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tomorrow
続偏
新聞配達の自転車の音が、家の前を通過すると、鳥達の声がして、夜から朝へと変わって行く事を知る。
僕は日記帳の右半分に何を書こうかと迷って、朝を迎えた。
前略
ムラカミ様いつも日記をありがとう。
折入ってあなたにお話したい事があります。
今日の夕方、もしよろしければ、街のはずれにある喫茶店
ピノキオで待っていてくれませんか?
あなたのお家の呉服屋の、一本裏の商店街のはずれの喫茶店
です。
待ってます。よろしく。
順一
日記を鞄にしまうと、シャワーを浴びて、僕は朝のサッカーの練習に向かうのだった。
グラウンドのゴールマウスの後ろは、通学路だった為、いつも、ゴールポストの脇からボールを転がしてもらいゴールキーパー目掛けてシュートするのだった。ボールを転がして貰う待ち時間僕は、ムラカミと親友のミワが登校して来るのを、発見するのが楽しかった。二人は、小さく手を振ってくれるのだった。 つづく。
スローダウン(怖がる事は無いさ!) 03月19日(金)
後から考えると、何故僕はこんな事にこだわったのだろう?
こだわらなければ、みんなと楽しくやれたのに!
自分を捨てても構わないじゃない!君が幸せになれるなら!
言葉じゃ、色々ポーズとるけれど?
最後にゃオイラの意地がある!真っ赤なマグマの様にフツフツと、
心の底にドロドロと。裏と表のジキルとハイド!!
ドウショウカ、ヤッパリ、ショウブする?
彼女はミルクティー、僕はブラックコーヒーを頼みながら、
フト、窓の外に目をやる。深呼吸一つしてから、こう言った。
僕は君の事が好きで、切ないぐらい好きでこの思いを伝えたいと思った。
君が何を考え、君が僕の事をどう思っているのか?知りたい。
そして、出来る事なら、君の一番でいたい。と。
どうしたら、この思いがムラカミに伝わるのか、一生懸命、照れない様に順一はうつむきながら、小さな声で話すのだった。 つづく。
女と男の違い 03月21日(日)
僕はせっかちな性格なのかもしれない?会話はお互いのキャッチボールなのに、どちらかと云うと、自分が話す方が聞き手に回るより、好きだし、おしゃべりの方では無いが、何よりスッキリするような気がする。
今回も、ピノキオでまずは自分のムラカミに対する思いを、恥ずかしいながらも話した。彼女は、少してれながら、ありがとう。と言った。 順一君ありがとう。私みたいな子にもったいないよ。順一君の事もっと思っている子たくさんいるよ。だから、その時まで、とっておこうよ。その気持ち。
と云うと、ムラカミは明るく笑った。
実は、私からも話があったんだ。とムラカミな飲みかけのミルクティーをスプーンでゆっくりとかき回しながら話始めた。
実は学校では、誰にも言って無いのだけれど、私の家の呉服屋が、父の都合で商店街から、引越しをする事が決まったの。同じ市内で、ここからは近いのだけれど、残念ながら学校は転校しなければならないの。ムラカミは小さな声で言った。
僕は一瞬彼女が言った事が理解できず、この世のすべてのノイズが消えて何も聞こえなくなった。
どれぐらいの時間二人は黙っていたのだろう。
沈黙を破ったのは、僕だった。
いつまでいるの、引越しはいつ?
ムラカミは小さな声で答えた。今月いっぱいだと思う。
急に決まったから。そして、言葉を続けた。
順一君の事は好きだよ。友達として、一番の親友だと思っているよ。順一君程優しい人には、いまま出会った事が無いし、だから、大切にしたいと思っているの。
そう言うと、下を向く彼女の目から、涙がこぼれていた。
ピノキオを出て、商店街を抜けて僕は彼女の家の呉服屋の近くまで彼女を送った。僕の心は、鉛の様に重くなり、何とも言えない様な灰色な気分のままだった。友達、親友、彼女が消える、振られたわけじゃなく?嫌いでもなく、好きでもない?僕が欲しかった答えは白か黒だったはず。これじゃ、何だか、僕の思いは、どうしたらいいのか解らないまま、
友達は、それ以上になれるのか?それ以下なのか?男の僕には、この辺の感情と云うのが理解出来ず、ましてや、恋愛の当事者には見えて来ないものがたくさんあるから、この辺の事が理解できるにはまだまだ時間がかかるのだった。
ただ、ムラカミとの交換日記の時間はあまり残されていないと云う事実だけは、この日の唯一の答えだった。
それでも、君が好きで。 03月22日(月)
次の日、帰りのホームルームの時間、担任の、ハイ皆チョット集まれ!の号令で、ムラカミは担任と一緒クラスの前の黒板の前に立っていた。担任は、辺りが静かになるのを待ってこう言った。皆さんにお話があります!皆さんといっしょにお勉強してきたムラカミさんがお父さんのお仕事の関係で、
今月いっぱいで、隣町に引っ越すことにまりました。少し寂しいですが、皆さんにお伝えします。ムラカミは下を向き。小さくペコリと頭を下げるのだった。
その日、僕の鞄に日記が戻って来るのだった。
前略 順一様
昨日はごめんなさい。そして、ありがとう。
あなたは、私にとってもったいないぐらい、優しい人です。
私にとっても、あなたはかげがえの無い友達です。
あなたにとって、一番の友達でいたいです。
お別れするのはとても寂しいし、みんなと卒業出来ないのは、寂しいですが、私の事は忘れないで欲しい。
最後に、この日記は、一人一冊ずつで思い出として分けたいのですが、いかがでしょうか?
と、提案があったので、僕は承諾した。
ムラカミの引越しはかなり急だった。その理由は。家庭の事情と云う事なのだが、2週間は、あっと云うまであった。
その間、ムラカミと仲の良かった(特に僕や、大谷、ミワ)が中心となってムラカミの送別会を企画するのだった。
僕と大谷はムラカミが好きだった、曲を覚えたてのギターで、練習するのだった。朝に晩にギターケースを抱え、ひと気の無い音楽室で、ギターのコード進行を覚えながら、大谷と練習をした。今考えるととても恥ずかしくヘタなギターだったがクラスのみんなも、物珍しい事もあって喜んでくれた様に思う。 つづく。
人を傷つけない優しさと、本当の優しさって? 03月25日(木)
すっかり、日が暮れるのも早くなり、とぼとぼと帰る頃にはどこの家にも窓越しにツリーの明かりが見える季節へと変わって行く頃に、ムラカミの一家の去った商店街の呉服屋は、すぐには、借り手も付かず、借り手を捜す看板が、ショーウィンドウーに張られてままだった。
あの日、僕の鞄の中には二冊のうちの一冊の日記帳と、手紙が入っていた。
順一様
前略
先日のあなたの話とてもうれしかったです。
どうもありがとう。こんな私の事をあんなふうに思って
くれていたなんて、本当に感謝です。
あなたや、みんなに逢えなくなるのはさびしいけれど、
じきに、みんなの記憶から私の事は消えてゆくと思います。
ただ、あなたの気持ちは、どうぞあなたにふさわしい人に
どうか向けてあげて下さい。
心からあなたの事を思っている人がいます。
その人は私の親友でもあります。お願いだから、彼女の気持ちに気付いてあげてください。
あなたとの日記は彼女が私に勧めてくれました。
どうか、私がいなくなってからは、私の親友ミワを支えて
あげてください。
遠くから、あなたの幸せを祈っています。
又、逢いましょう。
さようなら。
ムラカミ ヨウコ
一瞬僕は心臓の辺りが締め付けられ、真っ暗になり、
手紙の内容がよく理解出来なかった。
どこまで、お人よしなんだろう。君の気持ちはどこにあるのだろう?誰も攻める事など、出来やしない。
僕はただ途方に暮れるのだった。
つづく。
僕の未来予想図 03月26日(金)
僕は焦っていた。学校やら社会やら、これからの未来について、何一つ答えを見つけだす事が出来なかった。何の為に勉強するんだろう?将来のために!本当にそうなんだろうか?何が好きなんだろう?ギターは相変わらず好きだったし、コンサートも聴きに行くのは好きだし?何の為にサッカー続けるんだろう?(先輩達は、ラグビーに転向したりしていた。野球以外は将来食べて行けないから。)サッカーで進学しても、将来プロは無いし、僕が社会人になる頃には、サッカーは食べて行けないし(事実、サッカーのプロ化は、ずーと先だった。)
そう、答えは出ていた。サッカーは今年の夏まで。県大会で、優勝する事その後は、好きな音楽で、飯が食える様に成る事。と、自分の中で目標を立てる事にした。
ムラカミが僕の中に残してくれた事は、悔しさと、情けなさと、諦めと、それでも彼女を好きだと云う気持ちが、リアルな現実に立ち向かわしてくれたのだと思う。
ムラカミが居なくなってから、ミワとはあまり話さなくなっていた。いや、僕がミワを避けていた。もし、僕がムラカミに交換日記を頼んでいたら、彼女は受けていてくれたのだろうか? 「順一君、話があるの!」ミワの声が背後でした。
僕は素直に聞ける気がしなかったので、聞こえない素振りで
その場を去った。「ミワを支えてあげて!」とムラカミの声が頭のどこかから聞こえて来たが、とてもそんな気持ちになれなかった。ミワに対して被害者意識まで芽生えて来たのも事実だ!僕の気持ちは、ミワのせいで、ムラカミに伝わらなかったのだ!もう一方でそんな気持ちが頭をもたげて来た。
暫くはほっておいて欲しかった。
僕は、将来の事、生きている意味について、ムラカミの事、
すべてが、ごちゃ混ぜになって何も考えられなくなっていた。ただ漠然と思ったことは、好きな事で生きて行けたら
どんなに幸せだろうと云う事だけは、唯一僕が出した答えの様な気がする。 つづく。
好きこそ物の上手なれ! 03月27日(土)
僕がサッカーが好きだったのは、シュートを決めればヒーロに成れたから。とても単純な動機だった。ただ、ドリブルで相手を抜き去る事が好きだった。野球だったら、空にボールが吸い込まれるのが、好きなのといっしょだと思うし、高橋尚子選手が走る事が楽しいと云う気持ちはよくわかる気がする。元々、スポーツにしても、音楽にしても、楽しいから、始めるのだが、僕も御多聞にもれず、そこに、大人達のエゴが見え隠れするようになると、一気に冷める。それは、組織だったり、強制だったり、好きで始めたサッカーだったが、僕らは、三年生の春までで、見切りをつけるのだった。
こんな試合じゃ、県大会で勝てないぞ!お前達全員ボーズ頭だー!とか、学校の為に恥ずかしくないのか!とか、根性が足りない!何やってるんだー!!とか、もううんざりしていた。僕は自分が好きだから、サッカーをうまくなりたいんだ。こんな少年時代だったから、大人になっても、組織という物に馴染めないのかもしれない。だから、高校野球は大嫌いだった。
ヤキュウハイイヨナ。ウマクイケタラ、プロガアル。ヤキュウダケ。
春の大会には、ベスト4に入り県大会に出る事が出来、高校の特体生のスカウトも来た。僕は2回同じ所を骨折して、3ヶ月でレギュラーに復帰していたので、ドクターストップもかかっていた。100人以上補欠がいて、怪我の一つで、お払い箱になったら、たまらない!僕は悩んだ。変わらない物を選びたい。大人達の思惑に振り回されるのは、もうたくさんだった。僕が僕であるために。 つづく
16の夜の決心 03月28日(日)
16歳って、子供でも無く大人でも無くあやふやな年齢だけど、僕の人生において、沢山の事を感じていた事だけは確かだったと思う。僕が多感なこの頃過ごした街は、どちらかと云うと、裕福では無い街だった。街の駅をはさんで、千人ほど人が入るコンサートホールが在り、その反対には映画館とバーなどが同居している、アーバンヒルと云う、モダンな建物があった。16歳の僕は、数多くのアーティストのコンサートに出かけて、勉強するんだと決心した。暇があれば、この街の映画館と、コンサート会場に足を運んだ。
この街の良い所は、東京からも近い事もあり、ブレイク前のアーティストが、その足がかりとしてやってくる事が多かった。名前も知らないミュージシャン、ザ ベストテンなどほとんど無関係な人達!だから、千人程のコンサートホールなど、プロでありながら、ほとんど観客も居ないコンサートが多かった。まるで僕はニューヨークのアポロシアターに居るように、いつもワクワクしていた。街から街へ、夢を運ぶアーティスト!この人達は本当に何の為に、歌うのだろう!
本当に、みんなハングリーだった。幸いにも、この小さな街のコンサートホールに通っているうちに、おそらく、この人は成功するだろうと云う予感みたいなものは、感じる事が出来る様になっていた。80年代はまさに夢を見るミュージシャンが毎日どこかのコンサートホールでコンサートをやっていた。僕の住むこの街のコンサートホールも御多聞に漏れず、当時無名の人達が沢山やって来た。アルフィーはコンサートホールで欲しくも無いレコードを自分達で、サインを付けて売っていた。メインボーカルは坂崎さんだった頃、ファンは女の子ばかりで、売れないフォークグループだった。又、浜田省吾は、まったく無名で僕を含めて、千人入るホールで客は20人しかいなかったが、ロックしていたし、ハウンドドックは、300人入る映画館でコンサートをやっていたり、森田童子や、因幡晃それに中島みゆきは暗かったし、
長渕剛は、感動と勇気を僕に与えてくれた。僕は早くこの街から、抜け出したかった。必ず、ビックマネーを掴んで、この街を出て行くんだと、16の夜決心するのだった。 つづく
忘れられない映画。 03月29日(月)
16の頃、僕は街の寂れた映画館のレイトショウに野球部の島ちゃんと、ちょっと不良ののっさんと3人で出掛けた。僕らは同じクラスと云うだけでこれといったつながりも無かったし、趣味も違うのだが、何故か気が合った仲間だった。3人の内誰が映画に誘ったのか、記憶に無いが、のっさんは確か、成人映画に行こうと誘ったのだったと思うが?何故か、僕らはロッキーを見た。時間潰しだった様な気がする。大体、この当時は映画館は人気が無くどこも閑古鳥が鳴いてた時代だった。「順ちゃん、これ見ようよ!」のっさんは、「何か、ボクシングみたいだし、面白そうだね?」と僕に二人は云うのだった。僕は面白いかわからないけど、時間潰しになるのだったら、(何故か?あまり早く家に帰りたく無い事があり)「じゃあ、これにしようか?」ゲームセンターのインベーダーゲームじゃ、時間ももたないので、三人で見ることにした。映画はロッキー1、ロッキー2の二本建てだった。僕ら3人は映画館から、出て来るころには、ロッキーになっていた。(笑)30過ぎのフィアデルフィアの夢しか持たない若者が降って沸いた様なチャンスをものにしようと、戦うシルベスタースタローンに僕らは、アメリカの懐の深さに胸躍ったし、愛するエドリアンの為に戦うロッキーはまさに僕らの理想だった。又、メガネを外したエドリアンが美人だった事にも、驚かされた。僕ら3人は、いつかこの街を出て、ロッキーの様に夢を掴む事を誓うのだった。男は単純な物が好き
で、それは、大人になっても変わらないのだと思う。
つづく。
MAMASandPAPAS 04月02日(金)
街の外れのビルの中に、あったお店で、僕はよく、このお店に入り浸った。丁度少年から大人の入り口へと変わり始めた頃よく、彼女の話や、悩みなど、マスターに聞いてもらったものだ。お店の作りは西海岸風で、お店のBGMには、ビーチボーイズや、オリビアニュートンジョンや、ジャクソンブラウンなど、サンタモニカの日差しを連想させる様な作りだった。カウンターにはお酒にビンが並び、僕はよく、カンパリを頼んだ。そして、この店のマスターが作るサンドウイッチは格別で、イギリスバンで作るサンタモニカサンドは絶品だった。雨の日も、晴れの日も、この店に僕は入り浸った。
店の天井は、いつも青空で、白い模型のカモメが三羽飛んでいた。ムラカミが居なくなった時、僕は始めてマスターに酒を教えて貰った。大人に混じって、色々な事を教えて貰った。そして、ツマミはナッツに、お金の無い僕はいつも、ポップコーンに醤油をかけた物を頼み、音楽の話や、悩みなど、よく、マスターに聞いてもらったと思う。津川雅彦似のマスターはいつも、僕にこういった。「順一!お前は若いんだから、つまらん、大人にはなるなよ!」「マスターさあ、つまらない大人ってどんなおとな?」「俺、みたいになるなって事だよ!よし、今夜は、俺が奢ってやるよ。」マスターは僕にハーバーのロックをご馳走してくれた。(この後、mamasandpapasは、三年間僕と過ごし、アーバンヒルの閉鎖と共にクローズされた。その後マスターは、渋谷で古着屋をやっていたらしいが会う事はなかった。
僕は時々、この店が無くなった今でも、夢でハーパーを注文し、店のカウンターで、マスターと飲んでいる事がある。
つづく。
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