかで、随行する者の中には高官も多く混じっていた。その中には、かつて姫宮を正妻にと望みながら叶わなかった大納言の姿もあり、彼は心の中で涙を飲みながら従っていた。そして行列が六条院に到着すると、六条院自らが出迎え、姫宮を車から抱き下ろすという前例のない行動をとる。
2025.11.13
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源氏物語〔34帖 若菜 53〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。院は庭に積もる雪の白さを砂子の散りばめられた模様と見分けがつかないほどだと眺めながら、女王のいる対へ向かい、口の中で「残れる雪」とつぶやいた。格子を叩いて入ろうとしたが、夜明け近くに訪れることなど久しくなかったので、女王に仕える女房たちは腹立たしく思い、すぐには応じず、しばらく寝たふりをしたのちにようやく格子を上げた。院は、「外で長く待たされて身体が冷え切ったのは、私があなたを恐れて気がねした心のせいで、女房たちに罪はなかったのだろう」と言いながら女王の夜着をそっと引き寄せてみると、下に着ている単衣の袖が涙で少し濡れていた。それを隠そうとする仕草が美しく、院の心に深く響いた。しかし女王の心にはどこか打ち解けきれないところがある。それがかえって上品で艶やかな趣を漂わせてもいた。院は、完璧に整わぬところを残したこの女性の姿を前に、新妻の宮と紫の上の二人を思い浮かべ、心の中で比べていた。そして、二人がたどってきたこれまでの道を振り返るように話しかけ、恨みを捨てきれない女王をなだめて、その日は一日中そばを離れずに過ごした。夜になっても宮のもとへは行かず、手紙だけを届けさせた。
2025.11.22
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源氏物語〔34帖 若菜 62〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語〔34帖 若菜〕 の研鑽」を公開してます。もう少し老いを忘れていたいのだがねと言い、年齢を重ねることへの複雑な思いを洩らした。その一方で玉鬘は、かつて以上に美しさを増しているように見える。玉鬘は、落ち着きと風格を備えた立派な貴婦人となり、その姿は院の栄華と世代の移り変わりを象徴するもののように見えた。六条院の四十歳の賀の宴がいよいよ本格的に始まる様子が描かれている。まず、式典の中で若菜にちなんだ歌が詠まれる。参列者の一人が「若葉が芽吹く野辺の小松を伴い、今日こうして根元の岩に祈りを捧げる」という趣旨の歌を披露し、大人びた挨拶とした。祝儀として出された若菜は、沈香の木で作られた四つの折敷に形式的に少しずつ盛り付けられただけであったが、そこに象徴的な意味が込められていた。六条院は杯を手に取り、小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき、小松の林の末のほうにある若木の松は、やがて年を重ねて立派に成長していく。
2025.12.01
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