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太陽=地球=月の順で一列に並んだ時に起きる天文現象、皆既月食。 月の満ち欠けを始まりから終わりまで日本全国から観察出来るのが、今回の皆既月食の一番の特徴なんだとか・・・( ̄へ ̄)フムフム 皆既中は月明かりがなくなるため、普段では月明かりでかき消されてしまう星を観察することも出来るんだそうです。どうりで普段よりも星がよく見えるな~と思った次第。 寒空の中、「天の川」を見た方も多かったのでは・・・
2011.12.10
15日から国賓として我が国へ来日中のブータン王国ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王陛下とジェツン・ペマ王妃陛下には18日正午前、東京駅から東北賃幹線を御乗用になり、次の訪問先となる福島県へ向かわれました。 福島県では、東日本大震災の被災地の一つである相馬市を訪れ、国王陛下の「震災の爪あとが残る地域で市民と交流し励ましたい」とのご意向により、このスケジュールが組まれたそうです。 午前11時30分過ぎに宿舎(迎賓館赤坂離宮)から東京駅へ御着された国王王妃両陛下は、足早に東北新幹線ホームへと移動され、午前11時40分発の「やまびこ59号」で福島県へと御発されました。 国王王妃両陛下は福島県ご訪問ののち、その足で次の私的滞在先となる京都府へと空路、伊丹空港経由で向かわれています。京都府には20日午前まで滞在され、その後、関西国際空港から民間機をご利用になり本国へ向けて離日する予定になっています。▲国王ご夫妻は、天皇陛下差し回しの「リムジン御料車」で迎賓館赤坂離宮から東京駅日本橋口へ到着された。.▲駅頭の奉迎者に向けて手を合わせてお応えになる国王陛下。.▲日本橋口御車寄せに到着した国王ご夫妻ご一行の車列。.▲東北新幹線のホームを移動される国王ご夫妻ご一行。.▲列車到着までの間、関係者と挨拶を交わされる国王ご夫妻。.▲とても綺麗な方でした、王妃陛下。.▲手をつないでエスコートする姿も自然というかラブラブでした。.▲こんなことが自然に出来るのはホント素敵だと思います。.▲東北新幹線「やまびこ59号」に乗り込まれる国王陛下。.▲車中で召し上がる昼食は、ロイパーのお弁当でした。お茶はペットボトルだったけど・・・.▲笑顔も素敵な国王ご夫妻。.▲時折、手を合わせてホームの奉迎者にお応えになられていた。.. どうでも良い話ではありますが・・・・・グリーン車の車内は照明が控えめになっているので直近での撮影の場合、外の方が明るいため窓ガラスが鏡のように反射してしまうのですが、だからあえて写り込みを避けるため「正面には立たないようにする」のが暗黙のルールなのに・・・そんなの知るよしもないか、皇室追っかけオバサン(笑)。上の写真で右のムービーさんの写り込みの位置を見れば、状況を判断して「配慮」しているのが解って頂けると思います。極めつけは国王陛下に向かって「王子~~~」と声援を送る始末。百害あって一利なしですな・・・(。-`ω-)bぶ~..▲お手振りも可愛らしいジェツン・ペマ王妃陛下。.▲乗車車両を取り囲み警衛警護にあたる警視庁SPの方々。.▲警察犬も待機だワン!.▲そういえば・・・この日、東北新幹線としては最後だったみたいですね、「丸い新幹線」。(上越新幹線には残るとか).▲夕方のニュース番組の取材に来ていたCX大島由香里アナ。
2011.11.18
ブータン王国国王陛下及び同王妃陛下には15日午前、国賓として我が国へ来日されました。 この日の午前6時過ぎ、成田空港着の民間機で到着された国王王妃両陛下は、外務省差し回しのハイヤーにご乗車になり、午前7時30分過ぎに宿舎となる迎賓館赤坂離宮へお入りになられました。 20日までの滞在期間中には、歓迎式典やご会見、宮中晩餐会(いずれも皇太子殿下御名代)が皇居宮殿で行われるほか、都内行事として慶応大学ご訪問、国会演説、明治神宮参拝、柔道ご覧などが予定されています。また、地方へは東日本大震災被災地ご慰問(福島県相馬市)や、私的行事としての京都府京都市へのご訪問も予定されています。 親日家として知られる同国国王王妃両陛下の来日を、心より歓迎申し上げます。▲ブータン国旗も誇らしげな外務省差し回しのハイヤー。.▲長旅に少々お疲れのご様子の国王王妃両陛下。.▲迎賓館周辺には国旗が掲出され歓迎ムード一色に。.▲銀杏も色づき秋深まる迎賓館正面の並木道。
2011.11.15
皇太子殿下には13日午後、天皇陛下の御名代として「恩賜林御下賜100周年記念大会」に御臨席のため、山梨県甲府市へ行啓になられました。 同日午前、御乗用電車でJR甲府駅へ御着された皇太子殿下は、同駅から山梨県庁へと向かわれ、御会食ののち記念大会の会場となった山梨県立県民文化ホールへとご移動されています。 皇太子殿下は式典会場で、「関係者がたゆみなく続けてきた尽力に対して深く敬意を表するとともに、これからもこの恩賜林が「人々のための森林」として大切に守り育てられることを願います」と、天皇陛下のお言葉を伝えられました。▲山梨県庁をあとにする皇太子殿下をお乗せした特別車。.▲沿道の奉迎者へ向けてお応えになる皇太子殿下。.▲大会会場となった県民文化ホールをご出発になるお車列。.▲この日は第18号特別車を御乗用になられた。.▲会場周辺にも多くの奉迎者が集まっていた。
2011.11.14
皇太子殿下には13日午前、「恩賜林御下賜100周年記念大会」御臨席のため、山梨県甲府市へ行啓になられました。 この大会は当初、天皇皇后両陛下のご出席が予定されていたのですが、天皇陛下のご入院により皇太子殿下が御名代として差し遣わされました。 恩賜林は、明治天皇が山梨県内にあった広大な御料地を同県での水害復興に役立てることを願って御下賜されてから100年を迎えるもので、この御料地は同県にある15.8万ヘクタールの県有林の元になっているそうです。 皇太子殿下は、東京駅から甲府駅までの約2時間のご移動に際し、平成になってから初めての運転となる「御乗用電車」に御乗車されました。この電車は元々天皇皇后両陛下の「お召電車」として運転が計画されたものなのですが、「天皇陛下のご名代」ということから電車の装飾(国旗や菊華御紋章の掲出)はそのままに「御乗用電車」として運転されました。 皇太子殿下には、翌14日からは別の公務のため長野県松本市へ向かわれるため、この御乗用電車は片道のみの運転となりました。(甲府市から松本市へのご移動には、一般の特急電車を御乗用になられています。) 沿線には、この御乗用電車をひと目見ようと大勢の住民や鉄道ファンらが詰めかけていました。▲御乗用電車を待っている時、ボ~ッと空を眺めていると真っ白い飛行機が・・・どうやら売却された飛行機らしい。.▲目の前を、ひっきりなしに総武線が通過して行きます。.▲御茶ノ水駅と水道橋駅間のSカーブに現れた御乗用電車。.▲外観はお召電車と何ら変わらない装飾が施されていた。.▲両陛下ならば「お手振り」をしていただけたのかなぁ~と・・・.▲御着駅となった甲府駅の改札前にも国旗が掲出されていた。.▲回送に向けて装飾(国旗や御紋章)は既に取り外されていた。(JR甲府駅).▲大任を終え、回送として都内の車庫へと出発する専用車両。
2011.11.13
皇后陛下には13日午前、天皇陛下お見舞いのため東京大学医学部付属病院(東京都文京区)へ行啓になられました。 皇后陛下は、天皇陛下のご入院以後、ほぼ毎日、朝と晩に同病院へお見舞いになられています。 この日も、皇太子殿下御名代による御乗用電車がJR御茶ノ水駅を御通過した30分後に、皇居へとお戻りになる皇后陛下をお乗せしたお車列が同駅前を通過しました。 天皇陛下の一日も早いご回復を祈念申し上げます。▲お茶の水橋を渡る皇后陛下をお乗せした特別車。(第5号特別車/トヨタ・センチュリー).▲沿道の市民に笑顔でご会釈される皇后陛下。.▲行く先々の沿道では、お見送りする市民の姿が見られた。
2011.11.13
この日の午後、明日からの皇太子殿下山梨県行啓に伴う御乗用電車(天皇陛下御名代お召電車)の送り込み回送が行われるとのことで、所用の途次出掛けて来ました。 あまり見かけない色の電車ということもあり、ホームに居合わせた乗客らは皆一様にこの電車に見入っていました。この電車そのものは(特別車両とVIP室を除いては)高級志向のツアーなどで乗車することも可能なのですが、それでも滅多にお目にかかれないとあって注目の的となっていました。 撮影を終え、所用のため電車で移動していると回送電車が通り過ぎたのにも関わらず多くの鉄道ファンが居る駅に遭遇。何かあるのか?と訪ねてみると「真っ白い西武電車」が運ばれてくるとの由。まぁついでだからと撮影することに。まもなくすると確かに白い電車がやってきました。 コンパクトデジカメを持った少年が熱心に撮影する姿を見て、自分もこんな時代があったんだよなぁ~と回想・・・。もっともブルートレインやスーパーカーブームといった時代でしたから、カメラそのものやフィルムが高価だった時代のお話で今から30数年前にもなりましょうか???(汗) でもキッカケは何にせよ、私自身はその時のカメラとの出会いが現在にも引き継がれているわけで、この少年も電車の写真をきっかけにカメラ(写真)に対してもっと興味を抱いてくれればイイナと思った次第です。▲昼下がりの都心を走り抜ける回送電車。.▲西武の電車と言えば黄色でしたが・・・時代は変わりました。.▲頑張れ!未来のカメラマン。
2011.11.12
お召電車の運転が1週間前に迫ったこの日とその前日、「公式試運転」と呼ばれる本番さながらのリハーサル運転が行われることを聞きつけ都心部へ出掛けて来ました。 御乗車駅はもちろんのこと途中の通過駅にも多くの関係者が集まって行われるリハーサル運転とあって、東京駅のホームでは部分的にロープが張られ、緊張した雰囲気の中で旅客の動線などを確認していました。 当初は2日間に渡り運転予定だったお召電車なのですが、天皇陛下のご病気ご療養につき皇太子殿下への御名代が決まり、復路に予定されていた還幸啓お召はお取り止めとなったため、(復路に限っては)幻のお召電車となってしまいました。 ※その後、皇太子殿下の御名代によりお召電車ではなく御乗用電車と列車名が変わりました。▲出発案内には試運転ではなく「JR」の文字が掲示されています。.▲特別車両の前では複数の駅社員が警備にあたっていた。.▲偶然か必然か?多くの人がカメラを向けていました。.▲御茶ノ水駅付近のお堀端を行く試運転電車。.▲日没を迎えた帰宅ラッシュ時を前に神田駅を走り抜ける。(高感度撮影)
2011.11.07
都営交通のイベントと同じ日の5日、地下鉄日比谷線とつくばエクスプレスが通る南千住駅近くにある「隅田川貨物駅」というJRの貨物専用駅でイベントが行われるとのことで出掛けてきました。 例年この時期に開催されるイベントなんだそうですが、私自身は初めて現場に乗り込みました。 貨物会社が主催するイベントということもあり、ジャガイモなどの産地直送野菜が安く販売されるコーナーもあったようなのですが、これを目当てに来場する近隣住民の方も多いそうで既に完売していました。 会場内は物販がメインといった印象で、展示物としては電気機関車が2両とコンテナを荷下ろしするための大型フォークリフトが展示されるのみでした。 このほかには鉄道グッズや(東日本大震災の)被災地域からの出店もあり、また地元区役所などによる公的機関のPRコーナーも設けられていました。 これらのブースには普段、貨車に積まれている「コンテナ」が活用されており、サスガ貨物会社主催のイベントだなと思った次第です。いつも遠目にしか見たことのないコンテナですが、間近で見ると思っていたより大きかったので少々驚かされました。
2011.11.06
この日、都営浅草線の西馬込駅近くにある車両基地(馬込車両検修場)で「都営交通100周年記念フェスタin浅草線」と題したイベントが行われたので出掛けて来ました。 都営交通が今年で100年を迎えるにあたり、都電荒川線で花電車が運転されたのも記憶に新しいところですが、これらの一連のイベントとしてここ馬込車庫でも開催されました。 会場内には所狭しと浅草線にまつわる車両が展示され、その中でも京成の旧型スカイライナーも展示されました。この旧型スカイライナーは日中に回送することが出来ないため、深夜に運ばれてきたそうです。 このほかにも、保守車両の展示や浅草線車両の運転台見学、工場内の見学、ミニ電車の運転、浅草線に乗り入れる鉄道会社などが出展したグッズ販売など、数多くの催しが行われていました。▲早くから車両撮影会の整理券配布列に並ぶファンの方々。.▲撮影会は入替制のため、限られた時間ゆえ皆さん真剣です。.▲撮影会は親子タイムも設けられ、こちらはホノボノと撮影。.▲チビッコ鉄子さんはイイ写真が撮れたかな!?!?.▲こんなん撮れたでぇ~・・・関西ならこんな感じやろなぁ。.▲保守車両は地味な存在ゆえ人気がなかったです。カワイソ.▲運転台のモックアップで職員さんに教わりながらお勉強。.▲これで電車は電気食べんねんでぇ~(笑).▲ミニ電車は子供に大人気でした。実にリアルな造りでした。.▲君の気持ちわかるよぉ~・・・これ欲しいなぁ( ̄o ̄).▲関係する鉄道会社によるグッズ販売も大盛況でした。.▲地元の消防署も「ミニ消防服撮影会」で火消しをPR。.▲来場した親子連れに配られていた特製うまい棒。
2011.11.05
この日、毎年恒例となっている航空自衛隊入間基地(埼玉県狭山市)で開催された「入間航空祭」へ出掛けてきました。 入間基地は住宅地の中にあることもあり、騒音問題などから戦闘機の離着陸が事実上禁止されているのですが、今年は地元自治体の協力を経て岐阜基地からF-2戦闘機が飛来し、約10分間という短い時間ながら機動飛行が行われました。 航空祭には欠かせないブルーインパルスも、本年3月の東日本大震災により所属する松島基地が津波被害を受けましたが、当日は九州新幹線開業記念飛行(震災により中止)のため福岡県の芦屋基地へ展開していたため難を逃れたそうです。 今年はあいにくの曇り空が広がる天候であったためか、例年より1割強少ない約17万人の観客が訪れたそうです。 ▲最寄り駅を出ると通行規制されながら基地内へと入ります。.▲オープニングはミス航空祭のパレードから始まります。.▲地元関係者が出席して行われたミス航空祭の発表会。.▲総勢12名のミス航空祭のみなさんは、実に華やかでした。.▲県内の各地域から選りすぐりの美女が・・・( ̄ー ̄)ニヤニヤ。.▲基地所属の消防車による一斉放水も披露された。.▲C-1中型輸送機5機による航過飛行。.▲第一空挺団によるC-1空挺降下。パラパラパラ.▲F-2戦闘機による機動飛行は迫力満点でした。.▲CH-47Jによる機外懸吊。吊荷には「絆」の文字が・・・.▲お昼はオリジナル弁当を食すことに・・・(中身は至ってふつう).▲お昼を過ぎると観客数もピークを迎え・・・.▲ブルーインパルスも曇天ではスモークが目立たずイマイチ。.▲でも、迫力満点の曲技飛行には大満足でした。.▲E-2C早期警戒機が羽を広げるところを初めて見ました。.▲最寄り駅はご覧のとおりの大混雑で、帰るのも一苦労です。
2011.11.03
この日、青森県を訪れた途次、県内を走るローカル私鉄で行われたイベント「弘南鉄道ふれあい感謝祭」へ出掛けて来ました。 このイベントは「鉄道の日(10月14日)」を記念して昨年から始まったそうで、今年は昨年10月に誕生した「トレインキャスト(女性客室乗務員)」の1周年記念イベントとしても行われました。 トレインキャストとは、電車内で接客から観光案内など幅広いサービスを提供する女性客室乗務員のことで、男職場というイメージが強い鉄道会社を「女性の目線と様々なアイディア」で弘南鉄道を活気づけているそうです。 私がこの鉄道を訪れたもう一つのキッカケは、子供の頃に地元を走っていた元:東急電車がこのイベントを最後に引退するという報を受け、力強く走る姿を見たいと思ったからです。東横線や大井町線といった地元路線を走っていたこの電車。「湯たんぽ」のような愛嬌のあるデザインはスゴク印象に残っており、昨日のことのように思い出されます。 この電車の引退理由は「老朽化」とのことですが、私の思い出からも消え去るかのようでちょっと寂しいですね・・・。▲会場には多くの沿線住民と鉄道ファンが訪れていた。.▲ステージでは様々な催しが行われていた。.▲大鰐町出身の演歌歌手「木田俊之さん」のミニライブも行われ、筋ジストロフィと闘っているとは思えない素敵な笑顔とその歌唱力に魅了されました。.▲就任1年目を迎えたトレインキャストの皆さん。.▲東急電車から弘南鉄道へと嫁いできた6000形電車。.▲その車内には所狭しと鉄道グッズが展示されていた。.▲キャラクター「ラッセルくん」の風船も配られた。.▲車内の整理券発行機もトレインキャストの手で可愛らしく変身。.▲電車のぬり絵に夢中で取り組む沿線の子供たち。.▲沿線の高校生も着物を着てボランティアとしてお手伝い。.▲冬将軍の到来に備えるラッセル車と電気機関車も展示された。.▲駅前は大勢の鉄道ファンと沿線住民でごった返していた。.▲最後の記念にと乗る人、撮る人・・・思いは人様々だった。.▲子供の頃、8両編成で東横線を走る姿はカッコ良かったなぁ。.▲地元の高校生の目には、この電車はどう写ったのであろうか。.▲トレインキャストに見送られラストランに出発する6000形。.▲2両編成の車内は別れを惜しむ人々で満席だった。.▲津軽らしい林檎畑の中を行く6000形電車。.▲モータ音も高らかに、力強く上り坂を走り抜ける。.▲こちらも同僚である元:東急電車の7000形。.▲天気が良ければ右前方に岩木山が望めたのですが・・・.▲鉄道ファンの熱い視線を浴びながら林檎畑の中を走り抜ける。.▲東横線を力強く走っていた頃を思い出し・・・。.▲帰りは少し遠回りして農道をブラブラ歩いてみました。
2011.10.15
10月6日の「国際協力の日」にちなみ、世界との「絆」を結ぶイベント「グローバルフェスタJAPAN2011」が10月1日と2日の二日間、東京の日比谷公園で行われました。 「絆~私たちはつながっている 世界は日本とともに。日本は世界とともに。」をテーマに外務省や国際協力機構(JICA)などが共催して行われたこのイベントは、途上国の支援等を行っているNGOやNPOといった団体や政府関係機関や国際機関、関係各国の大使館が一堂に会するイベントで、期間中約11万の人が訪れています。 農村開発、ネットワーキング、環境・収入向上・緊急援助、保健医療・教育と言ったお堅い話題から各国の郷土料理まで、世界を身近に感じることの出来るイベントでした。▲メインゲートとなった日比谷門ではエアアーチがお出迎え。.▲ビルに囲まれた日比谷公園は都会のオアシス。.▲「なんとかしなきゃ」を世界に向けてメッセージ。.▲JOCAの座談会ブースには多くの若者が集っていた。.▲国際平和協力(PKO)では人道救援物資が紹介されていた。.▲写真とペーパークラフトで解りやすくPKO活動を紹介。.▲企業ブースでは様々なエコ商品が紹介されていた。.▲内閣府では浄水器の実演が行われていた。. ▲TV番組「地球VOCE」のトークショーも行われた。.▲もちろん同番組のナビゲーター「藤原紀香さん」も登場!. ▲その熱意あるトークに魅了され・・・.▲日本が行っている国際協力の現状を紹介していました。. ▲つづいて、モー娘。が登場!.▲国際協力について解りやすくステージ展開。.▲モー娘。の新リーダー新垣さん。.▲モー娘。9期の譜久村さん。.▲挙手が小さいけど・・・自信ないのかな!?!?.▲13歳か、若いなぁ・・・鞘師(さやし)さん。.▲ボランティアさんもお疲れかな・・・でも可愛かった(汗).▲メインステージでは様々なプログラムが展開された。.▲国際協力支援活動を行っているアンダーグラフのライブも。.▲参加各国の料理が気軽に楽しめるフードエリア。.▲ナンを焼くお兄さん、そんなドヤ顔せぇへんでも(笑)(エエ顔してくれはりました。).▲女性は宗教的な慣習から髪や顔を隠すイエメン共和国。.▲頭に物を載せて運ぶ「ウガンダスタイル」を実演してくれた。.▲セネガル共和国は、民族楽器に人気があった。.▲様々な想いと共に販売されていたフードコーナー。.▲今年から大学生によるブースも展開された。.▲帰りがけに素敵な光景に出会い・・・羨ましく感じた次第です(汗)
2011.10.02
東京都交通局は、平成23年8月1日に創業100周年を迎え、これを記念した花電車の運行が都民の日の10月1日(土)から都電荒川線で始まりました。 沿線には昭和53年以来、33年ぶりとなる花電車を一目見ようと多くの鉄道ファンや沿線住民が集まっていました。都営交通100周年をお祝いするバースデーケーキをイメージしたデザインになっており、日没を迎えるとロウソク部分に明かりが灯るなど祝賀ムードを盛り上げていました。 このバースデーケーキ型の花電車の運行は今月(10月)に限ったもので、10日(月祝)、16日(日)、23日(日)、30日(日)に運転が予定されており、荒天の場合は中止することもあるそうです。 この花電車、当初は6月から8月にかけて運行する予定でしたが、東日本大震災による電力需要等の影響に配慮し延期していました。▲お昼過ぎから荒川車庫では、お披露目のイベントが始まった。.▲何とも愛らしいデザインの花電車。.▲昔の花電車は屋根が無かったので、昔を知る人には違和感が・・・.▲近寄っての撮影タイムになると、ご覧の人だかりに。.▲遙々大阪から「ちん電くん」と「ラピートちゃん」が応援に。(相互PRを行っている阪堺電車と南海電車のキャラクター).▲東京都交通局長の挨拶でオープニングセレモニーが始まった。.▲花電車の運転士へ花束贈呈も行われた。.▲荒川車庫前には花電車を一目見ようと大勢の人が集まった。.▲荒川電車営業所長の合図で「出発進行!」.▲もみくちゃにされながら出発していった花電車。.▲夜間になると明かりが灯され、一層華やかな雰囲気に。.▲春日通りと交差する向原電停にも多くの沿線住民が訪れていた。.▲こちらは町屋駅前。もはや何事かと驚く人も大勢いた。.▲こんなに歓迎されるとは思わなかったのではないだろうか。.▲普段は電車に興味のない女の子達も、なんだか嬉しそうだった。
2011.10.01
この日は、引き続き長野県を走るローカル私鉄「長野電鉄」を探訪してきました。この鉄道も実に17年ぶり!?!?に訪れるわけで、電車も東京から嫁いできた新しい車両に入れ替わっており、浦島太郎な気分での再訪となりました。 長野電鉄は、善光寺のある長野駅と栗ようかんで有名な小布施町を経由し信州の奥座敷と呼ばれる湯田中温泉を結ぶ路線で、最近では観光路線というよりは沿線の長野市、須坂市、中野市を結ぶ都市間輸送を担う鉄道に生まれ変わりつつあります。 この鉄道にも、以前は東急電車「アオガエル」が嫁いできて「アカガエル」として活躍している時代もありましたが、現在ではJRや小田急、東京メトロから来た中古車両に交換されており、残念ながらその姿を見ることは出来ません。 古い電車は老朽化など様々理由があって引退する訳ですが、古い電車には哀愁とか懐かしさとか、色々な人々の想い出がたくさん詰まっていると私は思っています。たかが電車、されど電車。自身の記憶の彼方に忘れていたことも、懐かしい電車に乗ったり見たりするだけで何かしらよみがってくるであろう思い出の数々。だからこそ、ローカル線の電車には魅力があるのではないかと。昭和のかほりを色濃く残す鉄道であり続けるためにも。 ▲新幹線開業で近代的な駅舎へと生まれ変わったJR長野駅。善光寺の門前町というイメージも無くなってしまった。.▲夕暮れの長野市街地を走り抜ける元:小田急ロマンスカー。..今日はここまで。そして翌朝を迎え・・・..▲朝陽を浴びながらトンネルから出てきた元:JR成田エクスプレス。.▲新しく架けられた道路併用橋を行く元:小田急ロマンスカー。.▲こちらは元:東急新玉川線(田園都市線)の車両。.▲こちらが以前使用されていた橋梁。(左:道路橋、右:鉄道橋).▲こんなヤヤコシイとこで区分けせんでもええのに。(謎).▲来春には廃止が予定されている須坂駅と屋代駅を結ぶ屋代線。.▲屋代線は元:地下鉄日比谷線の車両が活躍。.▲なんとも長閑でいいですね。.▲家族総出での稲刈り作業の真横をガタンゴトン。.▲山間部の鉄橋を渡る。ガタンゴトン.▲なんとも古めかしい駅舎。大切にされているようでした。.▲途中駅で見つけた既に引退した旧型車両。チョコレート色が何とも可愛らしい。.▲何気ないホームの情景をスケッチする女性の姿も。.▲来春に引退予定の旧型電車。丸みのあるデザインが好きです。.▲まだまだ新しいもんには負けん・・・と聞こえてきそう。
2011.09.24
以前、弊ブログ(6月26日付)で「懐かしい電車」のことを話題にしましたが、今日はその続編をお届けします。 昭和の時代に「アオガエル」の愛称で親しまれ、東横線や大井町線を走り、引退直前には目蒲線を走っていたこの電車。安住の地となる長野県を走るアルピコ交通(旧松本電鉄)へ嫁いだのは今から25年前の1986年のこと。そして今年、里帰りとまでは行かなかったものの、昔懐かしい色に戻されこの日のお披露目となりました。 お披露目会場となった新村車庫では、この懐かしい色をひと目見ようと朝から大勢の鉄道ファンや沿線住民が訪れていました。 私自身、懐かしいといっても「子供の頃に乗った」というだけなのですが、この丸みを帯びた緑色の車体が街中を颯爽と走る風景は昨日のことのように思い出されます。 当時の印象に比べると若干緑色が薄いような気もしますが、それはきっと私の記憶が色褪せただけなのかも知れません。▲懐かしいカラーリングをひと目見ようと多くのファンが訪れていた。.▲う~ん・・・もっと緑色が濃かったような気が・・・・・.▲古参の電気機関車との並びも似合いますね。.▲そうそう、東横線では急行として8両編成で走っていたことも。.▲快晴も手伝ってか、家族連れの姿も多く見られた。.▲こちらも懐かしい東急百貨店の広告が入ったつり革。昔の東急電車は皆これでしたからね。.▲帰りがけに立ち寄った「トレインギャラリーNAGANO」というレストランで、同じ県内(長野電鉄)を走っていた兄弟電車「アカガエル」に遭遇。.▲このレストラン、「お蕎麦」と「とんかつ」料理がメインで、それならと欲張って両方楽しめるセットを注文。コシのある「信州八割そば」は、とっても美味でした。.▲そして店内で懐かしい13年前の「広告うちわ」を発見!それも松雪泰子さんのコダックでっせ。( ̄ー ̄)ニヤニヤ
2011.09.23
私自身、旅好きやら乗りもの好きやらで色々なローカル線を訪れていますが、一つのローカル線をそう頻繁に訪れる機会は少ないものです。この日、訪れたローカル線も実に15年ぶりでした。 長野県は上田市を走る上田電鉄別所線は、長野新幹線の上田駅と信州の奥座敷と呼ばれる別所温泉を結ぶ全長11.6キロの小さなローカル私鉄です。以前は上田交通と呼ばれていたのですが、会社の再編に伴い今の社名を名乗っているそうです。 この鉄道に限らず、どこの地方ローカル線も利用者減少によって経営に苦しんでいるそうです。その昔、「地域の足」として欠かせない存在であったローカル線。しかし、クルマ社会となった現代では利用者の大半は学生・生徒というのが実情で、黒字経営で生き残りたい鉄道事業者にとっては採算ベースにはほど遠い現実があるようで・・・。 いらないものが淘汰される時代ゆえ、価値のある鉄道として残って欲しいものです。▲上田電鉄の玄関口、上田駅。峠の釜めしは違うような・・・.▲昭和の雰囲気を残す改札口・・・落ち着きますね。.▲正直に言いますが、ちょっとムリやないかと・・・.▲フリー切符を買っていざ出発!と、ここ迄は良かったのですが・・・このフリー切符、上田駅に戻ると回収されてしまいます!?!?.▲この鉄道は親会社である東急電車の車両を使用しています。.▲車内広告の代わりに昔懐かしい駅の風景画が飾られていました。.▲経営努力は伝わるけど・・・キャッチコピーがイマイチかなぁ。.▲風情のある終点「別所温泉」駅。.▲レトロ感たっぷりの駅舎と駅名看板にウットリ。.▲駅の窓口にはオシャレな花飾りが・・・.▲駅の先端にある看板は・・・なんやろ!?.▲駅の隅っこに古い旧型電車が保存されていました。.▲地元消防団の建物とマッチしていて、昭和の風情たっぷり。.▲この電車、丸窓電車の愛称で親しまれていたそうです。.▲観光客を見つけると、車掌さんがハーモニカでお出迎え。.▲ぶらっと降りた駅の待合室にはナゼかエッチな本が・・・(笑).▲収穫を終えた稲と別所線。情緒たっぷりの風景でした。.▲別所線の中間駅である下之郷(シモノゴウ)駅。.▲その昔、ここからさらに分岐線が出発していたそうです。.▲これも一世代前に東急からオヨメに来た電車だそうです。.▲沿線の高校で保存されているもう一つの丸窓電車。.▲貴重な沿線文化財として大切にされているようです。 .▲愛称の元になった丸窓には綺麗な青空が写り込んでいました。.▲階段が備え付けられ、教室として使用されているようでした。.▲沿線ではチビッコに大人気の別所線。.▲コスモスと青空が似合うのもローカル線ならでは。.▲別所温泉駅から駆け下りると信州・塩田平へと線路は続きます。
2011.09.22
東京・両国にある江戸東京博物館で開催されていた「東京の交通100年博」がこの日(10日)、最終日を迎えました。 7月14日から始まったこの展覧会には、会期中30万人以上もの人々が訪れたそうで、最終日の午前中は駆け込み需要も手伝ってか3000人もの人々で会場はあふれかえっていました。 はるばる函館から応援に来た「ササラ電車」も、週明けにはトレーラに乗せられて北海道へと旅立つそうで、同じくして黄色い都電も保管場所である荒川車庫へと戻るそうです。 昭和9年以来の里帰りを果たしたササラ電車。今の東京をどう思ったのか・・・出来ることなら聞いてみたかったです。▲この看板とも今日でお別れです。.▲会場となった江戸東京博物館(右の建物)。.▲名残惜しむかのように大勢の観客でごった返していた。.▲屋外展示場所は、何とも幻想的な雰囲気に包まれていた。.▲映画のロケセットとともに展示された黄色い都電。.▲昭和の町並みと黄色い都電はよく似合います。.▲元:東京市電という経歴を持つ「ササラ電車」。.▲ササラ電車の天井には東京市電当時の模様が残されていた。残念ながら、このことには一切ふれられていなかった。.▲江戸東京博物館の最寄り駅であるJR両国駅。この駅舎も由緒ある建物なんです。.▲国技館の最寄り駅でもあり、駅構内には相撲力士の額が。.▲今日はホントに良い天気でした。暑かったですけど・・・.▲帰り際、普段は歩くことのない線路際の道をテクテク。.▲撮り鉄の真似事・・・( ̄ー ̄)ニヤニヤ
2011.09.10
皇太子同妃両殿下並びに敬宮愛子内親王殿下には1日午後、御静養先の那須御用邸附属邸から東北新幹線を御乗用になり東京駅へ御着、還啓になられました。 8月11日から那須御用邸附属邸に入られていた皇太子ご一家は御滞在中、御用邸内外でごゆっくりお過ごしになられたそうです。その間、皇太子殿下にはご公務のため8月27日~29日の御日程で一度ご帰京されています。 この日、17時40分過ぎに東京駅へ御着された御一家は、同駅貴賓室で15分ほどご少憩を取られたのち、おクルマで同口御車寄からお住まいの東宮御所へ戻られました。 今回の御静養にあたり報道自粛との報もありましたが、平日とはいえ帰宅時間を迎えた東京駅では大勢の奉迎者に囲まれてしまうワケで、(私が言うのもなんですが・・・)なんとも複雑な心境なのでありました。 御一家にはお健やかにお過ごし頂きたく存じます。▲東北新幹線から御降車になる皇太子ご一家。.▲出迎えの東京駅長から敬礼をお受けになる。.▲水色のワンピースに、かごのバッグがお似合いの愛子さま。.▲東京駅長の御先導で日本橋口へと向かわれるご一家。.▲雅子さまと愛子さまは、楽しげにお話をされていた。
2011.09.01
8月の最後の日曜日となったこの日、陸上自衛隊の夏の恒例行事である「平成23年度富士総合火力演習(第53回)」が静岡県御殿場市にある東富士演習場で行われました。 この日を前に火曜日から数日行われた予行演習では、連日共に雨に見舞われましたが、本番となったこの日は快晴とはいかなかったものの、まずまずの晴天に恵まれました。 参加隊員約2400人、戦車や装甲車約80両、ヘリなどの航空機約30機、火砲約80門が繰り広げる国内最大級の演習は、約40トンの「実弾射撃」が間近で見る事ができる行事で、陸上自衛隊が行う一般公開の演習としては最も人気があり、観覧チケットの応募倍率は毎年28倍~30倍にもなるそうです。 目の前で繰り広げられる大迫力の演習に、集まった約2万3727人(うち陸上幕僚監部招待客379人を含む)もの観客からは大きな拍手と歓声が沸き起こっていました。▲10時からの本番を前に朝6時30分から始まる点検射。.▲点検とはいえ、本番さながらに実弾射撃が行われる。.▲「点検射」の時はかろうじて富士山が見えていたのですが・・・.▲昨日までの雨がウソのように上がり、青空が広がった。.▲本番直前には富士学校音楽隊よる音楽演奏が行われた。.▲演奏を終え凛々しく退場する富士学校音楽隊の方々。.▲満員の観客席はご覧の様相。.▲演習は、高官の入場から始まった。.▲高官を出迎える姿は何とも凛々しい。.▲左端のSPさんが持っている黒い物体はカバン型の防具。.▲防衛大臣旗を従え北澤大臣を乗せたクルマが入場。.▲可愛らしい帽子姿で登場した北澤防衛大臣。.▲この帽子は誰のセレクトだったのか!?!?.▲Aスタンドには高官や特別招待者の席が設けられる。真鍋かをりさんも招待されていたらしいが、発見できず・・・.▲高官らから敬礼を受け、観閲席へと向かう北澤大臣。.▲厳しい表情で観閲席から会場を見渡す防衛大臣。.▲演習前には東日本大震災の犠牲者の方々へ黙祷が行われた。.▲前段演習はF2戦闘機の模擬空爆から始まった。.▲74式戦車による迫力ある実弾射撃。.▲バァ~ン・・・・・そりゃうるさいよねぇ~.▲個人携帯対戦車弾などは客席の目の前で模擬展示された。.▲本番では霧に包まれてしまった富士山を背景に富士を描く砲弾。.▲演習が終わり、会場を後にする北澤防衛大臣。.▲防衛大臣車列を警護する静岡県警のレジェンド警護車。.▲VIP席には元陸上自衛官の佐藤正久参議院議員の姿も。.▲初代防衛大臣で前衆議院議員の久間章生氏の姿も見られた。.▲終了と同時に御殿場駅へと向かう有料バスは長蛇の列に。
2011.08.28
66回目の終戦記念日を迎えたこの日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で行われました。 天皇皇后両陛下のご臨席のもと、菅首相ら政府関係者と全国各地から集まった遺族4817人が出席し、戦争で犠牲となった軍人軍属約230万人と一般市民約80万人もの戦没者に対し、哀悼の意と平和への誓いを新たにしました。 出席した遺族の最高齢者は、夫が中国雲南省で戦死した東京都の97歳の方でした。 天皇陛下は、「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」とお言葉を述べられました。▲開式の直前までは、標柱に白い布が掛けられている。.▲奏楽は、東京芸術大学管弦楽研究部が演奏した。.▲節電により冷房を控えたため、会場内には氷柱が設置された。.▲小泉進次郎衆議院議員も出席していた。.▲厚労大臣の御先導のもと登壇される天皇皇后両陛下。.▲御座所へ御着されると、標柱に向かい先ずは一礼された。.▲御着席せずにそのまま国歌斉唱が行われ、君が代が響き渡る。.▲続いて内閣総理大臣による式辞が行われた。.▲両陛下を前に式辞を読み上げる菅直人内閣総理大臣。.▲式辞をお聞きになる両陛下。.▲式辞を終え、両陛下へ一礼をする菅総理。.▲菅総理の式辞が長引き、お徒歩の途上で時報が・・・.▲正午の時報から遅れること20秒、黙とうが行われた。.▲黙とうを捧げる出席者の方々。.▲お言葉を述べられる天皇陛下と御同立される皇后陛下。.▲お言葉を終え、標柱に向けて深々と一礼される両陛下。.▲何を思うか菅総理。その右隣は谷垣自民党総裁。.▲衆参両議長、最高裁長官に続き、追悼の辞を読み上げる戦没者遺族代表の河西佐智子さん。.▲追悼の辞を終えて御退場になる天皇皇后両陛下。.▲献花に向けて菊花を受け取る菅総理。.▲献花する菅直人内閣総理大臣。.▲各政党の代表者も献花した。(写真は新党改革の舛添要一代表).▲各県の遺族代表も献花を行った。.▲標柱に対し一礼して献花を行う各県遺族の代表。.▲自らの県代表による献花に合わせて一礼する出席者。.▲武道館をあとにする菅総理を乗せた車列(6台編成)。.▲会場周辺では、警視庁の爆弾処理車の姿も。.▲わかりやすいナンバーですね、財務大臣車。ざ(3)い(1)む(6).▲今年の8月15日も、もの凄く暑い一日だった。.▲毎年とはいえ、会場周辺ではデモが繰り広げられていた。
2011.08.15
7月30日の大雨の影響により新潟県内を走る上越線の一部区間が不通になった影響で、しばらく運転を見合わせていた上野と青森を結ぶ寝台特急「あけぼの」号が、お盆を前にした8月10日~12日の3日間に限り、通常の運転経路とは違う路線を走る、いわゆる迂回運転を行いました。 通常は上野から日本海を回る経路(上越線~羽越線~奥羽本線経由)で運転するところを、不通になっている上越線を経由せずに青森まで行く経路ということで、東北本線~北上線~奥羽本線経由での運転となりました。 このような迂回運転では、列車を牽引する機関車も走る区間が変われば普段と違った車両となることが多く、今回もご多分に漏れず「北斗星」号や「カシオペア」号を牽引している機関車の登場となり、上野駅には大勢の鉄道ファンが撮影に来ていました。※8月13日以降は、通常の運転経路に戻っています。▲迂回運転を告知する駅頭のポスター。.▲乗車ホームの入口では、駅社員が案内にあたっていた。.▲発車の25分前に上野駅に入線する迂回「あけぼの」号。.▲入線と同時に大勢の鉄道ファンが集まった。.▲残念ながら「あけぼの」号のマークは取付られなかった。集まった鉄道ファンは、これを期待していたそうだ。.▲連結部分を撮影するファンも多かった。.▲機関車のライト部分に反射した「あけぼの」号のマーク。.▲男性の鉄道ファンに混じって「女子鉄さん」の姿も。.▲人気者のパンダも、ブルートレインにはカナワナイようです。(笑)
2011.08.10
天皇皇后両陛下には16日午前、日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念祝賀式典へご臨席のため、グランドプリンスホテル高輪(東京都港区)へ行幸啓になられました。 祝賀式典は2部制で行われ、両陛下は前半の第1部へご臨席になられました。7月4日から体調をくずされていた皇后陛下には、7月6日以来となる公の場へのお出ましとなりました。 当初、菅直人内閣総理大臣も出席予定でしたが、当日になり福山哲郎内閣官房副長官が代理で出席したほか、高木文部科学大臣、国際オリンピック委員会ジャック・ロゲ会長、アジア・オリンピック評議会シェイク・アハマド会長ら、国内外のスポーツ関係者1241名が出席して盛大に行われました。 式典第1部は、国歌斉唱、祝賀式典実行委員会:森(元首相)会長祝辞、天皇陛下のお言葉と続き、総理祝辞(福山官房副長官代読)、高木文科相祝辞、ロゲ会長祝辞ののち、奉祝行事としてロサンゼルス及びソウルオリンピックの柔道金メダリスト斉藤八段らによる演武「古式の形」が披露され、杉並学院高校合唱部による「若い力」と「オリンピック讃歌」の2曲の合唱が行われました。▲両陛下の御着を前に御座所では厳しいチェックが行われた。.▲第1部の司会はNHK青山アナ、柔道の谷本さんらが務めた。.▲両陛下の御臨場を待つ、竹田JOC会長、張日本体育協会会長。(右の空席は、両陛下の御先導役を務めた森元首相席).▲左から福山官房副長官、高木文科相、ロゲ会長、アハマド会長。.▲来賓紹介を受け着席する際に民族衣装がひらりと。(カッコイイ).▲森:実行委員会会長の御先導のもと、両陛下はご登壇された。.▲笑顔を交わされてからご着席になる仲睦まじい両陛下。.▲御座所は舞台中央に設営された。.▲国家「君が代」斉唱では、一同が起立して行われた。.▲祝辞を前に両陛下へ挨拶する森:実行委員会会長。.▲神妙な面持ちで挨拶する森:元首相。.▲続いて、天皇陛下からお言葉を賜った。.▲「式典に臨むことを誠に喜ばしく思います」と述べられた。.▲祝辞を述べる国際オリンピック委員会ジャック・ロゲ会長.▲「これからの100年の発展を心から祈っている」と述べた。.▲祝辞を終えて両陛下に挨拶するジャック・ロゲ会長。.▲柔道の演武「古式の形」を披露した斉藤八段。.▲ジャック・ロゲ会長も真剣な眼差しで見入っていた。.▲肩を寄せ合い「古式の形」の解説書をご覧になられていた。.▲演武が終わると盛んに斉藤八段らに拍手を送られていた。.▲両陛下の後ろには侍従長、宮内庁長官、女官長が控える。.▲舞台向かって左手から会場内へ合唱が繰り広げられた。.▲国内外コンクールで多数の受賞を誇る杉並学院高校合唱部。.▲合唱が終わると皇后様は一段と大きな拍手を送られていた。.▲御退場の途上、ロゲ会長と握手を交わされる天皇陛下。.▲続いてマハマド会長と握手を交わされる天皇陛下。.▲森:元首相の御先導のもと、ゆっくりとお歩みになる両陛下。.▲会場内からの拍手へお応えになる両陛下。
2011.07.16
祝賀式典の第二部では、これまでの日本スポーツ界への貢献と功労を称え、JOC初代会長の堤義明氏をはじめとするスポーツ関係者への表彰式が行われ、続いて絵画・作文コンクール表彰も行われました。 表彰式のあとは、今後の日本スポーツの指針となる「スポーツ宣言日本~21世紀におけるスポーツの使命~」が披露され、森喜朗(元首相)創立100周年記念事業実行委員会会長から日本体育協会張富士夫会長と竹田恆和JOC会長へと、それぞれ手交が行われました。 祝賀式典終了後には併設する会場でレセプションが行われ、竹田JOC会長の挨拶の中で「2020年夏季オリンピック招致について東京都より立候補の正式表明を受けた」ことが報告されました。 鏡割りでは、東京と東日本大震災で被災した6県の地酒が用いられ、乾杯は石原慎太郎東京都知事の発声のもと行われました。▲貢献と功労のあったスポーツ関係者に対し、表彰が行われた。.▲表彰者の中には初代JOC会長の堤義明氏の姿も。.▲森元首相より表彰を受ける堤氏。.▲絵画・作文コンクールで表彰された皆さん。.▲表彰式はこんな雰囲気で行われました。.▲おめでとうございます!.▲宣言は、陸上の塚原さんと柔道の谷本さんによって披露された。.▲「スポーツ宣言」は森氏(右)から竹田JOC会長へと手交された。.▲手交を終え、記念撮影に臨む竹田、張、森、塚原、谷本の各氏。.▲レセプション会場は、こんな雰囲気でした。.▲レセプションの司会は、NHK廣瀬アナ(中央)と大畑氏(左:ラグビー元日本代表)、浜口氏(レスリング銀メダル)の3名が務めた。.▲JOC竹田会長による祝辞。.▲ロゲ会長よりサプライズとして、竹田会長へ記念盾が贈られた。.▲笑顔で握手を交わす、IOCロゲ会長とJOC竹田会長。.▲関係者30人が登壇し、鏡割りが行われた。.▲センターの樽では、(左より)堤、石原、ロゲ、森、アハマド、麻生の各氏によって鏡割りが行われた。.▲レセプションで乾杯の発声を務めた石原慎太郎東京都知事.▲乾杯の後、ロゲ会長からサプライズコメントが寄せられた。.▲IOCロゲ会長と握手を交わす石原慎太郎東京都知事。.▲アハマド会長と握手を交わす竹田JOC会長。.▲麻生元首相(スポーツ振興議員連盟会長)と石原都知事は親しげに話し込んでいた。.▲正式に立候補を表明したことから、レセプション後の囲み取材に応じる石原都知事。.▲報道陣の多さからも「石原発言」への注目度がわかる。
2011.07.16
メディアイベントのつづきです。 787の機体を中心にお届けします。▲「日本の技術力がなければ787の誕生はなかった」と言われる。.▲従来機よりも約1.3倍もワイドになった窓。.▲機体番号はJA・・・ではなく「N787EX」となっていた。.▲まるで鳥の翼のような主翼は三菱重工業が担当。.▲騒音を低減する特徴のあるエンジンカウリング。.▲カーボン素材によって、整備回数とコストを大幅にダウン。.▲787の愛称は「ドリームライナー」。.▲揺れを抑える自動制御システムなどを備えている。.▲コックピット内部。ヘッドアップディスプレイを備えている。.▲日本企業の担当部位を紹介した展示パネル。.▲短距離国際線をイメージしたシートモックアップ。.▲個室感覚のシートは、今まで以上の快適性を追求。.▲心理的に広く・快適に感じられる空間作りをコンセプトに。.▲メディアイベントに華を添えたCAの皆さん。.▲機上でお会いしてみたいなぁ~~( ̄ー ̄).▲みなさん、お綺麗でした。・・・うっとり。.▲会場内は最後まで熱気に包まれていた。.▲ANAのスポットCMの撮影も行われていました。.▲スタッフは、お揃いのポロシャツを着用していました。
2011.07.04
この日の午後、国内での検証プログラム実施のためアジアに初めて飛来したボーイング787型機のお披露目イベントが、ANA羽田空港機体メンテナンスセンターで行われました。 日本企業の技術力「Made wiht JAPAN」。ボーイング787の機体全部品のうちの35%にあたる主翼や接合部などの重要部品を日本企業が担当したそうです。 その純国産とも呼べる最新鋭機をANAが世界で最初に受領するとあって、世界各国から大勢の報道陣が詰めかけていました。▲報道陣でごった返す、お披露目直前の会場の様子。.▲オープニングは、大きなゲートが開けられ・・・.▲最新鋭機ボーイング787が登場!.▲ゆっくりとお披露目会場へ進入する787。.▲カッコイイ登場とともに787の日本での歴史が始まった。.▲大勢の報道陣に囲まれる。.▲そして、ANA伊東社長とB社ジム・オルボーCEOが機内から登場!.▲お披露目会場は、こんな雰囲気でした。.▲主催者挨拶は、ボーイング社CEOジム・オルボー氏から始まった。.▲787の開発には10年の歳月を費やしたと語っていた。.▲ボーイング社の熱意を感じる挨拶だった。.▲挨拶を終え、ANA伊東社長と固い握手を交わした。.▲続いてANA伊東社長の挨拶が行われた。.▲伊東社長のコメントは、自信に満ちあふれていた。.▲重要部品を担当した日本企業の社長らと記念撮影。.▲その後、ANA、ボーイング両社長による共同会見が行われた。...(その2)へと続く。
2011.07.04
この日(4日)の早朝に荒川車庫から運ばれてきた黄色い都電と、これとは別に6月26日から遙々北海道函館市から運ばれてきた函館市電の車両の搬入作業が行われました。 これは、7月14日から江戸東京博物館(東京都墨田区)で始まる「東京の交通100年博」へ展示されるためで、共に都電の歴史を紹介するために運ばれてきました。 北海道から運ばれてきた函館市電(現:函館市企業局交通部)は、通称ササラ電車と呼ばれる除雪電車で、この車両は元々東京市電(都電の前身)で活躍したヨヘロ1形という車両で、昭和9年以来の「里帰り」を果たしたことになります。一方、黄色い都電は昭和30年代を模した映画のロケセットと共に展示されるそうです。 この企画展は、9月10日まで東京両国にある江戸東京博物館で行われます。 ▲未明に到着し、搬入作業開始まで待機する都電。.▲午前6時過ぎ、川崎(東扇島)から到着した函館市電。.▲函館市電は苫小牧~川崎(東扇島)までフェリーで運ばれた。.▲ササラ電車こと東京市電は、昭和9年以来の里帰りとのこと。.▲ササラ電車の部品(集電装置)は、コンテナに乗ってやてきた。.▲夜が明けると、先ずは線路の敷設から作業は始まった。.▲そして函館市電「ササラ電車」から据付が開始された。.▲この状態でトレーラに乗せられ北海道からやってきた。.▲線路との位置関係を調整し、いよいよ積卸し作業が始まった。.▲2台のフォークリフトによって軽々と持ち上げられるササラ電車。.▲持ち上げられると、その下に手際よくレールが敷かれる。.▲そして、フォークリフトによってレールごと最終の展示位置へ移動。.▲ササラ電車の設置完了。.▲その後、集電装置の組み立てが行われた。.▲作業の完了と共にブルーシートで大事に包まれた。.▲お次は、都電用のレールの敷設が行われた。.▲据え付け準備のため、狭い建物内を移動する黄色い都電。.▲フォークリフトによって車輪(台車)が軽々と運ばれる。.▲車輪が設置されると、いよいよ黄色い車体の積み卸し。.▲こんな狭いところで積み卸しをするとは「神業」です。.▲大型のフォークリフトによって黄色い車体が持ち上げられる。.▲まるで、都電の「お姫様だっこ」状態でした。.▲レールの上までソロソロと移動する。.▲都電がレールの上に来ると、今度は車輪を人力で移動させる。.▲車輪とのドッキング完了!.▲こうして2台のフォークリフトが呼吸を合わせて作業していた。.▲据え付け完了。あとは映画のセットを待つのみ。
2011.07.04
3日午前に搬出準備を終えた黄色い都電は、4日の未明に展示場所となる江戸東京博物館(東京都墨田区)へ向けて輸送されました。 出発点となる荒川車庫と両国にある江戸東京博物館は、目と鼻の先ぐらいの距離ではありますが、大型トレーラでの輸送となるため交差点で曲がれる場所が限られることなどから、荒川車庫から明治通りを一旦王子駅前方向へと向かい、北本通り→環七通り→日光街道→明治通り→水戸街道→清澄通りを経由するという「大回りルート」での輸送が行われました。 都電は元々路面電車ですから、道路を走ること自体はある意味不自然なことではありませんが、荒川線を除く都電が廃線となってから40年以上が経った今となっては、何とも感慨深いものがありました。 ▲出発前の様子。入念に打ち合わせが行われていた。.▲見づらいですが、輸送ルート(太線)を示した地図。大回りして輸送されたことが解る。.▲午前1時過ぎ、荒川車庫を出発して明治通りへと進む。.▲荒川線の踏切を渡る黄色い都電6086号。.▲作業員に見守られながら、慎重に細い路地を進む。.▲明治通りに出ると、すぐに路肩に停車して点検が行われる。.▲この点検では、ワイヤーなどに緩みがないかを確認していた。.▲明治通りを王子駅前方向に進む都電ご一行。.▲対向車線のドライバーも、さぞ驚いたことだろう。.▲北本通りから右折し、環七通りへと入る。.▲右折すると、側道を進み環七通りへと合流する。.▲環七通りを行く6086号。.▲やはり都電は道路が似合いますね。.▲環七通りから右折し、日光街道へと進む。.▲小柄な都電ながら、道路を走る姿には迫力があります。.▲日光街道から大関横町交差点を左折し、明治通りへと入る。.▲タクシーの運転手も驚いた様子で見入っていた。.▲清川2丁目付近では、2度目の点検停車が行われていた。(画像は点検後、明治通りを水戸街道へ向けて走る都電).▲隅田川に架かる白鬚橋を渡る6086号。.▲午前2時20分過ぎ、江戸東京博物館前へ到着した。.▲約2時間30分の長旅もなんのその。.▲博物館の門内へ吸い込まれるように入っていった。
2011.07.04
この日の午後、羽田空港第2ターミナル(ターミナル向かって右奥、出発45番カウンター付近)でANAグループ社員による七夕イベントが行われました。 この企画は、昨年から羽田空港を訪れる利用客に七夕の季節を感じて頂き、空港滞在の時間を楽しんで頂くことを目的として、ANAグループ社員がボランティアで運営しているそうです。 会場内には、仙台応援メッセージと題した笹飾りや、ミニ滑走路に着陸させる紙飛行機ゲーム、ANAのCA・GH・整備・パイロットそれぞれの制服を着用したお子様向け撮影コーナー、ANAグループ社員による楽器演奏会が行われました。 子供達にとって、あこがれの職業でもある航空業界を身近に感じられることや、搭乗の待ち時間を退屈せずに過ごせるイベントとあって、会場内は大盛況でした。 ▲上手に作れるかな・・・紙飛行機。.▲カウントダウンと共にテイクオフ!!.▲飛行機型の短冊に思いを込めて。.▲仙台応援メッセージと題した笹飾り。.▲皆さん、熱いメッセージが多かったです。.▲大勢の方が短冊に思いを寄せて・・・。ピカチューも応援に。.▲チビッコは可愛らしいCAさんに変身して記念撮影。.▲ANAグループ社員による楽器演奏。.▲楽器演奏では、「GoodLuck」でお馴染みの曲も演奏された。.▲七夕らしく浴衣姿で参加する関係者も。.▲演奏会場の周りはご覧の人だかりに。.▲パイロットのお兄さんと音楽に合わせてナイスフライト!?(笑).▲会場は楽しい雰囲気に包まれていた。.▲アルゴリズム体操を演じるANAの皆さん。.▲綺麗なお姉さん達を集めてパチリ。(職権乱用!?( ̄ー ̄)).▲あまりの熱気に楽譜が落ちそうになるハプニングも。.▲才色兼備・・・うっとり.▲会場内はこんな感じでした。
2011.07.03
この日の午前、東京都荒川区にある都電の荒川車庫で、懐かしい「黄色の都電」の搬出作業が行われました。 これは、7月14日から9月10日まで東京・両国にある江戸東京博物館で開催される「東京の交通100年博」へ展示するためのもので、この日の夜に行われる深夜の道路輸送へ向けた準備作業としてトレーラへ積み込まれました。 この都電は、昭和53年4月に引退して以来、個人の方によって長年保管されていたものなのですが、約30年ぶりとなる平成20年に「里帰り」を果たし、現在はこの荒川車庫で大切に保管されている幸せな車両なのです。 今回の江戸東京博物館では、映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」の実物ロケセットと共に展示されるそうです。 ▲クレーンが設置されると車庫の中から人力で運び出された。.▲そして、トラバーサに乗せられて場所を小移動。.▲着々と輸送準備は進みます・・・.▲慎重に車体の高さを計測する作業員の方々。.▲小さい都電とはいえ、2台のラフタークレーンが活躍。.▲車体が持ち上げられると車輪(台車)が抜かれ・・・.▲そして、道路を走るためのゴムタイヤに履き替える。.▲こうやって見ると小さい車体ながら大変な作業でした。.▲輸送上の高さ制限の関係で屋根上の集電装置も外され・・・.▲地味~にトラックの荷台へ収まる集電装置(ヒューゲル)。.▲ゴムタイヤと車体はチェーン等を使って強固に繋がれる。.▲車輪(台車)とも暫しのお別れ・・・.▲車輪(台車)は別のトラックへ乗せて運ばれる。.▲懐かしい!! このキャンペーン覚えてる・・・.▲そして車内は昭和53年から時が止まったままに。.▲ゴムタイヤとトレーラが連結されると、輸送体制完了!.▲作業員に見守られながら、そろそろと構内を移動する。.▲狭い構内もなんのその。そこのけそこのけ都電が通る。.▲車輪(台車)と車体(都電)は、このように別々に輸送される。.▲車庫の片隅で、この状態で深夜の輸送まで待機します。
2011.07.03
この日の午前6時20分過ぎ、米国ボーイング社の最新鋭中型旅客機「787」が日本に初めて飛来し、東京・羽田空港に着陸しました。 このボーイング787型機は、ANAが世界に先駆けて導入する旅客機で、今秋の就航へ向けた検証フライトを実施するためのテスト機が飛来したものです。 検証フライトとは、テストフライトとは違い、羽田を始め伊丹や関空など国内の5空港で給油作業や整備施設などの使用に問題がないかを検証するために行われます。 787型機がアジア地域に飛来するのは今回が初めてで、この検証フライトを経て8月~9月頃には第1号機が日本へ到着し、その約1カ月後には国内線での運航を開始する予定になっています。 今回の検証で就航に向けた準備は最終段階に入り、ANAはこの2年間で24機を導入し、将来的には55機まで拡大させる計画で、今年度中には国際線での就航も目指しているそうです。▲羽田空港への着陸は「滑走路34R」が予定された。.▲787を待ち受ける報道陣。.▲朝陽を浴びて午前6時20分過ぎ、羽田空港へ降り立つ787型機。.▲ Nice Landing !!!.▲空の仲間となるANAやJALの旅客機に出迎えられて。.▲ポケモンジェットとも初顔合わせ。.▲着陸後、フライトを担当したパイロットによる会見が行われた。.▲石井機長(左)と塚本機長。お二人とも開発から携わったそうだ。.▲燃費が良い、快適なフライトだった、とコメントしていた。.▲自信と誇り、そしてこれからの期待感に満ちあふれた会見だった。
2011.07.03
7月2日午後、東京のお台場(青海地区)にあるパレットタウンで、東京都、警視庁、東京国道事務所が連携した交通渋滞対策キャンペーン「ハイパースムーズ作戦2011」のキックオフイベントが行われました。 交通渋滞を解消するためには、都内を走るドライバーさんの理解と協力が不可欠であり、渋滞の原因や解消策について広く理解と協力を得るため、年間を通じて新聞、ラジオ、WEBなどで、このイベントのPRを行うそうです。 キックオフイベントではAKB48を代表して、岩佐美咲さん、片山陽加(はるか)さん、松原夏海さん、小林香菜さん、鈴木まりやさんの5人がキャンペーン隊長として任命されました。 5人の隊長は、「違法駐車は渋滞と事故のもと」、「オフピークにご協力を」、「車で出かける前に駐車場を調べておこう」、などと大勢の来場者に向けてアピールしていました。▲会場に集まった大勢の人々。半数以上はAKBファン!?!?.▲男性に限らず女性ファンの姿も数多く見られた。.▲イベントは、東京都の方の挨拶から始まった。.▲そしてAKB48の5人が登場!.▲お堅いイベントゆえ、少々緊張のご様子。.▲任命式では代表して岩佐さんに「隊長たすき」が渡された。.▲たすき姿も可愛らしい。.▲報道陣向けに東京都の方と記念撮影が行われた。.▲岩佐美咲さん。.▲キャンペーン、頑張ります!.▲ポージングは自ら変えてくれました。敬礼ポーズ。.▲キャラクターの名前を言い間違えてしまい・・・(苦笑).▲そして・・・挫折。.▲でも、すぐに和解。(笑).▲松原夏海さん。.▲みなさん可愛かったです。.▲第一部が終わり、一旦退場するAKBメンバー。.▲第一部が終了すると出演メンバーが事前に告知されていなかったこともあり、(お目当てがいないとわかると)引き上げるファンも多かった。 ..▲第二部は、ピーポ君が登場してPR活動を行った。.▲再びAKBメンバーの登場。.▲会場で配られたリーフレットを使いイベントをPR。.▲小林香菜さん。.▲真剣さが伝わるPR姿も可愛らしかった。.▲鈴木まりやさん。.▲渋滞解消サポーター「ハイパーススムくん」と共演。.▲片山陽加さん。.▲イベントも無事終了し、ありがとうございましたぁ~.▲名残惜しそうに会場をあとにするAKBメンバー。.▲(おまけ)AKBの皆さんが乗ってきたクルマ。..※この記事は、過去の取材実績に基づき紹介するものであり、その取材補完を目的として便宜的に掲載したものです。
2011.07.02
2日午前、群馬県で展開されているデスティネーションキャンペーン(DC)のオープニングイベントとして、2台のSLが同時に発車する出発式がJR高崎駅で行われました。 「SLググッとぐんまみなかみ」、「SLググっとぐんま碓井」と名付けられた2つの快速列車を、JR東日本が所有するC61型、C57型、D51型という3台の蒸気機関車がそれぞれの列車を牽引し、同時刻の9時56分に高崎駅を同時に出発するというもので、この出発式の前にはセレモニーも行われました。 セレモニーにはJR東日本と群馬県関係者のほか、同県の観光大使であるタレントの中山秀征氏も1日駅長として列席しました。 群馬DCは、蒸気機関車を中心としたイベント列車を群馬県内に走らせ、「列車でめぐるぐんま」としてキャンペーンを盛り上げる企画なんだそうです。 ▲先ずはデゴイチ(D51)が牽引する「碓井」号がホームに入線。.▲続いてC61とC57の2台が連結して走る「みなかみ」号が入線。.▲群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」も集まった人々にご挨拶。.▲セレモニーを前にぐんまちゃんもSLと記念撮影。.▲JRと群馬県関係者が列席して行われたセレモニー。.▲ぐんま大使として挨拶する中山秀征氏。.▲挨拶に引き続きテープカットが行われた。.▲関係者によるハサミ入れ。.▲そして9時56分、総勢3台のSLは汽笛とともに出発進行!!!.▲ゆっくりと併走して走り出す2つのSL列車。.▲力強く走るSLの姿は、まさに「生き物」といった感じ。.▲黒煙とともに高崎駅を後にする。.▲ホームには、大勢の見物客が押し寄せていた。
2011.07.02
私が子供の頃、地元の鉄道を走っていた電車の撮影会が行われることを耳にし、懐かしさに誘われるがままに長野県松本市を走る松本電鉄まで出掛けてきました。 懐かしい電車は車体の色こそ違いますが、カエルのような愛嬌のあるデザインはそのままで、当時は車体の色がグリーンだったので「青ガエル」というニックネームで呼ばれていたことを思い出しました。 調べたところ、現在このタイプの電車が現役で走っているのは九州の熊本市を走る熊本電鉄のみらしく、松本電鉄のように走らなくとも保存しているのはここ(松本)と静岡県を走る岳南鉄道だけらしいです。 そんな中、今年の秋を目途に車体の色を昔懐かしいグリーンへ塗り変えるとのこと。今から30年前、初デートで自由が丘まで乗った想い出など、当時の記憶が蘇ってきます・・・(汗)▲青空が綺麗な気持ちの良い初夏の陽気でした。.▲古い電気機関車も子供にとってはジャングルジム!?!?.▲手作りの作業車。なんだか微笑ましいなと。.▲左は元:井の頭線を走っていた車両だとか。今なお現役。.▲どちらも同じメーカで造られたそうで、どうりで似ているなと。.▲職員さんのミニ農園もいいなぁ~。.▲ミニ農園にはトマトが実を付けていました。見づらいかな。.▲信濃毎日新聞の記者さんも取材に訪れていました。.▲このフォルム・・・懐かしいです。.▲この愛らしいデザインは優れものだと思います。.▲親子連れも多数訪れていて、ホノボノとした撮影会でした。.▲有名な駅弁屋さんも出張販売に訪れていました。.▲お弁当の掛け紙は4種類もあり、マニアにはたまらんやろなぁ。.▲車庫内では廃品のオークションも行われていました。.▲車庫の裏手には木造の貨車も。なんとなくノスタルジア。.▲車庫の最寄り駅である新村(ニイムラ)駅もイイ味出してます。.▲昭和の時代にタイムスリップしたかのような雰囲気でした。.▲駅舎内に飾られていた写真。こんな風景を撮影してみたかった。.▲帰路の車窓から車庫を望む。また秋に伺います。
2011.06.26
この日、アースデイ東京タワー・ボランティアセンター主催による「でんき消して節電エコチャレンジ」キャンドルナイト2011が行われることを耳にし、港区芝公園にある東京タワーまで出掛けてきました。 東京で生まれ育った私にとって、こんな機会でもないと東京タワーには近づかないもので、たぶん15年ぶり!?!?の再訪となりました。 このイベントは、夏至の夜に恒例となった国民的節電運動『1,000,000のキャンドルナイト』と連動したもので、夜の部のほかに昼の部として「打ち水」イベントも開催されています。 今回は東日本大震災で被災した福島県内の親子32名が1泊のツアーとして招待され、翌日にはボランティア医師による子供健康相談も行われたそうです。参加したお母さんからは「マスクなしで裸足になり、外で一日中遊べる」といったコメントも寄せられ、改めて福島の現実を思い知らされた気がしました。 あたりが薄暗くなり始めた18時50分過ぎになるとキャンドルに明かりが灯され、19時の時報と共に東日本大震災の犠牲者の方々へ向けた1分間の黙祷、そして音楽演奏とイベントは進行し、20時にはカウントダウンとともに東京タワーのライトアップが消灯されました。 消えた瞬間の歓声とともに、見上げた夜空。なんとなく涼しげに感じたワケですが、現実には暑い夏が始まるんだなぁ~と・・・。 ニッポンの夏、節電&エコライフの夏。▲18時過ぎからは子供向けの音楽教室も行われていた。.▲キャンドルの点火とともにオープニングを迎える。.▲興味津々でのぞき込む子供たち。.▲こちらでは点火にチャレンジする姿も。.▲19時とはいえ空はまだ明るい。サスガ夏至。.▲19時の時報とともに犠牲者へ黙祷が捧げられた。.▲音楽演奏も始まり・・・.▲あたりもようやく薄暗くなり・・・.▲怪しげなおネエさん登場。.▲何とも幻想的な火を使った踊りでした。.▲子供には刺激が強いような・・・考え過ぎか。.▲会社帰りのOLさんたちも足を止めて見入っていた。.▲ちょっとトーンを変えてセピア調で撮影。涼しげ???.▲声量のある歌声にうっとり・・・.....▲お昼からイベントづくしで疲れちゃったよねぇ。.▲そしてカウントダウンがはじまり・・・.▲20時の時報とともに消灯。.▲東京タワーはご覧のとおり真っ暗に。.▲キャンドルの明かりがとても幻想的でした。
2011.06.22
この日、都内を走る路面電車としては唯一、道路上を走る「都電荒川線」の車庫で、「路面電車の日」を記念したイベントが開催されるとのことで出掛けてきました。 「路面電車の日」とは6月10日=「ろ(6)」「面」「テン(10)」「車」)の語呂合わせから、平成7年(1995年)に制定された記念日なんだそうです。この前後の日には日本の各地で路面電車の利用促進のためのキャンペーンやイベントを行っているそうです。 特に今年は、都電が100周年を迎えるそうで、時を同じく100周年を迎える大阪の阪堺電車とのコラボマークや、今年の4月に誕生した都電荒川線のマスコット「とあらん」のお披露目、今秋頃にデビュウ予定の「花電車」、そして既に引退した電車など様々な展示が行われました。 このほかにも、この度の東日本大震災で被災した鉄道会社による出張販売なども行われていました。 都電という親しみのあるイベントゆえに、お年寄りから家族連れまでが集う、賑わいのあるイベントでした。▲オープニングは、「とあらん」と荒川区のキャラクター「ワザ丸」のお披露目から始まった。.▲新しい都電なんだそうです。ポカーン( ̄▽ ̄;).▲大阪を走る阪堺電車とのコラボマーク。.▲こちらは都営交通100周年を記念したマーク。.▲会場内は大盛況でした。.▲やはり子供には大人気。.▲可愛い声援にも、全身で表現して応えていました。.▲工場内は子供にとっては秘密基地なんでしょうね。.▲花電車の登場と共に会場内はピークに。.▲みなさん、撮影に無我夢中のご様子。.▲真っ白な車体は本格的な装飾までの過渡的措置なんだとか。.▲中身が「すっかすか」なのがわかります。どんな花電車になるのか!?!?.▲こちらは既に引退した電車なんだとか。右のカラーが大阪の阪堺電車の色なんだそうです。.▲熱心に撮影するファンの方々。.▲阪堺電車の色も似合ってます。.▲新型の都電とも一瞬でしたが並びました。.▲キャラクターはバランスが悪く、ステージに上がるのにも一苦労。.▲東日本大震災で被災して、今も復旧の目途が立たないひたちなか海浜鉄道の社長さん自らがステージに立ち、復旧に向けた熱い思いを語っていた。.▲こちらは司会を担当した鉄道ジャーナリストの史絵さん。荒川線の大ファンなんだとか。.▲かなり前からやっとるんですな・・・PR。.▲懐かしい都電を発見し、子供の頃の記憶が蘇ります。.▲ママ鉄さんも、頑張って撮影中。.▲子供の頃、乗りましたね。この色の都電。.▲機械仕掛けの展示は、小さいお子さんに大人気でした。.▲こちらも懐かしい駅名がズラリ。古い物は布製なんですね。.▲車庫に隣接した都電ひろば。こちらも賑わっていました。.▲展示のあと、お客さんを乗せて走りゆく新しい都電。
2011.06.12
天皇皇后両陛下には4日午前、御静養のため葉山御用邸へ行幸啓になられました。 午前10時過ぎに皇居乾門を御出門になられた両陛下は、自動車お列で首都高速道路などを経由し、正午前には葉山御用邸へ御着されています。 同日には秋篠宮同妃両殿下並びに悠仁親王殿下も1泊のご予定で同御用邸へお入りになられました。 両陛下には今年2月以来となる御静養ですが、その間には東日本大震災や同被災地及び避難所へのご慰問を7週にわたり続けられたほか、5月21~22日には全国植樹祭へ御臨場のため和歌山県へ行幸啓になるなどお忙しい日程をこなされており、3月下旬に予定されていた御料牧場(栃木県高根沢町)での御静養は見送られています。 この日のお車列は、白バイ5台、セダン7台(お召車及び供奉車を含む※パトカーは除く)でした。 両陛下は7日まで同御用邸にご滞在になり、同日午後、還幸啓になられる予定になっています。▲通行規制により高速道路の入口は数分間だけ閉鎖される。.▲通行規制後、お車列に先行して走る警察車両。.▲お召車は第5号特別車(トヨタ・センチュリー)でした。.▲御乗車中の天皇皇后両陛下。.▲お車列の最後尾で一般車両をガードする2台のパトカー。.▲お車列とは距離を置いて追走する警察車両。
2011.06.04
皇太子同妃両殿下には4日正午過ぎ、東日本大震災被災地ご慰問につき宮城県へ行啓になられました。 正午に東宮御所を御発された両殿下は、自動車お列で羽田空港へ向かわれ、同空港からは航空自衛隊特別機で空路、宮城県入りされました。 東京お車列は、白バイ3台、セダン4台(特別車及び供奉車を含む)でした。 両殿下は仙台空港御着後、同空港から程近い岩沼市の沿岸部にある相野釜地区と亘理郡山元町にある避難所2カ所(山下小学校及び同中学校)を御訪問されています。 御訪問を終えられた両殿下は同日夜、空路、仙台空港から航空自衛隊特別機で羽田空港を経由し帰京され、20時過ぎには東宮御所へ還啓になられています。▲羽田空港VIPスポットに待機する航空自衛隊特別機。.▲両殿下のお車列は、12時30分に羽田空港へ御着された。.▲航空自衛隊特別機へ乗り込む両殿下。.▲ご搭乗後、お車列は別の待機場所へと移動した。.▲ドアが閉められ離陸へと準備が進む。.▲滑走路へとタキシングを開始した特別機。コールサインは「ジャパンエアフォース01」だった。.▲そして、一路、仙台空港へと向けて離陸して行った。
2011.06.04
あいにくの雨模様となったこの日。以前撮影させていただいた沖縄出身の歌手の方のマネジャーさんにお招きいただき、横浜は元町の中華街で会食をすることに。 せっかく横浜に行くのだからと少し早めに向かったものの、天候は雨。そうなるとインドアで楽しもうと向かった先は日産本社ギャラリー。何の下調べもなく出掛けたため新しいクルマとの出会いは無かったものの、弊ブログではお馴染みの「たま電気自動車」に再会。 そして、頃合いを見て待ち合わせの駅へ向かい、中華街へ。料理が美味しいことは言うまでもなく、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り・・・ その後は、私のことを(そのプロダクションへ)ご紹介してくださった方のご自宅へ軽い拉致。(笑) 楽しい1泊2日のプチ旅行と相成りました。▲下から見上げるのは初めて。でも洗練されたデザインにうっとり。.▲バックショットもなかなかです。.▲拉致先wwでは可愛いワンちゃんがお出迎えしてくれました。
2011.05.28
迎賓館赤坂離宮を舞台に、22日午前から始まった日中韓サミット。 この日は、先ず午前8時15分から日中首脳会談に始まり、午前9時30分からは日中韓サミットが行われ、冒頭、菅総理の呼びかけにより東日本大震災の犠牲者に対し、参加者全員で一分間の黙祷が行われました。 会談は時間を延長して議論が交わされたようで、正午過ぎになって共同記者会見が行われ、この後、日中韓三カ国の首脳は会場を変えて、千代田区にある経団連会館で財界関係者とのワーキングランチに臨まれています。▲迎賓館近くのJR四ツ谷駅前では物々しい検問が行われた。.▲迎賓館前は初夏を思わせるくらいの暑さだった。.▲迎賓館には(左から)中国、日本、韓国の国旗が掲揚された。.▲警察犬も暑そうで大変そうだなぁ~と思った次第。.▲賓客が到着する直前になると正門が開門される。.▲韓国大統領を乗せた車列が、新緑の中を颯爽と進む。.▲外務省がリースで借り受けているベンツ貴賓車。.▲とても東京とは思えない光景にうっとり。.▲サミットが終了し、次の会場へと出発する韓国大統領の車列。....▲スケジュールは分刻みで進むため、韓国大統領(右下のクルマ)が出発すると同時に、御車寄では温総理がクルマに乗り込まれる。.▲続いて、中国の温家宝国務院総理が出発。...▲温総理の動きを伝える中国メディアの記者。.▲後を追うように経団連会館へ向かう菅総理の車列。.▲総理専用車(レクサス)のカーテンは閉ざされたままだった。
2011.05.22
日中韓の三カ国首脳は、この日午前から迎賓館赤坂離宮で行われたサミット会合に引き続き、正午からは千代田区にある経団連会館へ会場を移し、財界関係者とのワーキングランチに臨みました。 経団連会館の周辺は、様々な政治思想や活動に基づくデモ行進が行われていたこともあり、物々しい警備が敷かれていました。 3カ国の首脳は、日本、韓国、中国の順で14時過ぎに経団連会館をあとにしています。菅総理は迎賓館へ、韓国と中国はそれぞれ宿舎(韓国=帝国ホテル、中国=ホテルニューオータニ)へと戻られています。▲経団連会館をあとにする韓国大統領の車列。.▲少々お疲れのご様子に見受けられた韓国李明博大統領。.▲車列に編成された警視庁のランドクルーザー警護車。.▲女性警護官(SP)の姿も見慣れた光景に。.▲ベンツとランクルの警護車にガードされる温総理を乗せた貴賓車。.▲今回の外務省貴賓車(リース)は、ベンツが多用された。.▲併走する警護官もカッコイイ!!!菅総理の車列。.▲警護車から身を乗り出す姿もVIP車列ならでわ。.▲菅総理を乗せた専用車の後ろを「黒塗り」が連なる。.▲最近見る機会が少なくなりつつあるセンチュリー警護車。.▲首都高速道路へと進入する総理大臣一行の車列。.▲経団連会館の周りでは様々な政治活動が繰り広げられた。
2011.05.22
日中韓サミットも21日の午後には終盤を迎え、残すところ日韓と中韓の首脳会談を残すのみとなった。 最後の勇姿を撮影しようと迎賓館前に繰り出してはみたものの、雨がポツポツ降り出し、仕舞いにはありえない豪雨に。(午前は晴天に恵まれていたのに・・・) そして午前中のスケジュールが遅れた影響もあってか、会談のスケジュールは変更を余儀なくされ、中韓首脳会談は迎賓館から程近い中国の宿舎であるホテルニューオータニで15時から行われ、日韓首脳会談は遅れること16時から迎賓館赤坂離宮で行われた。 中韓の首脳は程なく羽田空港から、中国、韓国の順で離日された。菅総理はこれとは関係なく、天皇皇后両陛下の和歌山県からの還幸啓のお出迎えのため、羽田空港へと向かわれている。 そんなこんなで、今回の取材は終了を迎えたのでありました。・・・おしまい。▲豪雨の中、韓国大統領の到着とともに正門の扉が開かれた。.▲豪雨の中、迎賓館に到着した韓国大統領を乗せた車列。.▲謎!?!?のシボレーエクスプレスも車列と共に迎賓館の中へ。
2011.05.22
5月22日に都内で開催される第4回日中韓サミットに先立ち、中国の温家宝・国務院総理は21日正午前、東日本大震災の被災地をお見舞いのため、宮城県の仙台空港へ特別機で到着されました。 この被災地訪問は、当初、菅総理が福島県内で日中韓サミットの開会式を予定したものの、会場の都合で開会式は都内で行われることになり、この被災地訪問だけは中韓両国の意向もあって実現したものです。 温家宝総理は空港到着後、外務省が仕立てマイクロバスに乗車され、同県名取市の沿岸部での献花に続き、避難所となっている館腰小学校体育館を訪問されました。 温家宝総理はその後もマイクロバスで移動され、15時過ぎには次の訪問先である福島県へ入られました。▲特別機の到着を待つ、温家宝総理一行の車列。.▲仙台空港で温家宝総理の到着を待つ松本外務大臣。.▲到着を待つ間には、宮城県知事と挨拶を交わしていた。.▲11時40分過ぎ、仙台空港へ着陸する中国政府の特別機。.▲特別機はお馴染みの「エア・チャイナ」B747型機。 .▲到着後、先ずは中国の政府関係者らが降機を始めた。.▲機内から姿を見せると出迎えの関係者に笑顔で応える温総理。.▲ゆっくりとした足取りでタラップを降りられた。.▲日本国政府関係者と挨拶を交わす温家宝総理。.▲マイクロバスに乗り込まれても挨拶を続けていた。.▲突如、一度乗車したバスを降りてマスコミの前へ。結構イイ人かも。( ´ ▽ ` )ノさすが親日家と囁かれる人だなぁ・・・と。.▲マイクロバスでの移動は、中国要人ではお馴染みのスタイル。.▲仙台空港を出発し、被災地訪問へと向かう車列。.▲外務省が用意した貴賓車(ベンツ)も車列に加わっていた。.▲空港周辺は、ご覧の状況で・・・言葉もなく・・・
2011.05.21
21日午前に宮城県仙台空港へ到着した中国の温家宝国務院総理と韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は、それぞれ宮城県内の被災地を訪問されたのち、次の訪問先となる福島県福島市にある県立あづま総合体育館へ午後3時頃に到着されました。 両国首脳ともに自動車列で宮城県から東北自動車道を経由し福島県入りされ、スケジュールの関係から先に日本へ到着していた李大統領が先着し、その15分後に温総理も同体育館へ到着されています。 これに先立ち、両国首脳の福島市内到着1時間前の午後2時頃には、仙台空港でのお出迎えを終えた松本外務大臣が同体育館入りされ、その10分後には東京から新幹線で福島県入りした菅総理大臣が到着しています。 同体育館で合流した日中韓3カ国の首脳は、揃って(同体育館に)避難している被災者を見舞ったほか、福島県産の農産物を手にするなどして安全性をアピールしたそうです。▲松本外務大臣の車列。仙台ナンバーのミニバンハイヤーを利用していた。.▲菅総理の車列。警護は警視庁が担当していた。.▲総理車は東京から持ち込んだワンボックスハイヤー。(手前を走るセレナは警視庁の警護車。).▲韓国・李明博大統領一行の車列。.▲大統領は外務省手配の貴賓車(ベンツ)に乗車。.▲沿道で待ち構えていた市民に手を振る李明博大統領。.▲こちらは、中国・温家宝国務院総理一行の車列。.▲温総理の乗ったマイクロバスをガードするシーマ警護車。.▲温総理は運転席のすぐ後ろに着席していたため、沿道の市民はその姿に気がつかない人が多かった。
2011.05.21
福島県を訪れていた日中韓3カ国の首脳は、県立あづま総合体育館(福島市)に避難している東日本大震災被災者へのお見舞いを終えられ、16時過ぎにはJR福島駅発の東北新幹線で東京へと向かわれました。 福島駅前では土曜日の夕方ということもあり、3カ国の首脳を一目見ようと大勢の市民が足を止めて集まっていました。 3カ国の首脳は警備上の理由もあり、日本→韓国→中国の順で時間差を設けて別々の東北新幹線に乗車しています。東京では同夜、菅総理主催の夕食会が迎賓館赤坂離宮で催されています。▲福島駅前に最初に現れたのは菅総理でした。.▲大勢の市民を前に満面の菅スマイル。.▲集まった女子高生にも大人気!?!?でした。.▲テレビでよく見る有名人という感覚なんでしょうね・・・きっと。.▲少し表情が強ばったように見えるのは、群衆の中から菅総理に向けて暴言を吐き、警察に取り押さえられた者がいたから。.▲次は誰が来るのかなぁ~~.▲次に駅前に降り立ったのは韓国の李明博大統領だった。.▲手を挙げるなどのポーズよりも、市民に向けて会釈をされているのがとても印象的でした。.▲この直前に女子高生の「写メ」にピースサインで収まり、ちょっと照れくさそうな李大統領。.▲李大統領が大阪生まれであることはあまり知られていない。親日家とも言われているが、政治的な背景もあり多くは語られていない。今秋には公賓として再び来日予定。.▲韓国大統領を警護するために駅前で待機する、謎!?!?のシボレーエクスプレス。ドアが微妙に開いており、いつでも出撃できる体制を取っていた。.▲最後に登場したのは、中国の温家宝国務院総理。.▲大きく手を挙げて出迎えの市民に応えていた。(駅長さん・・・誰かに似てると思ったら某都のペン記者さん!?).▲駅前でもサービス精神旺盛のパフォーマンスだった。.▲たぶん同国と思われる方々が握手を求めてアプローチ。一説には「動員」させられているとも言われるが真意は!?!?.▲ぼんさん、エエ仕事してまんなww
2011.05.21
皇居の北西(乾の方角)にある乾門は、現在改修工事が行われており、門全体が白いシートで覆われています。 乾門は皇居への通用門の一つであり、自動車による荷受けの際の搬入門になっており、一般の来訪者の受付は行っていません。(一般の来訪者の受付は坂下門のみが行っています。) また、首都高速道路の代官町ランプ(出入口)が門前にあることもあり、天皇皇后両陛下が高速道路を利用してお出かけされる際にはこの御門をご使用になられるほか、皇居へ参内する外国要人の方々も時折、使用されます。 この門からは、宅配業者や日本郵政公社のトラックを始め、数多くの出入り業者のクルマが出入りしています。 また、宮内庁が所管する各宮家のクルマが整備や所用など回送で皇居を訪れる際にも、この門が利用されます。 一般の家庭でいう「勝手口」のような存在なのかなと・・・▲地下鉄東西線竹橋駅から紀伊国坂を上がると乾門へ。坂の名はその昔、この地に「尾張紀伊のお屋敷」があったことに由来し、同名の坂は赤坂にもあります。.▲皇居東御苑と北の丸森林公園を結ぶ「みたけばし歩道橋」は、昭和43年秋に皇居外苑保存協会が千代田区へ寄贈したもの。.▲この日は「歌舞伎座」のクルマも出入りしていた。仕出しの特製弁当の配達かなぁ?.▲回送で皇居を訪れた秋篠宮家の「トヨタ・アルファード」.▲宮内庁が管理するセンチュリーの中で唯一、後部座席の窓にプライバシーフィルムが貼ってある桂宮家のクルマ。.▲こちらは三笠宮家のワゴン車。「トヨタ・ノア」
2011.05.18
天皇皇后両陛下には17日正午、14日から実務訪問賓客として来日中のルクセンブルク大公国のギヨーム皇太子殿下をお住まいである皇居御所へお招きになり、ご昼餐を催されました。 両陛下がギヨーム皇太子殿下にお会いになるのは今回が初めてだったそうです。 ギヨーム皇太子殿下は正午前、皇居乾門から参内され、両陛下とのご昼餐ののち約2時間後、同門よりご退出され、この後、東宮御所へ向かわれ皇太子殿下との御接見に臨まれています。▲ギヨーム皇太子殿下は自国大使館のクルマで参内された。.▲側近とレクチャー中!?!?のギヨーム皇太子殿下。(右側).▲ご昼餐を終えられ乾門を出るギヨーム皇太子殿下のお車列。.▲車列は先導のパトカーを入れて3台という編成でした。.▲大役を終えられホッとしたご様子のギヨーム皇太子殿下。
2011.05.17
天皇皇后両陛下には11日午前、東日本大震災被災地ご慰問のため福島県へ行幸啓になられました。両陛下は4月27日に宮城県、5月6日に岩手県をそれぞれご訪問されており、今回の福島県を含めると被害が甚大だった東北3県すべてをご訪問されたことになります。 両陛下は午前9時過ぎに皇居を御発され、自動車お列で羽田空港を経由し、空路、航空自衛隊特別機で福島空港へ向かわれました。 東京お車列は、白バイ5台、セダン(御料車及び供奉車を含む)7台という編成でした。 福島空港では福島県知事から被災状況を御聴取並びに御会食ののち、自衛隊ヘリに乗り換えられ同県福島市と相馬市の避難所を相次いでご訪問されました。 相馬市では、東電福島第一原発から40キロ余りの場所となる、津波で壊滅的な被害を受けた原釜及び尾浜地区を訪れています。 両陛下には、3月30日の東京都足立区への避難所ご訪問以後、7週連続にわたり各地の避難所や被災地をお見舞になられています。▲通行規制の直前には様々な警察車両が警戒にあたる。.▲この日はあいにくの雨模様での行幸啓となりました。.▲お召車は第7号御料車を御乗用になられています。.▲今回のお車列の最後尾は、クラウン警護車だった。
2011.05.11
アメリカ合衆国ヒラリークリントン国務長官は、東日本大震災のお見舞い及び日米連携協議のため、17日正午来日しました。 クリントン国務長官は予定を15分ほど遅れた12時15分過ぎ、特別機で羽田空港に到着すると、外務省飯倉公館で松本外相と会談→皇居を私的に訪問し天皇皇后両陛下へ大震災に対するお見舞い→総理官邸で菅総理と会談→アメリカ大使館立ち寄りと、わずか5時間という慌ただしい中、多忙なスケジュールをこなし、午後5時30分過ぎに羽田空港から離日しています。 会談は、東日本大震災や福島第1原発事故の復興と収束に向けて、日米両国が協力をしていくことを約束したそうですが、今回の来日の真の目的は「原発情報」を明らかにしない菅政権へ「釘を刺すこと」だったという見方も!?!?・・・真意は如何に。▲到着の1時間前には、既に関係車両が集合していた。.▲このトレーラは、報道陣用の取材台として使用するもの。.▲イカツイ本国警護員と可愛らしい外務省職員さん。.▲大臣級の来日にも関わらず、国旗の掲出など親密な厚遇ぶり。.▲空港貴賓室も華やかな雰囲気に包まれる。.▲特別機は、滑走路34Rに着陸した。.▲特別機はアメリカ空軍C-32(B757-200)80002号機。.▲てっきり、このサバーバンに乗車すると思っていたが・・・.▲特別機の前に車列が待機し、降機に向けた準備が行われる。.▲本国の警護員が先ずはタラップを降りる。.▲国務長官の紋章=Secretary of State.▲硬い表情でタラップを降りるクリントン長官。.▲出迎えの外務省関係者と握手を交わされる。.▲会話の途中に見せるヒラリーさんらしい特徴のある表情。.▲本国の警護員も入り交じる空港警護は鉄壁。.▲クリントン国務長官は今回、アメリカ大使館の大使専用車に乗車。車高の高いサバーバンでは乗降に不便を感じたからだろうか。.▲外務省飯倉公館を出て皇居へと向かう車列。.▲車列は大臣級ゆえの簡素なものだった。.▲国道を逆送して首都高の管理用出入口へと進む車列。.▲両陛下との私的会談を終えられ、皇居乾門から出門。.▲後方のパトカーが車列の最後尾となる。.▲菅首相との会談を終えて、総理官邸を後にする。.▲この後、アメリカ大使館に立ち寄り、羽田空港から離日した。.▲特徴あるドアミラーの米国大使館所有の防弾仕様サバーバン。
2011.04.17
東北関東大震災発生から3日たった今日、首都圏ではJRを始めとする鉄道各線の運休や商業施設の臨時休業、時間短縮など市民生活への影響も続いています。 私自身も震災当日は帰宅難民となり、思いもよらない経験をしました。 もっとも、被災された方々のご苦労を思えばゼイタクなど言えない訳ですが、それでも日常生活に不便を感じてしまうのは、どうしようもない事実であります。 このような中、不謹慎かとも思いましたが、この2日間の首都圏の街の様子をお伝えすることにします。 被災者の方々には、心よりお見舞い申し上げます。▲震災翌日の駅の様子。列車本数も少なく閑散としていた。中央に設置されているモニタは普段、路線図が写し出され運行情報などが表示されるが、このような緊急時にはNHKのニュース等が放送される仕組みになっている。.▲間引き運転で閑散としていた駅構内も列車の到着と同時に大勢の旅客が・・・。成田空港への路線とあってキャリーバッグを持った人が目立っていた。.▲振替乗車などの運賃精算で改札口は長蛇の列に。.▲ホームは電車を待つ人々で混み合っていた。.▲こんな場所でも震災の爪痕が・・・.▲出発時刻を知らせる案内表示には時刻の表示がない。.▲地震の影響を伝える案内表示も、あちこちで見られた。.▲政府の節電要請を受けて、コンビニも看板などを消灯。.▲翌朝には震災による品薄への理解を求める張り紙も。.▲このような張り紙は何とも心が痛みます。.▲銀行では計画停電による影響を告知する張り紙が見られた。.▲駅前の商業ビルも臨時休業。.▲スーパーの入口には開店の数時間前から買い物客の列が。.▲電車が運転されないためシャッターが下ろされたJRの駅。.▲計画停電に伴う運休を知らずに駅へ来ていた人もいた。.▲駅頭では運転状況を尋ねる利用者が後を絶たなかった。.▲ガソリンスタンドも「油」が底をついてしまい・・・.▲・・・店じまい。.▲都心へ向かう基幹道路は大渋滞に。...長野県北部を震源とする地震による被災者の方々へも、心からお見舞いを申し上げます。
2011.03.14
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