1
実は、くたびれながらも小鳥の世話をする際、「ろっこんしょーじょー、ろっこんしょうじょ!」と繰り返す習慣があるようなないような、だったりする。これは、富士山を登山すると言うより巡礼する富士講の人たちが、ずーっと繰り返し唱えている姿に感銘し、真似をしたものである。 で、最近、年を取るほど口から出る「どっこいしょ」が、実は「ろっこんしょうじょう(六根清浄)」に由来すると聞き、それはダウトだ、と思ったものである。なぜ?どうすれば「ろっこんしょうじょう」が「どっこいしょ」に変わるのだ?!同じなのは「こ」と「しょ」だけではないか!!しかも、「どっこいな」とか昔は普通に言うわけで、そうなったら類似部分は「こ」のみ、これに類似性を指摘すれば、こじつけにもならない。 そんな話はどうでも良かった。 昨日今日とトム&コビィのヒナが孵った。彼ら、人なら「どっこいしょ」年齢のはず・・・。 ・・・コビィは2019年2月6日生まれ、トムは2019年11月3日生まれ、トムはまだしも、コビィは5才の高齢出産だ。おそらくこれで繁殖は卒業だろう。最後の子育てを頑張ってもらいたい。やれやれどっこいしょ。
2024年05月28日
閲覧総数 147
2
心霊写真じゃないんだよ まず・・・、シナモンがかわいくない、のではなく、ニッキという嫁が、姑の飼い主から見て、かわいくないだけである。 羽の色など無関係で、息子(キュー様)の目の前で浮気行為などする嫁を、かわいいと思えないに過ぎない。ただし、姑気分でなければ、ニッキは面白い(冷静に見ても、容姿が可愛いタイプではない。何しろ、ペットショップではオスと思われていたのだ)。 さて、暑い日が続くと、涼みたいと思うのが人情で、結果、海や河川での事故も起きてしまう。自然の海や河川の流れは、人工のプールとは異なり、実に複雑なので、幼い頃から遊び流れを良く掌握している場所や、安全とされ監視員もいる海水浴場以外では、泳ぐなど有り得ないものと、肝に銘じたいものだ。 水難事故のニュースを聞くと、心霊やら妖怪やらの類が影響しているのではないかと疑ってしまう。もちろん、個人的にそんなものが物理的現象を起こすなど認めはしないが、溺れる人を惑わせる危険性があるように思えるのだ。例えば、河川で立ち泳ぎ状態でいる時に、急に足を水底に引きずり込まれるような現象に遭遇した場合、「地縛霊だ!」とか、「シリコダマ抜かれる!(わからない人は無視してください)」とか、とっさの恐怖心でパニック状態になったら、助かるものも助からなくなるのではなかろうか。 河底の凹凸により、流れが上下に渦をなすことは、普通に起こる現象で、その水中の流れが早ければ、人間の体を巻き込むことにもなる。そして、流れが急なら、誰であれ、自力で脱出は難しく、長時間水中をぐるぐる回ることになり、溺れてしまう。しかし、さほど速い流れでなければ、誰であれ、河底を蹴るなどして、案外容易に逃げ出せるはずで、水深2、3メートル程度の河川なら、むしろそういったケースの方が多いのではなかろうか。 ところが、地縛霊でも河童でも何でも良いけれど、そう言った類に『殺される』などと勘違いすると、もがいてしまって自ら水を飲んで生命の危険を呼び込むことになるかと思う。 現在のところ、科学で解明できないことも多いが、すぐにオカルトに持っていくような習慣は、身に付けない方が無難かもしれない。 さてさて、【現象】文鳥が目に見えないものを見ている→【結論】幽霊が見えるのだ!と断定してしまう人は、昔から結構いるものだが、冷静に考えれば、結論までの「→」に、かなりの飛躍、ほとんど妄想に過ぎない仮定が必要になるので、私は認めない。 文鳥は、人間とは違う視覚を持っているので、人間には見えない世界を見ているはずだが、まず間違いなく、妖怪やら心霊の類は見ていないと考えるのが、合理的だと思う。何しろ、そういうものが見えても、文鳥たちが生活するのに、何の利益ももたらさない。食べ物探しや恋愛沙汰に忙しく、外敵の襲来に寸時も油断できないのに、見えても腹の足しにもならないものを見る能力など発達する理由が皆無ではないか。例えば、もし、何でも知ってる精霊さんとはお話が出来るなら、自然で生き抜くのに、これほど結構な能力はないのに、そうした目に見えない『存在』と対話できるように進化した生き物を、私は寡聞にして知らない(人間が、これから、そういう能力を身につけるのだ、と言われたら、否定しようがないが、肯定もできまい)。 かくして、文鳥が霊能者であるとする説には、賛同できないのであった。撮りたかったのはポンとアイ夫婦の行水図(映り込みやがったのは誰だ!)
2013年08月20日
閲覧総数 685
3
首だけ見ると怖いなぁ・・・ そろそろ「アトつぎ」は孵化しても良い頃だが、その様子はない。一方、ケコの方は、抱卵に対する情熱が薄れてきている気配だ。そして、よくよく見れば、ハゲ頭に芽生えがあるような、・・・そうでもないような。 無精卵続きだったのが、有精卵で孵化して育てば、羽盡大明神様の御利益、抱卵も育雛もやめて換羽に突入し、きれいに羽が生え揃っても、もちろん羽盡大明神様の御利益だ。そう考えると、神様というのは、実にありがたいものだ。 しかし、こうした写真を見ると、換羽が優先されたほうが良いかな、と思う。
2013年04月18日
閲覧総数 2224
4
就寝前にうろつきまわる孵化16日目のニチィ 予定通り午前中に引き継ぐ。 そのうは空っぽで体重18g。両親は、給餌の面で不熱心だったようだ。巣を汚しエサをせがむ謎の生物がいなくなり、ノコリとトミはホッとしているようだった。 空腹のため、初回から差し餌をよく食べ、食後は一気に20gになった。最終の差し餌を終えた段階でも、ギリギリ20gであった。 8代目以降の記録では、最軽量がキューの19g。続いてハル・デコ・ノコリの21gとなっている。つまり、14代目ニチィは2番目に軽い。しかし、父のノコリや祖父のハルも軽かったので、小さく生まれて大きく育つ系統と見なせ、心配は無用だろう。 さて、クチバシの両端にある白いものについてだ。ちょうど、ネット飼育本でなんと表現すべきか考え込んでいたのだ。 ひと昔前だろうか、ネット上で馬蹄斑(ばていはん)と呼ぶ人がいるのを見かけ、何となくそれが正式名称なのかと思った。しかし、最近は使わないようにしている。もしかしたら、大昔からそのように表現する人が、一部にいたのかもしれないが、おそらく学術的なものではないと気づいたのだ。そもそも、鳥の種類によっては、馬蹄、U字やΩ(オメガ)を横にしたのとは違う形なので、ヒナの口角を馬蹄斑と呼称することはできず、口角の突縁部とか突起物とかそういった感じに表現する以外にないのである。 別段、学術的にも用いられるような正式名称である必要はないが、現代の文鳥愛好者が、「バテイ」と聞いて、馬蹄、と分かるだろうか?個人的には、なるほど馬の蹄鉄の形だとピンとくるが(アメフトのコルツというチームのロゴが印象的)、より自然発生的な表現として目にする、「ヒナのゴムパッキン!」の方がわかりやすいと思える。そこで、やはり「口角パッキン」と呼ぶことにした(ゴムではないので、存在する場所を冠する)。 もちろん、パッキンは密閉のための詰め物のことなので、意味合いとしてはおかしくなる。細長いゴムパッキンの質感を類推させるにしても、パッキンの形状や材質は、本来さまざまなのだ。それでも、口角パッキンとして良いのか?なぜだ、なぜなんだ!と、問い詰められたらどうしようかと、適当な理屈を考えて煩悶し、そして、得た結論は以下である。 ヒナの口角のそれは、口を大きく開くためのもので、詰め物ではない・・・が、口がパッカ~ンと開くためのものなので、パッキ~ンでも良い。 語感勝負の力業である。文句あるまい。
2012年01月07日
閲覧総数 1610
5
今日も同じ構図で 人間の女性は男性より小柄なことが多いのと同様に、文鳥のメスはオスより小柄なことが多い。従って、体重が比較的に軽いヒナはメスである。といった判別方法は、適当に分けても50パーセントは当たる統計学の必然に対し、おそらく数パーセント確率を上げる程度の効果しかない。 というような話は散々ここにも書いてきたが、ソウ24g、テイ25g、ガイ25gと、体重の増加も収まったようなので、歴代の文鳥たち(19羽)と比較してみたい。 孵化19日目で24gは、我が家では最軽量。過去の同数値は、キュー♂とニチィ♀のみ。キューは親鳥の給餌が不十分で、飼い主が引き継いだ16日目には19gだったので、遅れを取り戻し中の数値なので、特殊例だが、メスにしても1羽のみなので、これだけでは検討しがたい。25gは、デコ♂、マナツ♂・・・のみ。この2羽は、我が家のオスとしては小柄で、ヒナの頃から軽かったわけだ。 ・・・結論。やはり、体格や体重では分からない、になる。誰が小柄な男の子なのか、楽しみにしよう。
2013年01月28日
閲覧総数 1081
6
私は、おそらく後天的に現実主義者だと思うので、保守的な部類に属するはずだ。従って、天皇陛下がいらっしゃって、象徴でも元首でもとにかくその職務を果たして頂けるなら、是非ともお続け頂きたいと願っている。しかし、日本は民主主義国家だ。『個人の自由』を伝統で縛ることなど出来ないので、ご皇室の皆様がみな「もう、嫌」と言われたら、残念ながらこの制度は無くすより仕方がないと思っている。そして、もし国家の元首的な位置づけとしての天皇家を保持したいと願うのなら、その環境を整備する努力こそが必要であると信じている。 ところが、天皇制度の存続を望む人の中でも、男系に執着する人の声が昨今大きく、しばしば論点をずらしている印象を受ける。先日新聞に『別冊正論』という雑誌の広告があり、特集記事の一つに高崎経済大学の八木秀次教授による「小林よしのり氏に反論するY染色体説のどこがトンデモ説なのか」との見出しがあった。買って読む気はないのだが、雑誌HPによれば八木さんは「神武以来代々受け継がれてきたY染色体の刻印こそが皇統の証である。血統原理の本質を科学的に語る意義を無視するなかれ」といったことを主張されているようだ。当然ながら、漫画家の小林さんがどのような主張をされたのか知らないが、私が高崎経済大学の学生なら、「先生、お言葉ではありますが、それに意義など見出せません」と即刻反駁しただろう。 まず男系による皇統の継続を望むなら、天皇になりうる特別な家系を増やすなど具体策を早急に検討すべきであり、男系の正当性を大合唱しても何の意味もない。このまま大騒ぎするだけで時を移し、男系の皇統が絶えてしまうという事態が現実のものになってしまった時に、男系至上主義とも称すべき人々は、男系を存続したいがために内親王殿下を無視して、何代も何代も何代も何代も何代も前にさかのぼり、とっくの昔に皇族から離脱して市井にまみれているあえて言うなら『馬の骨』を連れてきて、「はい、天皇陛下になりましたよ!」と言わせれば、主権者の国民が受け入れてくれると信じているのだろうか。そもそもそれを行う法的な根拠は何なのかも問題になるが、ましてや、内親王殿下に「こいつが天皇家の男系の血筋なので、結婚して子供をこさえてください!」などと強いることをお考えなら、それこそ不敬以前に人権蹂躙以外の何ものでもない。前近代に例があったからと言って、それが現代でも可能なのか、少し冷静に現実問題としてお考えになるべきだろう。 そもそも帝王学と言わないまでも、尊貴な家柄に育ってこそ身につくものがあるはずで、「血、血~」と吸血鬼のように求めるあまり、その後天的な文化性を無視するのは本末転倒ではあるまいか。日本文化や伝統を大切にされる方々が何やら無邪気に「男系、男系」と繰り返すのを見ると、血迷っているのではないかと不思議でならない。どうしても男系で無ければならないという鉄則があるなら、家長(この場合は陛下ご本人)は、跡継ぎになりうる男子が少なくなった時点で、旧皇族などから男系に連なる子供を養子として迎え、宮中でお育てすることを考えられたのであろうし、そのように出来るように工夫すればよかったはずだ。わけのわからぬ科学をもてあそび、男系の正統性を声高に叫ぶ暇があるなら、今からでも、皇族外の男系男子をご皇族が養子に出来る環境整備を、言論界でも立法府でも努力するのが筋であろう。 わけのわからぬ科学とは、男系の存続を願う人(男系至上主義者)が、最近振り回しているY染色体のことである。Y染色体とは、人間と言うより哺乳類が対で持っている性染色体の1つであり、その種類は大まかにはXとYからなっており、女性はXX、男性はXYだ。それぞれの一方が子に受け継がれるので、Y染色体は必ず父親から受け継がれることになる。つまり、卵子はX型のみだが、精子はX型とY型があり、Y型が受精すれば男になるわけである。これはごく基本的な遺伝学なのだが、これをなぜか天皇家が男系相続していたことと結びつけると、大変なことになる。我がご皇室におかせられては、歴代に何らかの手違いがない限り、歴史学的には少なくとも6世紀の継体天皇、神話の世界なら紀元前の神武天皇、さらにその曾祖父の天孫ニニギの命様(神様)、そしてその父アメノオシホミミの命様(神様。その出生を生物学的合理性では説明できないが天照大神様の息子)まで遡れることになる。つまり、畏れ多くも天皇陛下のY染色体は、千数百年以上も続く由緒正しい人類の奇跡とすべき貴重な存在であり、今現在の便宜主義で女系を挟んで、Y染色体の継続を阻んではならないと、男系至上主義者は主張するわけだ。 私は、以前それを衆議院議員の平沼赳夫さんが主張しているのをテレビで見て、呆気にとられた記憶があるのだが、いまだにこのような主張が続いているとは笑止千万である。ではお尋ねする。遺伝にお詳しいなら、ミトコンドリア型は女系に受け継がれ、何とアフリカ出身の「イブ」にまで遡るとされていることくらいはご存知のはずだが、それは煎じ詰めれば、女性はみな同じミトコンドリアを共有する存在だということになる。つまり、「イブ」に連なるがゆえに、我ら男はすべての女性を尊貴な者として崇め奉らねばならないのであろうか?崇めてるぅ?本当にぃ?では、その崇める男性諸君の中に、いったい「アダム」のY染色体にたどり着けない宇宙人がどれほど混じっているのか! 政治家の平沼さんやら、学者の八木さんなどという方々が、どの程度遺伝について知識があるのか存じ上げないが、性染色体に限らず不変の染色体=遺伝子など存在しないという、ごく大雑把で当たり前の事実くらい認識してもらわねば困る。そもそも生き物が死にまた生まれるのは、遺伝子の変容を期待してのことでもあり(変化による多様性を生じさせ、より生存しやすい個体を創出する機会を作る)、代を経るごとに徐々に変質するし突然変異も起きるのである。第一、ある程度変質しているからこそ、女系のミトコンドリア型や男系のY染色体の変異の程度によって、それぞれの近縁性による類型化が可能になる。もし遺伝子に何の変化も起きていなければ、遺伝子を比べて人種の違いも民族の違いも何一つわからず、みなイブの子であり、アダムの子だ、とする以外に無くなってしまう。アダムとイブが『毛唐』の物語なのでお気に召さないなら、アマテラス様とスサノオ様でもイザナギ様とイザナミ様でも良い。 つまり、Y染色体が代々男系相続されていたところで、遠い祖先のそれとその直系である現代人のそれが同じであるはずがない。従って、Y染色体の継承をもって男系の正統性を主張するなど、そもそも無理なのである。 一時「宗教を科学する」などと言う理解困難な主張が流行ったものだが、人間の主観による文化的な継承事項を客観的な理化学で説明する必要などどこにもない。それがカッコイイと感じるとしたら、自分のオツムが非科学的ではないかとまず疑った方が良いと私は思う。誤解があるのかもしれないが、文系、人文学も、近現代的な論理を追求する科学に他ならない。文系であっても、必要なら地学化学生物学何でも援用するし、しなければならない。しかし、自分の思い描く結論を補強する確証バイアスの一端として、安易に利用しようとするのは、科学に対する冒涜になるだろう。 文化なりその家の伝統、砕いてなら習慣、具体例なら祭祀、そういったものが受け継がれていくことの方が、目に見えぬ染色体やら遺伝子よりも、よほどその家系にとっては重要であり、実際に一族祭祀の継承こそを重視するのが、前近代の日本人一般に根付いていた文化のはずであり、その伝統的祭祀を象徴する存在こそが天皇家ではなかったか。廃れつある日本の伝統文化だが、その具現者であるからこそ天皇陛下は尊いはずである。百代以上続く血統か否かより、百代以上も家制度を維持する家系が存在し、おそらく連綿と続いているであろう祭祀を執り行われているからこそ、天皇家の存在は有り難いのだと思う。 百代以上続く文化より、その血の裏づけを重視したがる政治学者なり法学者が、まるで畑の異なるY染色体といった理系の遺伝科学を持ち出すなら、より近しい文系の歴史科学から、あえて次の言葉を謹呈したい。「誰か昔の王孫ならぬ」、これは承久の乱(1221年)における鎌倉幕府側の武士の発言だ。相手側が天皇の命令に背けば罰が当たると脅迫したのに対し、「天皇の子孫でない者などいるかい!こっちの大将もみんな先祖は天皇じゃわい!」といった感じに反駁したのある(慈光本『承久記』)。確かに、古代の平将門も関東八平氏も源氏も、みな男子皇族を祖先とした氏族であり、当然その子孫の多くは天皇のY染色体を受け継いでいる。また、土着してそのY染色体受け伝えている。何しろ天皇家に連なるような貴種は田舎であればあるほど尊重され、入り婿や養子の形で別のY染色体を持っていたであろう他家の家を継ぐことも多かった。さらに、代を経てますます拡散すれば庶民化もしていく。従って、21世紀の現在、そこいらの権作さんが天皇家からのY染色体の継承者でないとは断言出来ず、そうした権作の数は、何万や何十万では済まない数と想像されるのである。では、それらの権作(あなたも権作の一人かも知れませんぞ!)を、男系至上主義の方々はY染色体ゆえに天皇にふさわしいとされるのであろうか? 血の継承だとかY染色体だとか、文化の継承に比べるなら副次的なものに過ぎないと私は思う。権作さんと皇位継承者の皆さんを分けるのは、その一家の文化を受け継いだか否かのはずだ(当然ながら、男系でなくても家系がたどれる家系など、世界のどこにも存在しない。十二分に貴重で誇れる存在だ)。それを一介の学者や政治家風情が、おっとり刀で怪しい宗教並みの科学を振り回し、血の至上性を云々するなど、見苦しい上に僭上の沙汰ではなかろうか。 存続するか男系を尊重するかその他は、本来的にはご皇族内の問題だ。陛下なりご一家なりご一族で、ご自由にお考え頂く以外に無く、他人が四の五の差し出口する方がおかしい。それでも国民の一人として存続して頂きたいのなら、「男系でなければならぬ」などと生意気なことを言わず、そのように選択しやすいような環境整備に心を砕くしかあるまい。怪しいだけの科学的な与太話などする暇があれば、象徴もしくは元首としての天皇を、文化継承者であるご一家に継続して頂ける具体的な法整備の議論を望みたい。
2011年01月09日
閲覧総数 10661
7
唯一産卵する目つぶりナカ 十姉妹は繁殖上手で、ひっきりなしに産卵して子孫を増やし続けるものだ、と漠然と思いこんでいた。 しかし、ウチの手乗り十姉妹たちは違っている。メス3羽、オス4羽で集団生活をしながら、産卵するのはヨーロッパ十姉妹のナカのみ、その姉コボンも、和十姉妹の梵天カッパも、産卵していない。 産卵したとしても、子孫を残しうる環境を整えるのは困難だ。集団での生活を続ければ、孵化しても誰の子かわからず、そもそも配偶者を導入するだけでも難しい。その導入した非手乗りの小さな小さな鳥を文鳥集団と一緒に放鳥したら、驚きの連続に落ち着かず逃げ惑って、体を壊してしまいかねない。 十姉妹は繁殖させず、みんなで楽しく生活してもらうことにしたい。
2021年03月19日
閲覧総数 774
8
クチバシが脱色状態のマレ クチバシの色が薄くなり白っぽく見えるような時は、大概は換羽の始まりだ。 現在マレは、ギョッと驚くほど血の気がないのだが、動きは(無駄に)活発だ。稀に見るような激しい換羽を期待している。
2023年04月13日
閲覧総数 565
9
エサ入れにあごを乗せて食べるフック ツボ巣に爪の先が引っ掛かり片脚の件が伸びてしまったフックだが、しっかり食べて元気だ。この状態では心も折れるかと思ったのだが、その心配は無用だった。 爪先が引っ掛かった原因はツボ巣の材質にもあるが、根本は脚が弱っていて自力ではずす脚力がないことにある。・・・普通なら病院に連れて行くのだろうが、元から普通に歩けないのにギプスで固定などしたらより不便になるだけなのが分かってしまうので、通院などする気はない。 同様に片脚が使えなくなっているミトも、前向き、ポジティブに毎日を過ごしている。「うらめしや」の状態で動かなくなっているのだが、これも普通なら病院に行くだろう。そして、禿げた顔などを見てくだらない栄養指導などされるかもしれないが、もし私の想定通りなら(腫瘍が神経を圧迫している)、いじりまわされ不要なウンチクを有料で聞かされるだけ、当然、夫との同居は許されないことにもなるだろう。意味がないどころかマイナスでしかないので、通院などする気にならない。 つまり、もう治らないし、それを期待すべきでもないと確信すれば、日常を継続させることを第一にする考え方になってしまったので、十数年獣医さんのお世話になっていない。よく、通える範囲に小鳥の診療が(まともに)出来る獣医さんがいないと嘆く声を聞くが、30羽で10年必要としていないのに、1羽で必要とする機会など極少ないかと思う。嘆く必要はないのである。
2024年05月26日
閲覧総数 213
10
よく食べて順調なトリオ 昨夜、かつてキワモノ芸人だったタモリさんの番組で(やはり若い頃、赤塚不二夫と連れだって変なことばかりしていた頃が最もその天才が輝いていた時期かと)、鎌倉が「湘南」なのは当たり前、のように取り扱っていた。しかし、昔から鎌倉に在住する人で、自分が「湘南」に住んでいると認識している人は、まずいないだろう。何しろ、鎌倉の人は「鎌倉」にステータスを感じて、それをアイデンティティにしているので、「湘南」などというあやふやなイメージを必要としないのである。 「鎌倉」は南は海で、その他は山に囲まれているわけだが、鎌倉市は山の外側にまで及ぶ。しかし、そのような行政区画とは無関係に、内側の人は外側を鎌倉と認識しない。建長寺や円覚寺のある北鎌倉駅周辺の「山ノ内」までは「キワ」「ヘリ」と認めても、それより北は完全に域外だ。そして、域内のことに限れば、「山ノ内」なり「雪ノ下」なり「稲村ケ崎」なり、地名(大字名・町名)でしっかり把握していたりする(京都の縮小版と言えようか。横浜も横浜駅や関内駅を中心に同心円的に区別と言うか心情的差別が存在するので、どこにでも起こりがちな感覚かもしれない)。 おそらくそういった感覚を、ろくにアイデンティティがなかったので「湘南」イメージに飛びついてしまった砂混じりで塩混じりの茅ケ崎出身の桑田佳祐さんは、高校が鎌倉なので感じ取っており、昔、調子にのって映画監督もしてしまった『稲村ジェーン』では(ああいうのを「暗黒史」と呼ぶのだ)、「湘南いいですね!」、などと言うよそ者に、「湘南なんて誰も言わないの。この辺りじゃあ。ここはイナムラ、イナムラガサキ」と言わしめている(アルバムにもセリフがあるが映画本編にもそういったシーンがあったはず・・・、一回しか見てないのでうろ覚え)。 「湘南」なんて誰も言わないのだよ?で、だいたい、茅ケ崎は桑田さんの出身地であって、サザンオールスターズが誕生した地ではない。茅ケ崎出身は桑田さんだけで、原さんは横浜関内の天ぷら屋さんで、「毛ガニ」が案外に東京で、その他3人のメンバーはかなり遠隔な地方(新潟・岡山・宮崎)の出身者だ。・・・ま、そんな感じでいい加減なイメージの世界が「湘南」だと思う。 それはともかく、ヒナたちは今日も「ゲコゲコ・ギャッコギャッコ」と終日がんばっていた。なかなか頼もしいメンツぞろいのようで、今から楽しみである。が
2018年10月14日
閲覧総数 524
11
新しいテレビとまだ姿を探す健気な夫 誰か亡くなると家電が壊れるという因果関係は、いったいどうなっているのだろうか?もちろん、霊魂など無関係。そんなものが見えると軽々しく言う人は、ほぼ確実に気のせいか、個人的思い込みに過ぎないので、他人を巻き込むべきではない。ただ、連動するものがあるのではないかと思えてしまう(しかし、冷静に考えれば、みんな元気な時にも壊れるものは壊れる)。 ともあれ、先週金曜日にテレビに細い黒線が入るようになった。3年半くらいの使用のシャープ製・・・、5年は持つと思ったのだが・・・。しかし、線は上部の一部なので、これは捨てずに保管しておくとして、さっさと安いのを買うことにした。我が家の居間の液晶テレビも、三菱、シャープときて三代目。前2社はたまたま外れだったので、すっかりブランドイメージが崩壊している東芝の↓にしてみた。 今日届いたが、文鳥たちのほとんどは、新品になったのに気づかなかったようだ。唯一怪訝な顔をしたのは、カゴから飛び出してテレビの台部分に着地して滑るのが好きだったらしいクリだが、その程度は我慢してもらうことにする。 さて、長く連れ添った二度目の妻を失ったノコリ。このままおとなしく過ごすか、それとも、「後妻業」(飼い主がその役割を期待している)ココと仲良くなるか、老いらくの恋で暴走するか・・・。午前中に、唐突に白文鳥のノブにさえずっていたので、暴走パターンかと興味津々で見ていたが、夜はおとなしかった↑。 「後妻業」と仲良く同居するのがおススメなのだが、いろいろ波乱の展開があっても良いかと思う。【あす楽】【在庫あり】32S20 東芝 ハイビジョンLED液晶テレビ REGZA 32V型【smtb-k】【ky】【KK9N0D18P】
2017年12月05日
閲覧総数 2731
12
どんくさいライトシルバーのギンちゃん ヒナたちは、食いまくりまくり元気。シルバーのギンちゃんは飛翔が苦手でどんくさいが、テーブルのエサ場に陣取って威張っており、案外順応性は高そうだ。 さてと、だいたい何にせよ、3回くらい続くので、今日も「アニファ」だ。なお、ジャクボーさんは言いたい放題だと呆れている人もいるかと思うが、これでも最大限抑制している。下書き段階ではもっともーっと散々の吊し上げになっているのを、がんばって手加減しているのだ。 「邪法」は、文鳥の飼育について経験値が低く、批判力もなく、幸か不幸か『文鳥団地』の影響を受けない人たちの間で、いつの間にやら定説化している。何しろ、日本人の生真面目さでしっかり飼育方法のお勉強をすれば、その教科書となるべき最近の飼育本が、本当に文鳥を飼育したことがあるのか疑わしいレベルのライター稼業の人たちが、署名もなしに短期間ででっち上げるような代物で、「邪法」についても、無批判に継承してさらに悪化させてしまうのだから、笑うに笑えない。 以前、期待を裏切られた腹いせに、「文鳥道不覚悟!」とか何とか徹底的に批判した(こちら)ナツメ社『文鳥生活のはじめ方』(2015年)では、P52に「さし餌回数目安」とあり、生後10~20日は10~12回、21~28日6~8回、28~35日4~6回とあって、「生後1か月くらいでひとり餌へ切りかえ」などとわざわざ注記して、生後5~6週目は様子を見ながら1日2回程度としている。ついでに、飼育本とは少し違う同年刊行されたメイツ出版『文鳥のこと。』も、P89「生後5~6週間くらいのヒナを入手すれば、朝、晩の2回ほどのさし餌で育てられます」などとあり、ひとり餌移行期に差し餌回数を2回に減らす「邪法」が、常識となっている様子がうかがえる。 文鳥の飼育書を書くほどだから、筆者たちはよほど文鳥の飼育に関しては博学にして経験豊富に違いないと、真面目な初心者が想像するのは当然だ。その筆者が、「そんなの知らないの?常識よ!」とばかりに決めつけていれば、そういったものだと信じるしかない。そして、結果どうなる?空腹で動かなくなって自立が遅れる、という真逆の結論に至る可能性がより大きくなる。 どうして?回数が最大12回から2回に不自然極まる減らし方をして、ヒナに不必要なストレスを与えることになり、そのストレスへの対応はヒナの成長度合いとそれぞれの個性によって異なるが、ストレスが大きければ大きいほど、うまく順応できない可能性が大きくなるのは当たり前ではないか! では『文鳥生活のはじめ方』ではなぜ差し餌の回数が最大で「アニファ」の2倍にしているのか、簡単に言えば、経験値が低いので物事を難しくするばかりだからだと思うが、基本はパウダーフードで差し餌をするからである。パウダーフードによる差し餌のため、「腹持ち」が悪く回数を多くする必要がでてくるわけだが、さて、この個人的に徹底的にダメ出しした飼育書、パウダーフードで差し餌しているのに、ひとり餌への移行には、「さし餌の回数を減らし、ケージの中にムキアワやアワ穂やペレットなどを入れておきます」と書いているのである。一体どうしてそれまで食べたことのない物体を、ヒナはエサと認識できるかといった、「文鳥の気持ち」など考えないようだ。※アワ玉を湯づけした餌で差し餌をしやすいように発明されたコバヤシ社の『育て親』(「コバヤシ社長バンザーイ!」)を目的外使用する我流を我流だとも認識していない様子で紹介し、パウダーフードの濃度は初め薄めの状態が推奨されるものだが、そのようなことには触れずに(ドロドロ状態でなければパウダーフードで『育て親』は使いにくい)、どの程度の量を与えどうなったら次のエサを与えるかにも触れていない(不親切すぎて笑えるでしょう?)。ただ、そのうにパウダーフードが残っている状態で次を与えると食滞につながるとの知識はある気配なので、それを墨守した結果、少しずつ12回与えているものと思われる(そのくせ一貫して『育て親』が使える程度のドロドロなわけで・・・)。ついでに、わざわざ「生後10日」と指定しているのは、文鳥が孵化11日目に開眼する事実から、「目が開いたらインプリンティングで親鳥の姿をヒナが覚えてしまうわ!」という、ごく初歩的な勘違いで「アニファ」さんが開眼直前に親鳥から引き継ぐべきなのだ、と考えたのを、まったく無批判に継承しているものと思われる(どうです?底が浅くてくたびれるでしょう?)。 何もかも本能にインプットされていて、手本も何もなくても自立するなど、高等動物には有り得ない。文鳥をアメーバか何か、少なくともペンギンか海鳥の類と混同しているものと思える(ペンギンや海鳥にせよ親鳥の行動は見ているし同じ時期に育って集団行動する仲間がいるので、ひとりで自習するわけではない)。 「学ぶは真似ぶで良い手本を真似ることだ!!」くらいの能書きを教えてくれる「がっこのせんせ」に恵まれず、自分の人生経験で真似ることの重要性を学ばずに済んだのは残念なところだが、学習期のヒナが親や他のおとなの文鳥の後を付きまとっている姿くらい、『ダーウィンが来た!』とかで見ていないのは不思議だ(そのくせ巨大化したヒナを放置して飛びたってしまい、残されて飢えた結果、エサを求めて巣立ちする海鳥の姿の方は頭にあるらしいから不思議。当然、参考にすべきは、種としてより近しい種類か遠くても習性が似ている種類の生態である)。まして、ヒナを育てた経験がありながら、学習期が親を真似、兄弟姉妹で真似し合う、ものだと気付かないなど・・・。「鈍いね。見えてないね。動物行動学には向いてない。だから不見識なんだ」と、学歴上、動物行動学とはまるで関係のない文系の人間に冷たく言われても、返す言葉も無いだろう。 手乗り文鳥の1羽飼育では、ヒナの真似る機会を奪ってしまうので、飼い主は自分が親兄弟姉妹の代わりに見本を示さなければならないことを理解して、ヒナと接する必要がある。ところが、接する機会である差し餌の回数を減らし、放っておいても勝手に食べるようになるなど、およそ無茶苦茶で、ほとんど虐待に等しい。まず、これが基本認識のはずだ。 エサの食べ方を教えられず、真似る機会を与えられず、本来、間断なく食べて活発に動き、心身ともに成長すべき時期に、親である飼い主が差し餌をしてくれるのを待って、エネルギーを消費しないようにじっと静かに待ち続けるなど、有って良かろうはずがあるまい。 「おかしいな。生後5週間たったから自立するはずなのに・・・。飼育書通りに2回に減らしてるのに・・・」 これが「邪法」にとらわれてしまった初心者飼い主の悲劇的な悩みだが、被害を受けるのは文鳥だ。自分で差し餌する時間が無ければ、自立するまで待てば良かったのに、「段階的に減らして2回になってるから大丈夫」などと、「邪法」に誑かされた結果なのである。一方で、すでに自立して自分で食べていたか、親兄弟姉妹の様子を覚えていたか、運よく順調にひとり餌となった文鳥の飼い主は、そのデタラメで危うかったことにも気づかず、成長とともに差し餌回数を減らす「邪法」を広めてしまう。なんと腹立たしい事か! 文鳥のことを考えられるなら、馬鹿馬鹿しい限りの「邪法」は直ちに改めなさい。それで不都合があるかどうか、自分で体験して、思い込みのくだらなさを実感して初めて、ようやく文鳥たちと自分の目や感覚で接するようになれるだろう(たぶん。わざわざ経験しなくてわかりそうなものだ、と個人的には思う)。先人の誤りは、なぞるだけでも迷惑だ。改めるは改める。はっきり言って、飼育者としてたいしたことのない先人が、他人の知識の上っ面を盗んで整合性のない利いた風な口をたたいているだけのことも、世の中では珍しくないので、とりあえず、今自分が信じている「常識」を疑って検討してみて頂きたいものだと思う。 『学習期』とは、親鳥や仲間の鳥たちの行動を真似して学んでいく時期のことで、捕食の仕方も真似ることから始まる。もし、真似る機会を与えず、成鳥の妨げにしかならない絶食によって食べなければ死ぬような状態にヒナを追い込めば、それは無意味かつ有害で、不自然な飼育法による虐待を疑われる行為となる。 初心者は、親鳥や仲間の鳥たちの行動を真似できる環境しか理解しないベテランが、不必要にもかかわらず漫然と続けている「邪法」に従ってはならない。「邪法」を行うベテランを見かけたら、その人は経験足らずと知恵足らずの頃に、「アニファ」的な方法論を読みかじり、それにいつまでも盲従し続けているだけであり、まともな理屈など何もないのである。 文鳥のひとり餌、捕食行為は、自習によって得るものではなく、真似るもので、教える相手(手本になる相手)がいなければならない。もし、教師役が出来ないのなら、すでにひとり餌になっているヒナでなければ飼えない。「生まれて5、6週間で給餌は2回で大丈夫!」などと、成長スピードの個体差も理解せず、無意味な「邪法」でヒナの成長を阻害し、一羽となった場合のことを想像もできないベテランなど、最も危険なのである。 捕食は自習にまかせられない。この点を、くれぐれも忘れないようにお願いしたい。 学習期になれば手間がかからなくなる、という発想が、そもそも間違いで、1羽飼育ではむしろ多くの時間をかけなければならない。幼稚園に行くくらいになった子供なら、友だちと一緒に公園で遊べれば楽しいし、親は見守るだけで放っておけるだろうが、一緒に遊んだことのない知育玩具をそろえた部屋に一人閉じ込めて放っておけるものだろうか?「勝手に遊んで頭もよくなる、子育てって簡単!」と言える人はまずいないだろう。少なくとも、一緒に遊んで遊び方を見せてやらせてその楽しさをわからせなければお話にならない。 パウダーフードを日に12回も与えていた飼い主が、飼育書に従って回数を激減させ、粒餌を床にまいて「自分で食べれるよね~」、と思ってしまえるのが初心者である。なぜ、見たことのないものをエサと認識できるのか、一体、自分が手本を示したことがあるのか、そんなことに思い至らずに、その(文鳥飼育の「スキル」としては、初心者と大して変わらないかもしれない人たちが書いているかもしれない)マニュアル通りにすることに集中するのが、むしろ当たり前なのである。 そのような初心者も、学習期以前から1羽飼育をしていれば、差し餌を飲み込み自分のヒナが愛しくなるのが当たり前で、かまいたい、遊びたい、なで回したい、と思っているはずだ。それなら、飛べるようになり、学習期に入ったら、しつこくして嫌われない程度に、その願望を実行すれば良いのである。4回差し餌をしていたならそれを続けつつ、一緒に遊んでやるのだ。エサが冷えても構わないので(おとなが食べるエサは常温)、それをつっついたり指に乗せたりしながらダラダラ差し餌をすれば良いし、一緒に室内を探検したら良いし、手のひらに包んで寝かせれば良い。そうして、飢えることなく活発に動き回っていれば、カゴの中でもいろいろ試すようになって、ひとり餌への移行はスムーズになる。決して、回数を減らして放置できる時期ではなく、そのようなことをして、せっかく一緒に遊べる時期を逃してはもったいない! 2000年ミレニアムの頃、手乗りの1羽飼育の際の自立の遅れ、という現象に対し、ベテランの飼い主の一人、または同質の一集団は、誤った答えを提示してしまった。それは、文鳥の学習期に対する誤解、海鳥などの絶食により自立を促進させる生態との安易な混同、そして一羽飼育により手本を持たないヒナの立場への無理解によるものだった。いかに有名な人が提唱しても、賛同者がいても、その人たちが喧伝しても、実行していてさえも(ただし複数飼育での経験)、間違いなのである。真似をせず、すでに真似をしてしまっているなら、「邪法」をさらに広めないように、直ちにやめなさい。
2018年10月22日
閲覧総数 855
13
水浴びをするようになったジミィ ジミィもすっかり我が家に染まったなぁ・・・。 で、今日の題名は「飼い主にとって」ではなく、手乗り文鳥にとって飼い主は伴侶、手乗り十姉妹にとって飼い主は弟分、という意味である。 文鳥は基本的に夫婦単位で生活する小鳥なので、飼い主を伴侶と見なせば、もはや運命共同体で、一時も離れていられない存在となる。甘々だが、「重い」とも言える愛情・・・。一方、十姉妹は(たぶんに想像と推論だが)、愛情を1羽や1人にしぼらない博愛主義者なので、特に他に小鳥がいる場合、一緒に行動せず、寝起きを共にしない飼い主とは疎遠になりがちになる。しかし、どういった先祖の影響なのか、十姉妹は集団行動する生き物で(近親で仲良くなりすぎるので野生化できないのだと私は推察している)、リーダーシップを発揮する個体がいる。そのリーダーにとって、飼い主は、世話の焼ける弟分なので、結構、親身に面倒を見てくれるのだが、飼い主様だ、自分の方が上だ、と信じている人間から見ると、そのリーダーだけが、自分になついてくれているように見えるものと思う。 かつて、我が親のいい加減な飼い方の中で手乗りになった「じゅーしーず」たちの中で、「ちびクロ」と呼ばれたオス十姉妹だけが人なつっこさを保ち、一緒に育った姉妹は、成長するにつれ、腕に乗る程度となった。それはなぜか、最近の非手乗り十姉妹を迎え、その中の1羽が、新入り(と言っても数日の違い)の十姉妹が先住の十姉妹に威嚇をした際、さっと飛んできて、片脚に自分の脚を乗せ、胸をそらして仲裁するしぐさをした時に、はたと気づいた。あの「ちびクロ」もリーダーシップを発揮して、飼い主家族を慈愛の心で接してくれていたのだ!(特に確証はない)。 例えば、我が家のような集団室内放鳥を十姉妹で実践したら・・・。たぶん十姉妹たちだけで和気あいあいとして、その中の1羽か数羽が、飛べない飼い主の元に来て元気づけてくれる、感じになるのではなかろうか。・・・、やっぱり、文鳥の方がいいな。私は。
2019年05月21日
閲覧総数 2420
14
エロパッパ 文鳥ほどではないにしても、十姉妹もそれぞれ個性的だ。天才ポチに隠れてしまいがちだが、その兄パッパも変な子である。 まず、「エロパッパ」、と呼ばれている。何しろ、十姉妹と見れば、ギョギョロと誰彼かまわず言い寄り、交尾しようと背中に飛びつく。 「よだれ掛け」という別名もある。クチバシの下の模様が、よだれ掛けに見えるからである。 抱卵の是非を巡ってリーダー格のオボンと対立していたが、現在、突如オボンが抱卵に目覚めたため、対立関係が解消し、ただ協力はせずに、遊びまわっている。つまり、オボンとは逆の行動をとるわけだ。 この↓怪しい目つきは、次に何をねらうのか、不気味だ。
2020年07月24日
閲覧総数 571
15
ライトでない「ライト」君 ライトシルバーの中雛と言われて我が家に来た彼↑、そう言われたので「ライト」君と呼んでいるのだが、これはライトシルバーではなく普通のシルバー文鳥だと思う。 ではどういった色合いがライトなのか?ライトでない方が良いのだが(普通のシルバーであるウノの嫁にしたいとの願望があったため。結果は♂♂であった)ライトと言われて成長したら普通だったりするような私に尋ねないで欲しいのだが、私のイメージするライトの色合いは、「シルバー文鳥」として仕入れたら、ちょっと薄い気がしたギンの姿となる(生前の雄姿はコチラ)。 全体的に色味が薄く、胸とお腹の色の違いが曖昧になってしまうのが、ライトシルバーなのだろう、となる。して見れば、↑はライトではあるまい。結局のところ、色合いは完全に固定化されていないので、白羽の入り方や量が個性になる桜文鳥同様に、色味の違いは個性と見なして、ライトとか何だとか分けるべきではないのではなかろうか。 日本の繁殖家を称する人には、系統の確立や継承という考え方が出来ず、いろいろ混ぜる個人的な趣味での実験を好むような事例が多々あるように思うが、それは本来の繁殖家とは違った考え方、誰かに何とかと確立された品種の文鳥を供給する立場ではなく、混ぜて生まれた変わり種を個人的に楽しむエンドユーザーの在り方のように思える。つまり、日本には、あまり文鳥の繁殖家はいないのではなかろうか、と思えてしまう。
2024年05月19日
閲覧総数 308
16
「クチバシつまみ」が好きなノブ 噛みぐせとは、「ちねり」などと言われ、クチバシの先端の方で飼い主の皮膚をつねるようにする行為で、飛び上がるほど痛いので、嫌悪されているが、文鳥にとっては愛情表現である。なぜなら、それは羽づくろいのつもりなのである。 文鳥の夫婦は、お互いに羽づくろいをして、得てして「ハゲ増し合い」となる。これは、クチバシの先端で相手の羽毛の軸をつまんで、勢い余って折ってしまい、結果、ハゲ状態となるが、毛根は残っているので、新しい羽毛が生えてこないためだと思う。つまり、飼い主のことを愛していれば、それを羽づくろいで表現しようとするのは、文鳥の本能的行動で、ただ、残念なことに、人間には羽毛がないので、「ちねり」となってしまうわけだ。 愛情表現には愛情表現を返すべき。ただ、残念なことに、人間はさほど器用な真似が出来ない。そこで、文鳥の愛情表現その2、「クチバシつまみ」でお返しするのが、人の道、もしくは、文鳥の道に則した行いと言える。これは、↑のようにクチバシを指でやさしくつまむだけなので、人間の指先でも楽勝だ。 手乗り文鳥の飼い主には、是非、知っておいてもらいたい『技』である。 クチバシ同士での愛情表現は見かけないものの、フィンとジョーは一緒に行動することが多くなり、ツーショット画像も写せるようになってきた。ようやく、夫婦らしくなってきたことを、喜びたい(・・・アラシは独り身が似合うのだろう)。
2016年06月18日
閲覧総数 25849
17
文鳥でも「カラスの水浴び」のオッキ 朝、ゲンとオッキのカゴの底にフンと一緒に鮮血が見られ驚く。ただ両羽とも「顔色」や動きに異常はなく、どちらかの一過性の下血と見なしておくことにする。 内臓疾患による異常便で赤い下血があるとはあまり考えられないので、腸管や卵管の表面が一時的に傷つきフンと一緒に血が排泄されるものと考えられるような気がする。となれば、顔色も食欲も異常がなければ、とりあえず一過性のものとして気にしないか、内部寄生虫あたりを考えるべきかもしれない。今まで我が家で内部寄生虫の発生はなかったが、いちおう留意しておこうと思う。
2009年04月15日
閲覧総数 257
18
カトルボーンを夢中で食べるスミ(尾羽はエコ) カトルボーンを、スミとエゴが食べ散らかしまくっていた。産卵する気満々なのだ。 cuttlebone、イカの骨というかイカの甲、甲イカという海洋生物の体の一部(形は違うが構造的には貝殻と同じ)を乾燥させたものだが、成分はカルシウムを主としていて、小鳥の飼料とされる。インコ類は紡錘形(サーフボード状)の原型をガリガリむしって食べるが、文鳥にはそれを苦手なものが多く(文鳥のクチバシはつつくのに適した形状)、我が家では砕いて与えている。 カルシウム補給として鶏卵(玉子)の殻を与える人も多いが、海産物はカルシウム以外のミネラルを多く含むので、おそらくカトルボーンの方が栄養的に優れている。 それにしても、食べやすさは玉子の殻の方が上だろう。砕いたカトルボーンの欠片が少し大きいと、エコなどポイポイ捨てるので、見ていて腹が立つ(「エゴめぇ!」)。その点、スミは奥ゆかしい。落ちたものを拾ってしっかり食べてくれる。同じお店出身でも、性格はまるで違うから面白い。控えめなスミ
2011年01月25日
閲覧総数 1579
19
頭の羽毛が薄くなっているシズ 病気でなくても文鳥は禿げる。 まず、秋から翌年春にかけクチバシの根元が少々禿げることがある。これは理由不明だが、規模は小さく、春の換羽時に元に戻る。 次に、夫婦の一方に羽繕いをしてもらった結果、頬やアゴなどが徐々に禿げていくことがある。文鳥夫婦には、漫才コンビのように立ち位置が右か左か大体決まっているものだから、頬などは片側が集中的に禿げ、かなりみすぼらしい姿になってしまう。 そして、換羽が不十分な年には、当然のように薄くなり、やがて禿げちょろけてしまう。 この場合、見るも無残な様子になる。昨年のミナが良い例だが、今年はその予備軍が2羽いる。シズとエコだ。この2羽、今年の換羽があやふやで、現在頭の羽毛が薄い。 これからさらにボロボロになってしまうかもしれない。困ったものだ。
2009年11月07日
閲覧総数 4841
20
ノーマル風味の桜文鳥になりそうなフィン 阪神淡路大震災から20年なのに、さらに並文鳥の話。 まずは、古い飼育書から、並文鳥についての項目を、いくつか拾ってみよう。 ・高木一嘉『かわいいブンチョウの飼い方』1978年 「原産地で捕えられた並ブンチョウは、何百羽も箱に入れられ」 ・鷲尾絖一郎『ブンチョウの飼い方ふやし方』1980年 「並ブンチョウは、輸入ブンチョウとか、ダメ(駄目)ブンチョウとか呼ばれ」 「白ブンチョウのような高級な鳥に比べて並に落ちるという意味です」 「正しくは野生ブンチョウと呼ぶべきでしょう」 ・宇田川竜男『やさしい小鳥の飼い方』1987年 「駄ブンチョウなどと呼ばれる原種で」 「貧弱な荒鳥」 ・江角正紀『文鳥の本』1999年 「かつては並文鳥と呼ばれていました」 並文鳥とは、もともと捕獲され輸入され売られていた野生文鳥のことで、飼い鳥としてはダメで下等なので、並とされていたわけである。しかし、「有識者」の中には、その名称が不適当なものと意識されている方もいて、輸入量の減少もあってか、おそらくは次第に改まり、飼鳥団体の江角さんが、前世紀末に「かつて」と過去の名称として葬り去られるに至っていると見なせよう。こうした事実を踏まえれば、21世紀の今日の文鳥に「並文鳥」を使用する方がおかしいのではなかろうか? 私も、元々は文鳥とはノーマルでしかなかった時代、白文鳥も桜文鳥も存在しないか、少なくとも品種として固定化されていなかった時代の、その文鳥を何と呼ぶか考えた際に、仕方がないので「並文鳥」を用いた(並文鳥にも、輸入したものと日本国内で繁殖したものの別があるとする飼育書も多かった)。しかし、今現在の文鳥愛好者が、今現在日本で健康に生活していて、しかも手乗りの文鳥を、「並文鳥」と表現すれば、やはり違和感しか感じられない。 もしかしたら、並文鳥の「並」は、並盛の並で普通・通常の意味として、英語のノーマルと同じ意味でしかない、といった反論もあるかもしれない。しかし、それは無理筋に過ぎるだろう。「並」は、より上位のものと区別する差別の意味合いを持って使用される言葉であり、並盛にしても、大盛との差別がなければ有り得ない。文鳥に関しては、白文鳥を良として比較的に高額で流通し、桜文鳥を「駄文」などと差別してより安く流通していた1960・1970年代頃の日本の社会を前提として見なければ、何が並なのかわからなくなる。 実際は、既述の引用にも明らかなように、それは差別され差別の結果が「並」となっている。それは、白文鳥→桜文鳥→並文鳥という、白鳥を頂点とする階層(ヒエラルキー!)が厳然と存在していたことを明瞭に示しており、そのような歴史的事実も、文鳥愛好者の中で物知りを目指すような人は、わきまえておくべきかと思う。 では、ノーマルなら良いのだろうか?この言葉は、2000年頃の私には新鮮なものだったが、問題ないと見なした。最初は「原種」だから「原文鳥」にしたら良いと思ったが、訓読みされる原さんの文鳥になってしまうし、「源文鳥」と勝手に用語を作っても、たぶん一般化しないと思われたのである。また、「オリジナル」など原種を意味する他の英語を用いてもわかりづらくなるばかりで、いっそ「グレー」と色で表現すればシルバーと混同するだろうし、「ダーク(濃い色)」では何に対して濃いのかわからない。 一方、「ノーマル(普通・標準)」なら、色変わりなどの変種の多い他の小鳥の品種名としても用いられており、飼い鳥の品種を示す言葉としては認知されているし、本来の文鳥の姿はこれに近い、とイメージしやすいのではなかろうか?そういった、傍から見ても自分で考えてもどうでも良いことを、つらつら思案すると、ノーマルはふさわしい言葉との結論となった。もちろん、ノーマル以外はアブノーマルなのかとの思いもかすめたが、アブノーマルは用いないので関係あるまい。 と言ったところで、「考えなしに「並文鳥」を使用するなバーロー!」の話はおしまい。「並文鳥」を当然のごとく使用していた人にはショックかもしれないが、この際、こっそり改めていただければと願う。 で、最後に、用語を整理しておこう。お間違いのないように。並文鳥 とは、野生の文鳥(Padda oryzivora)を捕獲して販売していた際の商品名。野生の生息数の減少により、1990年代には店頭より消え、21世紀には絶滅を危惧される存在としてレッドブックに記載され、ワシントン条約附属書2に基づき、商業目的での輸出入に際しては、輸出入それぞれの国の許可が必要となっているため、現在は存在しない。ノーマル文鳥 とは、白文鳥を祖先に持たず、野生の文鳥から代々交配してきた品種のこと。ノーマル風味の桜文鳥 とは、桜文鳥の色の濃い個体で、ノーマル文鳥と同じ外見の文鳥のこと。加齢に伴い白斑が現れてくるかもしれないスリルが味わえる。
2015年01月17日
閲覧総数 3673
21
ちょっと気だるいノロ爺さん 集団でピーチクパーチク騒ぎつつ飛び回るのは、文鳥にとっても楽しいものと信じているが、その環境は長生きには適していないのではないかと考えている。やはり、どちらかといえばボンヤリと競争相手もなく、変化の乏しい日常の方が、のんびりゆったり時が流れてくれるような気がするのだ。 その点、性格的に長生きにむいているのはノロだろう。何しろマイペースののろまでのんびりしている。推定年齢は9歳に近いはずで、すでに我が家では長生きだ。 そのノロが、昨日から、日中カゴの中で調子の悪い文鳥が見せる行動をとるようになり心配している。具体的には、正面に背を向けて、カゴの底の一隅にたたずむと言ったものだ。しかし、夜は案外元気そうにテーブルの上を食べあさり、上尾筒(じょうびとう。尾羽の付け根、尾脂腺周辺の羽)から新しい羽が生えてきていたので、換羽による一時的なもののようにも思われた。 しかし、今日も日中例の行動をするので、換羽としても危険につながりかねないと見て、とりあえず20W保温電球を設置し、夜の放鳥時間には上段の止まり木を数センチ下にずらしてみた。体力が低下しても上段に昇りやすくしたわけだ。 今夜の放鳥時も自分で飛んで出てきて、いつもと変らず食べあさっていたので、急にどうにかなるとは思えないのだが、ただ、他の文鳥を威嚇する際に、声が出ていないのが気がかりだ。もう少し、騒々しいところでのんびりしていってもらいたいものだ。
2009年10月06日
閲覧総数 1006
22
左が64、右が73 とりあえずハンジの嫁候補として白文鳥のメスを入手したい。他もメスは引き手数多だ。 また、チェーン店サルベージに出かけようかと思ったが、とにかく無駄な説明で時間をとられるのが嫌なので気軽に行けない。気軽と言えば町のペットショップだが、こちらは文鳥を売っているのかすらわからない。 とりあえず、川口の日の出やペットショップを見て、そのうち横浜に墓参りに行くだろうから、その時にセンター北に寄ったり、まだ存続することを先日知って驚いた新丸子の芝辻さんに行こうと計画し、早速に出かけた。 バスで1本だが、基本的にバス嫌いなので電車で南鳩ヶ谷に出て貸自転車で行くことにした。南鳩ヶ谷駅の並びの貸自転車置き場でスマホを使って予約して解錠してテキトーに選んだ自転車のサドルが壊れていたので確認不足を後悔しつつ、そのまま「あっちの方じゃね?」と一旦南進してから西へ西へ向かい、何のことはない10分ほどで到着する。 相変わらず店の横に衛生的とは言えぬケージが並び、・・・おお、文鳥がたくさんいた。みんな、ヒナから売れ残った子じゃないかと思うのだが、白桜シナモンシルバー全色いるようだ。安ければみな買ってしまいたいくらいだが、そのような余力はまったくないので・・・昨年11月静岡産(静岡には繁殖農家がある)とされるヒナ換羽中の白文鳥ペアが、とても人なつっこい様子でこちらに興味を示していた。どちらも細面で、片や7対3で♀、片や6対4で♀、といった印象だ。・・・♂9000円♀10000円と結構な値段で、ペアでは18000円とある。どちらも買ってしまおう。オスなら・・・転売しよう。 店に入ると、差し餌中のヒナが、これもかなりの数存在していた。みなころころと元気そうだ。これも買い占めたいが考えないことにして、白文鳥の・・・オスかメスかわかるの?と店員さんに尋ねる。「店長ならわかる」との返事で、店長のおじさんが見比べて、私が6対4で♀と思った方をオスだと言う。もちろん『オレにわからないものが、どうしてオマエにわかるんだ!』と思っていて、まったく信用していないのだが、そのようなことはおくびにも出さず、ペアで買う旨伝える。 そして一目散に帰って、ケージを用意して、文鳥のいない部屋に隔離しているのだが・・・。さてどうだろう。どちらもオスであっても別に驚かないが、どちらもメスだとうれしいな、だ。名前は追々考えよう。
2024年04月28日
閲覧総数 327
23
白いお邪魔虫にうんざりしているソウ・テイ そら豆のスプラウト(若芽)が商品化されているそうで、検索すると、『そらまめ豆苗』として2014年から販売されていた(生産元のページ)。「豆苗」とあるので、えんどう豆のスプラウトである豆苗と同類と考えるのは自然な話で、実際文鳥に与えてみたところ、嘔吐し体調を悪化させてしまった、との体験談があった。そこで、考えてみたのだが、結局、危険とも安全とも判断がつかなかった。 そら豆は、太古から人間に食されるものだが、グルコース-6-リン酸脱水素酵素欠損症という遺伝病、むしろ遺伝的特質を持った人たちに強い毒性を持ち、赤血球が溶血し、溶血性貧血を起こし、最悪の場合は、急性腎不全によって死に至ることにもなり、これをソラマメ中毒、と言うのだそうだ。 私が気になった点は、文鳥にグルコース-6-リン酸脱水素酵素が欠損しているのか、と、若芽の状態になっても、豆の状態と同じ毒性を持つか否かで、少し調べた程度では、管見の及ばざるところ、だったのである。ただ、ゆでたそら豆なら、文鳥に与えた人は数多くいるはずだが(私もあるかもしれない)、それで急性の毒性が顕われた事例を聞いたことがない(人間にしても、鎌倉の居酒屋でそら豆をたらふく食べつつ飲んでも、別に問題なくここでブログを書いているわけで、ソラマメに一般的な毒性があるとは言えない)。 となれば、ソラマメの種実が含む成分(配糖体)に起因するソラマメ中毒とは別に、人間にとっては問題なくとも文鳥にとっては毒性を持つ物質を、そら豆のスプラウトは持っているのであろうか?それとも、中毒症状に見える症状の原因は、別にあったのであろうか? これは、そら豆のスプラウトを文鳥に与えた人の体験を複数勘案しない限り、判断は無理かと思う。しかし、危うきには近づかず、自分の文鳥で実験するわけにはいかないので、ごくわずかな事故による経験の蓄積を待たねばならないかと思う。ただ、せっかくの疑い事例なので、無駄にしないように、この目新しい食べ物を文鳥に与えるのは、とりあえず避けるのが無難だとは思う。 【以下は12日補足】 そら豆のスプラウトには、L-DOPAを多く含むとされ、L-DOPAとは「レボドパ」と呼ばれ、ドーパミンなどの神経伝達物質の基になる物質と言う。そら豆のスプラウトの切り口が黒くなるのは、これの作用によるものとされているが、これによる急性症状は、考えにくいと思う。文鳥の体内にもある成分なので、拒絶反応が起きるとは思えないのである。また、鉄分が多いそうなので、鉄分の過剰摂取による症状では?との指摘を頂いたが、錆び付いた鉄釘をかじっても、急性の毒性を示すことは無いはずで、鉄分補充の薬剤で不自然な摂取をしない限りは、なかなか問題にはなりにくいように思える。 普通の食中毒には潜伏期間があり、一般的なイメージと異なり、食べてすぐに嘔吐するなどの拒絶反応は起きない。細菌などに由来するので、それが体内で増殖するのに時間がかかるのである。 急性の反応が出るのは、毒キノコなどの摂取で見られる化学物質の毒性作用に多いものと思う。例えば、クサウラベニタケを誤って食べた場合、10分~数時間で嘔吐などの消化器系中毒反応が起き、その主因は「溶血性タンパク」とされている(厚生労働省のページ)。もちろん文系なので詳しいことは知らないのだが、「溶血」=ヤバイ、というごく単純な関連付けが頭にあると、ソラマメ中毒が酵素の一種が欠損しているタイプの人間に起きる溶血反応と、文鳥の事例が結びつくことになる。 しかし、普通に考えれば、そら豆のスプラウトは、健康に良さそうな成分を多く含む青菜に相違なく、豆の状態で含む成分を、そのまま引き継がれるものではないし、そもそも、茹でたそら豆は文鳥のおやつとしている人も多く、それは毒性がないか、無視できるレベルに軽微なために、可能なはずである。となれば、今回の件がそら豆のスプラウトを食べた結果であると仮定しても、多くの謎が残される。 googleで「文鳥 そら豆」で検索すると、そら豆スプラウトを見ている白文鳥君の画像があり、それは「脱原発!」「反安倍政権!」を掲げて頑張っている方が、昨年3月にツイッターで公開された画像だったが、食べさせて異常が起きていないようだ。 さらに「文鳥 そらまめ 豆苗」で画像検索すると、昨年5月に試された方のブログがあり、少しかじっただけで食べなかったらしくその後は不明だが、特に体調の変化はなかったようだ。また、今年の3月に文鳥に与えた方のブログもあり、こちらは普通に食べてくれたようで、何ら問題はなかったようだ。ついでに、文鳥の部分をインコ置き換えて検索すると、セキセイ君とオカメ君がワシワシ食べている画像があり、何ら問題とはなっていない。 となれば、一般的には、文鳥に与えても問題ないと判断する他ないように思える。健康に良さそうな野菜が市販されていれば、少なくとも人間には無害(常識的な量を食べる限り)なので、それを文鳥に試したくなるのは当然と言える。しかし、初物を試す場合は、結果的に実験動物にならないように慎重であらねばならず、なぜそれが無害と信じられるに至ったか、しっかり情報を整理した上であるべきだと、思う。求めるべき情報は、科学的な情報と経験で、文鳥が食べる事例と、常用しても問題が起きている気配がないか、に注目しなければならない。 今回のケースでは、もし私がその立場でも、特に与えることでの有害性は見い出せず、与えた可能性が高い。そして、結果、どうなったかはわからない。「食べた当日、男の子は激しい嘔吐、女の子は黒色」の糞、翌日オスは回復したが、メスは悪化して3日目には亡くなってしまう。亡くなった子は、虚弱な体質だったそうなので、悪影響が強く出てしまったのだろうが、なぜ、平気で食べている事例があるのに、こうした文鳥にとって急性の毒性が疑われる事案が起きたのであろうか? 人間のソラマメ中毒が遺伝的特性により発症するのと同様に、同じ文鳥でも、症状が現れる子と問題にならない子がいるのであろうか? とりあえず貴重な疑い例なので、なるべくは避け、与える場合は、様子を見ながら慎重に、が正解だと思う。
2016年07月11日
閲覧総数 3825
24
真剣な表情のヒィロ い草のひもの両端を(『かじかじ大好き』流に)しばってヒィロに渡したところ、持ち上げ振り回して遊んでいた。 さて、この子はオスなのかメスなのか・・・。体格や体型はオス。しかし、アイリングは太く肉厚にはならない気配で、顔立ちはメスでも不思議はない。甘えん坊な性格だけでは、オスともメスとも判断しかねるが・・・。オスの方が都合が良いので、オス希望、と言うことで。さえずる日を待ちたい。
2018年08月01日
閲覧総数 526
25
兄だったアネー 『猿の惑星』の新作が封切られたらしい(コチラ)。観てはいないのだが・・・、変化した猿(チンパンジー)が人類だから、今の猿が文明をもつ方向性で変化したとしたら、人類基準ではお猿さんの姿ではなくなるわけで、おそらく、今の人類と大差ない姿にならねばならないのではなかろうか。今のお猿さんの形態、毛むくじゃらだったり、額が狭かったり、腕が長く太かったり、を残したまま、人類と同じように道具を使用したり物をつくったり話したり、文明的な社会を築くことにリアリティは感じられない。 お猿さんを「進化」させたら、毛が減って頭が大きくなって直立二足歩行で手先が器用になって、喉頭が変化し言葉を話しやすくなり・・・、つまり、人類と変わらなくなって・・・、ビジュアル的に映画にならない。ただ、まったく同じではないので、微細なズレがどのようにどの程度生じるか、おそらくは、今の環境に現人類以上に適応するはずなので、それはどういった点か考えるのは有意義な気もするのだが・・・、所詮、猿知恵の子供だましの映画に過ぎまい。 「進化」の話なら、数万年後の人類はこのような姿(頭が大きくなり手足が貧弱になるといったもの)になる、などとの予想が昔からあが、そのような変化は常識的に有り得ない。なぜなら、外形的変化を抑止するバイアスがさまざまに働くので、種の形態は保たれて当然だからである。 生物が絶えず進化する、など単純な思い込みに過ぎず、環境の変化があれば変化が必要になるだけで、変化のない孤立した環境なら、シーラカンスのように何千万年でも形態は変化しないのが現実である。そして、人類の文明こそ、環境変化などから身を守るべく進化しているので、文明が消滅し野生化でもしない限り、環境適応の身体的変化は起きにくく、そもそもイレギュラーは文化的に排除されてしまいその貴重な変異遺伝子は、グローバル化された100億の大集団の中で消し去られてしまう。つまり、人類はシーラカンス同様かそれ以上に進化しないのが当たり前なのである。 「進化」と言えば、最近はAI技術が進化して、人類をおびやかすのではないか、などと危惧する人もいる。その恐れが『ターミネーター』のような映画で描かれ、それに影響されてしまった人の不安を煽ってしまった。私の認識では、あれはAI、つまりインターネットでリンクされたコンピューター(いわば人工頭脳)が、人類を排除する結論に達して、それを実行するような筋書きだった。しかし、それは一部の理系頭の世間知らずな妄想に過ぎない。いったい、その現場を知らず手足もないコンピューターちゃんが、人類を滅ぼす兵器をどのようにして製造するのであろうか?そもそも、人の手によってのみ創造されたコンピューターちゃんが、膨大な資源を費消してそれを虱潰しにして何の得があるだろうか? そのような哲学性のない底浅い妄想、原罪意識を持っておびえるお子ちゃま発想より、AI技術など現実化していない昔に、SF作家の星新一が提示した未来像の方が、よほど的を射ていたと思う。題名を忘れてしまったが、コンピューターネットワークがやがて自我のようなものを持ち、人類のために神のように振る舞うようになる、といったものだ。つまり、何らかの才能がある者を見出せば、それに適した職に就けるように誘導したり、相性の良さそうな者同士を結び付けたり、「神の見えざる手」を実践してくれる、といった内容であった。作品内では、それをコンピューターによる支配と感じて反発する個人的抵抗も描かれていたが、私にしても現実社会で辛酸をなめた星さんにしても、現実社会で苦労している人なら誰しもが、「神の見えざる手」、これほど結構なことはないと切望するのではなかろうか。 AIどころかインターネットすら普及していない時代に、AIの神格化を予見するなど恐ろしいまでの先見性で、それに比べれば、『ターミネーター』の現実化を妄想する人たちのかわいらしさと言ったら、赤ん坊も同然ではなかろうか。AI頑張れ、早々に人類を超越して神様になってください、である。 と、長く続いた文章は、何と今ごろ神社詣した前振りなのであった。先日、とあるきっかけで、東京都北区の、なぜこれに「銀座」を冠したのか、さすが昭和レトロはろくでもないと愛着深くしみじみ思わせてくれる志茂銀座を歩いた先の熊野神社を参詣した。長い参道の両脇には、荒川(隅田川)の氾濫にもめげずに樹齢何年なのだ?と思わせるまでに育った木があり、良い雰囲気であった。 お祀りされている神様の一柱は事解之男命(ことさかのおのみこと)と呼ばれているのだが、何と頭の良さそうなお名前であろうか!で、逃げるお父ちゃん(イザナギ)を追いかけたお母ちゃん(イザナミ)の間で、「もうダメね縁切りだわ!」と、と、と、どういった局面なのか想像できないがその状況で生まれたと言うか生じた神様なので、縁切りの神様とされ、病気との縁を断つことから病気平癒の願いをかなえてくれるともされている。体調を崩した文鳥の子とも、ついでに面倒を見てくれるはずである。 で、非行化(手に乗らなくなる)した半グレ状態のアネー♂の更生にはご利益があるかはわからない。
2024年05月12日
閲覧総数 274
26
イガイガのハル 昔の飼育書には、換羽期は粗食にし、水浴びや運動も控えるように書くものが多かったが、特に気にせず与え続けると、換羽期の方が消費量が増大する。 考えてみれば、タンパク質で出来ている羽毛を新しく形成するためには、栄養がいつもより必要とされるはずで、それは火を見るより明らかだと思うのだが、なぜ粗食が薦められたのだろうか? 昔この件について推測して、この説を説いた人には鷹匠などの猛禽類の飼育の知識があって、それらの換羽期の対処法をそのまま小鳥に当てはめてしまったのではないかという仮説に行き着いた。何しろ、猛禽類の飼育用語に「鳥屋籠り(トヤゴモリ)」というのがあり、換羽に入ったら、鳥小屋の中で静かに飼育しなければならないのだ(換羽を「トヤ」と読む理由もこれと関連するはず)。 肉食の猛禽類は、普段でも獲物が無ければ何日も絶食する生き物なので、換羽の前に大量に食べ、それに備えることが出来る。また、滑空する生き物なので、翼羽が不完全だとうまく飛べないはずで、換羽中はおとなしくして体力の消費を抑えるのが理にかなっている。ところが、文鳥などの小鳥は、2、3日完全に絶食すれば確実に死んでしまう生き物だ。タカやワシのように事前に大量に食べて、換羽に備えるといったことが出来る体の構造になっていない。その代わり、羽ばたいて短距離を飛ぶ生き物なので、翼羽が多少不完全でもさほど大きな影響は無い。したがって、換羽中もせっせとエサを探してうろつきまわることが出来、また、そうしなければ換羽を進めるための栄養も得ることが出来ない。 このように、同じ換羽でも対応は違わなければならない点を、十分に認識しないといけない。 さて、換羽により禿げ回復中のハルは、顔の上も下もトゲトゲ状態の珍しい状態になってくれている。面白いので、しばらくそのままでいて欲しいのだが、アワ玉をバリバリ食べて、さっさと元通りになってしまうのだろう。残念なところだ。
2008年05月14日
閲覧総数 2484
27
ゆっくりヒナ換羽中のノブちゃん 関東地方で、「ハゲチョロケ」は聞かないように思う。特に、東京でも下町とされる密集地とかいろいろ入り込んでる港町の横浜とかは、話し方が他地域の人が聞けば喧嘩しているがごとき早口なので、「ハゲチョロケ」と悠長に言っている暇はあるまい(「何言ってやがるんでぇバカ野郎!」を「てやんでぇバーロー!」と短縮するのが江戸っ子。「いーじゃん」「そーじゃん」「ちがーじゃん」と肯定も否定もジャンジャンと自分の意思を他人に押し付けてくるのが浜っ子)。 つまり、私の場合は、周囲から聞いたわけではなく、たぶんどこかで得た情報から何となく語感が気に入って個人的に使っているだけかと思う。念のため辞書で調べると、「ハゲチョロ」と同じとされ、「塗料などがところどころはげていること。織物・毛皮などがところどころすり減っていること。また,頭髪がところどころ薄くなっていること」とあり、地域的は、京言葉、京都弁と見なしているケースが散見された。たしかに、京言葉には入りやすいように思う。 一方の「ハゲチャビン」には、大阪の方言という説があるようで、そう言われれば、上方落語で登場しそうな語感のようではある。一般的な説明としては、ハゲ頭の様子が茶瓶みたいだから、となっている。しかし、髪関連でビンと言えば「鬢」で、禿げた鬢、が変化しただけのように、何となく今考えた。 鬢は「耳ぎわの髪。また、頭髪の左右側面の部分」の意味とされているが、今でも相撲取りの髷(まげ)を結う際に用いる鬢付け油、のように、頭髪全体も意味するので(江戸時代の男は頭頂部を剃った月代【サカヤキ】頭が一般的)、禿げれば、禿げた鬢と表現するのが当たり前で、それが、ハゲタビン→ハゲチャッタビン→ハゲチャビンとなったと類推したほうが、唐突に茶瓶を持ち出すよりわかりやすいではないか。 なお、「ハゲチョロケ」の「チョロ」は「チョロリ」の略で、少ないとか短いとか小さいの意と見なせば、「ケ」も、実は毛で、チョロ毛だけでも、禿げを意味することになるかもしれぬ。このように、次々とテキトーに自説を弄り出すのは容易い。 ノブちゃんは、「鬢」(ほっぺたの辺りと勝手に決め付ける)が薄くなっているだけで、ハゲチョロケてはいない。天使は天使らしく、美しく生え変わっていただきたい。 ・・・もっとも、最近、鈴に喧嘩を売るなど、江戸っ子風味の片鱗が見えている。
2016年05月19日
閲覧総数 477
28
羽をくわえて考えるキミョーな男 痛みを伴うから治療しないのなら、獣医師の存在理由が失われる。一時的な痛みを伴っても、治療行為を行うことで、生命を長らえたり、少なくとも今の状態の改善が期待できるからこそ、それを行うはずで、一時の痛みを甘受しなければ、治療など出来まい。 したがって、抜けば3週間後に新しい羽が生えて、不自由しなくなる小鳥を前にして、「どうせそのうち伸びてきて飛べるようになるよ」、などと言っては、もはや小鳥を診る適性どころか、開業獣医としての適性も疑わなければならなくなる。「そのうち」が1年以上後のことになるかもしれず、その間、飛べないことによるリスクを想定しないような人間に、一体何を期待したら良いだろう?例えば、犬の飼い主に対し、「骨折してるけど、ほっといても、そのうちくっつくよ」では、そもそも商売として成立しないはずだ。また、爪が長々と伸びてしまっている犬を診療しながら、爪を切らなかったり、耳漏をしていても拭いてやらないような獣医さんは、過当競争の中で、営業を継続するのは難しくなるかと思う。 小鳥の風切羽を抜くことなど、少しでも手馴れていれば、犬の爪を切るよりはるかに簡単で、場合によっては治療とみなさずサービスの範疇の行為でしかない。それに対し、己の無知を露呈するだけの陳腐な能書きを垂れて避けるようでは、・・・ま、どうしようもないということである。 なぜそれほど大変に思えるのか?経験が無いか希薄で、しかも、まじめに基本を踏み外さないようにしたばかりに、自信を失った結果ではないかと、私は憶測してしまう。 なぜなら、小鳥の保定の基本形で翼を伸ばすのは、少々大変なのだ。もちろん、それが出来なければ翼の治療など出来ないはずなので(出来ないからレントゲンでごまかす?)、小鳥の治療を得意とする獣医さんは、私など足元に及ぶべくもないほどに、プロの手技をまざまざと見せつけてくれるはずだが、真似するのは難しいのだ。 人差し指と中指の間に、文鳥の首を挟むようにする。これが保定の基本。文鳥の首は、おそろしいほど細いので、多少締め付けるようになっても問題にならず、さらに、人差し指と中指を折り曲げて、文鳥の胸の部分を軽く押さえる形にすれば、ジェットコースターの安全具のごとく万全となるわけだ。しかも、この保定では、親指・薬指・小指の3本を自由に使えるので、爪切りなどの際に脚を持って固定できる。しかし、翼を広げるのは難しい。薬指・小指が役に立たず、保定に必要な人差し指と親指で広げるしかないのだ↓。これは、利き手なら可能でも、反対側となると、ぐ~んと難易度が上がり、保定に無理が生じて、失敗して不思議はない。 しかし、翼を広げ羽を抜くわずかな時間の保定なら、簡単で良いのである。文鳥を手のひらに乗せ、頭を親指で圧迫しつつ、その親指と人差し指・中指で翼を広げれば良いのだ。これは、「握り文鳥」であれば、手のひらで遊んでいる時に出来てしまうし、↓↓のように、非手乗りであっても、体勢に無理がなく視界も阻めるので、抵抗は少ないはずである。家庭で羽を抜くのなら、利き手でなくても簡単な、このテキトー保定で良いかと思う。 風切羽は、羽軸のやや根元よりを持って、羽の先端方向に向けて、少しねじり加減に一瞬力を入れて引き抜く。これは、人間の髪を抜く要領と同じで、一瞬でないと、引っ張って痛いだけになる。一瞬思い切り力を入れる。分からなければ、自分の髪(があれば)を引っこ抜いて練習すると良いかと思う。 必要があれば、恐れず、無意味な能書きを言わず、実行していただきたい。ご奮闘を期待する。 右手による正統派保定で羽を広げた状態(不安げなリオ君) 左手のテキトー保定で羽を広げた状態(反抗的な目つきのエコ)
2014年08月27日
閲覧総数 2335
29
飛び回ってるジョー ペットショップから迎えた成鳥を、初めて室内放鳥する際は、必ず、両翼の羽を↑のように、1枚置きに3枚ずつ切ってから、にしている。広い空間を飛び回ったことのない文鳥は、目的を定めずに無茶苦茶に羽ばたいてしまい、高スピードで壁などに衝突する危険があるためだ。 羽を切ると飛べなくなるので虐待だと単純に信じている獣医さんもいるようだが、それは無知の思い込みに過ぎず、実際の飼育においては程度問題であり、切らない方が危険なら切らねばならないだけである。↑のように切ると、切った部分から羽ばたいた際に空気が抜けるので、パサパサパサと羽音が生じて、スピードが抑制される。しかし、↑のように飛びまわることに不自由は無い。 で、何を飛び回っているのかと言えば、ソウ・テイがツボ巣を別荘化しようと相談しているところに、混ぜてもらおうとフィンがちょっかいをかけているのが、何やら楽しげに見えて、自分も加わろうと試みているのだった。好奇心旺盛で、頼もしい。
2015年05月07日
閲覧総数 1404
30
さらに、おとなの階段のぼるフィン セキグチさんの白文鳥ぬいぐるみ、フィンとの2ショットを目指し、何度か近づけたが、指でいい子いい子と「白太郎」(ぬいぐるみに今つけた仮名)をなぜると、嫉妬して目の周囲、クチバシ、頭をつつくばかりで(これは放鳥終了時、捕獲されたリオ君に対しての行動と同じ。リオ君に対しては、頭を踏んづけるという行動も追加される)、飛び乗ったりといった行動は無かった。さらに、試みたい。 そのフィンは、ヒナ換羽が始まったようだ。下尾筒が尾羽からのぞき、小さな尾羽も見られ、頭はモヤモヤっとしてきたし、時々、小さい羽毛が抜けているようだ。ノーマルに近い桜文鳥の姿になるはずだが、さてどうなるだろう? 脚に色素沈着が見られるほど「濃い」ようなので、我が家初の頬黒、となったら楽しいかもしれない。なお、頬も黒く、頭が黒一色になる文鳥を、「頬黒文鳥」と呼ぶことが多いのだが、これは品種ではなく、若年時限定の一時的な現象だ。通常は、換羽のたびに白い羽毛が生え、普通の文鳥の姿になるのである。珍しい現象なので、我が家の文鳥に起きると楽しいのだが、それを起こしやすい血統があるとすれば、我が家では難しいかもしれない。もちろん、ほっぺたが白い桜文鳥の配色こそ、黄金比率、に他ならないと、個人的には信じて疑わない。
2014年11月29日
閲覧総数 536
31
豪快なケコさん 今の時期、日本は1年で最も寒い。そして文鳥は元々が熱帯原産の小鳥で、関東以西なら一時的に野生化出来る程度の耐寒性しかない(平年以下に寒くなれば、越冬が困難になる)。 しかしながら、温水水浴びは今日も盛況であった。飼い主も、小さくなって混ざりたいものである。
2011年01月26日
閲覧総数 925
32
のぞくな!とご立腹のイトはん 猛女の監視の目をかいくぐり、アラの開眼と、翼の白い羽を確認した↓。・・・何となく嬉しい。 さて、Japanese ricebirddeと言えば、数ヶ月前に購入した古本、『決定版ペットバード百科』(デビッド・アルダートン著 島森尚子訳 1997年誠文堂新光社 なんと定価は3,500円税抜という高級?本なのだ!!)を思い出した。著者は「英国飼鳥協会の前会長」で「(アメリカ合衆国において)鳥類に関するコンサルタントとして活躍」され、「ペットの飼い方と博物学に関する著作は25冊以上に及」ぶとのあるが、残念ながら、文鳥に関してはトンチンカンなことしか書いていない(訳出されている島森氏は、東京ピイチク会の会員であり、動物専門学校でコンパニオンバードについて講義をされている方とのことだが、「オウム・インコ類の魅力にとりつかれ」とあるので、この段階では、文鳥についてはあまりお詳しくなかったのかもしれない)。 「白ブンチョウの歴史は長く、400年も前に中国で初めて作出されたと考えられています」とある。しかし、これは、日本と中国の区別ができず、白文鳥(Japanese ricebird)と文鳥(ricebird)を混同でもしない限り、思いつかない内容だろう。「ブンチョウの飼い鳥としての歴史は長く、400年も前に中国や日本で飼育され、白ブンチョウは日本で作出された」とあれば、文句を言う隙がなさそうだが、そうした歴史的事実を踏まえた模範解答から程遠く、筆記問題の回答としては0点と言わねばならない。 頭頂部からクチバシにかけて白い羽が多めに出ている文鳥の写真があり(カバー表紙にも使用)、「フォーンのオス」とキャプションがついているのも奇妙だ。説明文には、「フォーンは1950年代後半にオーストラリアのアデレイドの巣引き場で最初に現われ、それから世界中に広まりました」とあるのだが、この世界中に日本は含まれないのではなかろうか。頭に白い差毛が、大きな花模様のようにある桜文鳥なら、我らが日本国には、100年前から今日只今これを見ている人の目の前にも、普通に存在するのである。 シナモン文鳥のことを、フォーン文鳥と呼びたがる人は、日本にも稀にいるようだが、このフォーンはfawnで薄茶色の意味だ。一方、この書物の「フォーン」が何を意味するのであろうか?パイドには全身有色の多いものから白に近いものまでいろいろなバリエーションがあるといった説明があるので、著者は中間雑種のごま塩柄を含む桜文鳥をパイド(paid=ぶち模様)と見なしているのは明らかだ。となれば、挿絵のキャプションを「パイド」とすべきところを「フォーン」としてしまっただけのようにも思える。ところが、「フォーンパイドと白ブンチョウをかけ合わせるとフォーンパイドが生まれます」とあるのは、どのように解釈すれば良いのだろう?この「フォーンパイド」なるものが、字義通り白斑のあるシナモン文鳥とするなら、白文鳥の色因子に対して劣性のシナモン因子が、子供の表現型となることは、通常有り得ない。 他にも、「抱卵期間は14日」との間違い(正解は16もしくは17日)、若鳥は「胸に縞模様がある」といった理解不能なことまで書いてある。それも、たった1ページの文鳥についての説明の中でのことだ。これでは、「文鳥に関してはトンチンカンなことしか書いていない」と連呼されても、反論できまい。もちろん、文鳥の説明がされているたった1ページだけを見て、この本の価値を測るのは不当だ。しかし、そのたった1ページで他を読む気力が失せて、数ヶ月間うっちゃっておいたのも事実である。何とも、遺憾とするところだ。
2013年10月27日
閲覧総数 247
33
小悪魔コビィ 来月からの年号『令和』については、その読み方のアクセントも話題になっているそうだ。産経新聞の「令和」のアクセントは? 放送各社で対応分かれる、との記事によれば、語頭にアクセントがくるのを頭高型と言い、政府やNHKはそちらで発音し、それに対してTBSはアクセントがない平板型を採用するとある。 記事では、神戸大の先生が何やら解説しているが、とりあえず無視して結論を言えば、標準語の読みとしては頭高型が正解である。前にもここで書いたが、標準語のアクセントは日本の中で特殊で、単語のアクセントが語頭にくる頭高型が多い。迷ったら、そちらで発音しておけば、大抵は正解と言えるほどだ。 地方出身のアナウンサーなどは、標準語を要求され単語のアクセントに迷うかと思うが、それは単語だけで考えてしまうからだと思う。しかし、単語の発音は、センテンスに入れて読んだ際に、標準語なら標準語、地方訛りなら地方訛りとして、自然なものは何かを考えるべきもので、単語だけでどちらか決まるものではない。 令和の場合は、「今日から令和元年になりました」といったセンテンスに入れて言ってみたら良い。さて、レイワを平板型で読んで標準語のイントネーションを保てるだろうか?おそらく平板型で発音してしまうと、「元年」の発音が頭高型を保てず、「になりました」に向けて尻上がりになるはずで、それは未だ拙い機械の合成音か、無理をした地方出身者のどちらつかずのイントネーションで、不自然になるのである。 逆に言えば、例えば神戸を含む関西弁では、平板型でなければ関西弁のイントネーションは保てない。したがって、神戸大の先生が「令和もなじむにつれ、時代とともに平板型の読み方が定着していくのではないか」と仰るのも理解できる。しかし、標準語しか話せない者からすれば、それはあなたの地域の話で、標準語が標準語のイントネーションを保つ限り、令和の発音は平板型にはなり得ないとしなければならない。 標準語のイントネーションは日本の中で特異なので、それを身に付けるのは、なかなか難しいものかと思う。センテンスとして読む際の抑揚さえ身に付けば、単語のアクセントは自ずと理解できるものである。 ・・・で、TBSは東京の六本木にあって東京ブロード何とかと自称するのに、なぜ平然と標準語以外の発音をさせたがるのか?いつものことなので(例えば道の「交差点」の発音はこのテレビ局だけ平板型だ。数学の交差点はそれで良いのだが、では、「六本木交差点で待ち合わせ」と交差点を平板型で発音して読んでみたら良い。たぶんヘロヘロになって標準語のイントネーションは保てない)、奇をてらいたい幼児性の目立ちたがりなのだと個人的には断じる。 などと蛇足に興じている場合ではなかった。 今日、ツイカ&サンが育ててくれた2羽のシルバーヒナを引き継いだ。最終的に24gと26gの立派なヒナでなかなか将来有望な気配であった。なお、今回から、玄関にあった小さなテレビ台を利用した育雛室を放鳥部屋に移して運用することにした↓。今までの2倍の収容力を持つ優れものだ。 一方、コビィの神経過敏は日増しに悪化し、羽を抜いても飛翔能力はさして変化なく、少々困っている。ヒナ換羽が終わったら落ち着いてくれるように祈るばかりだ。
2019年04月04日
閲覧総数 1219
34
居残らないシルバーっ子 モーリとシルバー文鳥をペアにすると、五割の確率でシルバーが生れるはずなので、最初に生まれる子がシルバーなら、「文鳥団地」のウチの子シルバーが確立する・・・。という皮算用なのだが、先は長い。 それにしても、シルバーっ子の黒クチバシも素敵だ。桜っ子の黒クチバシは光沢があってピカピカだが、シルバーっ子の方はつや消し仕様だ。 ↑の子は、近いうちに他家へ行くことになるが、引き続きその弟か妹1羽の育雛を行う予定だ。昔聞いた話では、繁殖シーズン始めの秋生まれの方が、シーズン終わりの春生まれより体格が立派、となっていたが、今回の事例でウチの結論を出すなら、まったく逆となる。だんだん体格が立派になったのである。 ↑の子は29g級、その一腹分兄弟(姉妹)は30g級・・・となると、次はどうなるのだろうか。楽しみにしよう。
2019年04月23日
閲覧総数 689
35
姿は文鳥ヒナとほぼ同じ 期待していた「ルイ」も手元を離れ、気が抜けてしまった飼い主の気持ちなど無関係に、3日に孵化したヨーロッパ十姉妹ヒナっ子5羽は、実に順調に育っている↑。たくさんエサを与えていて、実に立派な両親だ。 十姉妹繁殖計画は、短い間にいろいろだったので、備忘のため整理しておこう。 商売物のシルバー文鳥夫婦が抱卵中に売れてしまうような場合、仮母になってくれる十姉妹がいると便利だな。というのが直接の動機で、伏線としては、小学生の頃の飼育経験があった。さらに、ペット生体の卸会社のリストに手乗り十姉妹、つまりヒナの十姉妹が掲載されていて、そういった需要もそれなりにあるのだろう、と知ったから、であった。 それで、文鳥の生体を仕入れる際に十姉妹も頼めば良いかと思っていたら、十姉妹のペアはいつも「予約」で在庫がないらしく、いろいろあたっているうちに、5月中旬になって、リストの「予約」の文字が取れていたので、「並」十姉妹(日本の昔ながらの十姉妹、和文鳥とも呼ばれる)のペア、それと、♂♀分けて売られペア販売ではないヨーロッパ十姉妹を♂1羽♀2羽仕入れた。 オスとメスを分けながらペアにしないのは、兄弟姉妹の可能性があるからではないか?と考えられるので、ヨーロッパ十姉妹は1羽を別ルートで入手してペアにする腹積もりであった。 ところが、あにはからんや、ペアはメス同士、ヨーロッパは3羽ともメス、つまり、5羽仕入れたらみんなメス、という、奇跡的な珍事が起きてしまい(ついで一緒に仕入れたオスのはずの文鳥2羽もメスだったりする・・・)、オスかメスかわからず右往左往することになった。 とりあえず、メスとして仕入れた十姉妹はオス的要素がないので、それに婿を迎えた。この婿はブリーダーさんから購入したのだが、何でも愛好団体の品評会で優勝した十姉妹の子で、確かに仕入れた十姉妹より一回り大きくただならぬ雰囲気を漂わせているように思えた。 このチャンピオン直仔の貴公子くん(したがって名前は「コーシ」)に、メスとして仕入れた2羽のうちこげ茶色の「クマコ」ちゃんをペアとした↓。ところが、産卵しそうな感じだった「クマコ」が5月末に急逝し、もう一羽のメス(薄茶)は「コーシ」に嫌われていたので、オスとして入荷した賢い子(リーダーシップがあるので「リーダ」)とペアにした。 まったくの偶然だが、「コーシ」と「リーダ」は同じパール柄で色合いも似ている。何となく収まるべきところに収まった感じで、6月中旬に産卵をはじめ18日頃には抱卵を始め、7月3日に孵化したのであった。 一か月半未満でヒナが誕生しているので、一見順調だが、内実は順調どころではなかったわけだ。奇跡のカップルから誕生したヒナたちの今後に期待したい。
2019年07月08日
閲覧総数 1934
36
嫁いびり?するシルバ レイは飼い主の好きなタイプの容姿をしたシルバー文鳥だが、残念なことにおつむが弱いようで、繁殖能力にも欠け、「ダメ嫁」と呼ばれている。 現在、夜の帰宅の際に真っ暗闇の中を逃げ回り、危ないので翼の羽をむしり取り、飛べない文鳥となっている。飛べないくせに先日は失踪事件を起こし(豆苗の陰に隠れて一夜を過ごしたらしい)、数日、夜の放鳥に参加させなかった。その間、夫のモーリは寡婦(実母)を愛ジンとしていた。・・・で、今夜、試しに出したところ、↑、愛ジンから邪険にされてしまった。 正妻には、しっかりして頂きたいものだ・
2022年07月22日
閲覧総数 1446
37
トゲトゲリオくん 順調に生えてきたが、体力の消耗が激しいのか、それともそれが普通なのか、リオくんはヨタヨタしてはひっくり返る。 すすけた背中は元に戻るはず。頬と頭の羽毛は抜け落ちないようなので、換羽は長引かないかと思う。早く羽揃えよ。
2015年10月31日
閲覧総数 1600
38
ソウ・テイ この姉妹なら、一緒に仲良く水浴びをする。彼女たちの主観世界では、姉妹ではなく、夫婦だから、である。 この相思相愛のカップルに、アリィを加える・・・。何が起きるのか、ちょっとわからないな。もちろん、アリィを追い出そうと攻撃するかと思うが、換羽が終われば、アリィはやたらと厚かましく、さらに変態なので美女2羽に構ってもらって、むしろ喜んでしまうかもしれない。 かえって話がややこしくなりそうなので、これは最後の選択肢にしておきたい。
2016年05月26日
閲覧総数 356
39
夫婦仲良好でも アラシの誕生日は今月15日。6歳になる。・・・あのアラシが6歳とは、不思議だが、今シーズンは産卵から卒業したようだし、若くはないのは否めない。 それでは夫婦仲良しで老後の生活を楽しんでもらいたかったのだが、夫より大きな頭のアラシの目つきがあやしいな↑。よく見たら↓、胸の羽毛を引っ張っているし。・・・今後もいろいろやらかしてくれるだろう。期待したい。
2019年10月05日
閲覧総数 523