全98件 (98件中 1-50件目)
2018.09.30
コメント(0)
午が九頭はしっていて、「うまくいく」これ、ダジャレです。良くいく喫茶店のトイレに木像が飾ってあったので、参考にしました。
2014.01.08
コメント(0)
今年は、午年。お獅子をかぶった午を描きました。
2014.01.08
コメント(0)
綾瀬川上空を飛ぶアオサギ。風切り羽が欠けている個体でした。鳥の師匠からの写真を元にして描きました。サギの仲間でも最大のアオサギ、すぐ真上を飛んでいったこともありますが、迫力ありましたね。
2013.05.21
コメント(1)
地元の綾瀬川沿いを散策中、カルガモの昼寝に遭遇。スケッチしました。首を後ろにかたむけて仲良く、休息中でした。
2013.05.16
コメント(0)
花の咲く木に、小鳥たちがあつまりよく蜜を吸っています。スズメも桜にきますが、蜜を吸っているというより、花を摘んでとっちらかしているようにも見えます。鳥の師匠が撮ってきた写真を元にして、水彩で描きました。
2013.04.03
コメント(0)
伊奈町の両境界線を流れる、綾瀬川、原市沼川でも良く見かける鳥です。カワセミというと、清流を創造しがちですが、どっこい適応能力が優れているのか、中野・哲学堂あたりの水場にもやってきます。背中のマリンブルーは、まるで石垣島の海でみた色によく似ています
2013.03.30
コメント(0)
田んぼの代掻きの時期の目安になるという、雪形「代掻き馬」です。歳時記に出ていた写真から水彩絵の具で描きました。
2013.02.11
コメント(0)
2012.12.31
コメント(0)
2012.12.25
コメント(0)
先日、山形出身のSさんより、お裾分けして貰った「蜜入り」の林檎。蜜がたっぷり入ってシャキシャキの美味しさでした。ご馳走様でした!
2012.12.19
コメント(0)
先週の土曜日。小学校でフェスタ(文化祭のようなもの)があり、おやじの会も出店をしました。焼き芋、水ヨーヨー、割り箸鉄砲・缶弓矢づくりプラスおやじバンドの演奏会。私の担当は、ものづくりコーナーで作った割り箸鉄砲と缶弓矢をつかっての射的もやりました。去年も割り箸鉄砲をやりましたが、高学年の子たちには工夫が見られ自分なりに改造などをしていました。今年は、そういった子はあまり見受けられなかったのが残念でした。ちょっとした刃物も使いますので、道具を使う、丁寧に作る、自分に合わせて作る、そして自分なりに工夫する。そんな風に出来たら良いなと思いました。
2012.10.30
コメント(0)
先日、のぞみ病院に息子を連れていった時、未完の道路を通った帰り道。道際の菜園で姫リンゴを採って味見をしている人がいて、指をくわえて、涎をたらしながら見ていたら二つ頂けました。小さいながらもしっかりしたリンゴの形になっています。皮のままかぶりついたら、美味い!甘味こそ少ないが、しっかりした歯ごたえ。ご馳走様でした。
2012.10.03
コメント(0)
この間まで、茹だるような暑い夏でしたが、ここ伊奈町にも、そこかしこに小さな秋が訪れています。自転車で町を徘徊中に、道に立派な栗が落ちていました。いつものように失敬して絵を描きました。この立派な栗を使ったお菓子や料理が出来たらA級グルメ間違いなし!栗を出荷する農家も増えて町の税収もアップ!食を取り上げた、「B級グルメ」は盛んですが、出来る限り「地産地消」を目指してほしいなと思います。
2012.10.03
コメント(2)
8月25日(土) 流しそうめんの竹コースづくり、竹の工作教室、スイカ割り、薪でカレーとご飯づくり。最後は、小さなキャンプファイヤーで1日を振り返りました。みんなの元気が大人の元気になります。
2012.09.11
コメント(0)
川面に映った空がうつくしい。
2012.07.12
コメント(0)
子どもたちは、遊びが大好き。子どもたちには、あらゆるものが遊びの道具。子どもたちは、自然がともだち。子どもたちは、知らず知らずに自然と共鳴している。子どもたちの視線は、単純に低いだけではない。大人は興味がないので、見過ごしているだけだ。知ってるつもりは、何も知らないのと一緒。知ったという事は、知らない事が増えたという事。子どもたちの輝く視線を感じてみよう。忘れていたものが、よみがえるかもしれない。
2012.07.11
コメント(0)
限りある時間の中で、何をたよりに生きるのかそれが問題だ。物はお金で買えるけど、人のこころはけっして買えやしない。物は触ったり、見たりできるけど、こころは見えない触れない。見えないものは、こころで感じる。見えないものに大切なことが隠れているものだ。あふれ出る情報が、自然の勘を曇らせる。何が大切なことで 何がいらないか。野に山に 川に海に 出ていこう。自然のリズムを取り戻しに…。
2012.07.10
コメント(0)
この人の世が、「作り物の世界」になったからこそ、ほんとううのことが見えてきた。くもりなき まなこを もってくもりなき こころの めをもって ほんとうのせかいを かんじようじゃないか。人のこころを 変えることは 出来ないが自分が変われば 良いじゃないかよいことも わるいことも その全てを呑みこんで渦を巻いて まわっているよ。わたしの からだの中でもあなたの からだの中でも自然の 働きで うごいている。
2012.07.09
コメント(3)
仕事をしていて眠くなったので、散歩に出ました。鯉のぼりが良い感じではためいていました。そこから、綾瀬川へ出て活性化している鯉を見ました。鯉ののっこみが近いんですね。鯉の恋の季節。「鯉のぼり」「登竜門」「鯉ののっこみ」…。しばらくして、春雷。稲妻が良い感じで光っていました。稲妻もよく龍にたとえられます。新幹線の下で雨宿り。ツバメたちが一生懸命虫を捕っていました。川では、カルガモが元気に泳いでいます。綾瀬川右岸にある桜並木もすっかり葉桜に…。左岸ののり面には、菜の花の黄色が際立っています。
2012.04.17
コメント(0)
今日は北西の冷たい風の吹く日でした。そんな中、綾瀬川の水鳥たちは元気に暮らしています。これからしばらくすると、渡り鳥たちが羽休めに降りてきます。楽しみな季節がやってきました。
2012.03.19
コメント(2)
おととい、学校で6年生の「巣立ちの会」が開催されました。昔でいう「謝恩会」のようなものでしょうか。費用は保護者が出して、PTAや先生諸氏がすっかりお膳立てをして、というのは若干「茶番」「芝居がかり」の感が否めないところもありますが…。先生や親、関わった大人たちに、心から「ありがとう」と思えるのには、自分が子どもを持って家庭を築いた時まで、もう少し時間が必要でしょう。今でも、記念植樹をもらってくるんですね。家もそうですが、アパートやマンション暮らしの人が増えている中、「ブルーベリー」の若木をどう育てたら良いのでしょう。よりによってブルーベリーはないと思いませんか?家では福岡の山の神の実家に送る事にしました。そこでは、他にもブルーベリーを植えているところがあるので記念にもなるでしょう。「人権」などを学んだ人達が、考えた事なんでしょうか。「ブルーベリー」の事も考えてあげてください。なんか愚痴めいてきました。複雑な気持ちで息子から贈られた花束の写真をとりました。花には罪はないですからね。会場の受付でもらった「子どもへの贈り物」をこれまた複雑な気持ちで手渡しました。う~ん、何とかならんのかね。虚飾で表面をつくろうのでなく、ほんとうの気持ちを形にして表現するっていう事が…。もう少し本気になって考えようぜ、文部科学省・教育委員会・学校・PTA!
2012.03.08
コメント(0)
もうすぐひな祭り。甥っ子の子どもにと、人形を手作りしました。今朝「asaichi」でやっていた吉野びなを参考に、胴体は桜で作ってみました。お内裏様の烏帽子は竹と竹ひご、紐もありものです。丸い檜の木。これは山の神が「面白そう」とハンズあたりで大量に買っていたものを使いました。接合面にはきりで穴をあけて竹ひごを差してあります。桜の木は山の神が、いつだったか川沿いで拾ってきた枝です。(枝うちしたやつね)おしろいは胡粉。奈良の吉野では、この雛人形は守護神だそうです。雛祭りが終わってもず~と飾っておいて良いんだって。桜の枝は独特の表情があって面白いです。子どもが電車にはまっていた小さい頃、やはり桜の木を使って磁石を埋め込み、電車を作った事を思い出しました。
2012.03.01
コメント(0)
先日、新聞の特集記事で「PTAについて」の白熱?した投稿を読んで感じたこと。また役員を経験して分かった事を書きます。いずこのPTAも、任意の団体であるが限りなく強制的に子どもが入学と同時に会員になる言う事。前例の無いことで、これは面白いだろうと提案する事、新しい事をやる事がとても大変な事。学校への寄付するためにバザーが行われている事。小学校の執行部の役員さんは子どもが中学に上がると引き続き執行部に推薦される事。くじだか、じゃんけんで役員になった人が「私はワープロも打てないのに書記に選ばれてしまい…」と泣きながら挨拶してた事。部会や集会の度にパート仕事の調整をしている人たち。広報紙は持ち回りで賞が与えられ、金やら銅やらの賞をもらえる事。役員任期1年が終わると役員一人当たり3,000円くらいの報酬(現金以外)があるという事。この同じような事を30年から続けてやっている事。会長さん以外は、皆女性であるという事。(私の時は広報の部長と副部長が男性でした)お金が余ると、次年度の予算が減るので使い切ってしまえと言われる事。(役所じゃないんだから、プールしておいて良いんじゃない。或いは予備費として何かあった時の為にとっておくとか…)毎年役員が変わるのに、各部のやる事が一緒というのが、どうしても解せないところで、今年はうちの部がこれやりたいとか言えないんです。言ったら、皆に笑われてしまいました…。むむむ、おかしいぞ、おかしいぞ。おかしい事を少しずつでも修正して行ったらと思うんですが、何かの壁が邪魔をするんですね。あらゆる組織に共通する事は、時代のニーズにあったように体制を変えていく事だと思います。気付いた人が力を合わせて変えていきましょう。改悪にならないように気をつけて。継続的に分かりやすいバトンを渡して行きましょう。執行部のみ知っている情報などが無いように。情報は会員全てに公開し、共有しましょう。この少子高齢化の進む現代で、PTAがあるから、子どもを産みたくない…などと言われないように…。
2012.02.27
コメント(0)
今年は辰年。古来より日本では、山の神、川の神、田の神にたとえられて来た龍ですが、どうも水に関する事にはすべからく龍のイメージがあるようです。森、川、海、雲、雨という見事な循環の中で、生き物にとって水は、なくてはならない大切な要素(エネルギー)です。1月、2月の絵はその形を変え循環する水のイメージから、「無限青龍」にしました。ひねれば出てくる、水道の蛇口から出る水をみて、源流の森を想像してみてください。
2012.01.06
コメント(0)
今年は良い年になるよう祈っております。禍福はあざなえる縄の如し、という言葉があります。心にいつも太陽をもって進んでいきましょう。今年もよろしくお願いいたします。
2012.01.06
コメント(0)
先日、友人から柚子を頂戴しました。彼の里、糸魚川からの贈り物です。野趣あふれる薫り高い柚子です。皮も中身もまるごと頂けます。これからの鍋の季節にはもってこいの食材です。ご馳走様でした。
2011.12.14
コメント(0)
今年もあとひと月となりました。今年久し振りでカレンダーを作ってみましたが、結構誤字が多かったですね。十月を水無月にしたり、六月二十九日をもうひとつの昭和の日にしたりして見るに堪えなかったです。今年はそんなことがないように、じっくり校正しようと思っています。来年の干支は辰です。龍はライフワークで調べたりしていますが、要は目に見えないものを形にしたのかどうかというところです。目には見えないけど感じるってことは大いにあるわけで、それを形にするとこうなる、という感じなんでしょうか。優等生的にいえば、自然に対しての畏敬の念が、こういう形になったという答えですが…。「本心は確かに龍は存在する」んじゃないかと思っています。
2011.12.01
コメント(0)
きのうは、仕事が一区切りしましたので、隣町の図書館へ行きました。この図書館の前になかなかいい雑木林があるんです。ここにも紅葉落葉樹(造語)がたくさんあって、いよいよケヤキも色づき始めました。いよいよ季節は冬に入ろうとしています。もみじやら何やら枯葉やら枝やらを拾ってきました。これらをリースに少しづつ飾っていくのも楽しみの一つです。
2011.12.01
コメント(0)
先月ですが、友人のお宅から柿をもぎらせて頂きにあがりました。品種は「つんのこ」(鶴の子がなまったらしいです)これが、甘くて美味しいんです。ちょっとしたスウィーツのような上品な味でした。別の木には次郎柿がなっていて、こちらもしばらく追熟して美味しく頂きました。いつもですが、食べる前に描くをモットーにして、絵手紙にしてお礼を書いたりしています。これも物々交換か…。町を散策していても、なっている実に目がいきます。鳥の餌になるのも良いんでしょうが、なるたけ取って食べたいですね。(今はなかなか勝手には取れないですけどね…)
2011.12.01
コメント(0)
マンションの玄関前にあるハナミズキもすっかり紅葉していました。枯葉も部屋へ持って行ってすばやく描かないと、みるみる色が変わります。枯葉とかいいながらも、生きてるんですね…。
2011.11.29
コメント(2)
地域の活動で、ばたばたとしていたら、すっかり晩秋となりました。このところ落ち葉が美しいので、ちょこちょこ描いています。11月の初めに、小学校でフェスタがありおやじの会としては、初めてのイベントを行いました。人手不足で大変でしたが、輝く瞳の子ども達と触れ合えて、とても良かったです。そろそろ今度は凧揚げの季節です。凧を揚げて寒さを乗り切ろう!っと。
2011.11.29
コメント(0)
どこまで出来るかわかりませんが、5年越しの願いでもあった、「おやじの会」が立ち上がりました。いろんなことをやりたいと思っていますが、先ずは先生達と仲よくやっていこうと考えています。子ども達には「ものづくり」を体験してもらいたいし自然の中にも連れ出したいと思っています。まあ少しずつですけどね…
2011.09.22
コメント(0)
暇な子どもがいません。みんなどこへ行ってしまったのでしょうか。習い事という名の管理をされているのでしょうか。暇な子どもはどこへ行ってしまったのでしょうか。危険なものから遠ざけられて安心・安全な場所へ行ってしまったのか…僕らの子ども時代は実に暇があった。暇をつぶすために色々な遊びをやった。悪さもしたが近所のこわいおじさんやおばさんにわが子のようにしかられた。危険なこともやったけど今となってはいい想い出ばかり。僕らが子どもだったころあこがれたお兄ちゃんはベーゴマをやらせても野球をやらせても上手だった近所のお兄ちゃん。年のはなれた子どもたちでよく遊んだ。僕が子どもだったころに見た夕焼けは今でもはっきりと心に残っている。おそろしいほどきれいだった。僕が子どものころの夏休みはプールと川と雑木林で遊んでいた。大きなミヤマクワガタは自慢だった。あのクワガタはもういない。僕が子どもだったころの夏はあっという間に過ぎ去った。今、暇な子どもたちはいったいどこに行ってしまったんだろう…。
2011.07.06
コメント(0)
今日は、この地区の防災講習会を開催しました。毎年やっているAEDの講習会にサバイバル的な応急処置を学びました。とても充実した集まりになりました。実際を想定して応急処置となると、いろいろな工夫が必要になります。例えば骨折が疑われる場合にどんな物が添え木の代わりになるか、二三日分の新聞紙が添え木になったり、雑誌がその代わりになったり、ビニール傘などは充分その任を果たします。止血に関しても下手な止血をするよりもタオルなどで押し付けてする圧迫のみで良いとか。実に実際的な手ほどきでした。要は工夫です。想像力でもあります。これは料理に似てるなと感じました。すべては応用なんですね。でもその応用を使うに当たっては基礎的な知識が欠かせません。今回の講習会では子どもの参加はわずか2名でした。ちょっと残念でしたが参加してくれた男の子は講習が終わって消防車が帰るまで手を振って送ってくれました。まあそういう車はめったに近くで見られませんからね。良かったねタカチャン。
2011.06.26
コメント(0)
地域社会の形は残っているが、30年前にはあった「人の結びつき」はほぼ崩壊した。「個」の世界の始まりである。人間が共同で生活し始めたのが約1万年前だと言う。小さな単位で住むよりも個人の危険を回避出来るからだろう。弱い動物の習性でもある。種の保存という事を考えれば本能と言っても良いかもしれない。時間をかけて現代の形は出来上がってきたことは事実である。その時々で良いシステムを考えて生きてきたのだ。日本は地球儀で見ると小さな島国であるある事がわかる。ここに今、1億2千万以上の人が住んで暮らしている。もう少し俯瞰して考えれば、太陽系の姿が感じられる。地球は太陽や木星と比べればとても小さな星である。しかし宇宙空間から見た地球はとても美しい青い惑星である。まったく奇跡の星というに相応しい。命が芽生える条件がすべてそろっているのだ。しかも循環している。太陽の位置、月の位置、そんな条件が偶然?重なって、命の揺りかごとなっているのだ。私たちは確実に「生かされて」いるのだ。昔の人が朝の太陽に手を合わせて1日が始ったように私たちも「感謝」の気持ちで生きていきたいと思います。出会う人、1人1人の話に耳を傾けていきたいと思います。水俣では「水俣病」が引き裂いた人の絆をとり戻そうと「もやい直し」を続けているそうです。切れた綱を少しづつ繋ぎ合わせているといいます。先祖や親に感謝し家族や友達を慈しみ自分の身体に感謝する。そんな小さい単位から考えていきたいと思います。
2011.05.24
コメント(0)
今回の大震災で感じた事はたくさんあったが「日常なにげなく生活している日々がこれほどまでに幸福なのだ」という事を強く感じた出来事はなかったという事だ。常日頃、頭では「日々感謝の気持ちで…」と思ってはいるが身につまされて感じる事はなかなか容易ではない。雑事に追われイライラする事もあったり、何気ない夫婦の会話が原因で深く悩んでしまったり、しているのが現状である。今回の突然の地震、津波は強力な地球のエネルギーを感じました。「地球も生きている」と言わんばかりのものでした。地球レベルで考えれば「くしゃみ」程度のものだったかも知れないけれど人を含めて小さな命を沢山奪っていきました。特に人々の悲しみは深く刻まれた事でしょう。しかし生き物の生命活動というものは常に死をはらんでいるものです。人の無力さを感じながら且つ人の底力も同時に感じました。特に「原発」のからんだ災害となってしまった事は私も含め多くの人が考えさせられる事になったかと思います。「便利な生活」に依存してきた事、その裏側には大変なリスクを背負っている事。「誰かが、何処かが犠牲になっているという事…。考えていきましょう。考えて自分に出来る事をやっていきましょう。次の世代に自身をもって伝えられるバトンを渡すにはどうしたら良いのかを…。
2011.05.23
コメント(0)
今年は卯年です。息子は年男の12才。この春には小学六年生にあがります。最高学年にしては幼い感じの子どもですが彼なりに成長していると実感します。3日の日には友だちと二人でイナズマイレブンの映画を観に行って来ました。本当は校則違反なんですけどね。でも良い経験ができたのではないかと思っています。
2011.01.04
コメント(0)
私が住むこの町での「地域」の崩壊は今に始まった事ではない。人口が増え、交通網の発達でひと昔前は住居地として選ばなかった地域に人口の流出が始まったのは、昭和四十年代前後、今から三十年ほど前からである。農家自体の変化も重なって雑木林にマンションが建ち、畑や田圃が住宅地に変わっていった。今なお企業誘致と人口の増加と住宅地の造成は続いている。「地域」の崩壊はこのころを発端としていると思われる。地域に住んではいるが、仕事は都会に出ていく人達には「仕事から帰って寝る場所」くらいの意識しかないのだ。昔からそこに住んでいる旧住民たちは、あまり思わしく感じなかったのはあたり前だろう。 この地域のことは、奥さんの方が良く知っている。「子ども」という共通の問題があることが大きいが、地域や学校の事は奥さん任せという風潮が社会的にもあたり前だったという事実があるのだろう。(今でもそれは続いている感じは否めない)PTAなどに男性が出ていったら実にやりずらい事になるのだ。実際、私も子どもが一年生の時に役員をやった経験があり、たまたまその部は副部長も男性で、私たちは、おかしなシステムが三十年も続いている事に異論を唱え色々と新しい企画を考えて実行しようとしたが、企画書の段階でことごとく退けられた。『前例がない』という一点張りで終止し、まるで役所の対応と同じで辟易したことがある。「女の園」の女性を養護すれば、彼女たちは、たとえそれが間違った事であっても、変に荒波を立てて事を複雑にしたくない(右から左に受け流す術に長けているのか)「子どものためなら我慢しよう」という所から忍耐強く、現実的な判断をしているのかもしれないけれど…。会長は男性でなければいけないというのも妙に合点がいかないでしょ…。(そちらは「男の園」になっているわけで…) しばらく前に「子どもを守る」というシンポジウムに出席したが、その中で印象的だったのが作家の鈴木光治さんの意見だった。彼は作家という立場で家にいることが多かったせいで、子どもの学校のPTAなどにも出向いて行ったそうである。そこで男性も地域や学校の事に無関心でいるのはもったいないという事に気づき。男性もどんどん出ていくべきだという発言をしていた。会社や外の社会を良く知った人(これは男も女変わらないはずだが)がこの不思議なシステムを見て感じた時には強い違和感を感じるに違いない。何が問題なのか、それをどうしたら改善できるかという「理想」に向かうきっかけもできると思う。地域や子どものことを丸投げで任された奥さんたちの苦労も少しわかったりもすることだろう。 私には初めての経験で、(亡き父は会長などを長年やっていたけど…)そもそもPTAの目的とは何なのか、あるいはPTAって何?というところから学習していった。そしてPTAや子供会や或いは交通安全母の会などが存在しなければならない理由もうっすらと判って来た。これは自治区、自治会などの問題とどうやら同様であると。「子どものため」という大義の下に、要は「管理」しやすい環境を役所や教育委員会(文部省の指導の下)などが拵えたシステムと言う事なのである。それも全国的に…だ。まあ、始まりは良いとしても、じゃあ「子どものため」という大儀通りになっているのかどうかという事である。そして何が子どものためなのか…。穿った見方をすれば「学校のため」、「教育委員会のため」にすり変わっているのではないかという疑問すら沸き上がってくる。 「地域の絆」が決定的な崩壊に向かっている現状からは、「地域に住む人のため」にも緩やかな改革が必要であり、来るべき未来を遠目に見遣りながら自分は地域に何が出来るのか、子どもたちの心に何を残せるのかを個人単位で考え、是々非々の議論がされる場をつくらなければいけないと感じます。「無関心」でいる事が一番良くない事だと言うことを、1人ひとりが思ってほしいと切望します。 「無関心」でいることが「安全」という事ではないという事を…。
2010.12.16
コメント(0)
たとえば、ミミズの世界がある。ミミズは人間のように「この世界中の土を喰ってやろう」ということはさらさら考えていない。ミミズの本分と言うものを守っているんでしょうね。しかし人間はミミズの生態を観察して「このミミズを利用して土壌を改良してやろう」という事を考える。簡単に言うと、これが「科学」の世界。ミミズは本来「無垢のミミズ」として生きているわけですが人間の社会に捕まると「商品」になったりする。これが簡単にいうと人間社会でいうところの「経済活動」です。人間はミミズの事を「科学的」には、ほとんど理解しているがミミズが何故ミミズとして生きているのかの理由は何時まで立ってもわからないのである。それはあらゆる事に当てはまる。生物などの大小に寄らずに「解らない」という事が「わかっている」のだ。人間の知識欲には歯止めが効かない。あらゆる事を「知りたい」のだ。そしてそれを「利用して」人だけの為に使っていく。(過剰な経済活動と言う名の自然破壊において)「人は人の欲望の為に生きている」なんていう格言は誰が言ったかは憶えていないが、人間社会を俯瞰してみればそんな感じである。もっとも人に近い種であるゴリラやチンパンジーなんかはどうだろうか。彼らは全てを自然という環境の中から得ている事を知っている。彼らは食べ物や土や樹などから『薬』も得ているが、それを大量に採って売ったりして経済活動はしていない。彼らは、その環境すら人の経済活動に奪われ続けているのだ。地球上は人間という種にまるで支配されたかのようにすら見えてくる。日本でも経済活動のお陰で絶滅に追いやられた動物たちが沢山いる。その中でもシンボリックな「トキ」がいる。いま佐渡のトキセンターにいるトキは中国から持って来た種である。日本にいたトキは、『人間の過剰な利益を得るという欲望』と『手間を省いて毒を使って簡単に収量をあげるという農業』のせいで絶滅したのである。農薬や化学肥料といった人間の開発したもので生産性を上げ効率的に収量を確保するために他の種を殺したのである。食べ物がなくなったら生物は生きていけないのだ。トキを復活させようという国をあげて試みているニュースを目にする事が多いが、その反面、こんなにいろんな真実がわかってきた今でも、「農薬なしの農業は考えられない」というのが国(農協)の方針なのである。捨てることが出来ない廃棄物が出る原子力発電を使い続けている状況と良く似ていますね。なぜわかっているのにやめられないのか…。利権だろうか。それともやはり自分たち人間を神だと勘違いしているのか。順番が違うんです。「トキ」や「コウノトリ」が生きていける環境をつくる方が先でしょって話し。虫も食べない、或いは食べられないものを人が食べているんですよ。よ~く考えてみて下さい。人が食料を手に入れる、海や山などの自然に対してもっていた畏敬の念からつくり出された神々はどこへいってしまったのでしょうか。『神は自然の中のみにこそ宿る』というのが持論ですが、現に農薬をやめて何年もして土壌を改良した田んぼには消え去った生物達が戻ってきている例があります。逆に、私が住むこの町には「ホウネンエビ」という化石的な生物が棲む田んぼが、私が知る限り、ついに一つだけになりました。もう一つあったところは長年の計画で道路が通ります。(なぜか途中で工事が止まっていますが…)精霊が棲むと言われた森は「トヨタの森」を宣伝している、あのトヨタの中古車置き場になりました。樹齢100年を超えるコナラの樹も機械で伐れば一瞬です。この樹は最後まで残っていたので残してくれるのかなと淡い期待をしていたのですが、あまりに大きな樹なので最後にしたのだということを仲間づたいに聞きました。温暖化だ樹を植えよう、多様な生物がいる環境がいいという世の流れを無視した蛮行に強い憤りを感じました。植物も立派な生き物ですよ。他の生物の寄りしろでもあります。車の排気ガスで汚れた空気を清浄にしてくれているのはあの森の樹たちですよ。洗剤の会社が言う抗菌活動は自然の働きというものに逆らった考え方です。なにせ生物は菌によって守られている側面もあるんですから。解剖学者の養老孟司さんに言わせると「1人の人間には1億以上の菌が共生している」と言うんです。全くの無菌状態にして生物はいきていけません。共生しているんですよ。三面貼りの川は、もはや自然の川ではありません。自然の働きの中には自らを浄化するという働きもあるんです。人間でいえば自然治癒力や免疫力みたいな…。ここでも用水路をU字溝にしたとたんホタルが消えたという話しを聞きました。「悪い事とはわかっちゃいるけどやめられない」のは何故なのか。そういうことを考えていきましょう。
2010.12.07
コメント(0)
先日、息子の同級生のお宅から石榴をたくさん頂いた。熟れた石榴はその種が飛び出さんばかりになっている。丁寧にほぐしてそもままいただく。これが甘くてほんのり酸っぱくて美味しい。残ったものは、いつも焼酎に漬け込んで「石榴酒」としていただく。これも秋ならではの趣である。いつもご馳走様です。
2010.11.02
コメント(0)
このあいだ、サークルの仲間でもある長老のお宅へお邪魔した時に「柿もってけ」と庭の柿をいくつかもいで、いただいて来た。家へ持って帰って食べてみたが、ほどよい甘さで美味しかった。柿に限らず、その土地で、その時にとれるものを食べるというのは体にも良いし、何より趣があるものです。Fさんのお宅は何代も続く農家のお宅。ひと昔前は庄屋さんだったと言う。80近くになる方だがいまだ勉強熱心で、実に頭のさがる思いだ。年齢をこえたおつき合いをさせていただいている事に感謝しています。いつもご馳走様です。
2010.11.02
コメント(0)
土曜日、毎年恒例の「どんぐり山で自然観察会」の手伝いにいってきました。あいにくの季節はずれの台風で団地の「集会室」でK先生の「オオタカのいる町」という自然観察のスライド講演とどんぐり山の木の幹を輪切りにしたものとどんぐりを使って独楽づくりを隣町の団地の子ども達としてきました。予定ではどんぐりで来年の干支、ウサギのフィギアを作る予定でしたが時間が1時間くらいしかなく独楽づくりで一杯一杯でした。それでも独楽を回した事もない小さな子ども達も参加していて輝く笑顔を見る事ができ、私自身も良い体験ができたと嬉しくなりました。K先生のスライド講演もとても面白く、先生の勤めるA高校にオオタカが窓ガラスにぶつかって入ってきたという話題とその時の写真や身近に棲んでいる鳥や虫たちの鳴き声でそれを同定するゲームもあり大人が見ていても楽しい講演となりました。そもそもこのK先生と出会った3年ぐらい前でしょうか、その頃私がはまりだした「鳥」がきっかけで、同じマンションに住むSさんに紹介してもらったのが最初で、その後色々と鳥の事や自然の事を教えて頂いている間柄です。「鳥がとりもつ縁」という…。K先生、本職は化学の先生ですが、自然に造詣が深く、町の公開講座で自然を担当してくれています。鳥の写真などはプロ顔負けの腕前で個展なんかもやったりしてます。山の達人でもあり、学校ではワンダーフォーゲルの顧問をしているそうです。この町には面白い先生が何人かいますが、その中でも秀逸の名物先生のひとりですね。その後も趣味が人をよび、人が人をよび1本の樹に沢山の人が集いはじめました。ここへ越して6年目に入りましたが、来た当初は右も左も人も誰一人として知らずに「間違って、とんでもない所へ来てしまった…」と早々に次の引っ越しを考えていたのが嘘のようです。少しづつ地元の仲間入りをさせていただいております。
2010.10.31
コメント(2)
今日は朝一番で息子の音楽朝会があり、見に行って来ました。5年生ともなると歌も合奏もなかなか聴かせる技術は達者になって、それなりのものに仕上がっていましたが、肝心の本人達が「楽しんでいる」感じは今一つ伝わってきませんでした。頑張って練習をしてきた成果は出していたと思いますが、「やらされてる感」があったことは少し残念でした。子ども達に「自然観」という事を、もう一度良く考えて伝え直していかなければならないなあと考えます。これは、ひとえに経済優先の社会の流れの中で先人たちに消されてしまった価値観の一つである。もはや真っ当な「自然観」を伝えられる世代は殆どいないのが現状である。人生観であるとか世界観というものはこの「自然観」が土台になっています。『自然とは何か』『自然とはどういうことか』こういった事を伝えていきたいと思います。何故かというと、科学的な数量とか統計という裏付けは何もないが、このまま何十年もたったときに大変な事になる、いやもう既になっているのかもしれない、という危機感を直感で感じるからです。皆さんの中にも感じている方が多くいると思います。そもそも老人や子どもが大切にされない社会というものに明るい未来はないでしょう。世の中の事は大概ほとんどの事は変化していくけれど、そこに『普遍的に変わらない自然』というものがあります。たとえば「空気」。これが無くなれば生物のほとんどは生きていけない。陸上でなく水中であっても呵り。「水」。これは唐突な科学変化などで出来上がるものではない。「土」。これも亦呵り。「太陽」。これが無ければ光合成を要する植物は全滅。大切な事は、これら極々あたり前にあるものに対して「ありがたい」と思う心である。昔の人は、朝起きると今日も生きている事に感謝し、太陽に向かって自然と手を合わせて心をあらわしたものです。その背中を子ども達は見て育っていきました。「あんなに偉い父ちゃんも母ちゃんも、それより偉い爺さまも婆さまも、ああやって手を合わせて頭を下げている。」そうやって「自然観」というものが伝えられてきた時代が日本人の自然観をつくりあげてきたと言っても過言ではないだろう。感謝する心を大人や親の背中をみて成長してきたんですね。人は有史以来、ひとりでは生きていけない動物であるが故に「社会」というものを作って共に働き、生きて来た歴史があります。日本では明治以降、諸外国を相手に大きな戦争も幾つかあり、価値観すら強制されてきた忌わしき時代も経て来ました。「自由」が良いと声高に叫び、欧米の経済観念を軸とした文化が一気に流れ込んだ時代があった。そして現在、我が子を殺し、子が親を殺し、保険金欲しさに平気で何人も殺して、果ては「誰でも良いから殺したかった」というような殺人とも自殺ともいえない犯罪があり、家庭の中は各々が別行動をして、ご飯を食べる時間もバラバラ、食べる場所も別々、一緒に食べない家庭が普通にあるようだ。ご飯中に携帯電話でメールをするのを止められない。小学生がネットで悪口を言われ果ては殺人。親はパソコンでネットゲームをしながら食べる。素直に客観的に見て、明らかに「病んでいる」社会でしょう。そこには確固たる「自然観」が失われている事が大きな要因の一つと思えてなりません。仏教に五戒という戒め事があるそうです。生き物を殺してはいけない。他人のものを盗んではいけない。自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。嘘をついてはいけない。酒を飲んではいけない。「戒」というものは自分の意志で守るものらしく、「律」となると他人に守らせるものとなるようです。こよなく酒を嗜む私としては「酒を飲んではいけない」と言われたらちょっと辛いですが…。酒を飲んで暴れてはいけない、ぐらいにしてほしいです。冗談はさておき、なぜこのような「戒」が作られたのかと言えば、人は欲望の塊だと言う事を知ってるんですね。これを抑える事がとても難しいと。だからこそ自分を律して欲望のままに突き進むことを嗜めているんだと考えます。この「戒」をおかすと何が起こるのかというと、「心が荒んでくる」。心が荒むと、生きる喜びみたいなものがなくなって、どうでもいいや…ということになる。視野が狭くなり自暴自棄になる。子ども達に、感謝するこころを伝えられる背中を持てる様、日々努力していきたいものです。
2010.10.26
コメント(0)
人間関係に限界を感じている人は沢山いると想いますが、そんな時は、積極的に「関わらない関係」をすすめます。私自身、夫婦関係に限界を感じていた時にある人に相談して教えられたのですが、「関わらない事」という関わり方がある、という事。いつだったか養老孟司さんも何かの番組で「夫婦の関係」について同じような事を言っていました。「交わらない関係」とでも言うのでしょうか。起点だけは一緒なんですが、各々は決して交わらない。この起点は共有する「家族」とか「家」(帰る場所としての)だったりするんですね。たまに交わったりすると「犬も喰わない」事になる。言い換えれば「お互いを尊重しあう関係」とでも言えるでしょうか。関わらないといけない間柄でありながら、あえて「関わらない関係」とは?…。助言を受けた当初は何を言われているのか判らずに、以来しばらく考えてきましたが、相手のやっている事や相手の心の中の問題に対して「からまない」或いは「かきまわさない」という事と読みかえました。事の重大さにもよるでしょうが、些細な事であれば「放っておく」のが良いのです。これは子育てやしつけにも同様の事が言えるのではないでしょうか。朝起きてから眠るまで、四六時中怒りまくっている親がいます。子どもは気力を失い、疲れ果てます。自己肯定感は一つの芽も生えてきません。子どもたちも学校で疲れて、家でも疲れて、習い事の梯子で疲れて、何だかひと頃の「企業戦士」を見ている様です。たまには心休まる家で、ボーとさせてあげましょう。ひと昔前の子ども達は、暇が沢山ありました。子どもは暇があるから、沢山の冒険が出来るんです。(良い事も悪い事も…)子ども達に暇をつくってあげましょう。子ども達は暇のまんま過ごす事はあまり出来ません。暇が「遊びをつくる」といってもいいでしょう。時代が違うとか良く言われますが、幼児や小学生が塾に行っているのは「異常」な事だと思うんですよね。子どもは何時の時代も「無垢の子ども」です。管理しやすい「子育て」?なのか、共働きでお金に余裕があるけど、子どもと向き合う時間はない。そういう負い目からなのか。兄弟が少ないせいなのか。いろいろな理由があるんでしょうが、「誰々ちゃんは○○と○○を習っている」…じゃあ家も…とか考えていないだろうか。特に今の学校では「学ぶ」ことの楽しさを中々教えられません。テレビで流行っている芸能人のクイズ番組のような感じでテストをこなしています。「当たった」「はずれた」という言葉を聞きます。肝心なのは「理解」することなんです。答えが「当たれば」良いのではありません。答えは間違っても、その過程に自分なりの工夫や新しい発見があれば素晴らしい事なんです。そう言う事は「学校では中なか教えてくれません」。学校で教えてくれないんだったら、『たまには』家で親が教えてあげましょう。(信頼関係が出来ていないと、素直に聞いてはくれませんがね…)
2010.10.15
コメント(2)
先日曜日に隣町に息子と自転車で出掛けた時に神社でアブラゼミの声を聴きました。自然の変化に少し戸惑い気味なんですかね。それでも秋はたしかな足音でやって来ています。雑木林のヘリでカラスウリを見つけて、もらって来ました。オレンジ色とまだ緑のシマシマのとが一緒に付いてました。緑と橙色のコントラストがとてもきれいです。
2010.10.14
コメント(0)
今の世の中、落ち葉で焼き芋をやるのにも消防署に連絡しなければ出来ません。ぜひ一斗缶を使ってやってみては如何でしょうか。落ち葉の灰は灰で使えますよ。
2010.10.13
コメント(2)
部屋で人参の葉っぱの栽培をしています。同時にキャベツの芯でもやっていますが、楽しいですよ。葉っぱが生えたらいただきます。
2010.10.13
コメント(0)
「虐待」という事を身を持って考えてきました。それは私のパートナーが「子どもが駄目な人」だからです。子どもが生まれてすぐに判りましたが、産後うつと言うこともあるのかと思って、それほど深刻には考えていませんでした。その頃、小学3年生の姪もよく遊びに来ていました。その子に対しては、しっかり向き合っている姿を見ていたので大丈夫だろうと軽く思っていたのが勘違いだったのを後から気づきました。本人曰く「コミュニケーションが全くとれない」ことがイラだちの原因だといいました。「親の義務感」は強く感じていたようで「義務」という言葉をよく言っていました。産まれる前は、子どもの肌着や服、おしめなども精力的に自分で縫って仕立てていました。仕事は丁寧かつ徹底的で、とても感心していました。幸い、私が自営の仕事をしていたのと無類の子ども好き(子どもに共感するというか、子ども度が高いんです)でしたので、彼女も子どもを産んで育てるという事に不安がりながらも「一人で育てるんじゃないから、大丈夫」と思っていたようです。夜泣きをしていた時期は蒲団を被って何日も引き蘢ってしまったので、もっぱら私が面倒を見ていました。つらい時には話し相手にもなり、積極的に子育ても一緒にやってきました。 話を聞いていくうちに、彼女の持つ「潔癖性」や「人間嫌い」そして根底に潜んでいた「自己否定感」にあると判りはじめたのは子どもが幼稚園にあがる前くらいでした。彼女の「しつけ」の中に「手を叩く」という行為がはじまりました。これが、けっこう強く叩くんですね。彼女が子どもの頃どんな育てられかたをしたのか、本人はあまり憶えていないようでしたが、もしかすると同じような事があったのかもしれません。「私がこの世に産まれて来た事自体が間違いだった」「私という存在を最初から消したい」と言うのをよく聞いていて、その度に「君は僕たちにとって必要な人間なんだ、大切な人なんだ」という事を心から言ってきました。彼女はとても頭の良い人です。高校も授業料免除で特待生で行くくらい、お勉強の出来る人です。もしかすると、それも災いしているんじゃないかと思います。「こうすれば、こうなる」という論理的に解釈出来ない事は、逆にあまり理解できないんじゃないだろうか。人間関係も自然の営みも「こうすれば、こうなる」が通用しない世界だということが、彼女の中でイライラの原因になるんですね。子ども、特に幼いうちは論理(頭で考えて)でどうなるものでもないんだという事が判らない。乳飲児は特に自然度や依存度が高いですから、理由もなく「泣く」こともなんかもある訳です。(本当は理由があるんでしょうが…)頭で考えていると、「理由もなく泣く事なんて、考えられない」ってなっちゃうんですよね。そんな時は手を握ってあげるとか身体をさすってあげるとか、抱いてあげるとか、おぶって散歩してみるとかで安心したりします。 「目に見えないものが信じられない」と思っている人にはなかなか理解ができない深刻な問題です。深い山の中などに行くと「怖い」感じがする事がありますが、これなんかは特に理由があるわけじゃなく、何だかわからないけど「怖い」んですね。深い海に潜った時も同様に「怖い」感じがあります。この「感覚」は、多分自分自身の記憶ではなく、もっともっと古~い「生命の記憶」みたいなもんじゃないかな。そんな事を考えると母親のお腹の中にいる胎児であっても笑ったり泣いたりしてるんじゃないかと想像したりします。 まずは「子どもを愛せない親(人)」も世の中には沢山いるんだという事を知る事です。これは、けっして恥ずかしい事ではないんだって事です。子どもを産んで親になったら「子どもを愛する」のがあたり前だという既成概念を捨てる事です。つらいと思っている人の子育ては、独りで抱え込んでいちゃいけない。身近な人がベストですが、誰でもいいからたすけを呼びましょう。話を聞いてくれる人を探しましょう。私も以前は「子どもを愛せない親」なんていないはずだと信じていた一人です。その思いが彼女の心をどれほど傷つけていたことか…。友人でもある「森の声」さんのブログや本から教えられて目からウロコが落ちたものです。
2010.10.07
コメント(0)
四季のある日本に生まれて良かったと思う。夏は異常な暑さであったが、それでもしっかり秋は来るのである。町が都会化すると木の葉もゴミ同様の扱いを受ける。アスファルトに散っても土に変わることはない。落ち葉でさつま芋を焼いたら美味しいんだけど…。
2010.10.01
コメント(2)
全98件 (98件中 1-50件目)