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1月28日のブログに鱈の舌(下あごの身)タラのタン、タラタンのことを書きました。この「タラタン」で思い出した話があります。今から、ほぼ8年位前ですが、僕が引率した旅行代理店の研修旅行をノルウェーのロフォーテン諸島で行ったことがあります。ブログにも書きましたスタットレス ロルブで女将のヴェンケさんが、「フミさん(僕のこと)が来た!」と張り切って僕の好物でもあった鱈の舌のフライを大量に用意してくれました。これをご飯に乗せ、醤油をたらして、皆でものも言わずわしわしとかきこんで「うまい」と大満足しました。世の中には、ものごとを極めてトンチンカンに理解する方がいるもので、参加者の中のある旅行代理店の某君。僕がこの料理を説明したときに「鱈の下あご、つまり鱈の舌でタラタンです。」と言ったのですが、この人、「タラタン」と言う言葉はノルウェー語だと思い込んでいたのです。後日、この人の会社がツアーを造成してパンフレットを作成する段になって、コピーライターから電話ありました。「ノルウェーのロフォーテンへの旅なんですが、鱈の舌のソテーをタラタンと言うそうですが、ノルウェー語でも日本語でも、鱈はタラなんですかねえ。タラタンで鱈の舌って、なんか鱈のたん(舌)みたいで、傑作ですね。」と。「????????」閑話休題フィンランドの北極圏、10年前。オーロラ リゾート レヴィ山頂上で、僕が考案して当時大評判であった「オーロラ ディナー」を日本の方100人近くが、楽しんでおられました。この頃、僕はこのレストランを経営するシルカンンタハティ ホテルの系列ホテルタハティ プイストの共同経営者でしたので、季節になると張り切ってフィンランドまで出かけては、日本からの方をお世話していました。その日は、100人もの方がオーロラディナーを楽しまれると言うことで、献立の説明を僕が担当することになっていました。最初の献立にサーモンのマリネー ディル風味という料理がありました。「このお料理でございますが、北極圏のトルニオという町で獲れた鮭、サーモンです。3枚におろしまして、塩、ブラウンシュガー で押し漬けにしてございます。サーモンの上に乗っていますのは香草です。インド原産の香草で、北欧の料理には欠かすことの出来ないものです。英語ではD I L L ディルと言います。日本語ではイノンドといいまして、漢字では草冠(クサカンムリ)に時、それに草冠に羅生門の羅と書きます。漢方胃腸薬なんかにも使われています。セリ科の一年草、セリカノイチネンソウです。」と、そのとき、旅の疲れからか、はたまた心地よい暖炉の暖かさからか、椅子にのけぞって寝ていたオトウサンが、突然、手を挙げて立ち上がり、「すみません!セーラーフクノイチネンセイ(セーラー服の一年生)って何ですか?」と大声で質問されました。「??????」
2007年01月31日
以前に首都レイキャヴィークで犬を飼うと一匹30000円強の税金がかかると言いましたが、実際にこの税金を払って犬を飼っている人は非常に少ないそうです。理由は小型犬を座敷犬(室内犬)として飼っている人が多く、散歩も車で郊外に連れて行ってする人が多いこと、それに犬用の医療保険が販売されていて公的なものに頼らなくてもよくなった、などだそうです。さて、アイスランドに海外から犬を持ち込んで飼う場合は、一定期間の検疫保管が必要です。これまでは、一箇所、北のアクレユリ近くの島HRISEYでしたが、近年もう一箇所KEFLAVIK近くにも出来ました。HAFNIRというところです。
2007年01月29日
昨日、アイスランド航空の重役と昼食に出かけた3人のフランス人(トゥレアー フラッカー)は伝統的なアイスランドレストランのスタイルを踏襲していれば、この店ヴィッド チョルトニーナは一方の雄といえます。今日(1月26日)はこの店に、おとといの夜に羊の金X(X玉とも書く)などをご馳走してくれた会社のオーナー連中と出かけました。北大西洋に浮かぶロフォーテン諸島。1000M級の屹立する急峻な岩山が連なってノルウェーの壁といわれる絶景を作り出しています。ノルウェー人10人にノルウェーで一番美しいところはどこかと聞けば、9人までがロフォーテンと答えると言うくらいの劇的で幽玄な景観。ロフォーテンの絵葉書は悪天候を選んであると揶揄されるほど壮絶で荘厳な大自然のドラマのある諸島。それでいて海岸沿いに規則正しく並ぶ民家の灯りが、北国の人々のつつましくて温かな生活と心をあぶりだしています。白夜とオーロラ、漆黒の雲間から大洋に向け鋭利に突き刺す一条の陽光。ロフォーテン、「光と影」と言われるゆえんです。この諸島の春の歳時記は、学校帰りの子供たちの手による鱈の舌切り。朝、漁船から網元に届けられた大量の鱈が、手際よく、三枚におろされ尻尾を紐で結ばれてロフォーテン風物詩でもある海辺のやぐらに干されていきます。世界一ともいわれるロフォーテンの乾燥鱈は3月から6月までこうして干されて、南ヨーロッパに輸出されていきます。ロフォーテンの通貨は鱈であると漁師は笑顔を見せます。鱈の肝からは肝油を絞り、魚卵は塩漬けになります。捌かれた魚の頭の部分は、学校帰りの子供たちにゆだねられるのがこの島の伝統。5寸釘に頭を刺して、ナイフで手際よく鱈の下あごが外していきます。子供たちはこうしていくばくかの収入を得、漁師としての仲間入りを果たします。子供たちも漁村の生業(なりわい)に慣れ親しんでいくのです。舌(下あご)を切り取られた頭は乾燥されて、ナイジェリアに輸出されナイジェリア人の蛋白源として野菜と一緒に煮込まれ、伝統食に生まれ変わります。さて、この鱈の舌、つまり「タラタン」は中央部分に歯ごたえのある縦繊維の魚肉、その周りをゼラチン質の身が囲んでいます。「タラタン」は、主として自家消費。地元の人たちの春から夏にかけての代表的な食材となります。代表的な調理方法は、塩コショウをして、小麦粉をつけて、たっぷりのバターで揚げるように焼く方法です、さて、僕はこの「タラタン」が大好物。鱈の漁期にロフォーテンに行くと、西ロフォーテン、モッツンドにある舟屋式のホテル、「スタットレス ロルブ」のマネジャー、ヴェンケおばちゃんが、僕の大好きなタラタンを用意して待っていてくれます。日本式に炊いてもらったご飯をボウルにてんこ盛りにして、バターをたっぷり吸った塩味のきいたタラタンをご飯の上に敷き詰めて、醤油をたらして、わしわしとかき込みます。名古屋の人なら「うみゃーていかん!」、北海道なら「うまいのでないのでないかあ!」、博多なら「ばり、うまか!!」となるのでしょうが、僕は京都の出身なので「おいしおすなあ」と感激してかき込んでいます。僕はこの絶品?!を「タラタンドン」と勝手に命名しています。話はヴィッド チョルトゥニーナ。1900年に立てられたビルの一角にあります。このビルはもともとはアパートでしたが、現在レストランになっているところはその後すぐに、花嫁学校として使われるようになりました。1986年、現在のオーナー一家が、これを昔の面影を保全しながらレストランを開店今年で21年目になります。内装は、近くにあるレストラン「エイナル ベーン」と同じく、懐きよきアイスランドの上流家庭の趣きです。入店すると、暖炉のある応接室(バースペース)に案内され、ここで食前酒を楽しみながら料理を注文をしておきます。この一連の優雅な時間が「ディナー」を演出するのでもありますが、間違ってせっかちな大阪のおっさん連中を連れてくると、「しんきくさい店やな、ちゃちゃちゃっと、はよもってこなかいな!!こんなえらそうな演出するにゃったら、ちいとは値え下げとかんかいな。おーい、こんなぬるいバイキングたらいうの違てな、わし、ギンギンに冷えたアサヒのドライやないとビール飲んだ気がせんのやがな。」と大騒ぎになって恥をかきますので、行儀の悪い大阪のおっさん連中とは来ないほうが無難です。店の雰囲気、サービス、お味を考えますとそれほど高い店と言う印象はありません。2品で6000クローナもあれば満足できます。ただし酒は別途ですが。僕は、献立表から目ざとく「タラタン」を発見!!しましたので、迷わず「タラタン」を注文。香ばしく茶色に焼けた表面、程よい塩味とバターの香り、ギュッギュという歯ごたえのあとにくるまったりとしたゼラチンの感触。いやあ、おいしゅうございました。オーナーの一人シグニーさんは手長海老(あかざ海老)のガーリックバターグリル(この店のアラカルトで一番高い5800ISK!!)を注文。たっぷりの10匹分。いやあ、おいしそうでございました。あとの3人は、特別メニューのファイブコース ディナー(8700ISK)シーフードスープに始まり、メインが狼魚(ステーンビット、深海にドテンと生息する獰猛な歯をもった大きな魚。これは美味しい。卵は塩漬けされステーンビット キャビアとなります。)いやあ、優雅そうでございました。白ワイン1本、赤ワインが3本。食前酒が、カンパリオレンジ2杯、ビール2本、シェリー酒2杯でした。お勘定が来たとき、この日の会計担当のシグニーさんが一瞥して「おお、なかなかやるな!」という顔をしてましたので、ざっとみて5人で15万円弱くらいであったろうと想像できます。
2007年01月28日
店名が発音通り正しく表記されているかは疑問の残るところですが、店名を訳すと3着のトレンチコート、つまり3人のフランス人となります。店のロゴにもトレンチコート着たフランス人と思しき人が3人並んでいます。場所は、レイキャヴィークの閑静な高級住宅街の中にあります。客層は当たり前ですがアイスランド人。なぜ当たり前かというと、普通のアイスランド人がイメージする高級そうなレストランはまさにこの店のことであるからです。近年、世界の料理界を席巻しているヌーベルなんとかのような、アートっぽい盛り付けや味付けではありません。どてんとして、ごてごてした盛り付けで、解りやすくてはっきりした味の重たい料理が乗ってきます。15,6年前までは、日本からの旅行者は決まってここで食事をしていました。鯨の刺身があり、今でもここの名物のひとつは鯨です。ホールも笑顔の美しいというタイプではなくて、常連をうまくこなせるおばちゃんタイプの人が手馴れた要領で接客しています。アイスランド航空の海外担当の重役と昨日の昼ごはんをここで食べました。僕は、例によって塩たらソテー。塩抜きは上手に出来ていますがなんとなくダラアーンとした料理で締りがありませんでした。この店特有のごてごてしたソースは大振りのケイパーのたまねぎソテーがドテンと添えられていました。重役「君はこの店、あんまり好きじゃないよね。まあ、アイスランドの僕も含めてじじばば連中にとってはこの店の料理は料理で、近頃の店のものは宇宙の料理だな。街なかの池の横んところに、ヴィッド チュルトゥナってあるだろう?あれもじじばばに人気がある。ただね近頃あそこも宇宙化?!してきてお洒落過ぎてきたんだな。昼ごろだとね、入店して席に着いて、ウェーターが来るまで、まあ15分、料理注文してから食えるまでが早くて20分。一口二口食べたら昼休み終わってるよ。その点ここは早いぜ。店に入ってから、おばさんがテーブルにメニューを投げに来るまで30秒。注文はね、さっき君がしたように塩たらと言うだけ、塩たらのヴァイキング好みに北大西洋の風を感じて、とか言った詩的なネーミングはないからね。僕なんか肉って顔しただけだよ、そうしたら鯨のカツみたいなものが来た。それも2品で8分とかかっていない。ところで料理だけど、まずくはなかったよなあ。よかった!じゃあ帰ろうか?」お試しくださいませ。
2007年01月26日
私たちの会社の新しいオーナーに名前を連ねたグドムンダール ヨナソン(アイスランド最古の旅行会社でバス会社)の社長夫妻、最高裁判所格の弁護士夫妻の招きで夕食をご馳走になりました。(今日はもう一人の新オーナー、グランドホテル社長は風邪で欠席)年末に彼らが日本にやって来たときに、彼らがアイスランドで本格的な日本料理店を出してみようかという意向をもっていると知り、京都の金閣寺にある夢しょうぶのご主人に無理を言って、「日本料理を海外のレストランでも出せるような景色」をもって作って欲しいとお願いしました。一般的な食材はもとより、参考になればと、例えば、ふぐ、すっぽん、あわび、うに、鴨など、どちらかと言えば日本人でも日ごろは頻繁に口にすることのないものもお膳に並びました。夢しょうぶは、僕がもっとも気に入っているお店で、ご主人の料理に対する自信とまじめさ、それに、なんといっても価格設定の誠実さに頭が下がるお店です。食べものは好みがあるので「絶対」と言う形容詞は使うべきではないのですが、夢しょうぶの鯖寿司は今まで僕が経験した鯖寿司の中で一番だと思っています。このお店を知ったのは関西系のあるグルメ雑誌です。いまから、7年位前になります。この雑誌は「あまから手帖」といい、巷に掃いて捨てるほど氾濫するグルメガイドの中では、抜群の眼力を見せており、「DANCHU]と並んで信頼のおける「食」の本です。話は変わりますが、夕刊紙に連載されている友里某という方の書く、自腹の覆面取材を売り物にしたグルメ情報は、読んでいていつも不快感が残ります。この方、たかが夕刊新聞とはいえ、もの書いて食っている方としては、文章が下手くそであるという根本的な欠陥があります。国語的に上手か下手かという問題ではなく、表現力のなさという悲しい欠陥があります。手法は他のグルメ評論家をまずこき下ろし、彼らが絶賛する店をこき下ろしに行くというワンパターン。基本は、CPと表現されるコストパフォーマンス、平たく言えば払った銭金に見合う料理が出せているか否かのみが大命題で、あとは小難しい調理方法や、材料の吟味、自身の知識を書き立てるだけ。敢えて書くと、もともと「情景豊かな食卓」を囲んだことがないのではと思わせるくらいに食の背景に貧粗な感想文で、いわば「なべ将軍」おやじのグルメ自慢に過ぎないと思わせるからです。話を戻して、夢しょうぶ。あまから手帖を何気なく読んでいて、この夢しょうぶの紹介記事に行き当たりました。グルメ雑誌やめしや評論のおきまりの手法というのがあって、「この店の鯖は主人の厳しい目で吟味されているとか」と「とか….」書いてあれば、きっちり取材をしていないか、その店の鯖は筆者の評価ではどうってことはないが、店がそういっているのだから一番かもしれない、しかしそうかなああとう迷いが窺えます。「地元では評判」という表現も、筆者の主観よりも風評が優先しています。僕が読んだあまから手帖に掲載された夢しょうぶの稿は、すべてが断定的でした。例えば「この店の鯖寿司は絶品」と言う具合に筆者がほれ込んだ様子が読み取れました。それで、友人を誘って来店を繰り返すようになり、例えば「絶品の鯖寿司」が本当に絶品であったので、陰ながら応援させていただいているお店です。新オーナー達を招いての夢しょうぶでの食事会は、地球の裏側から来たアイスランドの方々にとっては、お味はともかくとしても、亀だ河豚だ、なまこの内臓だ、たこの吸盤だと「珍味」攻めでもあったようです。そこで、今日は仕返し?!とばかりに、アイスランドの伝統的食を食わせるということで献立が設定されていました。お宅に招かれて、玄関に入ったとたんに生臭いにおいが漂っています。これはハウカットルという鮫肉を発酵させて生乾きにしたもので、アンモニア臭とふやけたガムのような食感に食べ物です。皆さん、大好物のようでしきりに口に放り込んでいます。保存容器のふたを開けるたびに異様な生臭さが僕の鼻腔に侵入します。ぐええーーーー!!今回は幸いにして1月でしたので、12月23日に食べる発酵したえい(スケータ)は、季節はずれで出ませんでしたが、両者が揃えば圧巻の臭さで、理由を見つけて退散したのではないかと思いました。テーブルのまんなかには大きな四角いお盆状の器が置かれていました。これはラム(羊)の各部位をこの国の伝統的手法で調理したものでした。血と脂をを固めたパテ(冷蔵庫の奥に忘れられたチョコクッキー?!)レバーのパテ(見た感じは目の粗いスポンジケーキ)ばら肉を蒸してロール状にしたもの(なんとなく安心)羊の金X、別の書き方をすればX玉、つまり睾丸をつぶして練って固めたもの。(とても不安。見た感じはアンコウの肝のようです。お味もアンキモかな?)顔の肉を剥いだもので作ったパテ(若干不安)すね肉のジェリー寄せ(これも得体の知れない分だけ不安)三枚肉のボイル(脂ギトギト)ロース肉の燻製(これは絶対安心の見た目!)一部のものはアイスランド伝統にのっとって乳酸を効かせて保存されています。かつては一冬とおしての保存方法でもあったようです。別のお皿には、頭のゆでたもの(目玉つき)。これは片手でもってナイフで身を削いで食べます。(えぐい!!もっとも我々だって、アイスランド人は捨てる魚のおかしらを箸でつついていますけどね。日本の炉辺焼きにアイスランド人と出かけたとき、車えびの頭の塩焼きにかぶりついたら、サルが蝉を食べてるようだと非難されましたけど….)舌のボイル(これ安心)塩漬け肉ボイル(これも大いに安心)昨年、テレビ番組に出演した折に目玉は食べさせられていますので今回は心の準備が出来ていました。結論から言いますと、どれもこれも意外に美味しいと思いました。慣れていない味なので、最初は奇異な思いが舌の味蕾(みらい)を通して脳に伝わり、味わうと感じるまでに若干の時間を要しますが、次第に味わえるようにはなりました。驚きは、どの部位もまったく動物臭さがないと言うことでした。アイスランドのラムは、けだもの臭さがまったくないと僕はよく書いていますが、今夜のラムもどれを食べても匂いのないものでした。アイスランドと関わって仕事をする以上、金Xを一度は食べないといけないと思っていました。本日、ついに金Xを味わうことが出来、なぜか禁断のゲイの道に足を踏み入れたような思いであるとオーナー連中にお伝えしたところ呵呵大笑でありました。
2007年01月25日
以前にも書いていたことがありますが、スウェーデン北極圏、鉄鉱採掘で世界的に有名なキルナ郊外JUKKASJARVIにあります。世界で唯一の氷と雪で出来たホテルICEHOTEL。僕はICEHOTELの株を7%持っています。ICEHOTELが法人化したときからのメインバーで、1995,6年頃はICEHOTELの国際化に大いに貢献したと思っています。1991年、たった6室でスタートした「駄洒落」に近かった氷で出来たホテルは、創業者で現社長のYNGVEの発案と夢「氷で都市を作る!!」を見事に具現化したものです。1992年にYNGVEに偶然であった僕は、「これは将来とんでもない大きなビジネスになる!」と、レバノンから日本までのICEHOTELの総代理権を僕に与えるという契約書をもって再訪して、これに僕とYNFVEがサインをしました。現在では7000平米の敷地に100室とういう大規模なICEHOTELが建っています。ICEHOTELにはICEBARが併設されていますが、これのスポンサーはスウェーデンのABSOLUTE VODKAです。ABSOLUTEとICEHOTELはヨーロッパを中心に世界中でICEBARを展開しています。東京の西麻布にはTOKYO ICEBARが開設されています。2007年はコペンハーゲンにICEBARがOPENします。現在、僕の提案でICEBAR BANGKOKの可能性を探っています。ICEHOTELICEBARとも有名になりすぎて世界中にコピーが出回っています。ICEBAR ICEHOTELとも商標が世界的に登録されていますので、コピーのばったものは通用しませんが、それでも手を変え品を変えCOPYが出ては消えしています。ずいぶん前の話ですが、北欧のある国にコピーができて、堂々とICEHOTELと称しているとの情報で本家?のわれわれが様子を見に行きました。ICEBARの帽子をかぶり、ICEHOTELのユニフォームを着ていた我々に、そのコピーのオーナーと思しき人が「SWEDENには偽者がありますが、うちが本物です。」と説明を始めたこともありました。ICEBAR BANGKOK どこかにぴったりのロケーションがあれば教えてください。
2007年01月24日
北欧のほとんどのホテルは、いわゆるビュッフェ式の朝食で、アイスランドでもSagaやGrandなどの一流どころの朝ごはんは食べでがあります。パンは各種どっさり、ハムやサラミ、チーズ、卵、ソーセージ、ベーコン、ニシンやサーモン,野菜、ヨーグルトなど実質的で量のあるものがところ狭しと並んでいます。一瞥した感じではSagaの方がGrandよりも品数が多いようにこれまで思ってきたのですが、Grandを定宿にするよになって仔細に内容を吟味すると、GRANDの朝ごはんにはさりげなくいろいろのものが置いてあることに気づきました。例えば、ハムサラダ、甘エビのマヨネーズ和え、オリーブペーストなどです。このホテルは日本方も多く宿泊されていますが、僕と同様に意外にこれらの掘り出し物?に気づかれていないのではないかと思います。なぜかと言いますと、これらは一回にきわめて少量が小さな器に盛られていて、自己主張していないからです。GRANDに泊まられたらお試しください。ところで、北欧のホテルは宿泊代金は朝食込みが普通。また、ほとんどのホテルはクーポンを出すわけではなく自由に出入りして朝ご飯が食べられます。実際これを悪用して無銭飲食を決め込む人は少ないからです。ビュッフェ式で供するところが多いこともあって、使用済みの皿を引く人と、料理を補填する人意外に従業員がほとんどいません。で、ホテルの悩みは、朝食にやってきてお弁当を作る人が存外多いことです。これをされるとホテルはたまりません。最近の調査では意外や意外、日本の宿泊客もビュッフェからいろいろなものを持ち帰ることが判明。日本人は正直と言うイメージが崩れてきています。ただ、「持ち帰り、お弁当作り」の常習者はなんといってもヨーロッパでも倹約家で有名なある国の一部のかたがたです。僕は一時期スウェーデンとフィンランドでホテル経営に参加していましたが、その国の人が来ると、「やつらまた弁当を作るぞ」と従業員が身構えていました。あるときその国の40人のグループが朝6時に朝食を開始。7時、ビュッフェからほとんどすべてのものが消えていました。ゆで卵にいたっては150個近くが消滅。GRAND HOTELの朝ごはん。各テーブルに、「ご朝食は食堂においてのみお楽しみいただけます」という「お願い」?!のメッセージが置かれています。英語とその国の言葉でのみ書かれています。
2007年01月24日
今日(22日)から27日までの一週間はアイスランドに出張することになりました。今回はスカンジナビア航空とアイスランド航空をコペンハーゲンで乗り継いで出張します。したがって、この稿はSASの機内で書いています。今回の出張はSASのマイレージが14万も貯まっていることもあってエコノミークラスの航空券を購入し空港でビジネスにアップグレードしました。先ほど、飲み物のサービスが終了して、これから食事が始まります。スカンジナビア航空のビジネスクラスでは、食事の時間をスキップして早く休めるようにと温かいメインコースをはずした食事をすぐに持ってきてもらうことが出来ます。飛行機ではあまり食事をしない僕は、SASのこのサービスが気に入っています。さて、僕は、スカンジナビア航空がマイレージサービス(ユーロボーナス)を始めた1992年からメンバーになって、このSASのカードでしこしことマイレージを貯めています。SASが他社とスターアライアンスを立ち上げ、そのアライアンスも今や15社を超えるようになりましたので、SASのユーロボーナスは北欧系の会社で働き、北欧に出向く機会の多い僕にとっては大変重宝なカードとなっています。趣味のボウリングを楽しみにバンコックにもよく出かける僕は、スターアライアンスのタイ航空を利用することも頻繁ですので、こちらのマイレージもSASのユーロボーナスに加算しています。いまから5,6年前は逸れこそ一月に1回から2回は日本と北欧を往復する機会がありましたので、いっときユーロボーナスポイントが40万も貯まったこともありました。当時は、このポイントを利用しての航空券引き換え(アワード)は、例えばエコノミーでタイに出かけて35000でしたので、40万は随分と使いでがありました。スターアライアンスの航空券引き換えは5年間持ち越せますので、安心して貯めることが出来ます。スターアライアンスでマイレージを貯めていますので、国内線は出来る限りスターアライアンスのANAを利用しますが、国内線では日本航空も頻繁に利用しますので、JALのカードも持っています。こちらのほうはクレジットカード会社の利用代金で貯まるポイントをJALに移行していて、最近まで13万ポイントも持っていましたが、昨年末に4万を失効してしまいました。JALのマイレージは有効期限が短いのでたびたび失効してしまいます。SASのビジネスクラスは、最近シートが新しくなりフルフラット(ほとんど平らになります。)になって快適です。向かい風が強く今日は11時間30分の飛行ですが、ほとんどを寝て過ごすことができます。マイレージを貯める目的はそのマイレージを使って航空券を手に入れるというのが主たる目的でしょうが、実は僕はゴールドカードを保持して各空港のラウンジが使えることが大きな魅力です。海外、国内と出張の多い僕は空港で過ごす時間も多く、そのときはほとんどラウンジにいます。ゴールドカードのステータスを維持するのにはそれなりの飛行実績が必要ですので、年度末には、ゴールド保持のための一定の実績に到達するために意味もなくあちこちに飛んでマイレージを増やしていることもあります。いつもファーストクラスを正規の運賃で買って旅をすれば、ゴールドカードなんていうけち臭いものを持たずとも、航空会社のほうで至れり尽くせりのサービスをしてくれるでしょうから、僕のようにエコノミーを買って、ラウンジを使うためのゴールドというのはいかにもしみったれてはいますけれど。コペンハーゲン空港のスカンジナビア ラウンジは快適です。ゆったりとしたスペースに、豊富な飲み物、それに希望すれば仮眠室も、会議室も、シャワールームも無料で使うことが出来ます。ところで、今回、成田で使ったANAのラウンジが素晴らしく良くなっていたのにはびっくりしました。日本酒コーナーや、麺類コーナーまであり、ワーキングデスクも数多く設置されているのでびっくりしました。いままで、日本の航空会社のラウンジは貧祖きわまりなかったので、ANAの新しいラウンジには感動しました。この稿の続きをレイキャヴィークのグランドホテルの部屋で書いています。このホテルの社長オラフルさんは、最近私たちの会社のオーナーに名を連ねました。ということもあって、レイキャヴィークではグランドが定宿。4階の角部屋をいつも使わせてもらっています。1月22日深夜、レイキャヴィークはプラス3度。先週までは寒かったそうですが、今週からは温かく快適だという予報です。部屋の湯船に温泉ためて楽しんでから寝ることにします。
2007年01月23日
アイスランドでも北欧でも、現地のサプライヤー(旅行業者)と商談をしていると、日本人旅行者を迎えるにあたって難儀なこと、というより困ること、まずはホテルのお部屋だそうです。お部屋に湯船がついているとうのは、ホテルの部屋を日本人旅行者に提供するのに必須の条件だと海外では信じ込まれています。(英国人も湯船好きと聞きましたが)実際、われわれも日本のお客様をご案内していますと、取り扱う旅行代理店からは「バスつきMUST!(湯船つき以外駄目!)」と言った依頼が頻繁に来ます。僕自身は、シャワー派で、湯船に身を沈めるのはせいぜい一月に2,3回。それもさあ今日は風呂に浸かってゆっくりするか!といった精神状態のときで、風呂に湯をためること自体が「その日の娯楽」と言った感があります。僕の友人たちも僕と同様でシャワー党が多いのです。そんなこともあって、本当に湯船がないと一日が終わらないと言う日本人ってそんなにいるのか?といつも疑問に思っています。もっとも、ホテルのお部屋に湯船があるに越したことはないのですが。最近、弊社のオーナーに名前を連ねたグランド ホテル レイキャヴィークはこの春3月16日新館の13階建てタワー2棟をオープンします。このホテルは従来から全室に湯船がありましたが、新館あわせて313室全てに湯船がついています。日本のお客様を海外のホテルがお迎えして次に躊躇するのが、ご夫婦で宿泊されているのに、ツインを希望される方がかなりおられることです。欧州ではご夫婦が一つのベッドに寝るというのは至極当然のことです。日本人は昔からそれぞれの布団で寝ているのでいきなりダブルベッドと言うのは苦手なのかもしれません。ですから、日本人慣れしたホテルは、日本人にはダブルベッドを当てないようにルーミングをしています。海外のホテルが不思議に思うのは、姓の違う同性のお二人が一つの部屋に入られることです。(平たく言うと、他人同士のおっさん二人とかです。)少なくとも個人主義のヨーロッパ人の感覚からすると、姓の違う同性、つまり赤の他人の男同士、女同士が同一の部屋を使うのは、もっと別の意味があります。姓の違う男女が同一の部屋に入るのは、宗教色の強いホテル以外では全く問題にはなりません。もっとも不思議がられるのが、性の違う親と子の組み合わせで子供が充分に大きい場合です。介護の必要な親ならまだしも、例えば20歳の女性と50歳の男性の父親の同室は、日本的には微笑ましくても欧州では「気持ちの悪い親子」といぶかしがられがちです。話は変わりますが、海外、少なくとも北欧では、客室清掃係からもっとも好感をもたれているのは日本人客だと言われています。お部屋の使い方が大変に丁寧できれいだそうで、中には滞在してなかったのじゃあないかと思うくらいに美しくチャックアウトされる方も多いと聞きます。逆に、掃除に入った瞬間になにから手をつけてよいのやらと途方にくれるお客様の多い国も聞いて知ってはいますが、根拠があるかどうかわかりませんのでここでは言及しないことにします。宿泊客の中で一番おとなしいお客で文句を言わないのが日本人と、思われていましたが最近は違います。「日本人は直接文句を言わないか言えない人が多いだけで、帰ってから旅行代理店に文句を言わせる。しかもその文句の殆どはもう後からは解決しようのないようなことばかり。」が最近では定説です。「宿泊した部屋が寒かったので金返せ!」のような文句は極論すれば日本の方からの典型的な文句のひとつです。最近、グリーンランドのナルサルサークで本当にあった話ですが、朝方、ホテルの従業員が毛布にくるまって廊下の壁にもたれて寝ている日本からのお客を発見。従業員は病人が出た!と慌てて近づき声をかけると、その方「コールド、コールド コールド」と連呼。悪寒がするのか、ならば医者を呼ばねばと、その方の部屋を開け、まずはベッドに寝かそうとしたのです。部屋に入ると、部屋が異常に寒い。あれれと点検すると、なんとカーテンは閉まっているのですがその後ろの窓が開いています。窓が開いた部屋にいれば寒かったのは当たり前です。その方、部屋でも「コールド、コールド」を連呼。その頃には大騒ぎになって他の宿泊客やその方と同じグループのお客様も起き出してきました。その方に事情を聞くと「夜中、部屋が寒くて、寒くて寝てられなくなって、毛布を持って部屋を出て、廊下のパネルヒーターにもたれかかって朝ガ来るのを待っていた」のだそうです。この話、夜中に他人を巻き込んで騒がせたくないという日本人の奥ゆかしさ?と、問題をその場で解決しない、しかも気配りができていないとホテルを叱責する不可解さの2面性で、面白しろおかしく語り継がれています。それぞれの国にはお国柄と言うものがあって、我々日本人だけが優れていたり奇異であったりするのでは決してありませんが。30数年前の話、中近東を長距離バスで旅していた友人が、明け方にバスが草原で停車して人がぞろぞろ降りていくので、トイレ休憩だと思い、彼も草むらに隠れてうんこをしいました。ふと顔を上げたら乗客全員が彼のほうに向かって、ひれ伏して朝のお祈りをしていたそうです。今でこそ笑い話ですが、そのとき彼は「お祈りが終わったら殺されるかも知れない」と思ったそうです。写真はSAGAホテルの湯船です。
2007年01月17日
アイスランドをレンタカーを借りて旅をすると言うのはいかがでしょうか?ただ、冬場のアイスランドを油断して運転するのは、車やバイクがジグザグに走るぼこぼこのラオスの国道を時速130kmでぶっ飛ばすより危険です。アイスランド人でさえ、冬場に慣れない道を車で旅することを嫌がりますので、ましてや外国人、それも右側通行の国からやって来たわれわれには2重苦です。ところで、一般的にアイスランドでの車の運転で慣れなければならないことは、1)総じて道路標識が小さいので見落とすことがしばしば ましてや吹雪いていたりすると全く認識出来ません。2)雪はさほど多くはないのですが、海洋性の変わり易い天気は先の予想がつきません。 地方の人気のない道を走っていて、吹雪に会っても止まって休むと言うことが出来ません。 止まってしまって車が雪に埋もれスタックしてしまうと遭難してしまいます。 こういうところに限って携帯も通じない。 だから前に進む以外に選択がありません。3)秋から次の夏までは絶対に国道以外の間道には絶対に入らない。 道に迷ったり、道路から脱輪したり、スタックしたらおsれこそ一巻の終わりの予兆です。4)夏、内陸部を走行、道が川でさえぎられているけれど そこを超えて道が繋がっていると地図 には描かれています。これが時として危ない。 川でスタックしてしまってにっちもさっちもいかない時に濁流が襲うという信じられないこと も起きます。 こんなときは地元の車が川を横断するときに後ろについて渡るのです。5)春先、秋の終わりには太陽の位置が低く陽光がまともに視界に入り込みます。6)春や秋、雪は降っていないのに、国道が山や谷の地形の影響で市松模様に凍っていることがあ ります。7)道路標識で「!」が出たら、馬鹿にしてはいけません。この先とんでもない道路状況があると 言う注意です。8)夏場はめちゃくちゃなスピードで走行する阿呆なドライバーがいます。 絶対にまねをしてはいけません。 夏場、特に海外からのドライバーでスピードによる自損も含めての死亡事故が後を絶ちませ ん。と、こういった危険がありますが、こういったことに留意されてのアイスランド ドライブ旅行はとても楽しい筈です。特に夏場は快適で、新しいアイスランドを楽しめます。弊社でも現在 FOSSHOTELS チェーンと連携して 気ままにアイスランドをのんびりマイペースで堪能できるDRIVE & HOITELを売り出し予定です。
2007年01月16日
今日は会社で会議を開きました。数々の議題のうちの一つが、今後、日本におけるアイスランドの観光プロモーションをどのように進めるのか?でした。小生の考えと経験では、一つのもの、特に「旅行地」「旅行商品」を売り出すには、テーマを決めてその国や旅行地に的を絞ったブームを作り出していく必要があるのではないかと思います。17年前、北欧のオーロラ商品や、氷のホテルを開発したときもそうでしたが、訴求力のある「売り目」を旅行地や商品に見出して、それで旅行地や商品のブームを作り出していくと言う作業でした。オーロラは暗くて、寒くて、遠くて、何もない北極圏での現象ですので、これらの4つのマイナスをプラスに転じて.....暗いからオーロラが輝いて、寒いから純白の雪が降って、遠いからエキゾチックで、都会的なことは何もないから地域独特の文化がある、と転化してブームを作りました。オーロラが美しくて、いまだに訳のわからない部分の多い「現象」であるというミステリアスだということを、旅行地の持つネガティブな「暗い、寒い、遠い、何もない」を光、雪、極圏、地場文化というポジティブな要素に変えてのブーム喚起でした。実際にこれは大成功しました。スウェーデンのキルナの氷のホテルICEHOTELも同様です。氷で出来た部屋に氷で出来たベッド。寒くて暗くて、でもエキサイティングな体験を面白おかしく、例えば「アイスホテルで寝るときは、眠たくなっていくのか、死んでいくのかどちらか判りません。その臨死体験が魅力です」とか、「スリーピングバックで寝ようとするのですが、寒くて肩が凝っているのか実は凍っているのか判りません。」と言ったようなことです。マイナスをプラスに変えて訴求する、そういう志向です。旅は日常から少し離れたところにあってこそ楽しいのですが、とてもかけ離れたところにあるとそれは冒険となってしまいます。冒険でもなく日常的な旅でもない、冒険と旅の狭間を行き来していただくような旅を創り出すことが出来ると「ブーム」を呼べます。怖いもの見たさをくすぐりなおかつ日常的な安寧が補償されていそうだからです。その国のネガティブなイメージのなかには、実はその旅行地の魅力が多く秘められています。アイスランド、名前は「氷の国」、なんと!旅行地としては「寒い」「荒涼としてた響き」を持つのでしょう?でもこの国、実は何を隠そう本当は暖かい、燃え滾(たぎ)るように火山が噴火し、国中は温泉だらけ。温泉は水が豊富で、地球が温かくなければ組成されません。ところで、旅人がその国を一瞥して得るマイナスのイメージが、大きくプラスに転換するときに旅行地としての魅力が倍増します。そこで、弊社はこれからのアイスランドのブームを日本で醸し出すために「温泉」を旗印にしてアイスランドに皆様を向かわせようと決めました。寒い国かも知れなかったアイスランドは、実は暖かくて温かい国であった。温泉にはつきものの裸の付き合いの「仲間」がいて、温泉旅行の華!であるグルメがあって、そして温泉には美しい大自然があってこその癒しがあります。来週は各人がアイデアを持ちよって暖かくて温かい、美味しくて、美しい国、アイスランドを温泉を核にいかにブームを創り出すかをみんなで考えることにしています。
2007年01月15日
ここのところ大晦日は、バンコックのセントラルワールドプラザ(CWP)のMAJORボウルでボウリングを楽しんで、ボウリング仲間とビル警備員を抱きこんで、カウントダウンにあわせて屋上に侵入!?20万人とも30万人とも言われる大群衆を眼下に、カウントダウン花火大会を鑑賞して新年を祝うというならわしです。12月31日。大群衆が集まり始めるまえに建物の中に入らないと、9時を過ぎるとビルに近づくこともままならないことを知っていましたので、夕方の5時にはボウリング場に着きました。なじみの従業員と軽口をたたき、プロショップをのぞいてスタッフと歓談し、6時前にゲームを始めました。6時半くらいになって、友人の香港系タイ人から電話がかかってきました。聞くと、「市内の2箇所で爆弾が破裂し死者や多数のけが人が出た模様だからすぐにホテルへ帰れ、爆弾が万が一テロだとするとCWPはカウントダウンで大群衆が集まることもあり格好の標的になる可能性がある。」と言う内容でした。プロショップやなじみの従業員に問いただすと、確かに爆弾騒ぎがあったが、たいした騒ぎではなく、現在は近隣の交通機関も止まったので、ある意味で外に出るよりボウリング場に留まって様子を見たほうが良いだろうと言うことでした。このときはさしたる悲壮感もなく、笑顔が行きかっていました。そんな訳で、ボウリングを続けていたのですが9時を回っても場内の人が全く増えてきません。というより、先ほどまで満員に近かったのに、気がつけば4組しか残っていません。カウントダウン パーティーのため派手な衣装で身を固めていた従業員はいつの間にか私服に着替えています。ボウリング場は7階にあり、この階は映画館への入場階ですので、いつも大勢の人で賑わっていますが、窓から外を見ると殆ど人影がありません。映画館をとり囲むように各種の飲食店が軒を連ね、大盛況ななのですが、どの店も店じまいして真っ暗です。そうこうしている内に、オレンジ色の制服を着た集団がホールに入ってきてあちこちを検査し始めました。爆弾処理班です。それに尋常ではない数の警察官が入ってきています。先ほどまでの比較的のんびりとした雰囲気は一転緊張感溢れるものに変わっていきました。警察官が入ってきて「本日はこれで全館閉鎖します。年末のカウントダウン行事は全て中止。速やかに退去しなさい。」と告げました。ここからがいかにもタイで、もし日本でも同じような状況が迫れば、少なからずパニックに近い場面が考えられますが、このとき従業員とプロショップ職員、それに残っていた数組の客はプロショップに集まり、ビアパーティーが始まりました。従業員の家族からは心配しての電話がひっきりなしに掛かってはきますが、殆どの人がお構いなしでビールを楽しんでいます。警察官ものんびりとわれわれを眺めています。爆弾のほうはさらに数箇所で爆発、どうやら犯人もひとりは捕まったようだとテレビのニュースは伝えます。考えてみれば、こんなときに慌てて外に出るほうが危ないわけで、館内で待っているほうが安全と言えば安全です。だから警察官ものんびりと眺めていたのだと思います。不埒な僕は、爆弾騒ぎのおかげで、大晦日のタイのボウリング場でボウリング場独り占めで投げられるぞ!と張り切っていました。記念写真を撮ったりして至ってのんびりムードでした。9時半頃になって、7階のホールを「黒い装束の一団」が通過したのをきっかけに、警察官が「今のうちに外へ出よう!」と促します。それで、残っていた全員が警察官の指揮の下、エレベーターで1階に下りました。階段を使うほうが良いのではと提案しましたが、「この方が早い!」と無視されてしまいました。いつもは車でぎっしりの大通りは一台の車もなく、交通が止まって行き場を失った大勢の人がたむろしていて、中には記念撮影をしている人たちもいます。ところで、中で待機していたわれわれが何故急に外へ出されたかと言いますと、黒装束の一団は実は皇宮警察でした。CWPとアジア一番ショッピングビル「サイアム パラゴン」に挟まれた一帯は皇太子殿下と親族の所有地だそうで、皇太子殿下の宮殿も隣にあります。皇太子殿下は事態を重く見て、皇宮警察を伴って付近一帯を視察に見えたのだそうです。タイでは王様と王室は国民の敬愛を最も受けている人たちで、この人たちに危害が加わると国体を維持できません。それを皇太子殿下は理解されていて、爆弾犯に狙われたらもっとも被害の大きいCWP前広場へ姿を現されたのだそうです。つまり皇太子殿下がおられる限りは何人もこの場所は攻撃できない、と言うことらしいのです。だから、「いまだ!皇太子殿下のおらる間に館外へ出よう!」となったのそうです。われわれが、CWPから少し離れた飲み屋で食事をしてビールを飲んでいた場所は、何事もなかったような普段の喧騒でした。12時過ぎ、タクシーも多く走り出していたので、一台捕まえてホテルに戻ろうとした時ちょうどCWP横の電話ボックスで爆弾が破裂しましたが、運転手は両手を広げてボム!!と微笑んだだけでした。皇太子殿下の住居に近いCWPは攻撃される訳がないと思っていましたが実際はボン!と破裂しました。宿泊していたホテルの中庭では生バンドが入った新年パーティーたけなわで、爆弾騒ぎどこ吹く風でした。2年前の津波の時も、これを誘発した地震の起こした揺れで、バンコック内の高層ホテル31階で寝ていた僕は大慌てしたことがあります。
2007年01月15日
ヴィエンチャンからの日帰りのナムグム ダム、ワン ヴィエンへの小旅行の運転をしてくれたトニさんの「僕がタイまで送りましょうか?」の提案で追加料金を支払って、国境を越えてタイのノーンカイの鉄道駅まで送ってもらうことにしました。タイ、ラオス国境では近隣住民だけに発給されている特別のヴィザがあり、彼らはこれで極めて自由に両国を往来出来ます。ヴィエンチャンから国境の友好橋までは約25キロあり、橋を渡りノーンカイまでとなるとおおよそ30kmくらいの距離になります。この日の経験から、30kmというのはラオスではだいたい1時間から1時間10分はかかると踏んでいました。ヴィエンチャンに13kmまでの地点に戻ってきたところで、「ちょっと市内観光でもする余裕がありますかね?それにあなたに追加で支払う50USドル分のお金を引き出さなくてはならないので、市内に寄ってからタイに送ってください。」と頼んだのが4時。長い行列の出来ていたATMでお金を引き出したのが、4時50分。ノーンカイからの寝台列車は6時20分発。つまり、すぐに出発しても、2カ国の国境審査を考えれば、列車に間に合うかどうか微妙な時刻。トニさん。腕時計をにらみながらしきりに思案しています。時間を逆算している様子。彼の「OK」でおもむろに車を発進。17時。「市内を巡回して行きましょう。」こういうときはこの人に任せるのが一番。僕自身は車を運転していませんし、それに彼は寝台急行がが18時20分に発車することも知っています。だから間に合わせると言う自信があっての提案と見て、僕も「OK!]と頷きました。17時15分あっちこっちでフォトストップをしたあと、ヴィエンチャン名所の金色に輝く巨大な寺院に到着。トニさん、再び時計を見て思案。「OK、20 minutes. Take a walk!」(20分散策してください。)流石の僕もこれにはびっくりで、5分でここを切り上げて、車に乗り込みました。17時20分ここから、国境の橋までの25キロは、大げさに言えば今もっても震えが止まらないくらいの恐怖のドライブでした。幅広の片側1車線の道路は、その幅ゆえに道幅一杯が2車線として使われています。バイクの群れ、学校帰りと見られる子供や学生、犬や猫がひっきりなしに道路を横断し、それらをクラクションで追うようにバスやトラック、乗用車がジグザクに走行しています。隙間を縫ってトクトク(バイクに荷台の牽引タクシー)が縦横無尽に駆け抜けます。理由は不明でしたがところどころで100mほどの渋滞で道が詰まっています。対向車線が比較的空いていたのを幸いに、運転手のトニさん、クラクションを鳴らしっぱなしで、車体の3分の2を対向車線に割り込ませて渋滞と喧騒、混乱の道をアクセル、ブレーキ、急ハンドル、罵声を駆使して突っ走りました。トニさんは大変物静かな人で、一緒に食事をしても勧めるまでは自分からは食事には手をつけず、小さな声でぼそぼそと話します。何を聞いても誠実にラオスの暮らしをベースに案内するような人でした。ヴェインチャンからノーンカイまでの使命感を帯びた恐怖の運転をする彼の眼光の鋭さと、うなるような時折の罵声、クラクションに秘めた決意は、ひょとしたらこの人、子供の頃は少年ゲリラとして反米共産の友軍に組織されていたのではなかろうかと思いました。最高時速はなんと!130kmでした。最初ははらはらとしながら前方を凝視していましたが、、途中からはここまできたら成り行きに任そうと、橋に着くまで目をつぶっていました。17時55分!!橋に到着。ラオスに入国したときは外国人専用窓口に並んだので結構時間がかかりましたが、トニさんは前の車の行列を無視していきなり先頭に割り込み、僕を車に乗せたまま1分で出国手続きを完了。タイ再入国も僕はパスポートを彼に預けただけで、これも1分で手続きが完了してしまいました。国境審査っていい加減なもんだと思うより、なんとありがたいお国柄だと感心しました。(この稿を読んでられてノーンカイ経由でラオスへ旅をされる方。よろしければトニさんご紹介します。車でノーンカイまで迎えに来てくれます。)ノーンカイの駅に着いたのが18時10分でしたので、結果的にはトニさんの提案どうりに金色のお寺でももう少し時間がありました。バンコクまでの寝台急行は定刻に発車。発車前に11時間の旅に備えてビールを6本買い込みましたが、寝台が一等だったせいもあり、発車して5分もすると係員が飲み物と夕食の注文を取りに来ました。11時間の1等寝台の旅は、可もなく不可もなくの長旅でした。夜で外はなにも見えませんし、一等は個室なので隔離されて、他の乗客とも交流がありません。飲み物と食事は夜と朝に予約しものが運ばれてきます。トイレは隣。翌朝7時に車掌が起こしに来るまで、留置場での一夜のようでした。=============ラオスは今、市場経済が進み海外からの投資が大変盛んなようです。特に、観光は重要な産業として成長しつつあります。古都、ルアン パパンなどで先行投資に意欲を燃やしているのは殆どが華僑系の人々と聞きました。ところでナムグム ダムは環境破壊、電力供給と治水でラオス経済の救世主と言う2面性がありますが、トニさんは社交辞令もあって「あなた方(日本人)が作ってくれたダムですよ。」と言ってくれてました。
2007年01月12日
せっかくラオスまで2回までも出かけていって、昨年の一回目はヴィエンチャンのみで、2回目はボウリングだけというのは妙なので、ラオス二日目はヴィエンチャン郊外に行くことに決めました。朝7時、運転手つきレンタカーが到着。これはひとことで言うとタクシーですが、商いの形態は運転手つきレンタカーと言います。ヴィエンチャンから60キロ、日本の援助で完成したダムが生んだ人造湖が新たな景観を醸し出すナムグム ダム湖。ラオスの桂林とも称されるワン ヴィエン。この日は、午後6時20分発の急行寝台列車でタイのノーンカイからバンコックまで戻ることにしていましたので、ナムグム、ワン ヴィエンを訪ねて国境を越えてタイに戻る約380kmの道のりをこなして、2箇所で観光するためには朝7時にホテルを出発する必要がありました。運転手はトニという40歳前くらいの英語を話す人で、ヴェンチャンと古都 ルアン パパンを拠点に工務店を経営していると言っていました。今でも社会主義国家であるこの国ですが、市場経済が導入されている今、実態は各人が暗中模索で自由に商いをしていると言った様子です。一国のこういった時期にありがちな、やまっけのある人が虎視眈々と一攫千金を狙っているようにも感じ取れます。トニさんも、自前のワゴン車で観光客をガイドして、規模は知りませんが工務店を経営している訳ですから、うまくいったほうで一儲け的雰囲気が漂っています。さらに、道中、「ルアン パパンに観光ホテルにうってつけの土地があるが投資をしませんか。」としきりに薦めていましたので、ブローカー的なことでも金儲けを画策しているのでしょう。ヴィエンチャンを出発した車は、ヴェトナム戦争時に拡幅されたのであろう国道を北に向けて進みます。道幅は結構あるのですが、朝の通勤通学時間帯と言うこともあって、バイク、バス、乗用車がジグザグに走っているような喧騒があります。ぼろなのか新車なのか判別しにくいようなきらびやかな大型バスの窓には「雲南省昆明」と書かれています。我々の車はラオスでは高級車の部類ですので、なんとなく他に優越した趣があり、そのこともあってトニさんはクラクションを駆使して「そこのけそこのけ」調に雑踏と渋滞を突進していきます。90分後、ヴィエンチャンから60kmのナムグム ダム湖畔に到着しました。「ラオスは山で暮らす人々の国です。池、川、湖の水は貴重です。飲んで洗濯して風呂に入る。これらに湖や川の水を利用して暮らしています。ほら、あそこの岸に女の人たちが4,5人いるでしょう。服を着たまま器用に体を洗って、同時に着ている服の洗濯をしています。ラオス伝統の風景です。湖の中で石鹸を使わないのはこの水は飲み水でもあるからです。」ダム建設で湖底に沈んだ村々の人たちが湖畔を拠点に暮らしています。かつて山や丘の頂の部分が、小さな島々となって朝日を浴びた湖面に浮いています。材木でやぐらを組んで湖畔のがけっぷちに建てたレストランのインスタントのコーヒーも、「情景」の薬味が加わるとことのほか美味に感じられました。このダムから、ワン ヴィエンまでは約2時間、時おり。小さな村を通過する以外は、道中殆どを曲がりくねった山岳道路を車は進みます。ワン ヴィエンは風景画に登場するような幽玄な形をした屹立する連山を背に川辺に出来た小さな町。かつてはここでも共産ゲリラと米軍の攻防が展開しました。川に沿って、ラフティング、洞窟めぐりなどのアウトドアー アクティビティーの案内所、小さな旅行代理店、ゲストハウス、食堂などがびっしりと並び、バックパッカー風の西欧人を中心とした観光客が闊歩しています。食堂は殆どと言ってよいほど、テレビでDVD映画を放映しており、西欧人たちがだらしなく寝そべってビール片手に食事をしています。ゲストハウスに泊まり、ぞうりに短パン姿でそぞろ歩き、川辺に組まれたやぐら風の床で日光浴し、食堂で寝そべってビールを飲む。こういった生活に現代人を引きずり込みそうな空間を持った町ですが、基本的に怠け者の僕なんかが1週間もこれを続ければ社会復帰は難しかろうと思います。
2007年01月11日
ラオスのヴィエンチャンに、昨年に続きやってきた理由のひとつは「ラオスでボウリング」でした。僕は無類のボウリング好きです。上手であるとは限りませんが、好きであることには変わりません。だいたい、1週間に多いときで60ゲーム、少ないときでも30ゲームは投げています。これまで、ボウリングをしたことのある国は、アイスランド、グリーンランド、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、タイ、韓国で、いずれの国も自分のボールを持ち込んで楽しんでいます。タイ ボウリング連盟に所属していますので、海外ではタイのバンコックで投げることが多いのですが、昨年ラオス旅行した折にはボールを担いでいったにも関わらずビア ラオ(ラオスの誇る国際的ビール)を飲みすぎてホテルで沈没。ボウリングの機会を逸してしまいました。捲土重来。今年こそはまずボウリングを!とラオスに乗り込んできました。宿泊したホテル、NOVOTELというコロニアル風ホテルは市街地からは若干離れています。チェックインしていきなりフロントで「ボウリングをしたいのでボウリング場を教えて欲しい」といいましたら、流石にきょとんとした顔をされました。冗談だと思ったのか、「今日はクリスマスイヴですので、18時からのディナーパーティーがお一人25ドルなんですが、是非!」とボウリング場については触れずに、これを薦められました。「ディナーは参加します。で、ボウリング場?」「ああそうでしたねえ、この近くに一軒あります。」「トクトクを呼んでくれますか?」「歩いてでも行けますよ」「ボウル2個持ってきたので、重いからトクトクを。」「???????」「歩かないので、トクトクを。」「承知しました。」ボウリング場はマリーナという施設。場末のナイトクラブとボウリング場が同一の敷地内にあります。ボウリング場の方に入っていくと、玄関は開いていて中には従業員がたむろしていますが、電気は真っ暗、冷房も切ってあり、森閑としています。Bowling?Yes,bowling.Game!Game?Yes,play bowling.OK!となり、14レーンあるボウリング場のうち、2レーンに灯りがつき、館内メインの照明も点り、冷房が入り、従業員が位置につき、スタートです。日本から持ってきたボールを取り出し、靴を履き、さあ投げて見るか!としたところに従業員の男の子がベビーパウダーの筒を持ってきてPlease!(ボウリングは右投げの場合、左側の靴底が滑りやすく出来ています。つまり最終ステップがスライドしないと基本的にはバランスが取れません。この靴底を滑りやすくするためにベービーパウダーをファウルラインの手前に播く人がいるのですが、これはご法度なんです。ベビーパウダーが湿気を帯びると逆にねばねばしてブレーキとなり逆効果になり、危険です。)無視して第1投。ところが、リターンされてきたボールを見てびっくり。黒いボールに真っ白の粉が一面についています。「なんじゃあ、これ?!」一ゲームを投げ切ったときにはボウルは真っ白。そうこうしている内に従業員が隣のレーンで投げ始めました。よく見ると裸足かズック靴のままなんですが、アプローチに粉播いて滑りながら投げています。レーンにも粉まいて、投げたボウルの作る軌跡を確認しています。あとで、従業員に身振り手振りで聞いたところによると、ラオスにはここを含め3箇所のボウリング場があり、合計で58レーンがあります。まともな?!1箇所は30レーン近くあるようです。Tournament(試合)という単語がどうしても通じず、ボウリングの競技会が開催されているのか否かはついに確認できませんでした。マリーナーでは一ゲーム約80円でしたので、ラオスの物価からすると決して安くはありません。ラオスでボウリングと初体験は散々でした。スコアー以前の問題ですが....ラオスまで出かけてボウリングなんかするな?そのとおりかもしれません。はい。
2007年01月10日
タイの東北部、メコン川を挟んでラオスの首都ヴィエンチャンと向かいあう町ノーンカイからは友好橋という両国を結ぶ橋で出入国します。地元の両国民には他にも小船での川越とかいった手段もあるようですが、外国人は全て友好橋を通らねばなりません。ヴィザは国境で申請できます。それほど難しい話ではありません。昨年、ヴィエンチャン空港でヴィザを取得しようとしたら米ドル以外ではヴィザ代金を支払えないと言われ、一旦ヴィザなしで入国して両替し、再び出国し入国ヴィザ申請の窓口に並ぶという「難解な」手続きを踏みました。ヴィザ申請には写真1枚が必要とあり、しまった!と思ったのですが、すっとぼけて写真貼らずに出したら、すんなりと写真なしでも受け付けてくれました。ノーンカイの町はいわゆるタクシーがありません。トラックの荷台を改造して客席に変えたソンテウという乗り物か、バイクに牽引された座席のついたトクトクが一般交通手段。つまりタクシーとなるとトクトクということになります。陸路、橋を渡っての国境越えということで、今回は万全を期して街中で両替と写真撮影を済ませておこうと早めにトクトクで出発。(この稿を読まれている方は、写真と両替くらい何故日本で事前に用意して来ないのだ?と思ってられると想像できます。なぜか?僕は怠け者なのと、いつでも現場で何とかなると思って旅をしているからです。)トクトクは僕の大きなサムソナイト、それにボウリングのボウル2個入りのかばんを荷台に乗せ僕が座ると後ろに大きく傾きました。(今回のヴィエンチャンの目的のひとつはラオスでボウリング!があります。)環境基準もどこ吹く風の排気ガスを撒き散らし、騒音公害なんのそののエンジン音をとどろかせ、国道の沿道を、はたまた街中を、車に邪険にされ、歩行者を脅かしまくって、トクトクは小器用に縫い進み、ATM、写真屋を物色、経由してタイ側国境に到着しました。ホテルから国境まではだいたい20分くらいで到着するのですが、あっちこっちを回ってきたので小1時間かかってしまいました。こういうときに運転するおやじにいくら渡すのか?が小さな問題。僕の経験から書きますと、値段があってないないような国々で買い物をするとき、しかも値札がないときは、HOW MUCH?とこちらから聞かないほうがよいのです。以前、バンコックの露天でタイボクシングのトランクスを見つけ、面白そうなので買おうと思って、「HOW MUCH?」と聞いたら、「1000(3500円)バーツ」「1000バーツ?高いやないか!」「お前がいくらいくら欲しいと聞くから1000欲しいと言った。俺の考えを聞いたくせに文句を言うな!文句言うなら始めからいくらで買いたいと言え!」と応酬されたことがあります。これは、そのその後の僕の「値札なしショッピング」に大いに生かされています。例えば、タイのビーチ。ひっきりなしに物売りがやってきます。スナック類軽食類からマッサージ髪のみつあみ専門員マニュキュワプリントの刺青などです。さそり座生まれの僕は、気が向くと洒落でさそりの刺青を描いてもらいます。これもハウマッチ?と聞くと昨今は1500バーツと紙に書きます。なぜ紙に書くかというと、声に出して金額を言うとあまりの高さに事情を判った周りの他の人たちからのブーイングが来るかもしれないと思っているからです。こういう時は、大声を出して「ワン サウザンド ファイブ ハンドレッド!!」と驚いて見せ、「こうつあほでっせ!プリントの刺青に1500言うてまっせ!みなさん!!」と周知してから間髪いれず「ワン ハンドレッド!OK!!」と相場より低めの値段を言います。すると、だいたい150から200で決着します。さて、ノーンカイのトクトク。ホテルを出るときにフロントで国境までトクトクでいくら位するかと聞いておきました。50バーツ(180円)という返事。で、一時間拘束していることもあり、張り切って倍の100に10色つけて110を何も言わずに手渡す。これが一番の方法。ここで、これで良いかと聞けば、おやじは必ず200くれと言います。110手渡してなんとなく笑顔のおやじがいたらちょっと払いすぎたかなで、なんとなく不満顔だったらちょっと低かったかなで、無表情だったら相場かなと判断しています。おやじ、無表情でした。国境。小さな町といった風情のかなり賑やかなところで、なんと!!写真屋も公認の両替所もあちこちにあります。「サンデー、ブリッジ、ノー、エクスチェンジ、ノー フォトー」(今日は祝日やし橋では写真も両替もおまへんで!)と一時間も街中を走り回ったトクトクおやじの勝利の微笑が走り去る背中に浮き彫りになって、楽しい一瞬でした。
2007年01月10日
マニラ経由のバンコクまでの航空便。僕の隣に座った親父は大阪丸出しのおっさん。このひと、一言も英語をしゃべらない人で、タイ人のスチワーデスが何を聞いても日本語で押し通していました。「お仕事ですか?」「いや、正月、日本、寒いさかい、フウイリッピン(ママ)でんね。」とおっさん。(こういう社会性のなさげなおっさんの話し方は、初対面の相手に対してにもかかわらず文末の動詞「でんね」以外には文章構成に助詞がありません。)一人旅で、英語を話さない親父がフウイリッピンで正月を過ごす?!おっさんが大事そうに眺めていたメモ類を横から盗み見すると、フィリピンクラブと思しき店名の入ったメモに現地の人の住所。そこにはおっさんの字で「ママの知り合い」とあります。財布には万札の束!!さてはフィリピンクラブのホステスさんに入れあげた親父の逃避行?もしそうであるなら、この親父の哀れな行く末は想像に難しくありません。妻と離婚、家族を捨て、退職金を懐に、年金担保にサラ金でローンを組み、惚れられていると錯覚している愛しきアニータ(かどうか、実際は知りませんがおそらく源氏名アニータかジュリアン)のもとへ。現地で家を建て、そこへアニータの全ての親戚が移り住む。ミスター!ミスター!とおだて上げられ退職金元手に小さな事業もどきを開始。哀れ!おっさん。現地妻に言い寄られて、訳もわからずサインした書類は「財産の放棄」。捨てられ、異国の地でホームレス生活か?てなことを考えている間に飛行機はマニラ空港に着陸しました。着陸した瞬間、この親父、まだ飛行機が空港ビルのブリッジまで徐行しているにもかかわらず、おもむろに立ち上がり、収納棚を開け、荷物を下げて歩き始めました。一人の乗員が慌てて制圧!?に来たのですが、これを無視してすたすたと前方に進みます。さすがに3人がかりで立ちはだかれたときは観念して空席に座りましたが、とんでもない親父です。フウイリッピンの正月は惨劇の予兆かもしれません。航空機は夕刻、バンコックに到着。マニラ経由の便であったことと、便が遅延したこともあって、バンコックでの乗り継ぎ時間が思ったより少なくなってしまいました。この日は、タイの東北部のウドン タニに乗り継ぎました。機材はA300-600(エアバスの最初の大型機材の生き残り)です。バンコックを飛び立って55分の短いフライトで、ほぼ半分(150名)程度の搭乗率。この飛行機、もともと静かではない機材ですが、この便の使用機材は古いこともあってとにかくやかましい。座ったところが主翼の真上で、飛行中絶え間なくエンジンの振動が異常にそして不気味に伝わります。それもあって、上部の収納棚が微妙に揺れて、ガタガタ。エンジン音そのものも決して軽快ではない、心なしか不整脈のような響き。航空会社に勤めていて、航空機のことをああだこうだはご法度かもしれませんが、僕は基本的にエアバスという航空機がどうも信用出来ません。操縦桿ひとつをとっても従来型とは違い、バーが一本突き出ているだけ。コンピューターへの依存度もはなはだしく高い。機械が働くので人は見ておれ!的な発想。エアバスは「手仕事好き」アジア人キャプテンのメンタリティーには合わないと勝手に思い込んでいます。参考までに書きますと、アイスランド航空は全てボーイングです。主力は757。日本とのチャーター便は767。来年は欧州の航空会社で最初に最新の787を導入します。ボーイングの機材は、例えば757のコックピットから767、777、787までほぼ同様に設計されていて、機体が大型化してもほぼ似通った操縦マニュアルでこなせるという利点があるそうです。55分の飛行であるにもかかわらず、飲み物のサービスのあとに立派な食事が出ます。日本の国内線はたとえ2時間近く飛んでも、サービスされるのはせいぜいソフトドリンクだけ。一応はスープという選択もありますが、これにしたところでインスタントをお湯で薄めただけ。もっとも、航空会社が機内食を出すべきか否かという議論をする気はないのですが、機内食だけをとってもタイ人はよく食べるなあと思います。乞食までがご飯を食べながら物乞いをしているお国ですので、たとえ55分のフライトでも食事が出てきます。ウドン タニはラオスの首都ヴィエンチャンへ陸路(メコンを超える橋)で繋がるノーンカイまで約1時間の、かつてのヴェトナム戦争時の米軍のタイ側の最前線の町でした。そのせいもあってか、退役米軍人とそのタイ家族のような組み合わせのような乗客が目立ちます。ウドン タニ空港からは乗客がいればその人数に合わせて車種を決める「リムジン」と称した有料送迎車で国境の町ノーンカイへ向かいました。真っ暗な国道をひた走って1時間。町外れにあるGRANDホテルにチェックイン。場末の高級ホテルといった趣き。日本では大都市のちょっとしたホテルでもフロントスタッフが英語の出来ないところも多いですが、タイではバンコクでは殆ど全てのホテルで英語が通じます。さすがに田舎町ノーンカイとなると、フロントのスタッフが何を言いたいのかはなはだしく難解な英語で応対。地元の中年の大きな団体が宴会場を借り切って忘年会のようなことをやってました。カラオケ大会が佳境のようで盛り上がっていました。朝から、約14時間をかけて移動してきましたので疲れもピークに達し、カフェテリアで遅い夕食をとって就寝。
2007年01月09日
僕はここ数年は、大晦日をタイのバンコクのセントラル ワールド プラザ(CWP)7階にあるMAJOR BOWLというボウリング場で過ごすことにしています。タイのボウリング仲間とボウリングを楽しみ、10時くらいからドンちゃん騒ぎをして、カウントダウンの始まる頃にCWPの警備会社に裏から手を回して、CWPの屋上に忍び込みます。カウントダウンに集まった数十万の人出を眼下にし、年越し花火を楽しむという趣向です。今年も恒例のカウントダウンを過ごそうと12月某日に日本を出発しました。この日、10時関空発のタイ航空に乗るのに、朝、目が覚めると8時!!僕は普段は京都に住んでいますので、この状況では京都から関空まで多くとも1時間で駆け抜けなければなりません。航空券をお願いしJTBさんからは2時間前には空港に来てくださいとは言われてはいますが、荷物の積み込みさえクリアーできれば実際には45分くらい前でも大丈夫だろうということは想像できます。荷物がなければ30分でなんとか......僕自身が航空会社で働いていますので、こういった冒険をお勧めする立場にはありませんが、「2時間前には空港に来い!」はいかにも大げさな気もします。というわけで、ベッドから飛び起きて、MKタクシーに電話。8時10分。タクシー到着。「関空までお願いします。」「何時の飛行機でございますか?」と運転手さん。「僕の航空機の出発時間を聞かれると、運転する気がなくなりますからお教えしませんが。急いではいますので、できる限り張り切って運転していただけますか?」「承知しました。ただ、およそのお時間をおっしゃっていただく方が.....」「今、8時12分ですので、チェックインの時間は12分過ぎました。」「ということは、ご出発は10時で?」「ええ、乗れなかったら、そのとき考えます。」「もしもし、関西空港のJTBさんですか?10時のタイ航空に乗る予定の坂田ですが、実はまだ京都にいます。今タクシーに乗ったところで、1分で名神高速に入ります。」「遅れられるかも?ですね。」「乗れないかも?ですが頑張ります。」「一時間を切ったら再度お電話いただけますか?こちらからもお電話したいので携帯の番号を教えていただけますか?」「はい」「お客様。旅慣れてられますなあ」「実は旅は僕の仕事なんですけど、こういうときに慌てても意味ないですし。なるようになると。慣れているというより性格ですかね。」9時。「もしもし、10時にタイ航空に乗る予定の坂田です。」「今どちらで?」「あと20分くらいのあたりの高速です。」「9時20分にこちらに間に合いますか。」「ええ、順調にいけば。」「乗っていただけるかどうかはタイ航空さんの判断ですので、掛け合ってきます。」「タイ航空さんには、乗れなかったら乗れなかったで諦めますとお伝えください。悪いのは僕ですので。ただ、そのときは善後策の相談に乗ってくれと言っといてください。」「お客様。ここから20分はきついと思いますが。」とMKさん。「きついですね。でもね、こういうときは相手方に、絶対にこの客は来るのでたとえ遅れてきてもなんとかしなければという段取りをつけておいてもらわないといけませんので。相手の方々が放棄されては元も子もないのでここは相手方に希望を持っていただく手が一番でしょう?」9時20分「ああもしもし。坂田です。」「今どこですか?」「目の前です。」「空港内ですか?」「向かいのりんくうタウンの手前ですので、あと10分で着きます。」「了解しました。着かれたら弊社のカウンターお待ちしています。」9時30分空港着。10時10分前搭乗。JTBさん、タイ航空さん感謝しています。10時20分。航空機はまだ離陸しません。「ただ今、最後のお客様のご搭乗をお待ちしております。」と機内放送。10時25分。最後の客3人がどたどたと到着。手には関空免税店の袋が!!!!!こういうお客のほうが「悪い」と思われません?????自分の買い物のために300人ちかい方を待たせてるのですからねえ。え?僕にそんなこと言う資格ない?申しわけありません。この項 続く
2007年01月05日
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