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前から感じていたのだけれど、某メーカーのAHAの石鹸が矢鱈溶ける。AHAの石鹸は溶けやすいらしいが、水切りの上に置いておいても溶ける。抜け殻のように中身が溶け出ているのを見つけた時は驚きを通り越し笑ってしまった。ぼったくられてる気がしてならないのでもう買うのはやめようと思う。
2009/06/15
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今日、「黄」という字を「糞」と読み間違えた。ひとしきり笑った後、思い切りへこんだ。
2009/05/22
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プリズンブレイクを見てからというもの、サザエさんでアナゴさんが登場すると、「極悪」、「殺気」、「恐怖」という言葉が、脳裏をよぎるのはオレだけではないはず。
2009/05/18
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日常という身近な世界の中にあるドラマの12編。12人の主人公の周りには家族があり家がある。今年、新しい家族の誕生と新居への入居を控えたオレには、それらが自分の未来の姿と重なってしまい、物語の世界へ容易に入り込んでしまった。しかしながら、それらは実際には自分の身には起きてほしくない出来事ばかりで、現実の出来事ではなく本の中の物語で良かったと心底思えた。だからといって全ての物語が辛く悲しい物語ということではなく、そこにはどこか温かさや優しさが見え隠れしている。読み終えてみるとどう形容していいものか、一言ではとても纏めることができない。思えば人の人生なんて簡単には形容することはできないのかも知れない。楽しい、悲しい、嬉しい、辛い、愛おしい、苦しい。オレの平凡な人生だって少なくともこのくらいの形容詞をあてはめることができる。この物語を読み、ただ一つ言えるのは、毎日、平凡に仕事に行き、家族の元に無事に帰ってこれることが、何よりも幸せなことなのだということ。そしてそのことに気が付けたことがこの本から得た一番の収穫だった。
2009/05/15
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「起死回生の新開発製品は、くっつかない接着剤だった」この紹介文を読んで以来、意味が分からず気になって気になって仕方なかった。図書館で何度か手に取ったものの蛭子さんが描いたような奇抜な表紙に尻込みをしていた。ここのところ立て続けに来ていた図書館で予約していた本も途切れたのでえいっと読んでみた。読んだ感想としては、まず、字が大きめであっさりしていて読みやすかった。内容的には、どちらかと言えば開発側のオレには営業の話は新鮮で面白かった。営業なんてものは作ったものをただ売るだけだと思っていたが少し見方が変わった。くっつかない接着剤の結末としてはオレが期待しすぎたせいか期待には答えてもらえなかったような気がする。しかしながら、発想の転換というのは大事だなと思った。何事も見方を変えれば良い方にも悪い方にも変わり得る。日本の景気低迷も政治不信も見方次第で良い方向に転がるのではないかと思う。前向きに生きることの必要性を前にも増して考えるようになったお話だった。
2009/01/22
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「九回裏二死満塁、出るかサヨナラ!」という感じのお話だった。この物語は、刑事や第三者の視点と、犯人の視点が交互に描かれている。しかも、刑事から見た事件の発覚が表の回とすると、犯人の実際の行動が裏の回として時間差で描かれていて、事件発生を読み、その真相を知りたいがためにどんどん読み進めてしまう。字の小さめな500ページ強の割にはいいペースで読むことができた。また、この物語は実際に起こった出来事が背景として描かれており、その時代にまだ生まれていなかったオレにも朧気ではあるがその頃の東京が見えてくる。今日の東京のインフラは東京オリンピックに向けて整備されたものが基盤となっている。計画通りに会場の整備を進めオリンピックを開催した日本はスケジュール管理の出来る近代国家というイメージを与えたという。しかしながら、その裏では日雇い労働者による人権無視の過酷な労働があったという。オレが普段使っている地下鉄も道路のアスファルトもそういう人達の血と汗がしみ込んでいるということを知った。内容としては、前半は「如何にして島崎国男は爆弾魔に成りえたか。」を追いかけ、後半は逃亡と身代金受け渡しのスリルを存分に味わうことができた。警察によって国民へは隠されたこの事件は実は現実にも起きていたのかも知れない。
2009/01/09
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『容疑者Xの献身』では、タイトルにある「献身」という言葉から容疑者Xの性格が読む前から印象付けられてしまいオレの思考に影響を与えてしまった。しかし『聖女の救済』では、「救済」という言葉が何を示しているのかまるでわからない。「聖女」が犯人のことを示しているだろうことは読む前から予測していたが、犯人が犯す「殺人」と「救済」という言葉がどうしてもつながらない。結果的に明かされた意味はオレとしては「なるほど~」となるような納得のいく内容で肩透かしを喰らうことなく楽しめた。「救済」のタネ明かしがされると冒頭のプロットで違和感を感じる部分が出てくる。それは「白い粉云々」の件で、そこに東野圭吾が仕掛けた罠があることに気付いた時にはちょっと感動してしまった。トリックについては普通じゃ考えられない実行不可能な方法を虚数解という言葉で表し、本の中でも「ありえない」と言ってしまうことで逆に正当化してしまうところが少しずるいような気がした。全体的には真柴綾音の謎具合が『百夜行』の雪穂のようで恐ろし面白かった。綾音の視点でのプロットが最初と最後以外一切ないことがそのように感じさせるのだと思う。ありえないような虚数解のトリックを実行してしまうあたりにも執念のようなものを感じる。不可能を可能にしてしまうパワーは文章上ではとてもじゃないが描けないのかもしれない。オレもそんな「救済」をされないように気を付けようと思った。
2008/12/30
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過去の事件により抱えている苦悩、今回の事件で抱くことになる苦悩、それら全てが「ガリレオの苦悩」。オレはガリレオシリーズを全ては読んでないのだけれど、これまでの作品では、湯川学も草薙俊平もおっさんだったはず。しかし本作では、湯川学は福山雅治で草薙俊平は北村一輝だった。これはオレの先入観の仕業なのか、それとも東野圭吾の方向転換なのか。どちらにしろドラマの影響ということなのだと思う。ドラマと言えば、納得いかない、とまではいかないが、疑問なことがある。ガリレオのドラマ化で特に強く感じたことなのだけれど、ドラマ化するとどうして男女の色恋沙汰が絡められてしまうのだろう。個人的には純粋なミステリドラマでも十分楽しめると思うのだけれど。月9なんかは特に「色恋沙汰を織り込むこと」という決まりでもあるのだろうか。なんだかんだでドラマは見たりもしたけど、月9仕様になってしまったのが少々残念だった。話は戻って、本筋のストーリーはというと、単純な事件解決の短編集ではなく、それぞれの短編が違った顔を持っており、バリエーションに富んだ内容だったと思う。タイトル通りガリレオの苦悩が滲み出ていた。内海薫が本作から登場はしたけれど、月9仕様とまではいっていなかったことが何より良かったと思う。たぶんその違いは、色恋沙汰の不自然さで、本作ではそれが感じられなかった。なにはともあれ、ドラマが融合された新生ガリレオも嫌いではないです…。
2008/12/25
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「人は知らないものにぶつかった時、まず何をするか?」「検索するんだよ」言われてみればオレも何かと検索をしている気がする。テレビで知らない有名人を見かけたら検索。本を読んで知らない言葉に出会ったら検索。仕事で何かわからないことがあったら検索。検索キーワードランキングで世の中の興味が分析できるように、一人のキーワードを分析すればその人間の興味が分析できる。興味というよりもその人の頭の中そのものが浮かび上がるかもしれない。そんなこととは露知らず、オレは脳みそを少しずつネットワークに垂れ流していた。この本を読んでから、少し検索ボタンを押す前に躊躇うようになった。この本でもいくつか出てきた知らない言葉を検索したりもしたが、「播磨崎中学校」、「安藤商会」、「個人カウンセリング」という3つのキーワードは興味本位で検索したい衝動にかられたけど結局検索できなかった。兎面の男が現れたりしたら嫌だからね。爪を剥がされたりしたら痛いからね。人間がシステムの一部として機能している世界。チャップリンの映画であるモダンタイムスがタイトルとなっているように、きっとこの本ではそれをテーマとしているのだと思う。一方で、人間はもっと小さな目的のために生きていて、それでいいと言っている。この二つの考えが似ているようで相反していてなんだか不思議な感じがした。それとともに「小さな目的でいいのか。」というよくわからない安心感も心のどこかに存在していた。オレみたいな人間は、大きな目的を目の前にしてしまうと何からこなせばいいかわからなくなってしまうのだから。
2008/12/19
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宴の始末をどう付けてくれるのか。訳のわからない謎でとっちらかった宴をどう始末してくれるのか。何よりオレの憑き物をどう落してくれるのか。京極堂の言葉を求め、宴の支度に続き宴の始末を読んだ。宴の支度でべったりと憑き物が憑いてしまったせいか、その落されっぷりとすっきり具合はシリーズ随一だったのではないかと思う。たまに出てくる語り手のわからないプロットはあの人だったのだと納得がいった。ひとつだけ落ちなかったことと言えば、あの人が中国で何をしてきたのかということ。きっと今後の話で語られるのだと思うけれど。このシリーズは、続編といえば続編だが、物語が互いに干渉し合いどんどん太くなる。それはもう木の年輪の如しである。現在出ているシリーズの中ではたぶん『塗仏の宴』が一番長い話であり、そういう意味では山は越えたので、『陰摩羅鬼の瑕』はすぐにでも着手したいと思う。堂島静軒の「自然界に存在し得ない音を聴き、 自然界に存在し得ない色を視て、 自然界に存在し得ない物を食って、 その後で人がどうなるか。 遠からず子は親を殺し親は子を食う世の中になるぞ。」という言葉にはなんだか寒気がした。その言葉の指す未来への直線状に現在の世界が存在する気がしてならない。
2008/11/26
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「世の中には不思議でないものなどないのです。」宴の支度では、文字通り支度のみで謎は一切明らかにされない。頑なに支度に徹するその姿勢は逆に気持ちがいいほど。これを読むときっと塗仏による憑き物が憑いてしまうのだと思う。京極堂の憑き物落としを欲するかの如く宴の始末を読みたくなってしまう。物語の全般に渡って登場する催眠術は登場人物を操るだけでなく、読み手の真偽を判定する力をも奪い、とにかく解らなくする。その、何もかもがあやふやでわからなくなる様が、宴なのかもしれない。上中下の三冊を読み終える頃にはオレの頭の中の宴の支度はバッチリ整っていた。
2008/11/26
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続きものだと知らずに読んだ魔都委員会篇で、その簡潔しなさに若干嫌気がさしたものの、不死王篇へ向けて張り巡らされた伏線が気になってしまい、結局手に取ってしまった。魔都委員会篇よりもページ数にすれば薄かったものの完結していたし不死王の存在もそのありえなさがなかなか面白く楽しめた。
2008/09/15
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このシリーズも8作目。今回の春夏秋冬のお話は、非正規雇用とケータイと格差社会の四篇。タイトルにもなっている非正規レジスタンスは内容的にはグッド○ィルの話だった。オレも学生時代に派遣のバイトをしていたことがあるのでその内情には少しばかり驚いた。実家暮らしで小遣い稼ぎ程度でバイトしていたオレは幸せ者だったのだと今更ながら気がついた。ネットカフェ難民なるものがいることはニュースでも聞いたことがあったけれど、実際、町を闊歩するオレのすぐそばにそういう人間がいるということは考えたこともなかった。透明な難民という表現がリアルで恐ろしく聞こえた。オレを含め人は他人と比較することで幸せを実感する。そういう人間が格差社会を作り出しているのではないかと思う。もちろんオレもどちらかと言えば底辺側の人間だという自覚はある。ケータイについてはオレも少し思うことがある。通勤電車内で、ふと座席に座っている人に目をやると半分くらいの人がケータイを眺めている。何をしているのかは知らないが、今はテレビ、ゲーム、音楽と、ケータイさえあれば時間を持て余すことはない。人が集まってくる都会では、個人のスペースはそれに反比例するように狭くなっていく。一世帯分の土地は二世帯、三世帯の建売住宅として再生され、日々の通勤電車の乗車率は100%を超えた数字が当たり前となっている。人間は物理的に失われたスペースを補うために全てをケータイに押し込めてしまったのだろう。自分のお気に入りのCDを押し込め、思い出の写真を押し込め、ついにはテレビをも押し込めた。オレにはそれが良いことなのか悪いことなのかはよくわからないけれど、自分が押し込まれてしまわないように気を付けようとは思っている。随分と脱線してみたけれど、池袋ウエストゲートパークとしては、今回はノンフィクションに限りなく近いフィクションのようで味気なかった気もしないでもない。非正規レジスタンスなどは特にグッド○ィルの話を延々聞かされているようだった。とは言ってみたものの相変わらずこのシリーズは好きなんだけれどね。
2008/09/04
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「こい ヒキタクニオ」って表紙に書いてあるように見える。まぁ、そんな戯言はさておき。物語は、オヤジ、父、パパ、夫と、呼び方は違えど“男”を描いた短編集。舞台は神楽坂にある湯屋「花鳥風月」。毎月変わる薬湯、振る舞われる料理が何とも魅力的で訪ねてみたくなってしまう。本の帯のコメントによると、この本は、父親像を描いた小説とのことだった。しかしながら、年齢的に言えばどちらかというと父親側のオレが見たものは、自分がなるべき父親像というよりは、息子側からみた父親像だった。それは、オレの、いずれは人の親になるという自覚が足りないのかも知れないし、回想と思い出話で語られる父親像は、当然過去のものであり、当たり前なのかも知れない。読み進めるうちに、オレの頭の中では「温故知新」という言葉が浮かんだ。故き父親像を温ねて、新しき父親像を知る。時代は移り変わり、それと共に父親というものも形を変えていく。古い父親像の型を、現代の父親に当て嵌めたところで、時代という大きな力には抗えず、父親は型どおりには仕上がらないと思う。それでも部分的に不変の理想像は存在していて、いつの時代の父親像にも共通の何かがあるのだと思う。とは言ったものの、この本を読み終わっても、その何かを掴むことは出来なかった。それは一冊の本を読んだくらいで極められるようなものではなく、自らの経験を通して身についていくものなのだろう。それでも「上を向いて歩こう」で語られる父親像を疑似体験できたことは、これからの父親としての経験を積み上げていく上で予習的な蓄えにはなったと思う。文中に出てくる「はまらなくていいけど、何にでも興味を持て」という言葉に惹かれた。そこにはヒキタ氏の小説でひけらかされる知識の源があるような気がしたから。オレは編集者ではないけれど、その言葉の意味を大事にしたいと思った。
2008/08/22
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伊右衛門は何を嗤うのか。なぜ「嗤う」なのか。四谷怪談が原作となっているという背景からオレは伊右衛門の裏の顔を想像した。人知れず妻である岩を殺めた伊右衛門。それにより民谷家を我が物とした伊右衛門。伊右衛門の普段の生真面目ぶりを知る人々は伊右衛門を全く疑わない。そして企みを成就させたことで嘲り嗤う伊右衛門。読み進めていてもそんな伊右衛門の裏の顔は一向に覗かないのだけれど、いつそんな伊右衛門の顔が出てくるのかとハラハラしてしまう。いつ伊右衛門は嗤うのかとドキドキしてしまう。文章には表れない勝手な想像で怖さを感じた。それこそ京極マジックにしてやられたのではないかと思う。結局、伊右衛門が嗤ったのは、岩でも、岩を殺害したことを欺いた人々でもなかった。伊右衛門は岩“を”ではなく、岩“のために”嗤ったのだと思った。夏に似合いの肝を冷やすような怪談話ではなかったけれど、時代が故の悲劇の物語は読み終えてその結末に涼しいものを感じた。岩の怨念などを、簡単に幽霊だとかお化けという言葉で片付けないところに、「この世に不思議なことなど何もないのだよ」という京極堂の言葉が、ふと過ったのはオレだけではないと思う。
2008/08/17
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ヘビーリクエスト状態だったオレの図書館予約リストもここのところ尽きかけてきたので、新たな作家へと手を伸ばすべく図書館を物色した。図書館にある本=借りられていない本と考えると、新たに手を伸ばす作家のワーストの本を引いてしまうのではないかという懸念もあったけど、結果として残りものにしては結構楽しめた気がする。何度か名前を耳にしたことのある作家、タイトルに通勤で通っている町の名前が入っている、文庫本で通勤時でも読みやすい、というような理由により、大沢在昌の「六本木聖者伝説 魔都委員会篇」を読んでみた。オレは結構本を表紙の雰囲気で判断してしまっていて、正直、古めかしい感じのこの本の表紙に入り込めるか心配だったけれど、後半になると先が気になり、やめられなくなってしまっていた。クライシスの手に汗握る攻防には猛暑の暑さも手伝って汗だくになってしまった。しかしながら結末が次回作につなぐための伏線だらけで、少しばかり萎えた。次回作があるのは構わないけど、魔都委員会篇は魔都委員会篇で完結してほしかった。初めから、「上下巻の上巻ですよ」と言ってくれていればオレの気持も変わっていただろうに。残念…。
2008/08/07
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クライマーズ・ハイ。何年か前に本のランキングか何かで見たのか、このタイトルだけは頭の片隅にあった。登山中の極限を超えた興奮状態を表すこの言葉自体が結構話題になっていた記憶もある。しかしながら、本の内容については全く知らず、つい最近、日航機墜落事故についての内容だということを知り、手に取った。オレが幼いころに起こった戦後最大の航空機事故を知ろうと読んでみたけれど、その事故の凄まじさはもちろんのこと、その他にも考えることはあった。衝立岩について。一ノ倉沢には2度ばかり訪れる機会があり、アホ面をして下から眺めたことがある。そこに衝立岩という、ときに登山家の命を奪うほどの岩があるとも知らずに。自分が登山することを考えてみる。庇のような岩を文字通り命を賭けて登っていく。オレは登山家には一生ならないだろうと思った。クライマーズ・ハイの意味。終盤の方でこの言葉は、本来の意味とは違う意味で使われる。オレにとっては団塊の世代のお父さんというイメージ。今の社会とは違い、生涯一企業という考えが当たり前であった時代。本来の意味のクライマーズ・ハイには、登山中に麻痺した恐怖心が解き放たれた時の恐ろしさが裏に潜んでいる。この本で置き換えられたクライマーズ・ハイでは、解放された恐怖心は何を意味するのだろう。きっと働くお父さんも命賭けということなのだと思う。なんだかこの本には、表向きのテーマとはまた別にテーマが潜んでいて、それは読む人によって微妙に形を変えているように思えた。オレが感じたのは、登りきることももちろん大切だとは思うけれど、ときには下りるという選択も必要なのだということ。
2008/07/26
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まんまとしてやられた感じだった。オレの想像していた展開とは全く違う、あらぬ方向に行ってしまったが、その騙されっぷりはむしろ気持ちがいいくらいだった。前半に張り巡らされた伏線を、その結末と繋げていく作業が、土に埋もれた化石を発掘するような心地よさだった。オレとしては中盤に出てくる、ソムリエナイフが犯人に牙を向くのではないかと思っていた。しかしそんな予想は全くの的外れで、ソムリエナイフは中盤で出たっきりだった。もしかすると東野圭吾の罠にはまってしまったのかもしれない。全体的には淡々と復讐劇が進められていく感じだのだけど、最後の数行でグッと涙がこみ上げてしまった。戸神行成の言葉に終わりを目前にして気が緩んでいたせいもあり、危うく涙してしまいそうになった。絆って素敵ですね。
2008/07/04
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沖縄の本土復帰を目前にした時代の物語。沖縄出身の母が子供の頃、B52墜落などの事故が絶えなかったということを聞いたことがある。そんな母が暮らしていた町と、この物語の舞台は、隣り合わせになっている。現実の歴史に沿って進む物語も相まって、パラレルワールドに来たような感覚に陥った。物語は憎しみに満ち溢れていたが、『不夜城』や『生誕祭』のような不快感はなかった。尚友にとっては理解しがたいという、うちなーんちゅの怒らない姿勢が中和剤となっていたのではないかと思う。尚友はうちなーんちゅはもっと怒るべきだと言っていたけれど、それは怒らないといううちなーんちゅの強さだともオレは思う。今の沖縄の底抜けなまでの陽気さには、そんな強さが土台になっているのだと感じた。パラレルワールドを生きた尚友も、結局は沖縄の歴史を変えることは出来なかった。自分の生み出した憎しみに潰された格好となった。憎しみはきっと何も生まないのだと思う。大事なのはそれと対極に位置するものなのだと思う。そんな憎しみの対極にあるような沖縄に、いつかは弥勒世が訪れることを願いたい。
2008/06/27
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兄弟がいて、そして弟のオレにとっては痛い話だった。剛志が罪を犯してしまう場面を兄に置き換えて読んだだけで、何とも言えないやり切れなさに襲われた。また、そんなことを考えながらも、人間は加害者側か被害者側かでこんなにも考えが変わってしまうのだと、その身勝手さに寒気を覚えた。この本を読んで(加害者の弟になることで)わかったのは、犯罪を犯してしまうと自分自身が罪を償うだけでは済まされないということ。犯罪者の親族というレッテルを周りの人間が張られるという罰があること。後悔先に立たずとはよく言うけれど、妄想の世界での後悔ならいくらでもすることが出来る。雨の少ない爽やかな風が吹く今年の梅雨は読書をするには持って来いだと思う。そんな気候も相まって沢山の本を読んで沢山の人生を歩んでやろうという意気込みを再確認した。読書の空梅雨の夜に…。
2008/06/14
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8つの短編を通じて描かれる終末の物語。数年後に地球に小惑星が落ちてくるという終末。"しゅうまつ"という言葉の響きがどうも重みを伴わない気がする。フールという単語と並べて使われているせいもあるかもしれないけれど、一週間の終りの方の週末というイメージが強いからなのだと思う。週末がきても必ず月曜がやってくるように、終わらない、という雰囲気がその言葉からは感じられる。そんなオレのイメージとこの本のイメージは近いものがあったと思う。そういう先入観を持ってオレが読んだからなのかもしれないし、それこそ伊坂幸太郎の思うつぼなのかもしれない。どこか温かな、それでいて強く訴える何かが見え隠れする物語は週末の夕暮れどきのようだった。すべての短編のタイトルは「何とかの○ール」というように語呂が合わされている。全部うまいことこじつけられているのだけれど、「天体のヨール」だけは、その無理やり感に帰りの電車で軽く吹き出してしまった。ヨール、ヨールって…。
2008/06/09
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こんなに点をはげ散らかしちゃってちゃんと線で結べるんだろうね。本を読んでいて2、3回心の中で呟いた。そのくらいどこに当てはめてよいのかわからないパズルのピースが散乱される。パズルが完成してもひとつくらいあまるピースが実はあるんじゃないかと思ってしまうほど。しかし、結末としては非科学的な要素が多少含まれているもきれいに線が繋がった。その非科学的要素に関しても自分としては納得いくカタチに解釈できたので、もうすっきりである。事故という言葉には、故意ではなく起こってしまったこと、予期せずに起きてしまったこと、というような、どこか「しょうがない」というようなニュアンスがある。被害者にしてみればそんな言葉で片付けられるのが納得いくわけもなく、事故という言葉のもとで法的な償いを行ったからといって、加害者を許すことは難しいのだと思う。死に際に、故意では無いにしても自分を死に追いやった人間を目の当たりにする。相手を憎まずに、これは事故なんだとやすらかに成仏することが出来るだろうか。無理だろう。きっとオレも岸中美菜絵と同じようなことを想うのだと思う。そして、そんな被害者の想いをぶつけられた加害者となってみれば、何を想うだろう。それも意図せずに直接的な加害者となってしまったら…。これは、大きな罪の意識と小さな責任転嫁の心が引き起こした出来事なのだと思う。
2008/05/29
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バレエを基にした、チタニウムの盤面上で行われる採点競技、ペルフェクション。2060年、その頂点に立つのは武任。老いと世代交代をテーマにした物語。(と思う。)ヒキタクニオ氏の本ではストイックという言葉を体現するような人物がしばしば登場する。精神と肉体を極限まで苛め上げ、究極の美を追及する武任はまさにそれで、ペルフェクションのミスターストイックと言ってもいいほど。大会までの武任とその周りのチームタケトウに本を読むことで密着していると、実際にペルフェクションを観戦してみたくなる。今まであまりオリンピックとかに入れ込んだような記憶はないのだけれど、裏から密着して観るとオリンピックもさらに楽しくなるんじゃないかと思った。ヒキタクニオ氏の本は意味が分からないほどマニアックでスペシャルな言葉が出てくるようなところが好きです…。
2008/05/24
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幼い子供が公園の片隅でアリを踏んづけようと一生懸命足を踏み下ろす。なかなか命中しなくて何度も何度も踏み下ろす。アリはなんとか踏まれまいと逃げ回る。巨大な足が目の前に現れるたびに右へ左へ後ろへ前へと逃げ回る。このお話は、そんな不運にも幼児に選ばれてしまったアリのお話。前半で、第三者的視点から見た事件と未来から見た事件を描くことで事件を過去のものとしてしまうところはうまいと思った。謎は解けないから面白い、という言葉を聞いたことがあるけど、過去の事件は未来の人間から見れば永遠に解き明かせない謎そのものなのだと思う。そんな謎が中盤からは張本人の視点で語られるのだから堪らない。暗殺という言葉に、不謹慎にもわくわく感を持ってこの本を読み始めたが、そんな気持ちを持ってしまうのはきっとオレだけではないのだと思う。ケネディ大統領暗殺事件が40年以上経った今でもさまざまな説で語り継がれ、ゴールデンスランバーのような本が出版されるということが何よりの証拠と言えるのではないか。保土ヶ谷のおじさんが何者なのか、と、濡れ衣の第一候補が誰だったのかが気になった。話が広がるのかと思いきや、そのまま終わってしまったもんだから、なんだか魚の骨が喉に引っかかったような感じは多少あった。期待を裏切らないおもしろさではあったけれど。
2008/05/14
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別々の日常から発生した3つの台風が次第に勢力を増し、やがてお互いが干渉しあい、それはもう大変なことにっ。という感じのお話。ひとが犯罪に手を染めていく過程がじりじりと描かれていて、その境界がどこにあるのかということと、自分とその境界の距離を考え少し怖くなった。「こうすればいいのに」とか「こうしたらこうなるのか」ということを考えながら読んでいると、なんだか問題解決能力が高められていくような気がしてくる。ヴァーチャル修羅場を潜り抜けたオレは、少しだけ打たれ強くなったかも知れない。たぶん気のせいではあるけれど…。
2008/04/25
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ヒキタクニオの『負の紋章』でこの本の「死刑」の話が引用されていたので気になり読んでみた。「死刑」の中の世界では罪を犯せば死刑になるのは当たり前で、どういう風に死ぬのかが裁判で争われる。判決として決まった死刑はテレビで放映される。食堂のテレビで放映される野球のデイゲームの如く垂れ流される。犯罪を犯せば即死刑という法律よりもその残酷な世の中に恐ろしさを感じた。全体的にはエロティックな世にも奇妙な物語という感じだった。そんな奇妙な現実離れした世界が、現実の世界で疲れた人々の癒しになりそうな気がしないでもなかった。
2008/04/10
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10億円を狙って繰り広げられる争奪戦のお話。ガイ・リッチーが描きそうな、手に汗握る10億円を巡る展開はもちろん楽しめたが、何より登場人物の描写が滑稽で憎たらしくておもしろかった。3つの章は、それぞれヨコケン、ミタゾウ、クロチェの視点で描かれていたが、それぞれの視点によりキャラの印象ががらりと変わる。一番おもしろかったのはヨコケンの描かれ方。ヨコケン視点の第一章では、オレにとってはヨコケンは年齢は合わないが佐藤浩市が演じていた。それが、第二章ではミタゾウ視点でクロチェに恋い焦がれる姿が滑稽に描かれ、佐藤浩市ではなくなってしまった。オレの佐藤浩市は切なそうな目でクロチェのうなじを盗み見たりはしない。犯罪の話なのに読み終えてこんなにすがすがしいのは、狙われていた10億円が美術詐欺のアガリだったということと、10億円という大金の争奪戦にも関わらず死傷者がでていないからだと思う。(オレの記憶が正しければ…。もしでてたらごめんなさい。)今考えても憎たらしいキャラは沢山いても、憎むべきキャラは一人もいない。なんだか愛おしくすら思えてくる。こんなに爽やかなクライムノベルがあっていいのだろうか…。その答えは、面白かったのだからあっていいのだと思うと言うしかない。
2008/03/28
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上野と御徒町を結ぶアメ横を守るガーディアンのお話。アポロたちの守る街で起こる事件は、小説の中で起こる事件にしては1冊の何分の1かで解決するほど簡潔で、ページ数にするととても薄い事件だった。そういうところがかえって現実的に感じられたが、運良くすんなり解決しすぎな感じもあった。最初と最後の話で語られた増井青年の死には考えさせられてしまった。青年の死にどんな秘密が隠されているかと思えば、一冊の小説としては成り立たないほどあっけないものだったからだ。人間は簡単に消えてしまい、残された人間は簡単に人生をひっくり返されてしまう。この事件とは違っても、現実にそういう簡単な死が身の周りで起こっているということが最近のニュースを見ていればよくわかる。平和と言われた日本も平和すぎてとうとうひっくり返ってしまったのかもしれない。何はともあれ、嘘か誠かガーディアンの舞台裏に潜入することができたのは面白くはあったです。
2008/03/22
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事件の中心にいた犯人である蜘蛛と京極堂の対峙から始まる物語。蜘蛛の仕掛けた巣があまりにも大きすぎてオレには全ての理がのみ込めなかった。オレにとっては蜘蛛は犯人であり京極夏彦だった。事件はツリー構造で出来ていて、同じ階層どうしはところどころ重なっており、天辺には蜘蛛が居た。ツリーのいち要素でしかない登場人物はそれぞれの常識に囚われ、それを元に蜘蛛に操られた。本当にそんなことが出来るのだろうか。それこそオレにとっては詭弁でしかなかった。過去のシリーズの全ての事件と関わりのある今回の話は詭弁の集大成だった。
2008/03/08
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日常を奪われ復讐を心に誓ったお父さんのお話。金城一紀の『フライ,ダディ,フライ』や東野圭吾の『さまよう刃』を彷彿とさせた。設定や材料は似ているのに書く人が違うとこれだけ違うのだということに驚いた。ヒキタクニオの復讐譚は、描写が細かくてリアルでグロテスクでマニアックだった。類似設定の3編を読んでもお父さん達の心中は察しきれない。何度読んでも慣れない展開と出来事。絶対に行きたくない世界。引用されていたリリーフランキーの『ボロボロになった人へ』の死刑が当たり前となった未来の話。犯罪が一般化してしまった現代では、今の刑罰ではもう抑えきれないのかもしれない。罪を憎んで人を憎まずとは言うけれど、罪を憎むレベルをもっと上げるべきなのだろう。オレも鼻呼吸の人間にはならないように気をつけようと思った。
2008/03/07
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小学生の頃、担任の先生の放課後の姿など想像したこともなかった。授業中は教壇に立ち、昼は教室で給食を食べているのが先生だった。そんなオレの知らない先生の姿がこの小説には描かれていた。子供の頃は、先生という自分とは全く違う絶対的な存在と思っていた人間も、実は普通の人間なのだという。今まで見たこともない、これからも経験することがないであろう先生の世界を体験することができた。ひと昔の子供とは違い、今の子供は…、ということが世間では言われているけど、根本的な部分ではほとんど変わっていないのだとリョウタ先生は言っていた。石田氏の本では世界は3割増しくらいで美化されて描かれている気がするので話半分で受け止めはしたけれど、今の子供事情を知らないオレにとっては朗報で、思ったほど未来は暗くないのかもしれないと思った。自らのことを優秀とは思っていないのに周りから認められるリョウタ先生や、池袋ウエストゲートパークのマコトのようなキャラに嫉妬してしまうのはオレだけだろうか。
2008/02/29
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オレの現実の中ではありえない話ではあったけれどそれほど現実から逸脱したような話には感じなかった。前半を読んでいるとどういう方向に話が進んでいくのかは見えにくく想像をたくましくしていたが、オレのミステリ小説的な展開の想像が現実離れしすぎていたようだった。宮部さんの本は前よりもましてリアリティーが高まっているように感じる。この物語では、報道されるテレビの上だけでの現実(事件)を、フリーライターの前畑滋子が裏から掘り下げて行くことで、被害者、加害者、その周りの人間の感情が語られ、現実世界のニュースよりもリアリティーを感じた。楽園とは、理想であり妄想という解釈でよかったのだろうか…。
2008/01/19
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不倫の相手は時効目前の殺人事件の容疑者、というお話。曲がりなりにも既婚者であるオレには、なんだか申し訳なさでいっぱいになってしまう話だった。読んでいる間、常に変な汗が滲み出ていた。この物語は、「殺人事件の真相」と「不倫の結末」という二重のストーリーが絡み合っていてなかなか読みごたえがあった。結婚1年目のオレとしては「不倫」の話に比重の重きが置かれているように思えて仕方なかった。最後にはこれが小説の中の話で良かったと心底思えた。新婚さんはぜひこの本を読んで自分の志を確認してみてください。
2007/12/22
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禅寺の中で繰り広げられる連続殺人事件の謎は、異世界で繰り広げられる物語のようで謎が謎を呼び、謎が解けてもその動機が謎であり、なんだかもやもやしたお話だった。ほぼ全ての場面が箱根の山中で展開される長い長いこの物語を読んでいると、読んでいるこっちも檻の中に閉じ込められたような感覚に陥る。修行を積んだことのないオレには禅での悟りというものがおよそ理解できなかった。言葉に表せない悟りというものがなんだか嘘くさくてしかたなかった。こんなオレはきっと一生悟ることなのないのだと思う。
2007/12/14
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家にまつわる短編集。奥田さんの本は日常を滑稽に描くのが凄く上手いと思う。小説にはいろいろな人間が出てくるけど、小説に描かれる小説家には著者の人物像が反映されているような気がしてならない。「妻と玄米御飯」で出てきた作家がまさに奥田さんと思えて、滑稽さをうりにした作風というのが、「あぁ~」と納得してしまった。オレみたいなもんが書けばつまらない作文にしかならない日常の出来事でも奥田さんが描けば面白い話になりそうな気がしてならない。さすがプロですね。
2007/11/04
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パズルの絵柄当てクイズ。パズルが徐々に埋められていくのに、いくつかの要のピースが埋まらないため、全体の絵柄がさっぱり見えてこない。最後に京極堂がそのピースを埋めて、全ての絵柄が明らかになってすっきりといったお話。朱美の謎の記憶については結構早い段階でわかったけど、それが事件とどう繋がっているのかはさっぱりわからなかった。毎度ながら京極堂の話は長く、なかなか本質に辿りつかない。周りをじわじわと埋めていき、それでも全体像はわからないようにして、最後の1ピースでそれを明らかにする。その衝撃が憑き物を落としているのだと思う。オレのすっきりは、イコール憑き物が落とされたということなのかも知れない。分厚い本は読むのになかなか気力が要った。次作の『鉄鼠の檻』は近所の図書館に分冊文庫版があるようなので、今度は薄い文庫本で読みたいと思う。
2007/10/18
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ネットおかまとネットおなべのお話。この本では、はるか昔からスペードはハートでハートはスペードだったと言っている。オレもいくつのころからか薄々そんな気がしていた。大学生の頃、友人に女々しいと罵られた記憶がある。そんなこともあったが、それだけが理由というわけではなく朧げに思っていた。現代の男は女性化しているとか、女は強くなったとか言われているけど、変わったのは男性像や女性像であって、実像は変わっていないのではないかと思う。男は確固たる男性像の上で虚勢を張って胡坐をかき、女に3歩後ろを歩かせることで実像をぼやかしてきたのではないかと思う。そんな2種類のフィルターを透してしか人を見れなかったのが古き良き時代。何に対しても細分化や分類分けが行われ、虚像は限りなく実像に近づき、情報過多のネットワークに男性の実像が流出してしまったのが現代。きっとそのぐらいのことなんだと思う。なんにしろ、昔から女性的な男性は確実にいたという証拠がある。いつの時代からかは知らないけれど少なくともオレが物心ついたころには国語辞典に既に「女々しい」という言葉があったのが、その動かぬ証拠だと思う。話は戻って本のお話的には、最終的にネットの世界で終わらなくて良かったです。
2007/10/08
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引っ越した部屋に残されたノートのお話。何の予備知識も無くこの映画を見に行った。そのオレのスタンスときたらR-15指定の映画に駆り出された母親の如くだった。薄々は違うとわかっていたけど、タイトルからどうしても怖いイメージが払拭できなかった。デ○ノートっぽいところとかが。まぁ、そんな思いは微々たるものだったけど…。スタンス的に特に内容に期待はしていなかったので、自分の中で結末推理大会を開催しつつ楽しんだ。結果としては、結構すぐに結末がわかってしまったけど、後々考えると、わからせているのも演出のような気がして面白くなかった。けど一応自慢しておくと、答案用紙の裏紙に描かれた絵が最初に登場したシーンで、息吹先生をタカシが描くシーンが想像できた。あと、後半に出てきた「おなくなりました。」という言葉が気になってしかたがなかった。たぶん言葉として正しくなくて、さらに、それも勲さんの演出だと思うのだけど、『おなくなりました…おなくなりました…おなくなりました?』と頭の中をなかなか離れてくれず困った。真っ白な頭で気楽に見に行ったつもりが勲さんの演出に翻弄された映画だった。
2007/10/07
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一時期六本木ヒルズで仕事をしていたことのあるオレには衝撃的な内容だった。いろいろな本を読んでいると、「学生運動」の話がしばしば出てくる。オレの生まれる何年か前に終わったその運動は、オレにとっては小説の中だけでの話でしかない。(少なくともオレの周りの現実では…。)どれだけ本を読んでも、それが現実に起こっていたことだと思えない。少しずつ変わりゆく世の中で気付かずにいたけど、オレが生まれてから今までの間でも世界は目まぐるしく変わっていたのだと改めて思った。
2007/10/05
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電車で向かいに座った男が持っていた匣(はこ)、「穢れ封じ御筥様」の信仰する筥(はこ)、箱のような屈強な体格の木場修太郎、沢山の“はこ”が出てきて、「さて、魍魎の匣とはいったいどれでしょう。」という感じだった。複数の事件が絡み合ってはいるが、つながりがあやふやでなかなか見えてこない。解決に向かう場面での京極堂の話が長い。単刀直入という表現とは程遠い、本質になかなか辿りつかない京極堂の話にイラっときたのは関口巽やオレだけじゃないはず。そう言いながらも次作の「狂骨の夢」を図書館に借りに行ってしまうオレがいた。
2007/09/14
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麻布十番の人混みの中を、歩いているのか歩かされているのかわからないくらいの速度で歩いていると、自分が回遊魚になった気がしてくる。餌を求め、群れを成してひたすらに泳いでいく。今年も麻布十番納涼祭に行って来た。人混みが嫌いな割りに今年で三年連続という記録を更新した。暗黙のうちに毎年恒例ということになっているようで少しばかりため息が出る。それでも働き出して、海にも行かない、山にも行かない、というオレには、気温以外で夏を感じられる唯一のイベントとも言えるので、これを無くすのは結構寂しかったりもする。そう考えると一年に一度くらいは、思い切り人人人の大海原を泳ぎ回るのも悪くない気がする。毎年ほぼ同じルートで周っているので来年は違うルートを模索したい。というか、模索することになりそう…。
2007/08/26
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Mr.マリックのどんなに不思議な超魔術も仕掛けを知ってしまえば、「そんなもんか」ってなってしまう感じに似ていると思う。京極堂が言うように不思議なことなど何もなかった。とは言っても、トリックや結末に不満があるわけではなく、タネを知ったら知ったでそれなりの充実感はあった。それにしても、あの密室トリックは凄いと思う。まさに人間の盲点を衝いたトリックだった。今後どれだけミステリーを読んでいってもこんなトリックには出会える気がしない。何はともあれ個人的には、あの分厚い本を読みきったというだけでも充実感はしこたまだった。
2007/08/25
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麻薬のような本だった。ドラッグなんかに手を出したことは生まれてこの方一度も無いけれど、ドラッグが与える身体への作用とはこんな感じなんだろうなと、わかった気がした。金とドラッグとセックスにじりじりと侵されていく彰洋を見ていると、感情の洪水に飲み込まれ、自分まで朦朧としていくような錯覚に陥った。後半の「ババ抜き」には、惹き付けられ強い依存性も発揮し、少し心に負担を感じたものの、最後まで一気に読みきった。『不夜城』での歌舞伎町の抗争といい、『生誕祭』でのバブルの金の奔流といい、少し辛くなってきたので馳星周は少しお休みしようと思う…。またいつか。
2007/08/13
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中学でジャンプを卒業し、それ以来「こち亀」はご無沙汰していた。それでもこの本を読んだら、両さんの姿がありありと浮かんできた。漫画の内容を熟知していた方が楽しめるところも多々あったけど、オレぐらいの浅い知識でも小説として充分楽しめる内容だった。この本を読んで得た一番の収穫は、沢山の推理作家と出会えたところ。京極夏彦の分厚い本は、本屋で見かけてもなかなか手に取る気にはなれなかったけど、この本を読んで読んでみようという気になった。「新宿鮫」シリーズというのは知っていたけど、それを大沢在昌が書いていることは知らなかった。大沢有昌の本も今度読んでみようと思う。こういうコラボものがもっと出ると面白いと思う。
2007/08/02
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夏が来れば思い出す。自由研究、読書感想文、に追われた日々。無謀にも「あとがき」のみで読書感想文に挑んでいたオレも、今では自ら進んで図書館に通って、本を読み漁っている。このシリーズは、発売をチェックして、必ず図書館で予約するようにしている。一度読んだものでも、文庫はいくつか買っていて、持っていないものは買おうかとも思っている。今回の春夏秋冬の4編は、格差社会の底辺がテーマのように思われた。現実の格差社会を報じるニュースよりも、フィクションのこの本のほうに現実味を感じるオレは、ずれているのだろうか。ニュースや新聞では伝えられない現実が沢山あり、ニュースや新聞では伝え切れていないのだと思う。この世界では、人間が最も知るべき情報がなかなか伝達されない。津波のように押し寄せてくるのは、どうでもいいものや、実は知らないほうが良いもので占められる。氾濫している情報のほとんどは人間の煩悩に分類できるものなんじゃないかと思う。情報過多のこのご時世、除夜の鐘だって108つでは賄いきれない。内容の話をすると、やっぱりこのシリーズは面白い。読みやすい。欲を言うと、「Gボーイズ冬戦争」は量的にもっと長くても面白くなったんじゃないかと思う。オレには展開の速さにもったいなさを感じた。そんなオレの感想も、また煩悩。
2007/07/25
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読んでいてここまでイライラする本も珍しい。前半は「自分だったらこんなことはしない」という苛立ちと、後半は「自分ならこんなことは決してできない」という悲しさだった。この本のようなオチを、いつだか2時間ドラマで見たような記憶がある。高齢化社会に向け、サスペンスのオチの定石というものが移り変わってきたのだろうか。Gボーイズを名乗る窃盗団が現れたように、映画や本を模倣した犯罪として、この本のオチのような事件がいずれは起きるんじゃないかと本気で考える。人間は過ちを犯してみないと気が付かないというところがあると思う。オレは『赤い指』の世界で主人公となり、誤った選択と、人としてやってはいけない事をやった。読み終えて思うのはこれが現実ではなくて良かったということ。これを現実にしてはいけないということ。それだけだった。
2007/07/23
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登場人物の名前の読み方を覚えるのにとにかく苦労した本。東京という自分の住む都市での大量の人の死に、重たいものを感じたが、展開に惹き付けられ、3冊を一気に読みきった。馳星周の本は初めて読んでみたけれど、違う本も読んでみようかと思う。
2007/07/19
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2007/06/15
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あなたは長年連れ添った女房からの毎日のように繰り返される小言を、または自分の後悔を押し付けるような親達の説教を、煙たく思ったり煩わしいと思ったことはないだろうか。身近な人間の繰言がどんな思いから発せられているのか、ホントの意味で理解できているだろうか。「灯台下暗し」とはよく言ったもので、人間も自分の周りは案外照らせていないことが多いと思う。どんなに想い合っていても一緒に居続けることが出来なかったり、大切にしたいという想いが相手にうまく伝えられない理由もそこにあるのではないかと思う。そんなときに少し考えて欲しいのが、もしもの出来事。「もしも自分が遠い異国の地で娘を殺められた白人の父親だったら。」「もしも自分の親が文字どおり通り魔的な通り魔によって不運にも選ばれた犠牲者だったら。」「もしも自分の夫が通勤電車の事故により突如として帰らぬ人となったら。」それでもあなたは身近な人間にぞんざいな口のきき方が出来るだろうか。中途半端な想像力しか持ち合わせていないオレのような人間には、そうでもしないと周りが見えなくなってしまうことがある。もしもの力は、何も身の周りにだけ作用するとは限らない。一人の人間が取り戻したその優しさは微々たる物だったとしても、その一人が世界中に居たとしたら、その優しさはどれほどの量になるだろう。断ち切る方法のわからない憎しみの連鎖を解く大きなパワーとなるかも知れない。もしもの力は小さな関係を修復するだけでなく、きっと世界を救うに違いない。
2007/04/25
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今日は、たまに利用している駅ビル地下の寿司屋に寿司を買いに行った。いつもの寿司を買おうとその寿司屋に行ってみると、売り場の半分くらいが巻物で埋まっていた。そして、いつも買っている寿司が見当たらず、よくよく見ると値札が裏返されていた。仕方がなかったので、オレの中でナンバー2の商店街の寿司屋に寿司を買いに行った。後から、周りのお店を見てみたら、どこもかしこも巻物だらけだった。節分は豆と決まっているのに、いつから東京はこんなになってしまったんだと驚いた。何処かの誰かが言うには、海苔業者の陰謀だとか、そうでもないとか。オレの中の天邪鬼が一生恵方巻を食べないことを心に誓った節分の夜だった。
2007/02/03
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