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先日、差し餌中のヒナたちを家に残し、都内は神田の貸会議室で試験を受けて、めでたく小動物何ちゃら管理士となった。もちろん、そのような民間資格は有閑なる自己満足と心得るが、私の場合、必要上やむを得なかった。なぜなら、動物取扱業を営む際に必須の動物管理責任者になるための要件に、このような民間資格の所持がいつの間にか加えられ、その履行が求められているからである。 つまり、ほ乳類や鳥類や爬虫類の生体を扱うペットショップなどを合法的に営業するには、もともと地方公共団体(保健所など)で動物取扱業の登録をする必要があり、その登録には取扱責任者の選任が必要で、その取扱業責任者になるには実務経験のみで要件を満たすことが出来たが、今後は(6月以降の登録では。つまり現在の登録が失効するまでは資格は必要ない)、何を基準にしたのか知らないが、環境省が「動物取扱責任者の要件を満たす資格」(↓※埼玉市の場合、地域により掲載時期により異同があるようだ。だ・か・ら、雑すぎるのだよ!)とするものの中のいずれかの取得が必須となったのである。※愛犬飼育管理士/家庭動物管理士/愛玩動物飼養管理士/小動物飼養販売管理士/認定家庭犬しつけインストラクター/動物看護士/動物介在福祉士/動物看護師/家庭犬訓練士/動物取扱士/トリマー/公認訓練士/認定ペットシッター/ペットシッター士/GCT(Good Citizen Test)/愛護動物取扱管理士/競技別指導者資格馬術コーチ/競技別指導者資格馬術指導員/競技別指導者資格馬術上級コーチ/公認馬術指導者資格コーチ/公認馬術指導者資格指導者/乗馬指導者資格/乗馬指導者資格/地方競馬教養センター騎手過程修了者/調教師/実験動物技術者/認定動物看護士 そのような資格要件の変更は、2020年6月の環境省令によってなされている。『動物愛護法』の改正に伴いそれに則って行った形だが、驚くべきことに、すでに資格を所持しており、その変改により明らかな不利益を被る者に何ら説明はなく、私個人は2022年1月に動物取扱業の更新を行った際に、施設の確認に訪れた担当の地方公務員氏から聞くまで、一切知らなかった(資格要件変更についての通知が届いたのは、何と!今年2023年の3月。三か月足らずで資格が取得できると思っているようだ)。 初耳の話に驚き、地方公務員氏を「それは環境省の役人が天下りする先を確保したいだけじゃないのか?」と難詰したのはご愛敬で、メールどころか国家公務員の一片のファックス(「いい加減にデジタル化しろ!」とタロー【大臣の河野太郎さん】が言ってるはず)で振り回されるだけの現場職員に言っても始まらない。 本当は環境省に直に苦情をぶつけたかったが、残念ながら体力にも気力にも時間的にも余力がなかった。もちろん省令とは、国民に「義務を課し、若しくは国民の権利を制限する規定を設けることができない」(国家行政組織法第12条)ものであり、資格要件の追加により現に資格を有し、その資格が将来継続されるものとされていた個人の権利を損なうような変改は、中央官僚による越権と見なす余地があると認識している。しかし、一方で、個人的にその手の動物関連の資格認定とはどういったものか、前々から興味もあったので、国家公務員諸君のご見解をただすような面倒ごとは避け、話の種に資格を取得することにした。 そして、比較的リーズナブル(とはいえ3万円以上)で更新などの面倒が少なそうな資格を探し、昨年秋に受験したところ、はっ!はっ!はぁ~~、不合格であった。もちろん、試験内容は難しいものではなかった。事前に送付される「過去問」をチェックして当日の講習を聞いて、試験前に1時間ほど昼ご飯を食べながら確認していれば・・・95点は取れた手ごたえながら落ちたので、自分でも驚いてしまった。何しろ、70点で合格という極ゆるい資格なのである。いかな私でも30問も間違えるのは至難だ。 しかるに、思い当たらないでもなかった。何しろ、試験当日は何かと気ぜわしく、特にヒナの差し餌中で、早く帰ることばかり考えてしまい、実際、2時間の制限時間の内1時間経過したら提出できると聞いて、1時間後に内容などほとんど確認せずにさっさと答案を出して帰ってしまっていたのである。つまり、解答欄を間違えるという、私に限ってならよくあることをしたのだろうと、推定された(解答欄はかなり簡略なわかりづらいものではあった)。 なぜ30問も間違いを許容する試験に落ちたのかはともかく、3月に再試を受ける羽目になった(実にやさしいシステムだ。感動する)。もちろん、当然の如くに今度もヒナの差し餌中で時間を気にすることになったが、経験者なだけに・・・ほぼ勉強せずに臨んだ(懲りない)。会場では「解答欄を間違えるな」「30問間違えることは無いので慌てるな」などと「それ、私に言ってますぅ?」な注意がなされていたが、ご忠告いただくまでもなく、今度は問題用紙の解答する番号に丸を付けて、後でその通り解答用紙に番号を記入したかダブルチェックまでした。それでも前回同様提出可能な最短時間で片づけて、パパッと帰宅できたのは、やはり経験の賜物だろう。 合否発表は4月10日で受験番号をサイト上に掲示する旨、講師の先生が言っていたので、その日を待って確認したところ、なぜかいきなり「合格」と表示され、1日には発表されていたともあって、9日損した気分になった。もし、私が若くて生真面目な人間なら、「約束がちがう!!」とか言うかもしれないが、そのような手違いは珍しくないので(資格要件変更の特需で志願者が増えて儲かるかもしれないが、多くの人数を処理するノウハウはすぐには培えない)、粛々と「ポチッとな!」と認定証を申請し、それが本日13日に早くも届いた次第だ(早!!)。早速、地方公共団体担当部署(生活衛生課だったっけ?)に認定証のコピーをネットで送り、晴れて、自分が無資格で不利を被るから環境省を非難するとの誤解を受けずに済む立場となった。 と、言うわけで、非難させて頂こうか!! いったい、義務教育以降に試験の経験がない人に、それがどれほど苦痛になるか、国家公務員試験の合格者に理解できまい。学校での成績が良かったのはご立派なことだが、そうではない友人の気持ちを察することが出来なかった生徒・学生だった当時の己の至らなさにも人として気づければ、行政を担う官僚としての今後の役にも立つかもしれない。何しろ、彼らは試験というだけで死ぬほど嫌なのである。アレルギーと言っても良い。教室に集まって黙って問題を解くなど、考えただけでも逃げ出したくなるのだ。問題文を読みたくないし、解答を書くのも苦痛この上ない。これでは、持てる知識を試験に反映することなど不可能だが、本来、日常生活で試験など必要ないので何ら問題ないはずなのである。 昔、考古学の教授が発掘現場での必要から土木作業の何らかの資格を受験しに行き、必要な資格と抱き合わせの形で「一級玉掛け士(現在は存在しないらしい)」の資格試験を受けた際、周りは現場作業のプロのおっちゃんばかりだったが、筆記試験が致命的に苦手で気の毒だった、といった話をしていた。それが世の常識で、現場作業に筆記試験は無意味なのである(現在は実技試験に重きを置いているようだ。当然と言えよう)。無意味な試験でプレッシャーをかける意味など無い。試験などない世界で腕を磨いた職人に、紙切れテストなど無用である。そのような無用なことをアレルギーを持つものに押しつけるなど、愚の骨頂であり、たんなる加虐趣味にしかならない。 犬猫を主眼とする動物愛護法の改正において、犬猫も牛馬もげっ歯類も小鳥まで一括りにし、資格団体の精査も怠り(資格認定団体と環境省があげている中には、実態があるか怪しいものが含まれている)、国民の生業を一片の省令で奪うような真似をしては、国家公務員としての見識と品格が問われよう。そもそも無意味な試験を一省庁が省令をもって強制するのは、それを実施する資格認定団体を国家公務員の天下り先にしようとの目論見ではないかとの邪推まで招くことになる。受験者が増えればそれだけ認定団体は利益を得るので、確かに、利権にはなり得るのである。そのように痛くもない腹を探られる立場に、わざわざ身を置くとは、実に酔狂な省庁と言わねばなるまい。いったい、環境省の官僚出身者が、今後そのような資格認定団体の理事職に名を連ねていたら、無意味な試験の強制で不利益を被った国民はどのように感じるであろうか。苦手な想像力を少しははたらかせるべきだろう。また、一時環境省に在籍しただけで無能な天下り官僚と見なされてしまう理事も気の毒と言わねばなるまい(認定団体の理事名簿をお調べください。・・・おやぁ~?)。 実務経験に勝るもの無し、それがわからないのは現場を知らない素人だけ、なのである。何ちゃら士などになろうとなるまいと、それが動物管理責任者として行っている実務とは無関係だ。個人的な話なら、そもそも文鳥の飼養に、フクロモモンガの生態を記憶させて何の意味があるのか問い詰めたい。犬猫のための改正を契機に、平然と無関係な動物種に携わる者に余計ごとを強制する、無責任で雑な考え方を改めてもらいたい。「地方競馬教養センター騎手過程修了者」なら犬猫も小鳥もヘビも扱える?そのようないい加減な認定資格に何の意味があるのか、無意味なことにこだわれば、それは利権目的としか考えられないではないか! まして、それぞれの動物種についての専門知識のない認定団体などが頼りとする、環境省の「教科書」は科学的エビデンスに基づいているのかすら怪しい。例えば、環境省による「ペット動物販売業者用説明マニュアル」は、文鳥の孵化日数を14日としているが、そのように早くは孵化しないので、これは虚偽だ。孵化日数など、有精卵を孵卵器に入れて何日で孵化するか実験すればすぐにわかることだが、どこぞの「専門家」がまとめたような飼養のマニュアルなど、単純な実証実験すら行わない科学的にいい加減なものでしかないのが実情なのである。しっかりした教科書があって、書いてある内容はおおむね正しく、それを暗記すれば済む世界(例えば国家公務員の試験)ではない現実を正しく理解した上で、現場はくだらぬ資格や官製マニュアルよりはるかに高度な専門性で成り立っていることを理解し尊重してはいかがであろうか。 犬なら犬、猫なら猫、小鳥なら小鳥、それどころか種類ごと、さらには品種ごとに、必要とされる専門知識は異なり、それは実務により培う以外になく、試験など出来るものではない。そもそも、試験会場は都市部に偏重してしまい(営利を前提とする民間団体は受験者の少ない過疎地には試験会場を設置できない)、住む地域によって格差が生じるのを認識しているのかも怪しい。 この省令による資格要件の変更は、民間丸投げの無責任な制度変更で、何の罪もない年寄りが経営するペットショップを潰すような有害なものであり、現場を理解しない無能な行政の過誤でしかない。したがって、被害の少ないうちに、省令を改めることをお勧めする次第だ。もちろん、資格要件に民間資格を利用する場合は、昔と異なり現在では、その資格認定団体の理事に環境省の元役人が再就職など許されないことを、肝に銘じるべきであろう。<<付けたり>> 本文を書く際によく見ていなかった保健所からの通達文を確認したところ、仰天の内容だったので、補足で『非難轟轟』する。 まずは、今年(2023年・令和5年)の3月2日付で保健所の課長氏が「管内第一種動物取扱業者各位」に送付してきた文書をご覧いただきたい。 3ヶ月足らずの5月31日までに資格の取得を求め、「期日までに選任がされない場合は法律違反となるため、登録の取消しとなる」と脅した上で、「3月中に資格試験の受験申込を行ってください」としている。「依頼文」と称しているが、これは脅迫文ではなかろうか? 日本人の特に高齢者は真面目なので、このようなお上からのお達し?を受ければ、5月いっぱいで廃業しようと考えて不思議はない。しかし、所管の保健所課長氏は、3年の経過処置に関する環境省令第六号第二条を間違って理解しているように思われる。環境省令第六号第二条(令和2年2月28日)「動物取扱責任者の選任要件については、この省令による改正後の第九条第一号の規定にかかわらず、この省令の施行の日から起算して三年を経過する日までは、なお従前の例による」 ここで「三年を経過する日までは、なお従前の例による」と規定しているのは、登録の更新が従前の資格要件のままで良いとするもので、「期日までに選任がされない場合は法律違反」とするものではない。むしろ、登録料を取っておきながらすでに所持する権利をはく奪する「登録の取消し」などしたら、・・・行政過誤で責任問題になるかと思う(それは事後法の遡及でして・・・、普通に憲法違反かと・・・)。役職の下に「補佐」が加わっても知らないぞ?と私なら脅してしまうかもしれない。そもそも地方公務員氏が登録を取り消す法的権限など見当たらない。もし、課長氏が愚民を脅して従わせようと権力を見せかけるとしたら、小役人根性で身を滅ぼすことになりかねないので、役人人生を全うしたければ態度を改めることをお勧めする。権限のないことに権限があるようにして権力行使をちらつかせるなど、公務員としてあってはならない態度である。 経過処置についての解釈は、おかげさまで取得した資格を受験した際の講義にあり、『経過措置3年間』について、「現在登録を受けている方は、2020年6月施行から、3年間は従前の要件で登録の継続ができます。しかし、2023年6月以降の登録更新は改正の要件となります」と正しく説明されている。つまり、現在、取扱業者に登録している人は、その登録期間は改正による影響を受けないが、次回の更新の際は資格が新たに必要となるので、それまでに取得するように努力してもらいたいと、「依頼」する程度が、保健所の課長氏が通達できる内容の限度なのである(高齢者で資格取得が難しいと思われたら、中央官庁に実情を伝え、法運用の現場として猶予期間をとるか、私なら見て見ぬふりをするけどな)。 担当課長が変わったのか、それとも環境省が整合性のとれない指示でも出しているのか、誠に不思議で、地方行政に不信を抱かせる残念な脅迫文と言わねばならぬ。
2023年04月13日
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アラシに付いて回っているヒノ(・・・どこに魅かれたのやら) 昨年、コキンチョウの野生種が絶滅危惧種として取引が禁じられているので、普通に家で繁殖され町中の真っ当なペットショップで売られている飼育種(飼養種)の取引も違法と指摘する「専門家」が現れ、それに踊らされたマスコミが鵜呑みにして報道し、その報道に愕然として、野生種と飼育種の区別ができないペット動物の品種改良に対する認識不足に起因する見当はずれ、と、このブログで散々に書き連ねたのは(10/19~カテゴリーを「動物愛護法関連」に変更した)、まだ記憶に新しい。 その問題、コキンチョウについては、法的な決着がついていたことを、昨夜知った。昨年末、12月28日付の環境省による報道発表によれば、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律施行規則の一部を改正する省令」が、本年1月2日から施行され、コキンチョウなど4種について、「繁殖個体に限り、希少野生動植物種の保存に支障を及ぼすおそれがないものとして譲渡し等の禁止の対象から除外」されたのである。 この改正に対する意見募集が、昨年11月に行われていたそうで、「コキンチョウについて国内流通に係る規制の適正化を図ることに反対。コキンチョウについては国内の繁殖業者が限られており、商売としての繁殖は海外からの異血導入が必須である。近年、原産国のオーストラリアでも個体数が著しく減少しており厳しい規制が轢(※ママ おそらく『敷』)かれているが、海外では違法で流通する個体数も多い。簡単に容認すれば、法の目を潜ってそれらの個体が国内に流通することも考えられる」といった反対意見も寄せられていたが、環境省側は、「コキンチョウ)については、ヒアリング及び文献調査等の結果、国内で商業的繁殖が一般的に行われていると認められること、また、違法に輸入された個体が国内で流通しているとの情報はないことから、規制の適用を除外することが適当だと考えます」と、実に明快な回答で一蹴している。 環境省自然環境局野生生物課の対処は、実に素早く、担当者はよほど有能と思われる。感服仕った!、と申し上げたい。グッドジョブ!! それにしても、「商売としての繁殖は海外からの異血導入が必須である」などという実態とかけ離れた妄想は、いったいどのような風聞を基にしてのものだろうか?確かに、異血導入などと称して野生種を導入したがる人は、文鳥の繁殖においても、昔からごく稀には存在したようだが、人工繁殖個体が多い種では、すでに飼育種内での系統分岐のすそ野が広いので、野生を導入する必要はない。そもそも、飼育に適した性質を人為淘汰により獲得しているはずの飼育種に野生の血を導入すれば、飼育に適した特性を台無しにする危険もある。 飼いならすだけでも大変な野生の個体を、繁殖するまでにして得られる成果は・・・、たぶん、ただ多少乱暴な性格を持つ子が多くなる程度と思われる。したがって、そのような無駄な努力は、普通行われない。異血を必要とするなら、別系統に相違ない外国の飼育種で十二分なので、「野生の血」にこだわるのは、異血の必要性ではなく、「野生の血」に対する何となくの個人的信仰でしかないと思う(犬の繁殖にオオカミやジャッカルの血を導入するだろうか?)。 もちろん、この改正にしても、ことの本質からは、ずれている。本質は、野生種と飼育種は、絶対に混同してはいけない別物、という事実にこそある。 しかし、野生動物は学名で把握できるが、飼育種ではそれが不可能(分類学の対象外)なので、法律表現としての区分は困難となるかと思う。そこで、とりあえず「繁殖個体に限り、希少野生動植物種の保存に支障を及ぼすおそれがない」とするしかないのだろう。しかし、本来は、別物なので別物として扱うだけの単純な話で、生き物を愛する人なら、しっかり認識しておくべき常識として、繰り返し啓蒙すべきだと思う。なぜなら、野生種と飼育種の区別も出来ないようでは、野生種の保護にも支障をきたすことになり(飼育種を野生に「帰す」などと考え、それが遺伝子汚染になるとは想像しない)、飼育種の愛好にも迷惑となってしまい(代々飼育下で育まれた良い面の特性を認識できない)、さらには中央のお役人の皆さんの手数を煩わせることにもなってしまうからである。 法律はもちろん大切で順守するのは当然だが、それ以上に常識は必要で、常識外の法律なら、場合によっては改められねばならないと(改善するから進歩する)、少し柔軟に考える習慣を持ちたいものだと思う。今回は、法律の不備で、法律の文章だけを見れば、飼育種のコキンチョウまでが違法と見なされる要素が、平成5年から十年以上放置されていたことが露見し、迅速に修正された。怪我の功名、結果オーライとなって良かった。
2017年01月16日
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安定する脚の位置を探し当てたらしいイッツ エサ場にも水場にも近いこの位置↑が落ち着くらしい。水飲みの水は天井に設置されたヒーターで温められているので、案外暖房効果もあるようだ。たくましいので、安心させられる。 ヒノは他の文鳥たちを寄せ付けない。正確に言えば、なぜかノコリにだけにじり寄っていくが、他の桜文鳥が近づくと追い払い、白文鳥が近づくと飛び退いて離れる。総じて、孤高と言える。心を開く日が来るのか、今しばらく、様子見である。 そして、勘弁してくれと悲鳴が聞こえる気もするが、昨日の続きである。 インコ類、正確に言えばオウム目の鳥たちは、300種類ほど存在しており、飼い鳥となっているものだけでも、小型のセキセイインコから大型のヨウムのようなものまで幅広い。したがって、インコ類の知識だけでも、それが十分に備わっていれば、よほど博学と言えると思う。しかし、今回の件に限れば、小型のセキセイインコについての知識不足を露呈している。もし、その認識が深いものであれば、飼育種のコキンチョウを見て、保護すべき野生種と安易に混同するはずがないのである。 で、ようやく、野生種と飼育種が学問上同種でも実際はまったく異なる例の真打ち登場だ。セキセイインコさん。この飼鳥として最高の人気を誇る小鳥は、ご承知のように、原種からの品種改良が盛んに進んで、色も形も多様なバリエーションを持つようになっており、そうしたバラエティーの豊かさが、魅力の一つにもなっている。 ところで、オーストラリア大陸で群れて飛び回っている野生種のそれとはかなり違った外観になっている飼育種が、やはり、オウム目インコ科セキセイインコ属セキセイインコ、学名Melopsittacus undulatusとして、野生種と同じ種に分類される存在であることは、「専門家」なら当然、ご存知のことかと思う。であれば、コキンチョウを云々した「専門家」氏の理屈では、野生のセキセイインコが、万一絶滅危惧種になった場合、日本その他世界のセキセイ愛好家の元で暮らしているブルーやルチノーやオパーリンやジャンボや羽衣たち、そうした野生には存在し得ない飼育種が保護対象とされて、飼い方などろくに知らない公共機関のお役人や、どういった権限があるのか不明な民間団体に連れさらわれてしまうことになる(の?)。それが現実的か、また論理的か、さらに科学的か、自ずと答えは明らかなものと思う。 ついでに、飼鳥としての歴史はセキセイやカナリアに引けを取らない大型インコが(カリブ海の海賊の肩に止まっているぞ!)、飼育種として野生種から分離出来ずにいる理由を、お考えになったことがあるだろうか?私も深く考察したわけではなく、今現在、テキトーに思いつくまま書いているが、普通に考えれば、根本的な要因は性成熟年齢の相違かと思う。簡単に言えば、1年未満で成熟し繁殖し、しかも多産の種類は、品種改良がしやすいのに対し、大型インコではそれが難しいからだと思う。例えば、ほ乳類にしても、犬はめまいがするほど品種改良が盛んで、覚えるのは不可能ではないかと思えるほど多くの品種が存在しているが、一方で古代から人に使役されているにもかかわらず、象の品種改良は聞かない(飼育下での繁殖もいまだに難しい)。 人間には新奇なものを好む性癖があり、いろいろなものを集めたい蒐集癖もある(もちろん個人差は大きい)。品種改良には、自分好みの姿に近づけていく楽しみがあり(「デザインする」といった表現もあるようだ)、新たな姿を生み出す達成感もある。もちろん「断然桜文鳥派」の私には、そういった方向の願望は薄いが、そうした人の欲望により、品種改良が行われているのは事実であり、それも実に盛大に行われていることを、認識しないわけにはいかない。そして、そうした人々の欲望を叶えるのに、あっという間に成熟し、しかも子孫をたくさん産んでくれる生物は、実に好都合に相違なく、そうした需要があるために、カナリア、セキセイなどの小鳥や、犬や猫などは、野生種とはかけ離れた姿に変貌してしまい、野生種が絶滅危惧になろうと無関係な存在になっている。もはや人為的環境下で完結する話なので、野生動物の進化を大命題とした、分類学上の同一種の範疇か否かや、野生種の保存とは、全く無縁な存在となっていることを、そのようにした当事者である人類は認識しなければ、無責任になるだろう。 鳥類の場合、実際に飼育数が多いのは小型種なので、一般的な活動を行う場合、知識の軸足は小型種に求めなければ、結果的にミスリードに終わってしまう危険性があるかと思う。「インコはみな一緒、小鳥はフィンチでも何でもみな可愛い」と、同一視した連帯意識も必要なことだが、それぞれに違いがあり、違いがあるからこそ、それぞれに素晴らしいのも、また真実ではなかろうか。こうした種の違いを常に意識することも、知識を吸収する際に必須の心がけだと思う。大型インコのスペシャリストで、インコ全般、さらにはフィンチ類を含む専門家を志す方々には(もしくは、小型種の飼い主にもかかわらず、大型種の飼育から生まれた価値観の影響ばかり受けてしまい、小型種飼育の伝統的価値観と相対化することができない初心者)、大型種での知見に流されぬように、この機会に、「イメージしてみて、セキセイインコが絶滅危惧種だと。やってみれば簡単でしょ?」と、ジョン・レノンのごとく唱えていただければと思う。
2016年11月07日
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下界を見おろすヒノっぴ 今夜のヒノは、自分でカゴから出て、飛び方もさらに上手になった。そして、下で他の文鳥たちが大騒ぎ(今夜はトウモロコシあり!)しているのを、首を伸ばして見入っていた。何しろ賢そうなので、テーブルに降りるのは、時間の問題ではなかろうか。 さて、あいちトリエンナーレを、また持ち出してしまう。なぜなら、当初所在不明とされた15羽は3羽に過ぎず、ヒナが10羽育っていて、ヒナ4羽が亡くなってしまったと、先月25日付けで報告されているのに、今頃気づいたからである(コチラ)。 このヒナは、文鳥か十姉妹と思われるが、愛鳥家の有志の皆さんが劣悪環境と認定し、展示された小鳥たちの生命を保護すべきだと見なされた環境でも、新たな生命を育んでいた事実を、どのように受け止められたのであろうか?そして、ヒナ4羽が亡くなった理由を、想像できたであろうか? 相手がいて巣があり飲食がそれなりに足りていれば、繁殖してしまうのが文鳥や十姉妹のすごいところで(それでいながら日本の野生環境には定着できない)、あれ以上に悲惨でしかないペットショップ(当然、動物取扱業で取扱責任者がいる)でも、普通に子育てする姿を見たことがあれば、驚くには当たらない。ヒナが亡くなった理由は、エサが貧弱だから、他の小鳥が邪魔したから、などなど考えられるが、人間が頻繁に掃除するようになったのも、可能性として有り得る。親鳥が落ち着かない環境の巣から、卵やヒナを残して去ってしまうことを「巣離れ」と言うのだが、そのため、繁殖期間中の掃除は控えめに済ますのが基本となることくらい、文鳥で繁殖をした人は知っていなければならない。 いろいろ起こり得るので、レスキューも難しいものだと、つくづく考えさせられた。 さてさて、ついでにコキンチョウを「保護」してしまった件について、野生種と飼育種の事例を補足しておこう。 例えば、スズメ目アトリ科カナリア属カナリア、学名Serinus canariaをお調べいただきたい。この『種』は1種で今のところ亜種も存在しないようだが、古くから欧米で品種改良が進められた飼育(飼養)種は多種多様に存在している。鳴き声(ローラーカナリアなど)、色(レモン、赤、白カナリアなど)、姿(巻き毛カナリアなど)それぞれ別々の方向に品種改良が行われ、もはや同種には見えない。しかし、学問的な種の類別では、すべてがカナリア(Serinus canaria)である。 ハト目ハト科カワラバト属カワラバト、学名Columba liviaも同様なことが言える。日本での通名はドバトで、どこでも見かける鳥だが、その品種改良種は、やはり多岐にわたっている。思いつくだけでも、帰巣能力を高め使役された伝書鳩(レース鳩)や、姿かたちを変容させた観賞鳩、それぞれ欧米での長い品種改良により、独自の進化を遂げており、もはや同種には見えない。しかし、学問的な種の類別では、すべてがカワラバト(Columba livia)である。 飼鳥の品種改良の歴史や文化に多少とも知見があれば、飼育種と野生種を混同することは無いかと思う。しかし、混同した「専門家」は存在し、それにまともに反論できる「専門家」が、不幸なことに現地にはいなかった。なぜだろう?大半はそのようなことを考えたことも無いだけと思うが、いろいろ情報を収集できる人でも、野生種から人為的な品種改良の歴史を持たず、飼育下での繁殖個体と野生の捕獲個体が混在する鳥種の専門家(スペシャリスト)なら、誤解をしても不思議はない。何しろ大型インコでは、最近、ヨウムが絶滅危惧種として国際取引が禁止とされているのだ。 スペシャリストは、知識を深めるあまり、狭いものに終わりがちなので、それを以て、より広い分野での専門性を語るのは危険となる。私のように、文鳥限定ならボロも出にくいが、鳥種の区別をせず深い知識を他に当てはめると、さまざまに迷惑で危険なことになってしまう。有能で行動力がある有志の愛鳥家には、くれぐれもご注意頂きたい。
2016年11月06日
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変わらぬ三角関係 コキンチョウが世界的に飼養されていて、品種改良も盛んなことも知らず、野生種と混同し使用許可が必要だと報じた最初は、朝日新聞だったようだ。今日になって、全国紙四紙(読売・朝日・産経・毎日)の記事を検索したら、朝日新聞だけに記事があり、その配信の日付が17日夜で、NHKや中日よりも古かった(記事)。 「「国際希少野生動植物」に指定され、譲渡には環境相許可が必要」、環境相は環境大臣の意味になるので、間違いではないが、おそらく環境省の誤植だろう。それはともかく、斉藤太郎記者や「保護団体」の指摘どおりなら、自宅で繁殖したら環境省(実際はそれに事務を押し付けられる県など地方の担当部署)にいちいち登録申請しなければならず、死んでしまったら、やはり報告しなければならなくなる。それが可能と思える感覚が、私には理解しがたいので、このような主張をする人は、やはりいろいろ知らないことが多いのだと思う。 例えば、ツシマヤマネコだとかイリオモテヤマネコが絶滅しそうだから、コタツで丸くなっている家猫ちゃんが、「保護」の対象になるだろうか?法律に規定されない過剰な対応にならないように、何の専門家でも良いが、一般常識に照らして、より慎重に考えて頂きたかった。 動物愛護法のどこをどうしても靴裏消毒など書かれていないし、冷静に考えて、その必要性はどこにもない。やりたければ、やりたい者が、自宅の玄関で行えば良い程度だ。それどころか、アワだけの食事であっても、掃除の回数が少なくても、便器の近くに何がどうしてあっても、気温変化への考慮がなく、抜け出しても盗まれてもわからない状態であっても、小鳥の行動を束縛するだけのオブジェが空間を支配していても、おそらく、動物愛護法に違反するとまでは言えないだろう。なぜなら、そのような細かな規定は無理だからである。つまり、小鳥を死なせないように最善を尽くす、といった我々飼い主の常識は通用せず、それをしなくても、責められないのである。 もっとも今回のアレは、小鳥に対して主催者側が無知だっただけで、冷静に指摘すれば改善されたように、思えてしまう。エサの内容を改善し、寒さに弱い鳥種は業者に引き取らせ(たぶん「どうするのかどこにやるのか」と問い詰められたら、気の弱い善人は「業者に売るよ」とは答えられなくなる。より叱られそうに思えるからだ)、病鳥は隔離して可能な範囲で看護し、抜け出しや盗難への対策を考慮させるだけで済んだ話だったのではなかろうか。もちろん、小鳥を展示していながら、小鳥の管理責任者が不明瞭なら(取扱責任者の表示は義務)、行政へ指導を要求するのは、その「事業所」を利用する市民の権利である。速やかに権利を行使すれば良い。 経緯はよくわからないが、そのように主催側に要求しても、あまり思うように改善が進まなかったか、理想が高いために、改善の内容に不満で、民間レスキュー団体に頼った人がいたのだと思う。もちろん、それは誤りとは言えず、その団体のその後の行動も立派なものと言える(わざわざ愛知まで行って掃除その他のボランティアである。真似できない)。しかしながら、その内容は、法律上必要な最低限からは過剰な介入で、現地の関係者が無知なお人好しだったので、従順だったが、少し知識があったら大きな反発を招きかねない危険性を秘めていたのではなかろうか。何しろ、法律的根拠が無い、のだ。 挙句が、一般的な飼育種に「種の保存法」を適用させようとする妄動を引き起こしてしまった。やはり、結果的には、過ぎたるは猶及ばざるがごとし、と言わねばなるまい。せっかく、生命を救いたいとの真っ当な動機なのだから、周囲を敵としないで協力を得られるように(ネットでは、とかく悪者探しをして非難一色になりがちだが、過失と犯罪は違う。それが事実かは知る由もないが、小さなお店でアワだけ与えて小鳥を売っていた長い経験を持つ人が、広いスペースでの展示でもそれで良いと思っても、それは軽率だったに過ぎないと私は思う)、無関係な人に迷惑にならないように、愛鳥家なら小鳥に対して偏見を招かないように、今後は更に、慎重に慎重に、行動して頂きたいと願っている。 で、明日、あいちトリエンナーレも終了とのことなので、この話題は休題とする。 さて、三角関係。アリィとソウ・テイ姉妹だが、このまま変わらず、中途半端な関係のまま同居を続けそうだ。 ヘイスケ系が存続するためには、一番可能性のある3羽と思えたのだが、これは期待薄かもしれない。基本的に、文鳥の自由意思に委せながら、15代も続いたのが奇跡なので、この際こだわらず、新王朝を興すべし、とも考えたのだが、その始祖となるべきノブは、せっせと無精卵を温めつつ、キミョーの追い掛けたり、ひたすら食べまくったり、呑気な毎日で、どうしたものかと悩んでいる。 ・・・しかし、それより目先の老いらくの恋もろもろを、どうしたものか、悩みは尽きない。
2016年10月22日
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息子の後妻にさえずってご機嫌なテン コキンチョウの件は、NHKまで無批判にニュースとして垂れ流してしまっている(NHK)。その画像を見れば、コキンチョウの胸の色が白いので、これは人為的な改良品種と思われるが、「コキンチョウ」なら皆同じと信じて疑わないのだろう。呆れる。 コキンチョウは文鳥や十姉妹より寒さに弱いので、環境の整った場所に移しただけだと思うが、運悪く、理由を保温ではなく「種の保存」のためとの浅知恵で勘違いした人がいて、その人の声が迷惑にも大きかったのであろうか? 今月半ばまでに、このうちの20羽余りが死んだり、外に逃げ出したりしたことがわかりました。鳥の中には、「種の保存法」に基づいて絶滅のおそれのある希少種に指定され、国内での販売や譲渡に環境省の許可が必要なオーストラリア原産の「コキンチョウ」も含まれていましたが、国の許可は受けていなかったということです。 皆、外に逃げ出したと断定しているのも不思議だ。私なら、盗まれた可能性も考える。何しろ、「金目」のものなら、何でも盗む輩は、日本人にもいる。 繰り返すが、販売や譲渡が原則禁止なのは、絶滅が危惧されるオーストラリアに生息する野生種と考えるのが常識的だ。同じ種類で学名も一緒だと言われそうだが、そもそも動物の分類学は、自然の進化過程を詳らかにする目的のものなので、家畜なりペット化して人為的に改良された品種は、通常、その研究対象にならない。 こうした話を聞くと、野生種と飼育種の違いを理解しない人は、種の保存についての認識が甘すぎると思える。品種改良どころか、人間が捕獲して持ち去った時点で、その捕獲された野生種すら、自然の進化をDNAレベルで汚染する存在となってしまうものなのである。なぜなら、同じ種でも地域的な相違があり、それが発展して進化上の分岐に至る可能性を秘めているのに、そこに人為的に別の地域の同一種を放せば、今までの自然な独自性が破壊され、本来あるべき進化を阻害することになりかねない。 このように、種の保存とは、実にデリケートなもので、結局、捕まえない触らない邪魔しない、以外に無い。従って、絶滅危惧種にはそれが求められ、厳しく規制されているのだ。そうした事実を正しく理解していれば、人工的な変異を重ねた品種は野生種と混同するなど有り得ず、両者は種の保存の観点から、無関係でなければならない存在と、結論する以外にないだろう。 生半可に思い込まず、法律の文字ヅラに踊らされず、なぜそれが必要で、なぜそのような法律が存在しなければならないのか、しっかりと認識したいものだ。 さて、我が家の文鳥社会も混沌としている。 テンは、クリに言い寄られてその気になってしまい、老いらくの恋を求め、息子のイブの嫁にも色目を使い出した。「暴走老人」である。ただ、飛べないので、思うに任せない。 魔性のクリは、あれほど「イチャラブ」状態だったラックと、同居した途端に熱が冷め、ひたすら、元のカゴに戻りたがっている。魔性、と言うより、両親譲りの我がまま勝手が炸裂していると見たほうが良いかもしれない。・・・別居させたら、ラックが泣くだろう。 お腹が膨れているのに元気なノッチは、今更、身障者の妻イッツを見限り始めたようで、露骨にガールハントをするようになっている。どいつもこいつもろくでなしだが、何をしでかしてくれるか、楽しみではある。
2016年10月20日
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野生にはいない白文鳥さん(アリィ) テレビ朝日の夕方のニュースを見ていたら(ニュースのはしごをしていた)、例の展示にコキンチョウが数羽混じっていて、それが「種の保存法」に違反するので保護された、などと言っており、驚愕した。確認すると、あの中日新聞が、「トリエンナーレ展示の小鳥は「譲渡禁止」 ずさん管理また発覚」と見出しを打って、昨日ずいぶんえらそうに書いていた(記事)。 種の保存法で禁止されているのは、基本的には野生種に関してだ。飼育して品種改良している家禽に対しては、普通、問題視されない。私の感覚では、「法規制を知らない」どころか現実を知らないのは、コキンチョウを保護対象と見なす「県側が助言を求めた専門家」で、『TSUBASA』さんの言葉を借りれば(ブログ確認したら、この部分は、なぜか現在削除されていたけど、お気に入りなので、また、引用しちゃう)、「「専門家」にもいろいろな「専門」があります。今回、このような事態に陥ったのは、「専門家」の選択に問題があったことは否めません」の好例ではなかろうか? 「種の保存法」は略称で、本当は「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」と言う。野生、の部分が重要で、一般的な解釈としては、現在、小鳥が好きで素朴に小鳥屋さんをやっていただけなのに、大騒動に巻き込まれて気の毒な「小鳥店」のコメント、「2国間の輸出入禁止は知っていたが、国内で繁殖した個体だから問題ないと思った」とする解釈が普通である。何しろ、飼育種は代々の繁殖で改良されていて、もはや野生には戻れず、戻した場合は、かえって野生の遺伝子を変えてしまいかねない存在となっており、事実上の別種と考えるべきだからである。 ただ、環境省のお役人の担当者が、「県側が助言を求めた専門家」同様に、法律の足りない文章を額面通り解釈し、現実離れした解釈をしないとも限らない。その場合、恐ろしいことに、野生の姿とは色柄が違っているコキンチョウ(カラーバリエーションは品種改良によりとても多様になっている)の飼育も難しくなり、分類学上は同種だからというだけの理由付けで、全国のコキンチョウ愛好者の悲嘆と、飼育されている数多のコキンチョウに犠牲を強いて(保護?慣れない環境に移すだけでも、生命に危険が及ぶ。あの展示にしても、環境の変化が体調を壊す主因だろう)、なぜか日本に限ってその飼鳥文化が途絶することになってしまう、かもしれない。 他人事ではない。文鳥の野生種も本来の生息地では減少しているのだ。もし、さらに絶滅が危惧される状態になれば、「種の保存法」が乱用され、どう考えても全く無関係な我々の文鳥の飼育が否定されることになってしまいかねないではないか(その時オレの目が黒かったら覚悟しろ!)。 野生種の絶滅を防ぐのとは、まったく無関係な飼育種に犠牲を強いて、同じ「種」だから法律に従え、それが「県側が助言を求めた専門家」の解釈なのである。しかし、同じ「種」でも、現実的には別種として存在するので、無関係とするのが普通の解釈で、おそらく、それがグローバルスタンダードだ(だって、世界中で飼育されてるんだもん)。中日の記者も、テレ朝のディレクターも知らないが、素朴な「小鳥店」はそれを知っていたわけである。確かに専門家はいろいろだが、市井の現実における専門家としては、私に言わせれば、よほど、まとも、だ。 ともあれ、コキンチョウには世界中に愛好家がいて、今現在、カラーバリエーションが続々と生み出されていることも知らない専門外が、実に狭い知識と思い込みで血迷ってしまっただけに思えるが、降りかかった火の粉ではあるので、それを振り払うべく、コキンチョウ愛好家の皆さん、ご健闘を心からお祈りします。附(つけたり) 世間的に動物取扱責任者に対して誤解がありそうなので、言っておくが、あれは、動物取扱業を行うひとつの事業所での責任者であって、どこにでも通用する資格のようなものではない。つまり、ペットショップの取扱責任者だから、どこかの催しの責任者にもなれるわけではない。 あのような短期の展示会において、どのように対処すべきか、私には分からないが、厳密に考えれば、展示にあたっては動物取扱業の登録をして取扱責任者を置かなければならないかと思う。しかし、現実的には無理なので(短期に対応する制度ではない)、地方公共団体の担当部署に相談し、仮に責任者を設定して、その名前の表示義務を果たせばOK、といった程度になるのではないかと思う。 今回のケースでは、役所に事前に相談しなかったのが(したのか?)、不用意だったと思う(いろんな「専門家」を招き入れたのも無用心かな?)。
2016年10月19日
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8月29日に起きた、ベニコンゴウインコの捕獲を目的に射殺してしまった事件について、その後の報告です。 9月の半ばを過ぎ、久しぶりに千葉市動物公園のサイトを確認したところ、何ら動きがありませんでした。事故直後に、おそらく慌てて作成して、期日も明記しない短い謝罪文を、園長名で掲載しているだけの状態が続いていたのです。 念のため、その文章を全文抜き出してみましょう。 「この度は不注意により、ベニコンゴウインコを脱出させ、捕獲後死亡に至りました件について、皆様方に多大なご心配とご迷惑をおかけいたしました。謹んでお詫び申し上げます。今後は、脱出防止マニュアルを見直すとともに、脱出防止訓練を行い、再発防止に向け、職員教育を徹底して参ります」 これだけでは、園長を含めた動物公園全体の責任をについて、まったく理解していないように思えてしまいます。この件で、千葉市動物公園がとった行動の問題点は、飼育員個人のミスだけではなく、私が見るところでは、4つあるのです。1、飼育管理の怠慢 2、捕獲作業の稚拙 3、広報宣伝の過剰 4、事後の説明責任の不足 園長名の文章に出てくる「脱出防止」は、この中の1について、謝罪と対策に触れたものと見なせます。しかしながら、動物園という組織としては、組織が組織に属する人たちを動員して行った2や、組織として許可して報道させた3の対応の是非を検証し、反省すべきは反省し、改善方針を明示し、今後再発を起こさない姿勢を示さなければ、組織としての説明責任を果たしたことにならず、4が付加され、かえって不信感を深めてしまうことになっているように思われます。 テレビカメラの前で、小さな網を持った集団が、1羽の鳥を追い掛け回し、木を揺する、よじ登る、ロケット花火で脅す、などという稚拙でしかない姿を見せられた、鳥に関する知識が多少でもある視聴者は、ベニコンゴウインコの生態に関する専門知識が欠如しているという印象を持つことになるでしょう。まして、体重としては小動物に過ぎないベニコンゴウインコに対し、始めから麻酔銃を使用し、必然的にとしか思えないその結果を見せられては、実行した者(おそらく動物園所属の獣医師)に、鳥の身体構造に関する基礎的知識が欠如している、との印象を持つのも、当然のことかと思います。 そして、この2つの印象の帰するところは、この動物公園が、動物を飼育管理する能力を有しているのかの疑惑、以外に無いはずです。 そもそも、その結果だけを見れば、公共の施設でありながら、「動物愛護法」の禁じる「動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめ」を実践し、その虐待でしかない行動を、わざわざ全国にテレビ報道をさせ公開してしまったのです。動物の捕獲作業において、邪魔でしかないマスコミを開園前の早朝に集め、あくまでも想定外であっても、罪のない小動物を公開処刑した結果は、動物愛護の側面で、はなはだ重大と言わねばなりません。 つまり、1だけなら個人のミスで済んだかもしれませんが、2、3により、深刻な問題となってしまい、説明責任が生じていると言えますが、残念ながら、組織としての問題点の検証も反省も改善も示されていないのが、現状です。自らの組織的行為により社会的な悪影響を与え、自己への社会的信頼を根底から揺るがし、動物愛護精神を涵養する公共施設としての存在価値が問われている状況を認識し、早急に不信を払拭する検証と対策を明確に示す努力が、もはや必須のはずなのです。 私は、このように、「動物愛護法」違反行為により、動物の専門家としての信頼を失墜させながら、信頼回復への努力が見られない動物公園を、他人事ながら心配していました。一方、私などよりはるかに「動物愛護法」についての遵法精神に富み、大型インコの生態にもお詳しい方々や、千葉市動物公園を愛している方々は、さして危機感を感じていらっしゃらないのでしょうか? もしかしたら、そうした方々は、「動物愛護法」第一条にある「友愛及び平和の情操の涵養」を、すでに十分に受けているため、自分自身が感じる中での「友愛」や「平和」を乱さないことを優先されているのかもしれません。しかし、、罪のない生き物が虐殺され、そのシーンをニュースで見せつけるほど、動物愛護精神を破壊する行為はありません。鳥が逃げたら殺せば良い、殺すしかない、殺すべきだ、と、その生態を知らない一般の人が、安易にそのような誤解を受けるのを放置しては、愛鳥家としては立つ瀬がありませんし、「動物愛護法」など、空文に過ぎなくなってしまうのではないでしょうか? もし、人間以外の動物に対する「友愛」の気持ちがあるのなら、動物と共生する「平和」を維持するため、このような事件の再発は、必ず阻止すべきで、当事者には、そのための努力を促すべきです。今回の事件に衝撃を受けたり、当事者たちにシンパシーを抱くなら、なおさらに、「友愛」精神を発揮しなければ、死んでしまったインコに同情したり、動物公園の存続を願ったり、そうした様々な自分の気持ちに、結局何も応えなかったことになってしまうように、私は思います。 そこで、ベニコンゴウインコにさほどシンパシーを持たず、千葉市動物公園に特段の悪意を持つこともなく、むしろ「動物愛護法」に含むところがありながらも、いろいろ書き連ねた責任を多少感じている私が、「今後の方針について」として、9月22日、当該飼育課にメールで問い合わせをしました(別掲参考資料1)。それで、忘れてしまえば、個人的な「平和」は保てたはずですが、あいにくな事に、10月6日の日曜日に、その後何ら返信が無く、サイト上での行動も見られないことに気づいてしまいました。気づいてしまえば、存在価値を失いながらそれを自覚して対処する姿勢を示してくれない動物公園や、何の改善策も示されないことに再発の恐怖を抱えて悶々としているであろう大型インコの飼い主などに対する「友愛」の精神からも、そのまま放置するわけにはいかず、同日、千葉市の総合窓口に問い合わせ(別掲参照)、さらに、「動物愛護法」を統括する環境省にも、指導監督の旨、要請しました(別掲参照)。 千葉市役所コールセンターの対応は迅速で、翌7日、休日明けの月曜日の午前中には「動物公園飼育課から回答させていただきます」とご返信があり、夕方には、確かに、飼育課の担当者より、「この度はメールありがとうございました。今後の対応への調整のため、ご返事が遅くなり、誠に申し訳ございませんでした。至急、調整して回答しますのでよろしくお願いします」とのメールを頂きました。 くどくなってしまうので、黙ってその「調整」結果を見守ることにし、返信せずに放置していましたが、本日11日朝に、園長名でのご返信を頂戴しました(別掲参考資料2)。そこで、御礼方々、いろいろ時間に迫られつつ、1時間後にご返信申し上げました(別掲参照)。 園内の皆様とご相談ご調整いただいて、より上手に、一般に向けご説明頂ければと願いつつ、私の「友愛」行動は、このあたりで十分かと思っています(資料1とこの文章は昨日すでに用意していましたが、本日の応答を受け、せっかくですから、ぱっぱっと手直しして早々に公開します。この件については、もう、お腹いっぱいなので、これで終了予定です)。 以上、はなはだ片手間な行動ではありますが、感情的になって一人で悲しんだり、自分と相手を同じと見なして勝手に納得するよりも(「~思っているに違いない」といった想定は、善意で相手を思いやる気持ちでも、本質的に自分勝手な思い込みに過ぎず、結局は誰のためにもならないことが多いかと思います。少なくとも、自分だけで納得しても、社会的には無意味なのです)、やらないよりはマシではなかったかと思います。 なお、このように、しっかり改善を求める意思表示をするのは、いわゆる「クレーマー」とは異なります。相手に難癖をつけて、自分が何か得をしたり、相手に謝らせて刹那の優越感に浸ったり、鬱憤晴しに利用するのではなく、相手のことも考えて意見するのは、クレーム=苦情ではなく、むしろ親切心からのアドバイス=忠告に類するはずなのです。つまりは、友愛です。それを受けて、どのようにご対処されるかは相手次第ですが(それを強要すると「クレーマー」化することになるでしょう)、遠慮をしすぎて行動を控えてわだかまりを残すより、相手が間違った現状認識をしたまま、将来に間違った行動を取らないように、片手間でも行動してみたほうが良いかと思います。 以上、とりあえずご参考までに。
2013年10月11日
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千葉市動物公園園長よりのメール題: 回答が遅れ申し訳ございませんでした(千葉市動物公園))▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽メールありがとうございました。当方の不手際から回答が遅くなりましたこと、お詫びいたします。この度は、不注意によりベニコンゴウインコを脱出させ、捕獲後死亡させるなど、動物園としてあってはならない事故を引き起こしましたこと、また、多くの方々に大変不快な思いをさせてしまいましたことなど、重ねてお詫び申し上げます。さて、ご質問のマニュアルの内容の公表ですが、現在、動物脱出時の対応マニュアルの見直しと、実効性の検証を行っており、見直し終了後にホームページでお知らせする予定です。また、麻酔銃を使用した理由と今後の方針についてですが、脱出してから時間がたち、外敵から保護し給餌している飼育環境から出た場合、自立した生活ができずに衰弱し、また夜間にタヌキなどの動物に襲われる心配もあったため、少しでも早く保護しようと、親鳥を近くに連れてきて呼び寄せたり、低い位置への追い込みなど様々な方法で捕獲を試み、最終的に麻酔銃を使用しましたが、残念な結果となってしまいました。麻酔銃については、確実で安全な鎮静効果が期待できることから、動物種や状況により必要に応じて使用して参りました。今回の使用については、樹上等の捕獲網の届かない場所へ逃げた動物に対しては有効と判断し使用しました。今後の使用については、今回の結果をふまえて動物の大きさや種類、特性を慎重に検討した上で、住民に被害が出る恐れがあったり、他の方法では捕獲ができない場合など、総合的に勘案しながら対応して参ります。今回、動物を脱出させてしまうという動物の命を預かる施設として、言い訳のできない事故を起こしてしまいましたが、今後は2度とこのような事故の起こらないよう、緊急で園内会議を開催し、今後の対応について協議を行うともに、扉の開閉確認表の設置、注意喚起のステッカーの貼付や指さし確認の徹底を図りました。貴重なご意見ありがとうございました。△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△ 上記メールに対する返信▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽ お忙しいところ、ご返信をいただき有難うございました。 ただ、少々事実と異なる点がございますので、今後のご説明の際に、ご勘案いただきますように、お願いいたします。 貴下のご説明では、「脱出してから時間がた」ったため、迷子状態の動物の生命を保全するため、やむを得ず、麻酔銃を使用したことになっておりますが、実際は、貴園の報道各社への経緯説明にありますように、捕獲作業を始めた27日に、すでに麻酔銃をご使用になっていらっしゃいます。翌28日にも使用し、29日は3発目となりますから、やむを得ず使用とのご説明では、事実と齟齬をきたすように思われます。 また、「夜間にタヌキなどの動物に襲われる心配」をされたとのことですが、当該動物は樹上で生息いたしますので、その心配は杞憂と言わねばならず、生態を知る者の納得を、むしろ得にくくなってしまうように思われます。差し出がましいようですが、そのご説明でしたら、むしろ、野良猫を例に挙げられることをお薦めいたします。 「親鳥を近くに連れてきて呼び寄せ」とございますが、報道された映像を見る限り、捕獲要員に帯同されているように見受けられました。しかしながら、ベニコンゴウインコは、犬以上に賢いとされる生き物でもあり、また、危険を感じた生き物は、仲間に危険を知らせることはあっても、呼び寄せることは有り得ないように思われます。 呼び寄せは、この場合、捕獲にむけた最も有効な手段だったとは存じますが、貴園のインコ舎前の展示スペースに親鳥を置き、普段と同じリラックスした生活をさせてこそ、効果的だったのではないかと、愚考するところです。 麻酔銃に「確実で安全な鎮静効果が期待」されたのは、小動物に対してのご判断として、適当を欠いたことは、残念ながら、その結果が示すところです。 ベニコンゴウインコは、マスコミなど、知識のない方々には巨鳥に見えるようですが、実際は、貴園の人気者である風太くんのレッサーパンダよりも、さらに軽量な生き物であり、麻酔銃の使用は、通常有り得ないものと思われます。 見た目の大きさで思い込みがあったとすれば、それはご反省の上、今後のご方針に生かしていただきたいと、願っております。 当方は、大型インコの飼育者ではありませんが、文鳥やセキセイインコなどの小型鳥類の飼い主に与えた、今回の事件の影響は大きく、また一般の人たちに、鳥は逃げれば射殺すれば良い、といった誤った印象を与えることを危惧しております。 従いまして、拙ブログ(下記)などにも繰り返し取り上げ、今回の応答につきましても、ご紹介させていただく予定ですが、貴園ではこの失敗を真摯に受け止め、ご善処いただけるとお聞きして、安堵いたしました。http://plaza.rakuten.co.jp/jackbo/diary/?ctgy=5 この事件が、貴園益々のご発展の景気(※契機の誤変換)になりますことを、心よりお祈りいたします。 △△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
2013年10月11日
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千葉市動物公園飼育課へのメール ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽千葉市動物公園飼育課 御中ご担当者様 お忙しいところ失礼いたします。 すでにさまざまに苦情を受けられ、ご苦労なさっているものと推察いたしますが、8月29日に、貴園の捕獲作業により、ベニコンゴウインコが射殺される場面が、全国的なニュースとなった件につき、お尋ね申し上げます。 貴園では、「再発防止に向け脱出防止マニュアル等を見直す」とされていらっしゃいますが、今後、その大まかな内容を公表される予定はございますでしょうか。事件の経緯を、ニュース報道を通じて公開してしまった以上、事後の対応についても、アナウンスするべきと考えますが、ご方針をご教示いただければ幸いです。 公開されました事件の経緯を拝見しますと、貴園では、大型とは言え、体重は2キロ程に過ぎない動物に、当初より麻酔銃による沈静化を目指されおりますが、今後もそのような方針をお続けになるのでしょうか。また、当時それを適当とみなした理由を、あわせてご教示いただければ幸いです。 公共の動物園は、動物の愛護及び管理に関する法律にもあるように、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないように飼養し、人と動物の共生に配慮し、その習性を考慮することを、一般に普及啓発する素晴らしい役割を担っていると承知しております。ところが、甚だ遺憾ながら、今回の事件において、貴園は、それに反する行動を全国的に公開する結果となってしまいました。あくまでも、報道で知らされる内容と、これまでのご対応を見る限りでは、貴園は、当該動物の特性をわきまえず、みだりに殺し、傷つけ、苦しめた印象を与えてしまっております。これは、貴園への信頼を大きく傷つけ、さらに動物園一般の存在理由そのものを脅かしかねない、重大な事態だと考えます。 千葉市においては、貴園についても、来春に再生計画を策定されると仄聞いたしております。貴園は、市民が動物と共生する機会を与えてくれる場ですから、再生、さらに発展されるように、今回の事件を無駄にせず、当該動物の生態に照らし、どのような対応が適切であったか再検討の上、非は非として改め、それを示すことで、公共動物園としての責務を果たしていただけることを、切望いたしております。 以上、宜しくお願い致します。△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△ 千葉市コールセンター問い合わせフォームへの投稿内容▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽ お忙しいところ、失礼いたします。 貴市の運営される動物公園が本年8月29日に行い、全国的に報道されました鳥の捕獲作業につき、9月22日に、ご担当問い合わせ先(※メールアドレス割愛)へ下記のように問い合せましたが、返信がないため、こちらにお伺いいたします。 《貴園では、「再発防止に向け脱出防止マニュアル等を見直す」とされていらっしゃいますが、今後、その大まかな内容を公表される予定はございますでしょうか。事件の経緯を、ニュース報道を通じて公開してしまった以上、事後の対応についても、アナウンスするべきと考えますが、ご方針をご教示いただければ幸いです。 公開されました事件の経緯を拝見しますと、貴園では、大型とは言え、体重は2キロ程に過ぎない動物に、当初より麻酔銃による沈静化を目指されおりますが、今後もそのような方針をお続けになるのでしょうか。また、当時それを適当とみなした理由を、あわせてご教示いただければ幸いです。》 当該事件は、公園側の意向によるものか、メディアにより全国的に経緯が報道され、貴市の動物愛護への取り組み姿勢も問われる状態となっているように思われます。 再発防止に向け、よろしく、担当部局に、ご指導を賜りますようにお願い申し上げます。△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△ 環境省問い合わせフォームへの投稿内容▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽公営動物園による愛護法違反事案について お忙しいところ失礼いたします。 本年8月26日夕に、千葉市動物公園が飼育管理上のミスにより、鳥(ベニコンゴウインコ)を屋外に飛び立たせてしまい、29日朝、麻酔銃で射撃して、結果的に死なせてしまう事案があり、その様子が、射殺場面を含め、全国に報道されました(TBS・日本テレビ)。 当該の鳥は、飼鳥としては大型ではありますが、体重は2キロ程度でしかなく、通常、人間の嬰児未満に過ぎない動物の沈静化に、麻酔銃を用いることは有り得ないように思われます。また、皮膚が薄く皮下脂肪がほとんどない鳥類の特性上からも、麻酔銃の使用には甚だ疑問を持たざるを得ません。 しかしながら、当該動物公園は、捕獲作業の初期より麻酔銃を使用しており(27、28日に使用)、また、テレビ報道された捕獲作業は、追い掛け回し追い詰めることに終始しており、その場面だけを見れば、虐待と見なされるものとなっておりました。 貴省ご管轄の『動物の愛護及び管理に関する法律』にあるように、国及び地方公共団体 は、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないように飼養し、人と動物の共生に配慮し、その習性を考慮することを、一般に普及啓発する立場にあり、千葉市の運営する動物公園には、その役割が強く求められるものと思われます。 しかし、遺憾ながら、習性を理解せず、結果、動物の生命を軽視した虐待する行動を、世間一般に示し、動物愛護行政に禍根を残す結果となっております。 今後同様の事態を招かないために、事件の検証と再発防止の取り組みを、公表されるべきと考えますが、当該動物公園は、今現在、そのような姿勢を示されておりません。動物愛護行政を所管される貴省より、宜しくご指導を賜りますようにお願い申し上げます。 また今後、同様の事態が発生しないために、麻酔銃の取り扱いについての指針を、動物園などの施設に対し、お示し頂ければとも願っております。 △△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
2013年10月10日
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麻酔銃での捕獲と言えば、人里に降りてきて、人を殺傷する危険性が大きい野生動物に対し、「殺したらかわいそう。麻酔銃を使えばいいのに!」と、安易に主張する心優しい人が多いことは、私も承知しているところです。そして、その背景に、麻酔銃が魔法の杖で、それさえあれば殺さずに簡単に捕獲できる、という迷信があると思っています。 もちろん、麻酔銃は普通の猟銃に比べ、格段に射程が短いので(15メートルほど)、猛獣の類に接近しなければ命中せず、、命中しても瞬間的には作用してくれません。また、興奮状態で効果がないこともあり、狙撃した人が、逆に襲われることになりかねないことも、よく承知しています。 従って、千葉市動物公園による今回の麻酔銃使用を非難する者に対し、「麻酔銃さえあればという動物愛護者たちがコロッと立場を変えた」と、狩猟に理解がある方が指摘しているのを見かけ、とても違和感を覚えることになりました。何しろ、私の見るところでは、『麻酔銃は魔法の杖で、それさえあれば殺さずに捕獲できる』とする、狩猟を無遠慮に非難する迷信が、信じがたいことながら、千葉市動物公園の職員たちを動かした結果こそ、今回の事件の本質なのです。麻酔銃についての誤解という面なら、野生動物の生命を絶対視して狩猟に無理解な「動物愛護者たち」と共通しているので、現在、困惑しているところだったのです。 もちろん、野生動物の狩猟と、人間のミスで迷子にした飼育動物の捕獲を、同列には論じられません。何しろ、野生動物に所有者はいませんから、その行動の責任を取れる人間もいませんが、飼育下の動物の行動は、迷子になった後も、それを飼育する個人なり団体が責任を負わねばならず、それどころか、愛護しなければならない法的義務まで存在します。狩猟動物とは、そもそもの位置づけが異なるので、混同すると、話が噛み合わなくなってしまうでしょう。 それぞれの置かれた立場により、為さねばならないことは異なります。狩猟の必要性のあることに、動物愛護の観点から意見すれば、見当はずれにもなり、その逆も有りうるはずです。何となくそれぞれの立場で今回の事件を見て、誤解をしないように、それぞれの論点から、考えてみましょう。★ 殺すのがダメなら野放しにすれば良いのか? 飼い主や飼育する団体には、飼育動物の管理責任があるので、野放しにすることは許されません。また、そういった発想はそもそも持ちようが無いと思います。例えば、飼い犬が迷子になって放置するまともな飼い主がいるでしょうか?車に轢かれるかもしれない、「保健所」に捕まって処分されるかもしれない、飢えやつれながら飼い主を探しているかもしれない、心配で一時も心が休まらず、一所懸命探すのが普通でしょう。 今回のベニコンゴウインコの件に関して、もし動物愛護の立場から、「放っときゃよかった」との意見があるとすれば、しばらく放置して自主的に帰るように仕向ける方が安全に捕獲できるという意味以外には有り得えません。もし、野放し状態が続けば、飢え死にしてしまうでしょうし、そうでなくとも、冬になれば凍えて死んでしまうでしょうし、交通事故もあり得るでしょうし、野良ネコなどに襲われるかもしれませんし、さらには、あの動物園の人たちより熟知した人が、やすやすと捕まえて売り払ってしまう心配だってあるでしょう。空想すれば無限大に危険は存在するので、本当に動物を愛護する気持ちがある人で、捕獲を望むまない人はいないのです。迷子の保護、原状復帰は、飼育動物についての愛護精神の前提なので、それを否定することなど論外であり、問題は、いかに安全に、出来る限り早く捕獲できるかに絞られると、考えるべきだと思います。★ 外来生物なので駆除が必要なのでは? ベニコンゴウインコは猛獣でも害鳥でもありませんし、日本の自然に適応して土着する可能性はゼロに近く、日本の生態系を乱す可能性を考えること自体、その生態を理解しないおかしな話です。 それ以前に、迷子になったものをどのように扱うべきかを問題としている時に、まるで筋違いな議論でしょう。例えば、ライオンやゾウといった、大きくて人間を襲いかねない動物を、止むなく射殺した場合でも、それは外来生物だから駆除したのでしょうか?普通、危険性があるから、止むなくそのような処置をしたに過ぎないはずです。 飼育下の動物はさまざまですから、その対応も一律では済みません。捕獲して元の状態に戻すのが基本ですが、適宜、その動物の場合に必要となる処置を講じなければなりません。そして、ベニコンゴウインコの場合は、駆除する必要性がないので、殺戮行為にならないような安全な捕獲を試みることを、優先しなければならないのです。★ 動物園が飼育する動物の「脱走」は稀なので、その準備や訓練は不可能では? 大地震の発生は、数十年、もしくは数百年ごとか、それ以上で、一生のうちに経験しない人も多いですが、準備や訓練は無意味と言えるでしょうか?動物を飼育する以上、それぞれの動物の生態的特性を熟知するように心がけねばならず、それぞれの特性を理解してこそ、万一の際の対策を用意することが出来ます。逆に、迷子になった時の飼育側が取るべき行動を考えることは、その習性を考え直す機会にもなります。 その準備に、経費が必要な特別な捕獲機材は、必ず用意しなければならないわけではありません。そのようなものを用意できなければ、無い前提で、どのように対応すべきか、事前に想定すれば良いだけのことで、特に公共性のある動物園のような施設では、その準備は義務に近いと考えるべきかと思います。もちろん、千葉市動物公園にしても、今回の反省に立って、対応マニュアルを再考するとしているのです。★ 万策尽きて苦渋の決断として麻酔銃を使用したのではないか? 千葉市動物公園は、捕獲作業の当初より麻酔銃を用いており、また、結果的に射殺してしまった後の飼育課長のコメント 「いろいろ考えて、やっぱり一番安全な方法はこれ(麻酔銃の使用)、ではないかというようなことで、今日に臨んだわけなんですけど、このような結果になってしまいました」 からも、終始一貫して一番安全な方法と認識していたのは明らかです。つまり、麻酔銃さえ当たれば、絶対無事に保護出来ると信じていたのです。 従って、麻酔銃以外の捕獲に向けた努力は、まことに不十分で、残念ながら、ベニコンゴウインコの習性を理解したものとは見なせないものばかりでした。例えば、動物園の報告に28日「親鳥を連れ(鳴き交わしを期待して)捜索」とありますが、人が大勢で連れ歩いたのでは、近づこうとはしないのが当たり前ではないでしょうか?連れ歩かれる母鳥も、何の目的かわかりませんから、呼び寄せるよりも、警戒音を発して遠ざけようとする可能性があるのです。 この場合の呼び寄せとは、本来、親鳥の方をリラックスした状態にして行わねばならなかったと思います。この動物公園の場合は、幸いインコ舎の周辺にインコの屋外展示スペースがありますから、まずそこに親鳥を置き、園内をなるべく静粛にして人間を遠ざけた上で、迷子のインコが飛来するのを待つのが、第一歩となったはずです。それに成功すれば、やがてその場に慣れて、エサのあるインコ舎に自主的に帰った可能性もあり、そうでなくとも、小鳥のように素早く飛び立てないので、いくらでも捕獲のチャンスは訪れたと思います。つまり、鳴き交わしに着目したまでは良かったのですが、帯同した時点で、習性をわきまえず、評価に値しない行動に過ぎません。 また、ニュース映像を見ると(NNN【日テレ】の夕方のニュース番組『news every.』のもの)、29日には網を使用しての捕獲も試みていますが、これも映像で見る限り、驚くほどに稚拙です。使用する網は、夏休みのセミ取り少年が用いる昆虫網のような柄のついた小さなものなので、尾羽を含めれば体長1メートルの動物を、捕獲しようとするなら、静かに接近し、飛翔方向正面を扼しつつ、素早く頭にかぶせ、ややねじるようにしつつ網ごと下に落とすくらいしか方法は無さそうです。ところが、その網を片手にした男性は、上にインコが止まっているまさにその樹木に、他に何の準備もないままに(もしくはあるようには見えない状態で)、ワッセワッセとよじ登ってしまっています。 捕獲するには、まず捕獲される側の気持ちになるべきでしょう。さて、下から大型の動物が自分を狙ってよじ登って来るのに気づいて、そのままじっとしている鳥がいるでしょうか?結果は、話にならないほど当然なことに、近づく前に移動され、飛び立たせてしまい、捕獲は失敗しています。頑張っているのはわかりますが、行き当たりばったりに、網を持って近づいたら逃げられたに過ぎません。これでは、万策尽きる前に、無策と言う他ありません。★ 衰弱が心配されたので、早期解決が必要だったのでは? 動物公園側も衰弱を口にしていますが、それは静かに帰還を待つような、「待ち」の捕獲作業をしている場合のみに言えることです。テレビ2社の撮影スタッフまで早朝から連れ込んで、射殺する前にやった捕獲作業なるものは、樹木を揺らして下に追い落とし、奇跡的に下に移ったのに、枝葉が多く射撃に適さなかったのか、地面からよじ登るような真似までして、遠くに飛び立たせただけです。このような衰弱させるだけの行動をとりながら、衰弱を心配していたと言われても、返答に困ってしまうのではないでしょうか?この際、困らず言ってしまえば、「衰弱させたのは、あんたらだろう!」ですが、どのように釈明出来るのでしょうか? 危険性の高い麻酔銃を使用するくらいなら、いっそ衰弱し、地面に降りざる得なくなるほどの状態にさせたほうが、まだしも生存の可能性は高かったのではないかと思います。衰弱させての捕獲は、危険を伴い酷ではありますが、一つの方法論なので、失敗しても、これほど非難は受けなかったと思います。 返す返すも残念なのは、まったくの偶然で、最終的に高所作業車で、3mほどの至近に近づくチャンスを得ながら、麻酔銃を撃ってしまったことです。もし、麻酔銃は「一番安全な方法」などという、人殺しの熊に対してさえ麻酔銃の使用を強要する「動物愛護者」と同じトンチンカンな迷信さえなければ、他の方法を考えたのではないでしょうか? 麻酔銃は魔法の杖ではないのです。離れた場所の硬い筋肉を持つ動物の、その硬い部位に命中させなければ、死をもたらす可能性が有り、また近すぎれば、麻酔などの薬剤が効果が出るまでの間に、射撃側が反撃の危険にさらされる欠点を持った道具に過ぎません。大型インコは、ダチョウやライオンに比べ物にならぬほど小さいですし、腹部はほとんど薄皮一枚の中は内蔵といった状態です。従って、もし、狙撃が割合に至近なら、内蔵も何もかも打ち抜いてしまう可能性が大きくなってしまいます。つまり、本来、ベニコンゴウインコの捕獲手段としては最も危険な方法に他ならないと、見なさねばならず、その危険性を感じ取れなかいようでは、度し難いと言わざるを得ません。 今後、同様のことが起きないように、麻酔銃の限界を、周知徹底する必要があると思います。
2013年09月05日
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この話題は、昨日で終了するつもりでしたが(『文鳥動向』で無理やり関連付けつつ、突っつくのは別にして)、今更ながら、TBSのみではなく、日本テレビも別角度で撮影したニュース映像を基に報道しているのを知りました(見ない方が良いですが、コチラ)。確認したところ、地面に衝突する姿がはっきりと映っており、このテレビ報道見れば、落下した時の衝撃で頚椎が損傷した印象を持つのも、無理はないと思いました。 しかし、やはり、心臓を射撃されたことによる即死でしょう。以下は、動画よりキツイ実況になってしまうので、あまり身を入れて想像せずに読み流して欲しいのですが、私が見たところでは、銃の射出力が強すぎて、注射器が脇腹の柔らかいところから全て体内に入り込んでしまい、心臓まで達するどころかおそらく突き抜けるほどの衝撃力のため、当たった瞬間にインコは後ろにもんどりうって枝から落下、それでも翼を広げようとしながらも果たせずに、回転しながら胴体部からアスファルトの上に落下、やや首を起こして首を振るといった痙攣状態がうかがえところで、職員に確保され、さらに手網に頭から突っ込まれる、といった様子でした(動画を再生するたびに可愛い顔した女優さんが「マカダミあ~~ん」とか言うCMを見なければならないのは・・・)。※ 昨日書いたように、29日に射殺してしまう前に「6:52頃 高所作業車で捕獲を試みるが取り逃がす」とあり、どういったことをしたのかわかりませんでしたが、日テレ映像では、より高い樹木の枝にインコ君がいて、その下の枝葉が不自然に揺れている様子が映っているので、おそらく竹竿でつついて、射撃しやすい位置に移動させたものと推測できそうです。 さらに、撃ち落とされて網に放り込まれたのを確認した飼育課長のおばちゃんが、「無事に確保できて良かったです」と、テレビカメラの前で、超ベテランの幼稚園の先生のようにやさしげに語ります。・・・狙っても、このシュールな映像は撮れないだろうと感心しないでもありませんが、その危機感の無さには、呆然とさせられ、怒りより脱力感を覚えさせられます。この様子を見ると、やはり、麻酔銃の使用で殺すことになる可能性を想定していなかったのは確かでしょう。※ 念のため断っておきますが、この動物園の麻酔銃の使用は、「苦渋の決断」ではありません。迷子の翌日、本格的な捕獲作業を始めた日から、麻酔銃を使用しており、毎日1発撃って、3発目であのようなことになっています。これを、「苦渋の決断」とするのは、事実を把握せずに、自分の常識で思い込んでしまう善意の誤解に過ぎません。本来、無知ゆえの飼育上の虐待行為を無くすべく規範を示すべき動物園が、当然の行動として、体重1kg程度の生き物に、麻酔銃を使用し、一般の飼い主であっても予想できる射殺に至る可能性を、まったく考慮していなかったのが問題なのです。玄人の『苦渋』など欠片も見えす、ど素人の『楽観』としか思えないのが、薄ら寒くなるほど不気味です。 ニュース映像はさらに続きます。飼育課長のおばちゃんの言葉とは裏腹に、インコが息をしていないのにようやく気づいたのか、動物園関係者の動きが慌ただしくなります(網にくるんだインコを持ってうろついているので、自動車を待機させていなかったようです)。そして、最後に、自動車でその網にくるまれたインコを連れて行く様子を映しながら、「その後、インコは診察中に容体が急変し、死んでしまいました」、さらには、「体力が落ちていたと思う。非常に残念です」とする担当者のコメントが紹介されています。 つまり、このニュースだけを見ていると、体力が落ちていたので、麻酔に耐えられずに死んでしまった印象を持って当然ですが、千葉市動物公園の公式発表には「解剖所見 心出血」とあり、また、TBSのニュース内のインタビューで朝生智明園長は、 「麻酔の針がですね、えーたぶん、 心臓にえーたぶん少し達してしまったことが 原因ではないかと」と答えているので、麻酔針が心臓を破壊してしまったのが死因であることは、確かなはずです。※ 撃ち落として瀕死(私は、自分が知っている文鳥の心臓発作での落鳥の様子とまったく同じなので、死んでいたと判断している)の鳥を、目の粗い網で包んで、次により目が細かい手付き網に頭から突っ込んでいますが、このような乱暴な扱いをするものなのでしょうか?厚手の手袋を装着して抱きかかえ、噛むほど元気なら、顔に何かかぶせるか、クチバシを抑えるなり拘束してしまえば良さそうなものだと思います。この動物公園の大型インコの取り扱いは、どうも解しかねる点が多いです(誰に教わったのでしょう?)。 なお、余談になりますが、この園長さんは、2011年?までは、千葉市市民総務課の課長を務められていたらしいので(『千葉市空襲と戦争を語る会』にお名前がありましたが、同一人物であるかは不明です。ただ、この動物園は市立ですから、園長は市役所からの出向であって不思議はないかと思います)、専門知識がない部署に回されて、気の毒には思うのですが、この受け答えは、あまりに地方公務員的に過ぎたでしょう。「えーたぶん、心臓にえーたぶん少し達してしまった」、などと言われたら、事実をなるべく小さく表現しようと、お役人が頑張っていて気の毒だな、と受け取るしかないでしょう。このような言い回しをされたら、おそらく、内蔵の損傷が甚だしく心臓に注射筒がめり込んでいたか、もしかした突き抜けて大穴が開いていたか、少なくとも「えーたぶん少し」ではなかったと告白するに等しいと思うのです。 小心で嘘が下手な人は、無理をせずに、しっかりはっきり正直に答えた方が、猜疑心を呼ばずに済んだはずです。目先を誤魔化そうとすると、かえって大事になってしまうものですから、変に話を収めようとせずに、、事実は事実としてしっかり説明していただきたいものです。※ どのような麻酔銃で「弾」はどういったものだったのかわからないですが、普通は、注射筒のお尻の部分に赤や黄などの彩色をした毛が、目印として取り付けられているものと思います。映像を見る限りでは、その注射の尻部分すら確認できないので、すべて体内に入ってしまったと推測しています(本来なら針部分だけが筋肉に突き立って、注射筒部分などはぶら下がった状態になるはず)。
2013年09月04日
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最初は奇妙なことをするな、程度の印象だったのですが、ニュース映像を何度も見返したためか、ベニコンゴウインコ君の断末魔の叫びと、おそらく飼育員が帯同していたものと思われる親鳥の鳴き声らしきものが、頭にこびりついてしまったらしく、少々不可思議ながら、はらわたが煮えくり返っています。 まったく無関係な文鳥愛好者ですらこうなのですから、鳴き声に何らかの言葉を聞きとるであろう大型インコ愛好者は、寝込んでしまうレベルのショックを受けているのではないでしょうか? この際、腹立ち紛れに、改めて、動物園が公表した《「ベニコンゴウインコ」の脱出からの経緯》をツッコミ(赤字部分)を入れつつ、全文抜き出し(文章以外の点で再編集している)、検討しておきます。※ 断っておきますが、今回の件は、動物の生命も尊重できる文化人(⇔野蛮人)にとって、罪のないインコが射殺された事件です。もちろん、殺害の意図がない過失には相違ありませんが(動物園を殺害犯として責めるのはおかしい)、麻酔銃で射殺されたのは事実なので、刑事責任は問えずとも、事故ではなく事件と呼ぶべきものです(過失致死事件)。 さらに断っておきますが、私は、人里に現れた猛獣の類や、人を傷つける可能性の大きい動物は、人間社会を害するものとして、かわいそうですが、射殺して当然と考える人間です。また、生態系を破壊しかねない生き物なら、駆除もやむを得ないとする立場でもあります。つまり、今回の件は、どちらにも該当せず、射殺する必要はゼロ、おそらく、動物園側もその可能性を考えもしなかったものと、推定しています。 8月26日(月) 17:20頃 インコ舎から当該インコが脱出(動物収容時の扉の確認が不十分であり、扉が完全に閉まっていない状態で作業をしたため)。 ←アホなマスコミのように「逃走」としなかったことだけは評価したい。 直後から日没まで園職員で捜索。8月27日(火) 6:00頃~ 園内を6分割して巡回。 7:00頃 西口ゲート付近の樹木にとまっているのを確認足場を組み、竹竿で追い落としをかけた。 ←追い落とす理由不明。射撃しづらかったので追い立てた?なお、西口ゲートはインコ舎のある「子ども動物園」の至近である(地図マピオン・動物園の展示動物案内)。 9:00頃 インコ舎周辺の樹木へ移動その後、園内の各所を移動。←明らかに自主的に戻ろうとしているが、それを促すための方策を行ったか不明。来園者が途切れたら射撃しようとするばかりで、何もしなかったのではないかと推測する。 16:00頃 来園者の安全に配慮しながら、麻酔銃を使用したが、飛び立ち見失う。 ←1発目 直後から日没まで園職員で捜索。8月28日(水) 6:00頃~ 飼育課全員体制で捜索開始。 6:40頃~ 北口駐車場脇水路付近で鳴き声を確認。 親鳥を連れ(鳴き交わしを期待して)捜索。 ←連れ歩くのみと見なされるので、鳴き交わして接近したところを狙撃することにあったと思われる。 9:45頃 飛翔を確認したが、見失う。 10:40頃 西口と北口のほぼ中間地点の斜面林で確認。 12:15頃 駐車場脇水路付近の斜面林で確認。麻酔銃を使用したが、飛び立ってしまった。 ←2発目 その後、駐車場を挟んだ斜面林と水路付近の斜面林間を数回移動。 17:30頃 園内に追い込むため、花火を使用し、追い出しをかけたが、移動せず。 ←動物園の敷地外で麻酔銃を使用するのを控えたのか?驚けば園内に入ると考える理由は不明。園外に逃避する可能性を考慮していないに相違ない。 その後、日没まで監視。8月29日(木) 5:00~ 前日最後に目撃された北口ゲート脇樹木に見当たらず、捜索開始。 ←なぜか前2日より1時間早まっています。やる気満々です。朝の情報番組に間に合わせたかったのでしょうか? 5:22頃 大型駐車場脇水路奥斜面で鳴き声あり。周辺捜索。 5:26頃 発見。駐車場の園内側斜面林へ追い出し作業開始。 ←動物園の敷地内で麻酔銃を使用するための準備作業に相違ないが、園外に飛び立つ可能性を考えないのが不思議だ。そして、これほど脅かされながら、インコ舎から遠く離れようとしないインコが不憫すぎる。 5:42頃 麻酔銃用意し待機。 6:24頃 西口の北斜面林に移動。 6:52頃 高所作業車で捕獲を試みるが取り逃がす。 ←どのようなことをしたか不明だが、この前後の経緯を見れば、射撃しようと近づいたが逃げられたものと思われる。 北口西側斜面林に移動。 7:10頃 麻酔銃により鎮静を図り確保。 ←3発目 7:25 動物病院で死亡。 ←心臓に穴が開き、射撃直後に墜落(落鳥)した鳥が、15分も生きていたら奇跡なので(どうやって鼓動するの?)、即死しているインコの死亡を、この時間に確認しただけと考えるのが常識的。 動物園が主張する「捕獲」とは、終始一貫して麻酔銃を使用したもので、そのために懸命な努力をしている様子がうかがえます。しかし、大型インコの捕獲に、麻酔銃を使用するという発想が、そもそも無茶苦茶で、捕獲に際して、マスコミまで加えて大勢で追い掛け回すなど、生態を理解した行動とは認めがたいものです。 このままでは、4年前のアフリカハゲコウの捕獲作業で、鎮静剤を浸したらしい小魚を食べたことによる酩酊効果が、麻酔銃で容易に得られると事実誤認し、当時マスコミ受けし、一般の好意的印象を受けたことから、安易に再現を目論んだ、と勘ぐる方が、よほど自然な解釈ではないでしょうか?そのような悪意ある誤解を否定するご説明をお願いしたいものです。 さて、千葉市動物公園の獣医さんが(麻酔を取り扱うので、獣医師が取り扱うのが一般的)、毎日1発ずつ撃っている麻酔銃ですが、体長1mとは言え、尾羽を除けばその半分未満、胴体だけなら長さ30センチ程度、体重はせいぜい1kg、草食性で、なおかつ巣立ちしたばかりの幼鳥に使用出来るものだったのでしょうか? そもそも麻酔銃とはどういったものでしょう。私もほとんど知りませんでしたが、ネット上の知識を拾うと、空気圧で注射器を発射するものと考えて良いみたいです。先端の針が当たることで、薬剤が注入する仕組みになっていて、筋肉に針が刺されば良いので、射程はせいぜい15メートル程です。もし、15メートル届くだけの空気圧で、接近し過ぎて用いたり、筋肉より柔らかな部分に当たると、針だけでなく注射筒までめり込んでしまい、怪我を負わせることになりますし、薬剤が強すぎればショック症状などで死なせることにもなるので、なかなか取り扱いが難しいもののようです。 ・・・で、これは大型哺乳類での話、鳥ならダチョウレベルでの話です。ダチョウの体重は100キロですが、ところで、千葉市動物公園が使用して、罪のないベニコンゴウインコ君の心臓に達した注射針は、どれほどの太さで、通常どういった生き物に使用するものだったのでしょう?通常は大型動物用の「弾」(注射針+注射筒+薬剤量)なのでしょうから、どういった工夫がなされたのか、ご自分たちの今回取られた行動の正当性を証明するために、ご説明になった方が良いかと思います。 私はこの程度で終わりますが、おそらくショックから立ち直った大型インコの愛好家のみなさんの追求は、比べものにならぬほど激越なものとなるかと思います。 故意ではなく過失には相違ないので、非は非として受け止め、しっかり検証をし、自分たち同様の間違いが生じないように示すことで、公立の動物園としての責務を果たし、過去は過去のこととして、誰もがわだかまりなく、動物と接することができる場に戻るよう、前向きにご対応いただければと思います。※ 事情はわかりませんが、逃がした張本人は、おそらく大型インコの飼育係でしょうから、動物園の中で一番インコを理解していたはずです。ところが、始末書を書かねばならない当事者ですから、捕獲方法について、強く意見が言えない状況になってしまったのかもしれません。 飼育側の日常のちょっとしたミスと、鳥のちょっとした好奇心が、悲劇につながってしまうのは、家庭飼育レベルで経験させられる飼い主も多いです。もちろん、それを仕事場で起こしてしまったのは、かなり問題ではありますが、人間としては理解できないことではないと思います。従って、あまり個人攻撃は宜しくないでしょうし(同じような失敗を将来しないとは限らないわけで・・・)、むしろ今回は、逃がしたことより、動物園の捕獲方法の考え方に問題があった点を、重視したほうが良いと、私は思います。
2013年09月03日
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私は、TBSのニュース映像で、木の上で怯える幼鳥を、大声を上げて追いかけたり、木を揺すったり、花火で脅したり、およそ捕獲目的としては、理解不能な行為を繰り広げる飼育員たちの様子に愕然とし、麻酔銃をかなり高い木の上にいるインコに向かって打ち込んだり(20メートルの高さとテレビは言っているが、おそらくそれほど高くない。また、当たったが変化が無いなど考えられないので、翼の羽を突き抜けたものと推測される)、最後は、高所作業車に乗って接近し、映像の印象では2~3メートルしか離れていない位置から、たった1000gの生き物の心臓を撃ち抜いてしまう獣医さんに、大いに失望させられました。そして、以下のような事実を挙げてみると、さらに不審感を募らせることになってしまっています。 1、千葉市動物公園では、4年前に別の大型鳥(アフリカハゲコウ)を市街地に追いやってしまい、麻酔銃を使用せずに捕獲している。 2、千葉市動物公園の獣医師は、2012年末に、麻酔銃を入手している(落札情報)。 3、千葉市動物公園では、ベニコンゴウインコの捕獲に、当初より麻酔銃を用いている。 4、千葉市動物公園は、敷地内での捕獲作業にあたって、来園者の規制を行った様子がなく、マスコミのカメラなどを引き入れている。 5、ベニコンゴウインコは尾羽を含む体長は、1メートルに達する大きな鳥だが、胴体部分は30センチ程度に過ぎず、体重は1kg程度の生き物である。 6、ベニコンゴウインコは種実を主食とする生き物で、人間に害を与える危険性はほとんど考えられない。 これらのうかがい知れるだけの端的な事実により、千葉市動物公園に対して抱く不審感を、文章にするなら、次のようなものになります。 木の上で怯える幼鳥を、大声を上げて追いかけたり、木を揺すったり、花火で脅すなど、およそ捕獲目的としては理解不能な行為の数々が繰り広げられたのは、飼育員その他関係者に、当該動物の生態についての基本的知識が欠如していたことを示している。さらに、自分たちの飼育管理ミスにより、生き物を危険な状態に追い込んでしまった反省にたって、いかに苦しめず、無傷に保護しようとする気持ちを共有しているのか、甚だ疑問と言わざるを得ない。 体重1kg程度の軽量な生き物に、麻酔銃を使用するのは、危険極まりない特異な行動と思われ、その使用を捕獲作業の当初から実行しているのは(木を揺するなどの行為は、射撃しやすい位置に移動させようとする目的以外に、理由が見いだせない)、誰の発案によるものなのか。挙句に、高所作業車で接近して使用すれば、内蔵器に致命的なダメージを与えかねないことくらいは、常識レベルでさえも、十分に予見可能であったはずである。何の配慮もなく実行し、当たり前のように生命を奪った事実は、生命の軽視を示す以外の何ものでもなく、実行した獣医は「動物愛護法」上の責任を問われるべきである。また、たび重ねて、来園者のいる敷地内での麻酔銃の使用を許し、捕獲作業の妨げにしかならないマスコミ取材を受け入れ、生命を尊重すべき動物園内において、結果的に殺傷行為を招いた園長は少なくとも不見識と言わねばならない。※「動物愛護法」(動物の愛護及び管理に関する法律)抜粋 第二条「動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない」 第三条「国及び地方公共団体は、動物の愛護と適正な飼養に関し、前条の趣旨にのっとり、相互に連携を図りつつ、学校、地域、家庭等における教育活動、広報活動等を通じて普及啓発を図るように努めなければならない」 似たような認識の人は多いだろうと思います。しかし、繰り返しますが、これは端的な事実に基づく印象に過ぎません。そして、そのような印象を受け、千葉市動物公園に、嫌悪感すら抱くのは、今回の事件の経緯が理解に苦しむ点が多く、それについて何ら説明がなされていないためだと思います。 千葉市動物公園は、「今後は、脱出防止マニュアルを見直すとともに、脱出防止訓練を行い、再発防止に向け、職員教育を徹底して参ります」と、漠然とした内容を園長名で表明するに止めず、このような印象による不審感を払拭するため、より具体的に、経緯を真摯に検証し、一般にもご説明いただきたいと願っております。 なお、参考のため、私が疑問に感じ、動物公園側が明らかにして欲しい点を挙げておきます。★ なぜ、当初より麻酔銃を用いたのか?野外に出てしまった大型インコに、麻酔銃を使用する根拠を説明すべき。 (a)鳥の構造上、生命に危険を及ぼす認識があったか。 (b)認識があるなら、あえて使用した理由。 (c)認識がないなら、使用を当然と考えた理由。 (d)麻酔銃の運用実績を公表。★ なぜ、休園などの処置をとらなかったのか?どのような捕獲を意図していたか、その計画内容を説明すべき。 (a)緊急に麻酔銃で沈静化しなければならない理由。 (b)麻酔銃の使用を必要としながら、来園客を受け入れ続けた理由。 (c)繰り返し行われた追い立て行為の理由。 (d)捕獲作業を指示した者が、当該生物の生態に精通していることの立証。
2013年09月01日
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今後、大型インコに詳しい人が、問題を指摘してくれると思うのですが、昨日、備忘録で知って指摘したので(コチラ)、その後さらに気がついたことを書き記しておきます。 千葉市動物公園は、薄い皮膚しか持たないベニコンゴウインコの幼鳥に対し、わざわざ近寄って麻酔銃を使用し、即死させてしまいました(朝日新聞記事・TBSテレビ報道)。動物園側の説明によれば(PDF)、7時10分に「麻酔銃により鎮静を図り確保」、同25分「動物病院で死亡」と説明されていますが、それを聞き流すのは、よほどのお人よしだけでしょう。そもそも、心臓に当たれば、普通に即死でしょう。映像を見る限り、確保段階でピクリとも動いていませんから、ほぼ即死と考えるのが妥当でしょう。 その後、調べたところ、この動物園には、同様の前例があったことがわかりました。4年前に、アフリカハゲコウを「丸3日の逃走劇」に追いやっているのです(朝日新聞2009年4月5日記事)。 ※朝日の記事の引用が多いですが、たまたまその記事が詳しいからで、購読をすすめる意図は皆無です。念のため)。 ここで、鳥の「逃走」について、一般に誤解されやすいので、付言しておきます。「逃走」と聞くと、あたかも、鳥が自らの意思で人間から逃げ回っているような印象を受けると思いますが、そのように認識すると、事実に反することになります。人間という二足歩行動物が大勢で追い掛け回すので、訳も分からず恐怖心で「逃走」しているに過ぎず、そもそもその「逃走」の原因は、迷子にしてしまった人間側にあることを、しっかり前提として認識しなければいけません。例えば、幼い子供が迷子になった場合、それを「逃走した」と表現する人はいないはずです。それは、親の注意不足で、子供を迷子にしてしまったという大前提を認識しているからだと思いますが、同様に、飼育下の生物が、人間の用意した飼育環境から離脱するのも、人間側の不注意で迷子にしてしまっただけで、生き物側に原因を求めることは出来ないのです。 今回の件も、犯罪者が自らの意思で脱獄したのと同じように勘違いし、『逃げたから捕まえようとして、反抗したから撃った』、などと見なさないで頂きたいです。あくまでも、「動物収容時の扉の確認が不十分であり、扉が完全に閉まっていない状態で作業をした」『不注意で迷子にしてしまった罪のない生き物を、散々追い掛け回して怯えさせ、挙げ句の果てに撃ち殺した』、のが今回の事件なのです。 さて、4年前、生後3ヶ月のベニコンゴウインコよりも、巨大で飛翔力に富み、そして知能的には劣ると思われるアフリカハゲコウは、市街地まで飛んで行ってしまい、マンションの屋上などを転々と移動、捕獲しようとする動物園職員などを翻弄し、「鎮静剤入りの小アジでおびき出すも興味を示さず、麻酔入りの吹き矢も羽で跳ね返された。投網も一歩届かず、苦戦続き」といった状態となり、都市の住民たちに良い見世物を提供することになっています。 この時と今回の件は比べた時、捕獲作業に相違点があることに、報道記事だけからでもお気づきになるのではないでしょうか。今回は始めから麻酔銃を使用しているのですが、前回は麻酔銃は一切用いられていないように思われるのです。そいいった物騒なものは用いず、鎮静剤入りのエサや吹き矢での麻酔が試みられ、最終的には「高所作業車で近づいた職員が竹ざおでとらえようとし」、鎮静剤の効果か空腹で体力がなかったかわかりませんが、落下したところを手取りにしているのです。 なぜ、違うのでしょうか?そして、なぜ、今回も前回と同様の対処、エサで釣り、吹き矢で狙い、体力が落ちれば竹竿の先端の鳥もちで絡め取る、をしなかったのでしょうか?私は、この相違を、この動物園が、前回のハゲコウの一件で、間違った教訓を得た結果のように思えてならないのです。つまり、《市街地に飛んで行ってしまうと騒動になり、近隣住民が多いので麻酔銃が使えず、捕獲に手間取ることになるので、園内で麻酔銃を用いて速やかに対処すべし》といった教訓を持ってしまったため、今回の対処に至ったと、勘繰らざるを得ないわけです。 しかし、「集まった近隣住民からは、「よかったー」「安心した」など、安堵(あんど)の声とため息が漏れ」「捕獲後には公開時期の問い合わせもあ」った点にこそ、教訓を見出すべきだったのではないでしょうか。現在の日本人は、とても優しく、時には優しすぎて、人間を襲った凶悪なサルの殺処分さえ許さないほどですから(殺処分するのが行政の義務だと私は思う)、「よかったー」「安心した」は、ハゲコウが逃げ回って衰弱死したり交通事故に合わずに良かった、の意味で、その助かった姿を確認して喜びたいので、公開が望まれたに相違ないのです。つまり、動物の生命を大切にする気持ちが、一般市民に強固に存在し、(その生き物が人間に危害を加える類でない限り)命長らえて捕獲されることを何よりも望んでいることこそ、教訓にしなければならなかったと思います。つまり、この動物園が前回の事件から得なければならなかった教訓は、《出来うる限り、生命の危険が生じない方法で捕獲する》であり、その点で、前回の捕獲を失敗ではなく成功と認識していれば、今回の悲劇は防ぐことが出来たのではないでしょうか。 動物愛護の啓蒙をする立場のはずですので、動物園には、今一度、しっかりと、何を優先させねばならなかったのか、お考え頂きたいと願っています。 世間的に、今回の捕獲行動を、どのように見られてしまうか、参考のため、鳥マニアではなく文鳥マニアながら、他の鳥類も他の生物同様に、たいていは好きなので、腹を立てている私の邪推を示しておきます。 本格的な捜索を始めたのは、27日の朝6時で、7時に西口ゲート付近の樹木に止まっているのを発見し、「竹竿で追い落としをかけ」ていますが、追い落と去ねばならない理由がわからないので、9時半の開園前に、とりあえずそこから移動させることのみを意図したものではないかと、邪推します。 開園中、園内を点々と移動するのを目撃しながら放置していたのに、閉園の近づく16時になって(入場は16時まで)「来園者の安全に配慮しながら、麻酔銃を使用した」のは、なぜなのか、まったく見当がつきません。せっかく園内をうろついていたのですから、一時封鎖するなり休園にして、様子を見る選択をしないのが不思議です。それをせず、他に何らの工夫もなく、いきなり麻酔銃の使用に踏み切るのは、明らかに、捕獲手段として麻酔銃を使用することが決められていたものと、邪推します。 28日、6時40分「北口駐車場脇水路付近で鳴き声を確認親鳥を連れ(鳴き交わしを期待して)捜索」とありますが、大勢の捕獲要員と一緒に連れ回していたのでしょうか?置いて見守ることをしなかったのは、駐車場を一時的に閉鎖することさえ避けた結果ではないのかと、邪推します。 同12時15分「駐車場脇水路付近の斜面林で確認」し「麻酔銃を使用したが、飛び立ってしまった」とありますが、開園したまま実施しているのでしょうか?行楽客の行き交う中を、鉄砲を担いだ職員がウロウロする姿は、面白そうではありますが、少々常識的感覚が欠落しているのではないかと、邪推します。 さらに、同17時30分「園内に追い込むため、花火を使用し、追い出しをかけた」とありますが、まったく不可解としか言い様がありません。生き物は捕獲する際は、脅かさないのが基本なのは、蝉取りの幼児でもわきまえているはずですし、バンバン打って追い掛け回したら、どこに飛んで行ってしまうのかわかりません。園内に追い込むつもりでも、園外に追いやる可能性が十分ありますが、その危険性を考慮していたのでしょうか? 29日5時26分「駐車場の園内側斜面林へ追い出し作業開始」、42分「麻酔銃用意し待機」し、6時24分「西口の北斜面林に」インコを追い立てることに成功し、52分に「高所作業車で捕獲を試みるが取り逃が」して、「北口西側斜面林に」インコを追いやる結果となり、7時10分に射殺しています。一体何がしたかったのでしょう?これを客観的に見て、衰弱している鳥を追い立てて殺しているだけです。 29日付けの園長日記で「園内で外敵等から守りながら給餌している生活から、外界へ出た場合、自立した生活が困難であるため、職員一丸となり懸命に捕獲に向け活動して参りましたが、このような結果となりましたこと、心よりお詫び申し上げます」としているのですが、 「外界へ出た場合、自立した生活が困難」なインコを、「職員一丸となり懸命に」追い掛け回すなど愚の骨頂ではないでしょうか? このインコの来歴を知りませんが、おそらくは人間の給餌も受けたはずの幼い個体なので、困れば人間を頼った可能性が強く、実際、外界に出てしまってからの行動を見れば、動物園の敷地周辺を離れようとはしていないのです。早朝から、ガッチャガチャと大勢でで追いかけ回すバカ騒ぎをしなければ、27日の日中のように「インコ舎周辺の樹木へ移動」「その後、園内の各所を移動」するのを繰り返し、禽舎におびき寄せるのも容易だったように思います。むしろ、一日休園にし、そのようにしなかった理由をお尋ねしたいものです。 朝から晩まで追い掛け回し、来園者が行き交うままにし、そのインコが考える暇も与えないとは、いかなる考えに基づく行動なのでしょうか?大型インコは、脳化指数からも、その動物行動学に基づく科学的知見からも、犬以上に「賢い」判断をしている生き物なのです。従って、私の見るところ、来園者がおらず静かな早朝に、追い掛け回すことに終始したのは、致命的失敗です。その時間帯こそ、ベニコンゴウインコの飼育員以外は退去し、禽舎からの鳴き声を遠くに聞こえるようにし、そちらに誘き寄せるべきだったのではないでしょうか?そういった考え方をしないのは、その生物種に対するどのような知見に基づいての判断なのか、ご説明いただきたいものです。 しっかりと、非は非として認め、今後につなげていただきたいものです。
2013年08月31日
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環境省のパンフレット「動物の愛護及び管理に関する法律が改正されました <動物取扱業者編>」(2013年8月発行)が、公開されていたので、目を通しました(今後、見られなくなる可能性があるので、意識的に長く抜粋しておく)。 いろいろ論点はありますが、文鳥の「里親」「里子」募集掲示板の管理人としては、動物取扱業者が、ペット動物の対面販売を義務付けられたことに、留意する必要がありそうです。 なかなか良く出来ているこのパンフレットでは、「現物確認・対面説明の義務化」と題し、「動物はその個体ごとに特徴・癖等の個性があり、場合によっては過去にけがをしていたり、病気に罹患している場合もあり」、「インターネット上の画像、説明等では判別がしがたい場合も多」く、また、「購入した者が最後まで適切に飼養する責任があり、それを果たすための準備と覚悟」を促すために、「第一種動物取扱業者が動物(哺乳類・鳥類・爬虫類)を販売する場合には、その動物を購入しようとする者に対し、あらかじめ、販売する動物の現在の状況を直接見せるとともに、対面によりその飼養方法、生年月日等適正飼養のために必要な情報を提供することが義務付け」た、と説明しています。 「現物」ではなく「(生体の)現状」とでも書いて欲しかったですが、それはともかく、この規制について、私個人は、生体は自分で見て自分で連れて帰るのが当たり前だと思っているので、その趣旨は理解します。しかし、飼い主としての「準備と覚悟」を促す効果については、はなはだ疑問です。なぜなら、生き物の飼育に無知な人は、見ても見なくても一緒で、何の知識もなければ、言われるがままにしかならないものと、事実認識をしているからです。つまり、対面販売にしたところで、購入者が無知で、業者側がいい加減なら、「過去にけがをしていたり、病気に罹患している」個体でも、普通に売りつけるでしょうし、気づかず買ってしまうでしょう。 必要なのは、業者に客観的な説明を徹底させることと、購入者にその生態や飼育についての知識を、事前にしっかり学ぶように啓発すること、と思いますが、それは対面でも非対面でも、さして変化は無いかと思うのです。 この法律により、地方の個人ブリーダーは、飼い主に直接売り渡す《直譲》ことが難しくなり、ショーウィンドウで展示販売する小売店などに、卸売をする必要に迫られるものと思われます。しかし、その流通形態が、直譲よりも生体に負担をかけず、飼い主としての「準備と覚悟」を促すものと言えるでしょうか?動物取扱業の間では、対面販売の必要がなく、普通に運送され続けるので、ペット動物への負担は軽減されません。また、そもそも小売店での生体の展示販売は、宿命的に、生き物を見世物にして衝動買いを誘う売り方に相違ないと、私には思えるのです。 犬猫の場合、幼齢の販売制限が設けられたように、さらに販売方法が厳正化され、やがては展示販売が難しくなる方向性を示したのが、今回の法改正だと、私は認識しています。そして、そのような形態が一般化していくと、生体を扱う小売店はさらに減少し、文鳥の入手も難しくなってくるように思われます。 文鳥の場合も、方向性としては、ブリーダーからの手渡しによる直譲に限られてくるのでしょうが、文鳥のような家庭繁殖が容易な生き物では、個人間の非営利な譲渡形式も、盛んになってくるかもしれません。つまり、「里親」募集のような形態です。盛んになれば、様々な問題が起きてくるでしょうが、管理人が、個人間取引にどの程度立ち入ることが出来るのか、難しすぎる課題になってきそうです。 なお、今回の法改正により、「非営利の活動であっても、飼養施設を有し、一定頭数以上の動物の取扱い(譲渡・展示・訓練等)をする者は、あらかじめ、飼養施設の所在する都道府県等への届出が必要になります」。これを第二種動物取扱業と呼ぶことにしているわけですが、「里親」募集は「譲渡」に該当するはずなので、「一定頭数以上の動物の取扱い」をする人は、非営利でも届け出る必要があると解釈できそうです。 しかし、該当者は限りなくゼロに近いのではないでしょうか。「一定頭数以上」とは「馬・牛・ダチョウ等の大型の哺乳類又は鳥類及び特定動物については3頭以上、犬・猫・うさぎ等の中型の哺乳類・鳥類又は爬虫類については10頭以上、それ以外の動物については50頭以上飼養することを予定している場合。が対象になります」と説明しています。 初めに「一定頭数以上の動物の取扱い」について説明するとしながら、最後に「飼養することを予定している場合」としているので、その「頭数」は譲渡数を示すのか、設備の収容予定数を示すのか、曖昧にも思えますが、多数を飼育することによる周辺への影響も考え、個人の趣味的な飼育でも多数飼育の場合は特別扱いとするのが、法の目的と思われますから、飼育数と考えて良いでしょう。つまり、文鳥なら50羽以上を飼育する場合(飼育する設備を整えて、飼育する予定である場合を含む)、第二種動物取扱業の届け出が必要になると見なされます。 50羽を家庭で飼育するのは、難しいかと思いますが(我が家は27羽なのでセーフ)、近隣に迷惑になるか否かが問題なので、多数飼育の人は飼育羽数で安心せずに、配慮すべきでしょう。 とりあえず、掲示板では、発送は原則不可になっている旨、追記しました。・・・また、この改正でおかしな解釈をして、「通りすがり」のくせに説教を始める人が出てくると嫌だなぁ(ちょっと楽しみだけど)。
2013年08月29日
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この現代のカラス公害に対する行政側の動向を見ていると、徳川綱吉の「生類憐みの令」が思い出され、それが素晴らしいものだったことが鮮明になってきます。本来的には、野生動物を狩猟するための法律である「鳥獣保護法」(正式名称は『鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律』、前身は『狩猟法』で、乱獲を禁止する目的で保護が必要になり、さらに自然環境保護の一端としての野生動物保護の観点が付け加えられるなどして、今日に至っている)の矛盾を放置したまま(狩猟対象の野生動物に対してすら、保護対象として手出ししてはならないような誤解が蔓延する。特別な保護種と指定されていないので、敷地内の私有財産を傷つける「自然物」に過ぎず、どのように扱ったところで、処罰対象になり得ない可能性が大きい)、そのような法律に縛られてしまうだけで、十分な対応を怠る現在の行政より、よほど合理的な対応をしていたのです。 以前は、犬公方として愚かな将軍のように評価されることの多かった徳川綱吉ですが、近年ではその功績が学会でも見直され、教科書の記述も肯定的な評価に変化しているようです。それは当然で、悪名高かった「生類憐みの令」にしても、その内容を見る限り、時代を先取りしすぎた合理的な動物愛護精神の持ち主としか言いようがない内容なのです。おそらく、綱吉の発想が合理的にすぎて、かえって趣旨が理解できない当時の小役人の厳しい運用により、当時の庶民生活に多大な迷惑を及ぼす悪法になってしまった面もあったでしょうが、近現代の悪評の元を検討すると、ほとんどが誤解に基づいています。例えば、「生類憐みの令」に含まれるカラスの巣に関する規定もその一例です。 まずは、『徳川実紀』(以下略して『実紀』)元禄3年(1690年)3月16日条の、勘定奉行配下の代官たちに対する命令を見てみましょう。 「(道路や人里の樹木に)鳶烏巣かけざるやうしばしば見廻り、もし巣かくるもあらば其巣をとりすつべし。おそく見つけ卵うみし巣をこぼち、卵いたまんはいかがなり。【略】鳶烏の巣に事よせて。其他の諸鳥の雛など。卑賎の小児等巣より取すつる事も有べければ。此等は心いれて告諭し、鳶烏の巣の外。一切こぼつべからずとなり」 ※活字では「鳥」ですが、私が勝手に「烏」と置き換えています。なぜなら、トビを「トビトリ」と表現するのは、奇妙ですし、そもそもトビとカラスは、抗争を繰り広げる姿がしばしば目撃されるように(告白しますが、私は高校時代に授業中にそういった様子を観察していました)、人里近くの生活空間を共有しており、しばしば人間を襲って迷惑となる点も同じですから、トビとカラスが並置されるのが、ごく自然に思われるからです。また、以下の法令の内容は、トビよりむしろ現在のカラス公害と重なり、『実紀』に「鳥」とあるのは、活字化する際に「烏」を誤写したものと見なすべきだと思います。 もし、綱吉が、世間一般に信じられていたような、人命よりも他の生き物の生命を優先する異常な動物愛護精神の持ち主であれば、「巣に触んな!」「つつかれても文句言うな!」「反撃するな!愚民ども!」といった調子で命じているはずです。ところが実際は違っています。おそらく、今現在、都市部でカラスが問題となるように、当時も、街道筋の並木などに営巣し、旅人に害を及ぼす迷惑行為が問題となっていたはずです。江戸時代ですから、人間が一方的にやられるばかりでなく、反撃してカラス側が悲劇的結果になることも多かったのでしょう。そういった殺伐とした行為を嫌った綱吉は、管轄の役人が頻繁に巡回して営巣を確認し、卵を産まないうちに、巣を壊してしまえと命令しているのです。これは、人間の生活など気にしない、盲目的動物愛護(例えばクジラを守るためには人殺しを辞さないようなもの)ではなく、人間の生活と野生動物の営みを考え、両者のバランスをとりつつ動物愛護を実現しようといった、実に健全な発想からの命令と考えられます。 しかし、綱吉の事跡の中には、鳥よりも人間を軽視した盲目的動物愛護を示す例があると、反論されるかもしれません。そして、その事例として、「元禄元年(1688年)10月3日に烏が巣を作った木を切り、武蔵国新羽村の村民が処罰される」と、ウィキペディアの『生類憐れみの令』項が説明している事件が挙げられるものと思います。ところが、この事件も、『実紀』で確認すると、印象がかなり異なってくるのです。 「武州新羽村西方寺寺領の宮山の樹林を伐しに、鴻の巣かけし木をきらしめしは釈徒慈済の意にそむけりとて、閉門せしめらる。これに座して近村の民も罪蒙る者あり」 とあります。つまり、直接的に罰せられたのは、伐採を命じた西方寺で、それも理由は、殺生禁断であるべき境内において、それを行なったと見なされたからです。確かに村民も罪過に問われていますが、あくまでも「これに座して」です。おそらく、寺から依頼され実際に木を切り倒した村民が、名主などを通じて叱りおかれた程度の話でしょう。つまり、将軍の異常な動物愛護精神による異常な罪過ではなく、仏教の殺生禁断の原則をその境内で踏み外したことへの、信仰心の厚い将軍の常識的と言える範囲の対応に過ぎないわけです。 この西方寺は、現在、横浜市港北区の新羽に所在する真言宗西方寺のことかと思われますが、そのサイトを見る限り、幕府の直轄領に所在し、その庇護を受ける古刹だったようですから、綱吉の感覚では自分の領地内の出来事、身内の不祥事に思えたはずです。つまり、普通の庶民が裏山の木を伐ったら、たまたま鳥の巣があっただけなのに、ひどく処罰された、といった類の話とはまったく性格を異にしており、「生類憐みの令」が庶民に対して過酷なものであった実例とは見なし得ません。 カラスの巣についての元禄元年同様の命令は、その後も同4年と8年に確認されます。『実紀』元禄8年2月21日条は次のような内容です。 「武家宅地あるいは寺社境内に鳶烏巣をかければ、すみやかにとり捨て、巣かけしむべからず。もし卵かへらば、其ままになしをくべし。近郊の農地も是にかはらず。但し雛はそのままにしをき、鳥見へつげて指揮にまかせ、他へうつさしむべし。但し府内愛宕山の境内は巣拂ふべからずとなり」 綱吉という人は、やたらと細かく、確かに偏執的に感じられないでもありませんが、あくまでも合理的です。大雑把にすべての者が、一律に同様の対処をするようには求めず、理詰めで、それぞれの立場で必要な対応を一々考え区別して指示していたのが、よくわかります。この場合、将軍の所在する江戸城の近く、将軍家とも深いゆかりのある愛宕神社の境内では、一切巣に触れてはならないとし、配下の武家、旗本たちの宅地やおそらく直轄領内の寺社境内は、巣は取り捨て、ヒナがいれば放置、直轄領である江戸近郊の農地では、巣は取り捨て、ヒナがいる場合、将軍の鷹狩場などを管理する鳥見役に申し出て巣を移動させる、と、対応を3つに分けています。 巣を移動したら、親鳥は育てなくなる可能性が高いので、結果的にヒナは死んでしまうと思われます。その辺りは、所詮は観念的な命令と非難されそうですが(鳥見役から鷹匠に渡され餌にされてしまったのではないかと・・・)、ともあれ、普通の農民たちが、野鳥のヒナを直接に殺さずに済むことは確かで、綱吉が中央官庁、鳥見役が市役所など自治体、農民は市民と当てはめると、市民にとって、綱吉がいかに親切だったかわかります。もし、市民が敷地内にカラスの巣を発見したら、ヒナがいなければ速やかに撤去、ヒナがいたら自治体に報告し自治体の責任で対処する、これは、実にわかりやすく真っ当な対処ではないでしょうか?少なくとも、自治体には捕獲許可を出して住民に処分させたら良い、と放り出してしまう現在の状態より、市民が動物愛護には結びつかない、殺処分の実行者になるのを避けることができます。 「動物愛護法」(正式名称は『動物の愛護及び管理に関する法律』)には、「動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」とあります。所轄官庁は、「鳥獣保護法」同様に環境省です。つまり、草加市のカラス公害をめぐるやりとりだけで、環境省を評するなら、ペットとして飼養する生き物を愛護することで、生命を尊重する社会をつくるとする一方で、野生動物の駆除・殺処分は住民が適当に行えと示唆する、矛盾した行政組織ということになってしまいます。この点では、草加市の特区申請にしても、それは結局、カラス駆除を住民に押し付けるだけですから、動物愛護の観点を欠いていたと見なされてしまうと思われます。結果的に、行政が責任を負うのを避けていることになるのです。 やはり、300年前の偉大な徳川綱吉の政策を見倣って、少なくともヒナの段階に達すれば、自治体が処分するのを原則とし、そのための法整備や体制の構築のために、環境省は努力すべきでしょう。保護しろ愛護しろと建前を並べ、被害が出れば、自治体が適当に解釈して住民が勝手に殺処分させれば良い、では、無責任どころか、不備な個々の法律上のつじつま合わせばかりで、動物の保護や愛護という大目標に向けた論理的整合性を欠いてしまい、上様(徳川綱吉)に申し訳が立たないと思います。 実際に人に被害を与えている野生動物がいるなら、すぐに殺処分するのも、社会を守る上で必要になるでしょう。しかし、「国民の間に動物を愛護する気風を招来」する大目的があるなら、その不幸な野生動物が生じた原因を考え、同じことが起きないように、行政の責任として対処していくしかないはずです。カラスの数が増え、都市公害になってしまっているからと言って、市民が自由に殺処分できるようにお墨付きを与えてしまえば、玄関先にカラスの逆さずり死体の並ぶ、殺伐とした『特区』が出来上がってしまうかもしれないではありませんか?むしろ、なぜカラスが増えるのか、その原因を考えて対処していくのが、綱吉でも真似の出来ない現代的でスマートな行政になるはずです。生ゴミがカラスのエサにならないようにするためには、どのようにしたら良いのか、市街地に営巣させないためにはどうしたら良いのか、それを科学的に検討し、対策を立てることこそ、中央地方の区別なく、現代の行政に必要とされていると信じています。今後に期待したいところです。
2013年06月19日
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埼玉県の草加市が、「鳥獣保護法」をめぐって、中央官庁と壮絶?な応酬を展開した際の、実に興味深い経過があります。是非お読みいただきたいところですが(コチラ)、時間の経過に伴いページが無くなることも有り得るでしょうから、引用しながら経過を追ってみましょう。 カラス公害に悩む草加市は、「カラス被害を減らすためには、カラス自体を減らす必要があり、巣の撤去や、卵の駆除が有効な手段となっている。このため、私有地内の巣については、土地所有者に自主的な駆除等をお願いしているが、巣の撤去にあたり、巣の中に卵及び雛がいる時は、事前の許可が義務づけられていることから、発見しても土地所有者等が即時に撤去することができず支障が生じている」と現状を説明し、「カラスの雛、卵に限っては、鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律第9条第1項の捕獲の許可の特例として、事前の許可を必要とせず、市民が率先して駆除できる」ように認める特区化を、所轄官庁である環境省に願い出ました。 それに対し環境省は「カラスに限定した捕獲であっても、許可を必要としない自由な捕獲を認めることは、過大な捕獲が行われたり、必要のない安易な捕獲を助長する懸念があることから、鳥獣の適切な保護管理を推進する上で適当でない」と回答しました。まずは、にべもなく拒否したわけです。 この回答に草加市側は納得せず、「過大な捕獲や必要のない安易な捕獲を助長することは考えにくい。カラスの生息と住民生活への影響は地域により様々である。全国一律ではなく、地域の特性にあった取り組みを認めていただきたい」と、さらに意見書を提出します。 それに対し環境省は、「今回の特区提案内容は、捕獲する鳥獣(カラス)が実際に被害を生じさせているか又は被害を生じさせるおそれがあるか、さらに適正な捕獲手段であるか否かの客観的な判断は必要とせずに鳥獣(カラス)の捕獲を可能とする内容となっており、鳥獣の適切な保護管理を推進する上で適当でないと考える」と、拒否を繰り返します。 しかし、おせんべの街、草加市は引き下がらずに、「現状の事前の許可制では、市民の生活に支障をきたす現状に対して適切な対応が取れないことから提案しているものである。このことをご理解のうえ、市民の安心、安全を高められるように、前向きな検討をお願いしたい」と再考を促しました。 この再三にわたる申し立てに、環境省側も困惑したようで、次の最終回答には、これまでとは異なる本音を伝えてきているように、私には思えます。まず、「今回の特区提案内容は、捕獲する鳥獣(カラス)が実際に被害を生じさせているか又は被害を生じさせるおそれがあるか、さらに捕獲手段が適正であるか否かの客観的な判断は必要とせずに鳥獣(カラス)の捕獲等を可能とする内容となっている。このため、鳥獣の保護管理について専門的知見を有していない者(市民)の判断で捕獲等を行うことが可能となり、被害の有無について十分な検討がなされず、又、不適切な手段によりカラスの捕獲が行われるなど、違法な捕獲を助長する可能性があることや、状況の変化により対象鳥獣(カラス)の保護をはかる必要が生じた場合に捕獲等の制限を課すことができないなど、鳥獣の適切な保護管理を推進する上で適当でないと考える」、とこれまでの回答内容を繰り返した上で、「なお、当該要望事案については、捕獲の許可権限者は市長となっており、過去の被害実態等を勘案して、カラスによる被害が生じるおそれが予想される場合にあっては事前に捕獲許可を出すこと等も可能であり、迅速かつ弾力的に許可手続きを行うことで適切な対応を行うことが可能と考えている」と、わざわざ現行法内での対処方法を示唆しています。 つまり、特区のような目立った特別扱いは出来ないが、カラスの駆除は地方行政が現行法を適当に運用すれば十分可能なので、「黙ってやっとけ。こっちゃに振るなや。忙しいやんけ」と、なぜか怪しい関西弁調になってしまうのが、おそらくは環境省の本音でしょう。確かに、カラスの捕獲許可権限は草加市長にあるのですから、捕獲の必要性ありと見なせば、「ちゃっちゃと許可すればええねん!」なのです。 特区にならなければ、カラスの駆除もできない、というのは、草加市側の誤解に過ぎず、現行法をしっかりと理解していないとも言えます。しかし、では上級官庁が適切な対処法をアドバイスしてきたのかと言えば、それは皆無で、再三執拗に要求をされた挙句に知恵を貸しているに過ぎない、といった態度でしかありません。カラスの被害に悩まされる国民が、草加市に限らず都市部に多く見られるにも関わらず、有効な対策を検討して自治体に指示することなく、現行法での対処すら周知せず、「鳥獣の適切な保護管理を推進する上で」とお題目を繰り返すだけというのは、あまりにも無責任な対応と言わねばなりません。 このように、現状の問題に対して、法律の解釈や運用で、現行法に違反することなく、対処できるケースがほとんどのはずですが、実際に地方行政を担う自治体側は、生真面目に法律の文章の文字を追ってしまうらしく(法律を守ろうとする意識ばかりで、それを上手に解釈して運用する意識が欠如している)、法律は変えないと何もできないと思い込んでしまい、結果、課題を放置する傾向があるようです(数年で部署を移動するので、それまで何もしなければ逃げられる)。一方の中央官僚は、法の不備を積極的に見直そうとする努力はほとんどせず、自治体の問い合わせに対しては、相手の立場での親身な回答などほとんど有り得ず、各自治体に説明のないまま不備の多い法律の運用を丸投げして、何もしようとしないことが多いのではないでしょうか。そうした、実にありがちな構図が、この件にも現れていると、私には思えます。
2013年06月19日
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先日、以下のご意見を掲示板にいただきました。 「一般人の里親募集は(※動物愛護法の)規制の範囲に入るのか?そもそも、里親募集してもよい範囲とは保健所に問い合わせた所、年間二頭以上は動物取扱の許可が無いと出来ないので1羽までとなります。頭の表現は動物の頭数を表すため、鳥類は1羽となります。掲示板等で一般飼育者が里親募集しても良いのは年間1羽までです。」 まったく同じ内容を、同じようでも別人らしい方が、「年1回1羽のみ可」はデタラメ(興味があるならコチラ)と、すでに全力で繰り返してしまっている文鳥の「里親」募集掲示板の管理人に、何のためらいもなく言って寄こしてくるほどに、このデタラメが、正義感あふれる人に浸透してしまっているわけです。 「保健所で聞いたら、こうなんだって!」と、素直に納得してくれる人ばかりの地域なら、デタラメがデタラメと気づかれず、何となく済んでしまうかもしれません。しかし、矛盾を感じて、法律に基づいて冷静に自分の権利を主張できる人が、異なった解釈を挙げれば、その「保健所」はあっさり解釈を改める可能性も大きいです。「お役所」は無謬の存在ではなく、公務員もロボットではないのです。大学の同級生の「あんな連中」が、その職にあるだけで、解釈を間違えない方が、驚きと言えます。 もし、勝手な解釈で法律を間違って運用してしまい、それに異議を申し立てられ、行政訴訟にでもなれば、限定的な地域でテキトーで済ませるわけにはいかなくなってしまいます。従って、指摘を受ければ、そこで初めて、法律を熟読し、複数の職員で検討し、所轄の中央官庁とも相談し、慎重な解釈を行うことになるはずです。ようするに、しっかりと住民側が指摘しない限り、案外テキトーに運用している可能性もあるのが、地方行政、「お役所仕事」というものです。 そのように、自分が接した「保健所」窓口の意見は、一職員の解釈に過ぎないかもしれない、という事実を踏まえて、繰り返しになりますが、各地域の動物取扱業を管轄する自治体が、何をもって動物取扱業としているのかを、検証してみましょう。例えば、長崎県のサイトの次のような記載が典型的です。動物取扱業の「業」の考え方 以下の「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のいずれにも該当するものをいいます。 社会性 特定かつ少数の者を対象としたものでないこと等、社会性をもって行っていると認められるもの。 頻度・取扱量 動物等の取扱いを継続反復して行っているものであること、又は一時的なものであっても多数の動物を取り扱っているもの。(例:年間2回以上又は2頭以上) 営利性 有償・無償の別を問わず、事業者の営利を目的として行っているもの。 省令なのか通達なのか、現時点で確認できませんでしたが、おそらく、所轄の中央官庁である環境省の担当者が、地方自治体担当課に送ったペーパーが基になっているらしく、同じ内容の説明文は、他の自治体サイトにも散見されます(衆議院調査局環境調査室が昨年8月まとめた報告書『動物の愛護及び管理をめぐる現状と課題』では、「何をもって動物取扱「業」とするかについては、従来は、【1】社会性をもって、【2】反復継続的に又は多数の動物を(年2回又は2頭以上)、【3】営利の目的等をもって動物を取り扱うことと解釈されている」とされ、法律的根拠は無く、あくまでも一般的な解釈に過ぎないと見なされています。つまり、実在が確かめられず、法的根拠となりうる文章とは見なし難いですが、便宜上、以後は『通達』と略記します)。これも以前、再三にわたり指摘したところですが、この文章を読めば、動物取扱業と見なされるには、3要件がそろうことが必要で、その中の一つに「頻度・取扱量」があり、その「例」として、「年間2回以上又は2頭以上」があることは、明らかです。 ところが、今回指摘していただいた方や、それに回答したとされるどこかの地方行政窓口氏は、「年2羽以上は取扱業」と単純に解釈してしまっています。なぜそうなってしまうのでしょう?あえて、そのような単純化の過程を類推するなら、まず何も考えず『通達』の文字面を追って、自分が理解しやすい「年間2回以上又は2頭以上」部分だけに注目してしまい、動物取扱業と『見なす』要件を示す例を、動物取扱業として取り締まる対象を明示したものと脳内変換し、年間2回でも取締対象、2頭でも取締対象と解釈した挙句に、「頭」も「羽」も助数詞の違いに意味は無いと、自分の国語力で勝手に解釈して納得した、とするしかないと思います。・・・これを無茶苦茶な屁理屈解釈と言わずに、どのように表現したら良いでしょうか? しかし、こうした解釈は珍しくはないようです。例えば、岡山県の頻度・取扱量の説明も、こうした勝手な法解釈の結果のように思われます。岡山県担当者氏は、「動物の取扱いを継続反復して行っているものであること、又は一時的なものであっても多数の動物を取り扱っているものであること」としており、この法律的で分かりにくい部分は、ほとんど『通達』のままに載せています。ところが、続いて「(少なくとも、年当たり2回又は2匹のいずれかを超える取扱いがある場合は、当該要件に該当します。)」と、なぜかこの部分だけ、独自の解釈を加えています。他は同じですから、原文は「(例:年間2回以上又は2頭以上)」だったはずですが、「いずれかを超える取扱い」などと作文し、カッコ書きの付け足しの「例」に過ぎないものを、あたかも完全に規定をされた厳格な数値のように挙げて、「該当します」と断定しています。このような解釈は、やはり想像したように、わかりにくい『通達』の中の「例」だけが、わかりやすかった弊害ではないでしょうか。 このように、自治体によって、または担当者個人によって、本来有り得ない解釈が行われる危険性は、どこにでも存在するのです。 では、登録をしなければ「里親募集」が違法となるとする、一部の行政窓口を含めた有識者めいた雑多な人たちにミスリードされ、動物取扱業希望者が大量に出現してしまったはずの人口密集地域の自治体は、どのように対処されているのでしょうか。東京都では、次のように書いています。 「動物取扱業とは、社会性があり、一定以上の頻度・取扱量で、有償・無償の別を問わず事業者の営利な目的をもって、動物の取扱いを行う行為で、社会通念上、業として認められるものをいいます。」 この文章では、「年間2回以上又は2頭以上」には触れず、「一定以上」と数の明示を避け、「社会通念上、業として認められるもの」と、曖昧な表現を重ねて、一般常識内での裁量としているものと見なせます。つまり、取り扱う生き物の種類が違えば、繁殖の形態も異なり、飼育「文化」も異なっており、個別事情も千差万別なため、数量を明記した対応は不可能であることを、反映しているように思われます。 しかも、この説明文は、東京都に限らず、例えば大阪市も埼玉県もまったくの同文で載せられています。つまり、環境省から『通達』とは別のペーパーを受けて、それを掲載している蓋然性が高いと思われます。もしかしたら、先の『通達』により、特に都市部の自治体の窓口で大混乱が生じたため、環境省が修正した結果を示唆しているのかもしれません。 結局、現実的な対応としては、東京都その他が掲げるような、具体的な例示をせずに、「社会通念上」とするしかないとしても、実際はどういった基準で運用されているのでしょうか?これも類推するしかありませんが、犬なら不慮の繁殖や次代継続のため、1家庭で1回数頭程度は許容範囲とすれば、「年間2回以上」とする「例」にも抵触しないように思われます。さらに、いくら繁殖しても営利性を認められなければ除外、知り合い同士のやり取りレベルで社会性が低いと認められたら、やはり除外・・・。個人の繁殖で、かなり頻繁に行い有償で販売(「譲渡」)している場合は、回数や営利性次第のグレーゾーンとなるので、なるべく登録が推奨される、この程度が常識的なところかと思います。 それでは、文鳥ではどうでしょう?文鳥は生体単価が安いので、個人が繁殖によって「社会通念上の」営利性を求めにくい生き物です。したがって、たびたび現れる社会通念を超えて法に縛られたがる人の妄想とは異なり、現実の法執行上は、野放しになってしまう可能性が大きいかと思われます。つまり、募集を繰り返す人の住所などを探り出し、その人の管轄の保健所などに「通報」しても、おそらく何も起こりません。なぜなら、『業』として登録していなければ、ただの住民に過ぎませんから、「保健所」には売買実態を調査する権限がないのです。第一、文鳥については、畜産品として繁殖して出荷する場合、動物愛護法の適用外となる矛盾が存在しますから、面倒この上ないことになります。 しかし、自分で飼育する目的外で、年に何回も計画づくで繁殖し、無償であっても他人に「譲渡」するのは、普通の飼育とは異なる反復継続行為ですから、動物取扱業の登録があってしかるべきだと、個人的には思います。逆に言えば、計画性を伴わない繁殖によるものは許容(ただし以後の繁殖には注意)、飼育継続のため自宅に残す者以外の「里親」募集なら、1つがいに付き、年1回以下(年1~数年に1回)は許容される、程度が、文鳥飼育上の、常識的線引きになるのではないかと考えています。もちろん、その程度の数量では、営利性は認めにくいでしょうから、無償か有償かは個人の自由とするしかありません。 そのように社会通念上許容されると思われる文鳥の「里親募集」の基準を、私個人が持っていたとしても、それを掲示板管理者として、掲示板の管理運営にどのように反映すべきでしょうか?私は、何もしないのが正解だと信じています。なぜなら、たびたび有償で募集しながら取扱業表記がない人がいて、注意するなり掲載禁止にしても、名前を変えたりIPアドレスを変えられたら、それ以上の特定は不可能だからです。そもそも、管理人が募集者の身分保障をしているわけではなく、あくまでも個人間取引である以上、第三者が介入するのはお節介に過ぎず、法律的な義務も権限もなく、無意味な行為となってしまいます。 文鳥でも、優良なブリーダーのネットワークがあれば良いのですが・・・。せっかく正義感も問題意識もあり、軽率に意見を言えるほど暇があって元気もある人たちがいるのですから、聞きかじりの怪しげな法解釈を元に頼まれもしないネガティブな行動で自己満足に浸らず、より他人のためペットたちのために、ポジティブな方向で頑張って頂ければと、期待しています。
2013年06月17日
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今日は祝日、文化の日である。なぜこの日が文化の日かと言えば、1946年に日本国憲法が公布されたことに由来していることになっています(本当は、11月3日は明治天皇の誕生日で祝日【大正昭和期には明治節】として定着していたため。憲法については、施行された翌5月3日が、別に憲法記念日として祝日となっている)。「ケンポー、ケンポー」と耳にするわりには、中高校の社会科のテスト前に摘み食いした程度の知識しかないのが普通でしょう。 私個人は、第九条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」は、現状と明確に異なるので、条文を改正するか、現状を改めるしかなく、残念ながら、軍隊の放棄など国の自殺行為なので、条文をさっさと変えるしかないと思っています。また、憲法の改正に反対するいわゆる「護憲」とは、頭のぼやけた人の戯言で、本当に憲法を護りたいなら、条文通りに軍隊の放棄を主張すべきであり、それが不可能なら、現実に則して護れるものに変えるのが、真っ当な遵法精神だとも信じています。 しかしながら、都知事を辞された石原慎太郎氏などの保守むしろ右翼的な方たちの一部が主張されている、占領軍から押し付けられた憲法は、そもそも無効、とする考え方には賛同できません。押し付けられたものであったとしても、それを基本法典として現在の日本国は存在しており、我々はその「平和憲法」のもとに育ち、それを尊重するように教えられてもきました。それがそもそも無効であったと主張される人は、この60有余年もの歳月を、一体どちらでお暮らしになっていたのでしょうか? 長年存在する国の基本法典を全否定するなど、無茶苦茶というより自暴自棄で、天に唾する行為でしかないと私は思います。もしかしたら、改憲すら難しいので、元々の存在を否定しようとの思惑なのかもしれませんが、それは大胆な発想の転換のようで、実は大雑把かつ姑息な問題のすり替えでしょう。変えるべきなら変えるべく、堂々と主権者である国民に訴えるべきです。 それはともかく、昨今、個人的関心をもったペットの「里親」募集掲示板の禁止事項の問題で、国民の権利を理解されていないことを、改めて認識させられ、少々呆れています。有償を否定したり、羽数を制限したり、安易にそのようなマイルールを設定しているのですが、それこそ国民の財産権を否定しかねないルールで、それを疑問も感じずに掲げてしまえる感覚が、私には不思議なのです。 せっかくの文化の日なので、少し日本国憲法を抜き出してみましょう。第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。 基本的人権にはいろいろありますが、この際に改めて認識すべきは自由権で、そこに財産権が含まれます。財産権とは、自分の所有物を自由に処分する権利を有するといったことで、これは明治帝によって欽定された大日本帝国憲法でも、第二十七条に「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」とあるように、国民(当時は帝国なので「臣民」)に認められていた権利です。 ようするに、国民の一人であるはずの飼い主が、自分の所有物には相違ないペット動物を、有償であれ無償であれ、それを譲り渡すことを妨げることは、本来、有り得ない行為なのです。それを阻めるのは、「公共の福祉に反する」場合に限られますが、有償としたり多少回数が多い程度のことで、「公共の福祉に反する」と、私人に過ぎない掲示板の管理人が。判断出来るはずもなく、判断しようとすること自体がおかしいと思います。 もちろん、自由を享受する国民は納税の義務を負っているので、有償で収入を得ていれば、申告対象になり、申告しなければ脱税行為となりますが、それは自由権とは別の問題であり、掲示板の管理人の関知することではないでしょう。 日本国の国民が保障される基本的人権として、財産権や先日触れた請願権(法律の不備に異議を唱える権利)を、肌感覚でも認識している者なら、「年1回1羽」などとの規定があるとしたら、「おかしいな?」「なぜだろう?」「公共の福祉に必要なのか?」と疑問に感じない方が不思議です。疑問に感じて、法律やそれに付随する施行細則や省令類をながめるれば、どこにも「年1回1羽」などと、個人の財産処分の権利を束縛する規定は無いのはわかるはずです。 「動物愛護法」は、「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のすべてを有する者を、動物取扱業の登録対象と定めていますが、当然、個人財産の処分を束縛する意図はありません。素直に読めば、個人ではなく営利事業に相当する者に、適正な動物の取り扱いを求めているに過ぎないのです。繰り返し、繰り返し、さらに繰り返しになってしまいますが、一つ一つ見てみましょう。 この法律では、社会性とは「特定かつ少数の者を対象としたものでないこと等、社会性をもって行っていると認められるもの」のこととされています。これを単純化して理解するなら、適用対象は、不特定多数を平等に扱うお店に限られる、で良いかと思います。営利を得るために、いくらいくらと値札をつけ、その額を払いさえすれば、誰であれ売らねばならない立場こそが、明確に社会性を帯びていると見なせる存在なのです。 実際には、いろいろな業態が存在するので、明確な線引きは難しいと思いますが、個人の「里親」募集を、これに該当すると見なすのは難しいところです。応募者個々と交流をせず、先着順で売り渡すようなことを繰り返せば、実質的にペットショップと変わりませんから、社会性が認められる可能性が強くなる、くらいに考えておくのが適当かと思われます。 「頻度・取扱量」については、「動物等の取扱いを継続反復して行っているものであること、又は一時的なものであっても多数の動物を取り扱っているもの(例:年間2回以上又は2頭以上)」とあります(法律の本文には存在しない)。継続反復とはどの程度の期間か、多数とはどのくらいの量を指すのか、ペット動物として扱われる種目は膨大で、それぞれで生態が異なるためか、細かくは規定されていません。「例」はあくまでも想定種目を明示しない不明瞭な目安に過ぎないので、それぞれの生き物を取り扱う者が、常識的に判断するしかないでしょう。例えば、犬なら年に1回繁殖する程度、つまり、5、6匹と考え、一度に生まれる数は同じくらいなので、この数量を文鳥にそのまま当てはめれば、年5、6羽となります。しかし、この規定は、次の要件である営利性を合せ持つ営利事業としての取扱業についてのものですから、営利性を基準にその小売価格で判断するなら、犬1匹5万円とすれば、6匹で30万円、文鳥1羽2千円とすると、・・・150羽!となってしまいます。 個人的には、生き物の価値は何であれプライスレスですが、市場価格は存在し、犬の単価は文鳥の数十倍なのが現実です。「動物愛護法」は、「犬猫」という文字が頻出するように、文鳥の数十倍の市場価値を持つ犬や猫が、悪徳業者の不適切な環境で繁殖・展示させられている現状に対処する目的を帯びているので、そのまま他の生き物に適用させると、おかしなことになってしまいます。例えば、犬の場合は予防注射代など、無償であっても問題の発生する余地が大きいでしょうし、文鳥の場合なら、畜産動物として農家が繁殖させれば、同じ生き物の繁殖であっても、「動物愛護法」の適用外となります。それぞれの生物種により、問題はいろいろあるわけです。 結局、数量について不明、頻度については、1つがいで年1回繁殖くらいを基準にしておけば良いのではないかと思える程度かと思います。 営利性とは「有償・無償の別を問わず、事業者の営利を目的として行っているもの」のことで、この点繰り返していますが、有償であっても、実費などのみで営利性が認められなければ、問題とはなり得ません。営利とは利潤(儲け)が出るということで、当たり前すぎる話ですが、必要経費は受益者である利用者が負担すべきものです。ペットの「里親」募集の場合なら、受益者は応募して譲られることになった人ですから、その人が必要経費分を負担しなければ、おかしな話になります。 もちろん、本来自分で飼いきれないので、引き取っていただく面があるわけですから、必要経費がいくらだったかなどと算盤勘定をせず、しっかり飼養できる人を選ぶべきでしょう。しかし、それは人それぞれの考え方なので、本来、他人が強制はできません。一方、そうして選ばれたまともな人なら、相手のこれまでの時間的経済的負担を考え、手土産くらい持っていくのが社会の常識で、これを禁止などできません。私が手土産が欲しいわけではありませんが(第一、「里親」募集をしたことがない)、常識は常識であって、それが分からなければ非常識になるだけで、この場合、相手の苦労を忖度できない態度と受け取られてしまうでしょう。 個人と個人の常識レベルのお付き合いは、営利事業の店と客のドライな関係とは異なります。何かしてもらえば相手に何かを返す、当たり前のことです。手土産はありがたく頂いて、その代わり、エサでも用具でも差し上げるのが、普通の感覚でしょう。一体どういった社会生活を送れば、そこに損得勘定を持ち込んだり、金銭・物品の授受は禁止されている、などと、政治家と有権者の関係のような特殊なケースだけで適用する話が持ち込めるのか、私は大いに不思議です。もちろん、それを禁じる法も個人も、この自由民主主義の国には存在しません。禁止事項の「マイルール」を掲げる掲示板があれば、その管理人は何か勘違いしているだけです。 このように書き連ねると、やはり難しく、かつ、くどくなりますが、3要件を満たして動物取扱業の登録が必要なのは、それで儲けている業者、と見なすしかないと思います。営利のために社会的に開かれた取引を続けている存在、これに当てはまる掲示板の利用者がいるとしたら、それは既に普通の飼い主とは言えないので、登録すべきでしょう。そうでなければ、適用外なので必要ないだけのことです。 所有物の処分の自由は、最も基本的な国民の権利のひとつです。それを束縛することは、基本的には出来ないのです。見当違いな個別法の解釈をして、権利を奪うようなことのないように、お考えいただきたいところです。
2012年11月03日
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引用2では、「鳥を出す元親は年間2羽以上の営利行為であれば」動物取扱業登録が必要になると断言されていますが、この解釈は正しいのでしょうか?そもそも、2羽以上=営利と認識しているように読めますが、動物取扱業の登録要件としての、「頻度」と「営利性」は別々の話のはずです。無償・無償とこだわっているようなので、それを例とするなら、2羽だろうと200羽だろうと、無償であれば営利になる可能性は低いはずです。 動物取扱業と見なされる頻度・取扱量については、「年間2回以上又は2頭以上」と曖昧な例示がなされているだけで、数詞が『頭』であるのを見れば明らかなように、文鳥や鳥類を想定したものではありません。間違えないように、改めて、慎重に読んでみましょう。「(動物取扱業に該当するのは)動物等の取扱いを継続反復して行っているものであること、又は一時的なものであっても多数の動物を取り扱っているもの。(例:年間2回以上又は2頭以上)」、「動物等の取扱いを継続反復して行っているもの」が「年間2回以上」に該当し、「一時的なものであっても多数の動物を取り扱っているもの」が「2頭以上」に該当すると見なせば、動物取扱業登録と認められない頻度は、確かに年に1回か1頭のみとなります。 しかし、もし、例示のように1回のみが対象外なら、「反復継続」とは普通書かないと思います。1年に1回でも10年続ければ、反復継続になると無理に理解することは可能ですが、総じて寿命の短いペット動物の規定としては、かなりおかしなものになってしまいます。やはり、一時的なものではなく繰り返すこと程度に、曖昧に受け取っておくべきではないでしょうか。 また、もし、1頭のみが対象外であれば、「多数」という表現は有り得ません。単数の対義語は多数ではなく複数だからです。多数の対義語は少数で、普通、1人、1頭、1匹、1羽を少数とは表現しませんから、単数の1頭のみ対象外としたいなら、対象は「複数」と表現されたはずです。そして、多数を対象とするなら、少数は対象外と理解する以外にありませんから、数量の曖昧な規定と見なす他なくなります。 このように、矛盾をはらんだわかりにくい文章ではありますが、これは想定する動物の相違と私は解釈します。本文は犬猫のような、一度に5、6匹が産まれるものを想定して書かれ、例示の方は馬などの一度に1頭を産むものを想定していると見なすわけです。年間1回程度でも繁殖を認めれば、産まれる生命は5、6頭。胎内の段階で間引くのは不可能に近く、仮りにも「動物愛護」を規定した法律が、それを勧めるはずがありませんから、順調に5、6匹産まれるでしょう。その仔犬兄弟姉妹の1匹だけ売るなり譲るなりするのはあまり起こり得ないことでしょうから、おそらく1年に1回、いわゆる1腹分の5、6匹程度は規制対象にならない、といった意味なのだろうと、一所懸命整合性を保つために考えて解釈しても良いのではないかと思います。 少なくとも、犬は「年間1頭」とも、鳥は「年間1羽」とも、法律は明確に規定していません。それは、種類により生態がさまざまで、個別の事情もいろいろ有り得るため、はっきりと規定しがたいためでしょう。ところが、明確に規定されていないにもかかわらず、『飼鳥情報センター』さんのように、矛盾を無視、もしくは気づかず、単純に「年間1羽」と思い込み、それを事実のように流布するのは、かなり浅慮だと思うのです。まして、「年間1羽」が既成事実のように認識され、どこかで聞き知った程度で、受け売りでさらにおかしな知識を広めてもらっては困ります。 また、そもそも頻度は3つの必要要件の1つに過ぎず、頻度が登録の基準要件に該当していても、他が該当していなければ、登録対象外となる大前提を、忘れないで頂きたいところです。『飼鳥情報センター』さんも「環境省が示している「業者」と見なされる基準は、「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のいずれにも該当することです」と明示されているように、3要件のすべてがそろって、はじめて登録が必要になるのです。そのため、曖昧で、法の抜け穴にもなってしまうのですが、それは賢い悪人の話、賢い善人は、「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」、自分に当てはまるかしっかり考えて、厳格に過ぎて、自縄自縛にならないようにして頂きたいところです。 引用2の後段の内容は、さらにおかしなものと指摘せざるを得ません。 面白いので、引用をまた引用してしまいますが、「たとえて言えば元親は「卸売業」で仲介者が「小売業」」とされ、「自宅で巣引きしたヒナの取引ではなく、第三者の鳥を別の第三者に引き渡す仲介行為(いわゆる「里親探し」のお手伝い)も「販売」業に該当」するのが事実であれば、動物取扱業登録をやめても(責任者研修がまったく役に立たずつまらなすぎるため)、「里親」掲示板を管理している私は、違法になってしまいます。 えらいこっちゃ!えらいこっちゃ!(ヨイヨイヨイ、と)と思わず踊りたくなりますが、この法律では動物取扱業についても、業を営利性があるものと規定していますから、営利性のない仲介行為を業と見なしたら、法解釈の論理性は崩壊することになってしまうのではないでしょうか。それに、そもそも、小売「業」も卸売「業」も、当然ながら、営利を伴う経済活動で、お金を払って買った品物に利益を乗せて売っていますが、そうした営利そのものの行為と、例えば自分の家の玄関先に掲示板を立てて、ご自由にお使いくださいと場所を提供する行為が、同じものと言えるでしょうか? 玄関先の掲示板に貼られた、風俗店のチラシのような、一見して公序良俗に反するものなら、それが不特定多数の目に触れないようにしなければ、管理不行き届き、さらには管理放棄と見なされも仕方がありません。しかし、貼り出された内容、例えば「東大卒の家庭教師です。生徒募集中!」といった貼り紙があっても、「東大」が東京大学ではなく、実は東洋大学でも東海大学でも東邦大学でも東江戸川大学!?でも東大宮学校(存在するのは知りませんが)の略であったとして、それは管理者の関知するところではないはずです。電子掲示板の「里親」掲示板においても同様で、募集者がどこのどのような人物で、どのような飼育をしているかなど、詮索のしようがありません。どの程度の頻度利用し、違法性があるかないかなど、捜査機関ではないのでわかりませんし(名前を変えられたらそれまでです)、調査して告発する権利はありますが、それは誰もが持つ権利なので、そうしたい人が行えば良いことです。私には、興味も関心もその時間的余裕もありません。 無償で場所を貸しているに過ぎない掲示板の管理人など、無責任な存在で、またある程度自由に書き込んでもらうためには、無責任でなければならない存在なのです。無償で利用している人たちは、無償という自由は自己責任によって担保されていることを理解し、しっかりと見極めてもらいたいものです。 以上で、「有償で里親募集をするには、動物取扱業の資格が必要」とは言えない、ことがお分かりいただけたでしょうか?理由を簡単に言えば、「法律に無いから〜」で、有償か無償かは関係なく、営利性の有無を問題視し、営利性その他の要件を満たしたら、登録するように規定した法律に対し、「有償だから〜」などと言うのは、よほどの的外れなのです。 「鳥を出す元親は年間2羽以上の営利行為」に至っては、どうすればそういった解釈になるのか、理解不能ですらあります。年間2羽以上などといった規定は、法律の規定はもちろんのこと、それを実際行なっている地方行政の説明にも見られないと思います。そもそも、200羽以上非営利に鳥を出す元親も有り得るではありませんか。200羽も「里親」に出したら、「社会性」も「頻度・取扱量」も十分に登録要件を満たすはずですが、非営利であれば、登録の必要がないのが、動物取扱業規定ということになってしまうわけです。つまり、「無償かそれに近ければ(非営利なら)、里親を頻繁に募集しても、動物取扱業登録は必要無し」になるのです(そうは思っていても、脱法行為の理屈になると嫌なので言わないようにしていたのですが、勢いで言ったったわい)。 ようするに、本来、普通の小鳥の普通の飼い主で、里親募集にしても非営利であれば、動物取扱業の登録など必要なく、それを取得するのは、ほとんど取り越し苦労なのです。有償で頻度も多くなれば、転売防止目的でも利益が上がって営利性有りと見なされる危険性が増大するので(繰り返し募集すれば、「社会性」も有りと見なされる可能性大でしょう)登録しておくのが無難、といった程度です。※ 念のため繰り返しますが無償=非営利、有償=営利ではありません。例えば、NPOは、non-profit organizationの略で、日本語にすれば非営利団体になりますが、通常、利用者に対して、有償でサービスを提供しています。営利=「財産上・金銭上の利益を得る目的をもって事を行うこと」では無くとも、その活動の継続や発展のためには、人件費はじめ諸費用が必要になるので、無償は有り得ないのです(無償の場合があれば、スポンサーがいます)。 「里親」募集についても、必要経費程度は営利とは見なせません。「非営利なのだから無償にしろ!」、などと、自由経済の社会で生きている大人では珍しい勘違いをしないように、気を付けたいところです。 真面目な飼い主は、『飼鳥情報センター』さんのような先達の勘違いを鵜呑みにしてしまい、必要のない動物取扱業の登録のため、さらに飼鳥にほぼ役に立たない、ほぼ犬猫販売者むけの民間資格を取るようなことをしているようです。真面目な人ほど苦労してしまうわけです(そんなことしなくても登録できるし、登録しなければ行政窓口としっかり話し合うべきだと思うのですが、真面目すぎて、資格が必要だと信じて疑わなくなるようです)。 動物取扱業などというものは、業者、プロに必要なもので、一般の飼い主とは本来無縁のものです。それにこだわるより、動物愛護を志すのであれば、その立法目的を尊重し、それに沿った行動をとりたいものです。とりあえず私は、「里親」掲示板は動物愛護精神にかなうものだと思うので、後継掲示板が出現しない限り、続けていきたいと思っています。
2012年10月19日
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自分は利用したことがないのに、文鳥の「里親」「里子」掲示板を作って管理しているわけですが、その際、最も鬱陶しく感じるのは、「有償で里親募集をするに、動物取扱業の資格が必要」といった主張です。場違いでも、正しければまだ微笑ましいだけですが、間違った半端な知識で、正義感づらして書き込むために、とても鬱陶しく感じられます。 どこが間違いなのか、動物取扱業を規定している動物の愛護及び管理に関する法律、略して「動物愛護法」(さらに略して「愛護法」)を、わずかばかり見回して、運用状況を検討してみればわかるはずですが、せっかくなので、少々整理しておきたいと思います。 環境省によれば、動物取扱業とは「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のすべてを有する場合に、登録すべきものとなっています。そして、社会性とは「特定かつ少数の者を対象としたものでないこと等、社会性をもって行っていると認められるもの」であり、頻度・取扱量とは「動物等の取扱いを継続反復して行っているものであること、又は一時的なものであっても多数の動物を取り扱っているもの(例:年間2回以上又は2頭以上)」のことあり、営利性とは「有償・無償の別を問わず、事業者の営利を目的として行っているもの」と、それぞれ説明しています(省令か何かだと思いますが、見当たらないので、それを受けた各地方公共団体の動物取扱業登録を説明したページをご参照ください。一例、名古屋市)。 この3要件がすべて揃えた、一般の飼い主は珍しいでしょう。社会性については、解釈により微妙となりますが、譲る側に選択権のある個々の交渉となるはずなので、社会性ありとは断定しにくい面があります。次に、有償であっても必要経費内と主張しえる範囲内であれば、営利性を認定するのは難しく、無償の場合で、営利性を認定できるような宣伝効果は、私人の活動では必要とされないはずなので、まず無関係かと思われます。唯一抵触しやすいのは、「頻度・取扱量」要件くらいではないでしょうか。ただ、カッコ付きの例示は、数詞が『頭』であるのを見れば明らかなように、大型哺乳類のケースを想定しているので、小型鳥類の文鳥に単純に当てはめることは出来ません。しかし、基準が他にないので、それに準じるなら、とりあえず年一回数羽程度の募集であれば、登録の必要はないと考えられると思っています。 この法律は、飼いきれないイヌが捨てられて、野良犬として保健所などで大量に殺処分されたり、放し飼い状態のネコが増えて、近隣の住民に迷惑をかけ、ネコの方も感染症で早死していくといった、動物愛護とはかけ離れた悲惨な現実に対処するのを、立法目的の一つにしているはずですが(その救済活動を邪魔している面もありそうですが・・・)、文鳥でそういった事態は考えにくいので、そのまま適用するとおかしなことになってしまいます。はっきり言ってしまえば、増やそうと有償であろうと、捨てずに自分の責任で新しい飼い主に手渡すことが出来るなら、個々の飼い主の責任でご勝手に!!、が、業者の監視をしなければならない行政側の本音でしょうし、自由民主主義の国ならそうでなければならないはずです。野良犬野良猫問題、犬猫の悪質な繁殖業者問題、危険動物の飼育問題、外来生物の帰化問題、いろいろ忙しいので、問題にもならないことに関わりたくないでしょうし、小鳥の話など知ったことではないのではないかと思われます。 しかし、それが本音であったとしても、そのようないい加減なことを法律に書けませんから、そうした場合、書かずに適当にぼやかして誤魔化すのが一般的で、この法律でもそうなっています。それは、細かなことは地方行政の窓口の運用で適当にやれ、の意味だと中央官僚たちの意図をテキトーに忖度出来るはずですが・・・、公共の福祉に反しない限り自由であるべき一般人には、法律に不備などなくて当然と信じている生真面目な人もおり、良くも悪くもいい加減な法律でも、無理やり厳格な法律として受け取り、自縄自縛に陥りたがってしまう人もいます。 そうした真面目な一般人の鳥好きが、どのような解釈に行き着くかの好例として、『飼鳥情報センター』さんのご主張を引用し検討したいと思います。※ 『飼鳥情報センター』を運営されていたのは、インコ飼育に関しての「有識者」として尊敬し参考にしていた方のはずなので、この件についてのこの記述も、やがて手直しをされるものと考えていました。ところが、2009年から放置状態となってしまい、その後も「有償で里親募集をするに、動物取扱業の資格が必要」とする人の根拠になっているようなので、「里親」掲示板の管理人としては、少々迷惑しております。引用1 環境省が示している「業者」と見なされる基準は、「社会性」「頻度・取扱量」「営利性」のいずれにも該当することです。(詳しくは環境省該当ページ参照) 具体的には、不特定多数に対して年間2回、2羽以上の営利目的の取引を行うこととされています。 無償であっても「営利」はあり得る、ということです。無償というのは一切の金品を受領しないということで、交通費・送料や動物病院での健康診断費用、エサなどの実費、あるいは手土産ですら「有償」に該当します。ヒナをペットショップに引き取ってもらって、お礼としてエサ1袋をもらう、ということも「有償」です。そうした一切の金品を受け取らなければ「無償」の取引ですが、それでも「営利」となる場合があるのです。引用2 また、自宅で巣引きしたヒナの取引ではなく、第三者の鳥を別の第三者に引き渡す仲介行為(いわゆる「里親探し」のお手伝い)も「販売」業に該当します。ここが間違われやすいところです。 鳥を出す元親は年間2羽以上の営利行為であれば当然「販売」業登録が必要です。それに加えて、年間2羽以上の営利行為であれば仲介する者も「販売」業登録が必要なのです。たとえて言えば元親は「卸売業」で仲介者が「小売業」です。さらに、旅行中に鳥を預かったり、留守宅訪問して世話をするバードシッターは「保管」業登録が必要です。 まず、引用1ですが、これ自体は一般論としては問題ないのですが、無償でも営利性があることを認識しながら、逆に有償でも営利性がないことも普通に存在することに気づいていないのが、不可思議な点になります。実に素朴に、有償=営利、無償=非営利、だと思っていたら、無償でも営利となる場合があると知って、カルチャーショックを受けて、それ以外のことを忘れ、気が回らなくなってしまったのかもしれませんが、この手ぬるい法律が禁止しているのは、登録をせずに営利性のある取引きを繰り返すことで、有償か無償かはまるで関係ありません。「有償・無償の別を問わず、事業者の営利を目的として行っているもの」、とありますから、これ以上明白なことはありません。こうした説明は、おそらく2006年の段階でも、また2009年であれば確実に目に出来たはずですが、ともあれ今現在検討するなら、「有償・無償の別を問わず」を無視して、それにしつこくこだわっていることになってしまいますから、理解に苦しまざるを得ないことになります。 そもそも、「お礼としてエサ1袋」を有償の営利行為とするなら、御中元や御歳暮など禁止すべきだと私は思います。お年玉付き年賀状も問題になるかもしれません。恩師や上司に対するそのようなプレゼントは、どこの誰だかわからない人へのお礼のエサ1袋などより、明らかに見返りを期待した営利性を帯びているはずなのです(しかも、反復継続していますぞ!)。 どれほど厳しく解釈したところで、営利性のある取引を継続的に行う場合は、登録しなければならない、と読む以外にない規定なのです。それを、有償はすべて禁止で無償も一部禁止されているように読み替えるなど無茶苦茶なだけでしょう。禁止しているのは営利性のある取引で、有償・無償は無関係、「有償無償は無関係ぃぃ」何度でも良いので唱えて、頭に叩き込んでおきたいところです。 つまり、有償であっても、営利性を認定できない程度なら問題になるはずがありません。それでも、念のため『営利』を辞書で引けば、「財産上・金銭上の利益を得る目的をもって事を行うこと」とあります。必要経費以下の場合は(だいたい一般家庭の飼育で必要経費など計算しにくいですが)、始めからいわゆる赤字状態ですから、利益目的とみなすことは、一般的には不可能なのです。つづく
2012年10月19日
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〔前置き〕 文鳥などの小鳥の飼い主が、野鳥を家の中に持ち込むのは避けるべきだと思っています。自然界で生きる野鳥には、家の中で生きる飼い鳥が持たない病原菌に感染している可能性があるので、近づけない方が無難だからです。 また、私個人は自然界のことは放っておくのが基本だと信じているので、例え迷子のスズメの子に遭遇しても、その不運に同情するだけで何もしません。しかし、そういった態度を誰もが取るべきだとも思っていません。他に既に飼っているなら、そちらに感染症を及ぼさないように十分注意しながら、自分の納得するような対応をすれば良いものと思います。何しろ他人に迷惑をかけない限りは自由です。 ただ、野鳥の保護は物議を醸すことが多く、まったく部外者の私にも飛び火してくることがあるくらいなので、当事者になりそうな人は、前知識として少し考えておいた方が良いと思います。そこで、以下参考までに以前考えてみた私見を、改めて提示しておきます(法律の専門家ではないので、誤解や曲解があるかもしれないので、お手柔らかにご教示願います)。 〔問題の所在〕 巣立ち直後のスズメのヒナが、地面でウロウロしているところを見つけ、迷子になったものと見て保護する優しい人は多いかもしれません。しかし、鳥類の多くは、巣から離れた後もしばらく親鳥の保護下にあり育つものなので、実はその人としてのやさしさを示す行為が、近くにいた親鳥からヒナを引き離してしまった「余計なおせっかい」になっていた可能性もあります。何しろ、その可能性を重視した日本野鳥の会などは、「ヒナを拾わないで!!」と一般に呼びかけるキャンペーンを展開しているくらいです。 しかし、いくら注意して周囲をうかがっても親鳥は姿を現さず、ヒナは本来捕食者である人間なる生き物に対して抵抗できないほどやせ細って、今にも死んでしまいそうな状態であることも多いものです。そのような運悪く親鳥とはぐれてしまった個体は、早晩確実に死んでしまいますから、これを助けたいと思うのは、人間として当然の心情でしょう。そして、その後の看病で生命の危機を脱したスズメの子が、命の恩人に愛着を覚えて手乗り化するのも不思議な話ではなく、救った人もそうしたスズメを手放せなくなるのも、当然の成り行きだと思います。 ところが、スズメは飼ってはいけないもので、保護するとしても、将来自然に戻すことを前提にしなければならず、少なくとも行政府に許可を受けないと法律違反になる、と指摘したがる人も多く、それは一面において正しいのも事実なのです。 しかし、法律以前に、スズメを自然に戻すことが、野生生物の保護活動として意味があるでしょうか?少なくとも、保護すべき動物だから自然に帰さなければいけないとお考えでしょうか?もしそう思うなら、スズメが害鳥または食用とされ、毎年何万羽も捕獲されている厳然たる事実はどのように考えたら良いのでしょう?スズメについては、最近生息数が激減していると主張する研究者もいますが、人間の作り出した環境に適応して、大いに繁栄している自然界の「勝ち組」である点に変わりはなく、年に数万羽程度食べられても生息数に影響しないほどの個体数が存在しているのが現実なのです。従って、「物好き」な人間が拾い上げた一羽のヒナを飼育したところで、スズメの生息数に何の影響も与えませんし、あのような片手に収まる生き物をカゴの中で飼育したところで、誰にも迷惑はかけないのも、ほとんど自明のことのはずです。 では、一方で数万羽殺しながら、一方で一羽の飼育を許容しないのは何故でしょうか。現実的・論理的思考を優先させたい私には理解しがたいところですが、法律ではそうなっているらしいのです。信じがたいではありませんか?そこで、かなり面倒ですが、改めて『鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律』、略して鳥獣保護法の条文を確認したいと思います。〔法律の解釈〕 まず同法第八条に「鳥獣及び鳥類の卵は、捕獲等又は採取等をしてはならない」とありますが、「第十一条第一項の規定により狩猟鳥獣の捕獲等をするとき」などは「この限りでない」ともあります。つまり、ここだけ読めば、「狩猟鳥獣」に含まれるスズメを、捕って食おうと保護して育てようと勝手と言うことになりそうです。 ところが、前提となる第十一条第一項を見ると、「規定に従って狩猟をするとき」とあり、狩猟許可を受けているか、狩猟可能区域で諸々の制約の下でのみ認められる行為となっています。従って、狩猟しても良いくらいにありふれた鳥獣でも、一般人は気軽に捕獲してはならないことになっているのです(とは言え、昭和30年代くらいまでの子供は鳥モチその他でスズメやヒヨドリなどを捕獲して焼き鳥にしていたと思われ、それを咎める大人はいなかったはずである)。 しかしながら、この規定は街中で好き勝手に狩猟を行われないようにするのが眼目であり、狩猟免許など持つはずもない一般人が、狩猟対象の鳥類を保護して愛護することなど欠片も想定していません。何しろ、同法第十九条に「許可を受けて捕獲をした鳥獣のうち、対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は、その者の住所地を管轄する都道府県知事の登録を受けなければならない」とあり、「狩猟鳥獣」を飼うなどという事態そのものを初めから想定せず、あくまでも狩猟すれば絶滅の恐れのある野生動物を保護しようとしているのです。 にもかかわらず、同法第十条に「許可を受けないで鳥獣の捕獲等若しくは鳥類の卵の採取等をした・・・者に対し、(※鳥獣の保護のため必要があると認めるときは)当該違反に係る鳥獣を解放することその他の必要な措置を執るべきことを命ずることができる」とあります。従って、管轄地域の住民がスズメを飼育している事を知った地方行政の担当者が、ほんのわずかに軽率な人だと、保護など必要のない狩猟対象のスズメに対しても、この規定を適用して、飼育下にあるスズメの自然界への解き放ちを要求することにもなりかねません(実際そういう指導が行われる場合もあったようです)。 つまり、この法律では、スズメなど保護する価値もないありふれた狩猟対象の野生動物など、許可さえ受ければ煮て食おうと焼いて食おうと構わないものと扱っていながら、たんに条文にないので飼育することは出来ないと解釈されてしまっていることになります。これをおかしいと思わない人がいるとしたら、やはりその感覚の方がよほどおかしいと私は思います。 おそらく、同じ問題に対しても、融通の利く優秀な人が担当することになった場合、この狩猟対象鳥獣の飼養という法律の想定外の事態に対し、上記十条の「その他の必要な措置」を適用し、同法第九条に「学術研究の目的、鳥獣による生活環境、農林水産業又は生態系に係る被害の防止の目的・・・で鳥獣の捕獲等又は鳥類の卵の採取等をしようとする者は・・・都道府県知事の許可を受けなければならない」とあるのに準じ、登録申請の上許可するといった対応をされるのではないかと思われます(実際そういった話も聞きます)。 ようするに法律でまともに規定していないので、解釈によっていろいろと異なる対応が必要になっていると言えるでしょう。「法律にあるからスズメを飼ってはダメ」とも言い切れない曖昧さがあるわけです。 一方、ずっと最近に出来た愛護及び管理に関する法律、略して動物愛護法第四十四条には、「愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行った者は、五十万円以下の罰金に処」し、また「愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処」すとあります。この『愛護動物』とは「人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの」のことなので、保護の後飼育するに至っているスズメも含まれる可能性が高いはずです。つまり、飼育した元「狩猟動物」を自然に帰せば、逆に愛護動物の遺棄として、処罰対象になる可能性も出てきます。〔私的な感想〕 このように現状をとらえると、「野生動物であるスズメを飼うのは法律に反するのでは?」と言われたら、確かにそのようにも解釈できるので正しいと言わねばならず(条文だけで見ればこちらの解釈のほうが自然でしょう)、一方、愛着を持って育てたスズメを、生命の危険があふれる自然界に放すのは「動物愛護の精神に反するのでは?」と言われたら、それは確かにごもっともと答えるしかありません。 文鳥の飼育者である私は明らかに部外者なので、「どっちもどっちだ」ではありますが、鳥獣保護法に狩猟対象動物の飼養に関する明確な条文がない以上は、保護して飼う人はあまり大っぴらにせず、一方注意する人もたしなめる程度にするのが適当だと思います。 本音としては、スズメの子飼いなど平安時代から行われているようなものは、生息数が危機レベルに達しない限り、放っておくしかないと思いつつ、窓の外で自然の姿を見られるスズメを飼うより、飼い鳥である文鳥を飼えば良いものを、となりますけどね・・・。 【追記】10/10 一昨日、HPの前向きな意見投稿フォームよりこの件に付きご教示を頂きました。メールアドレスがありませんでしたので、とりあえずここに御礼申し上げます。 私は、どうやら一般の人は『狩猟出来ない』という先入観を持っていたため、鳥獣保護法第十一条の「(狩猟可能区域内では)環境大臣又は都道府県知事の許可を受けないで、狩猟鳥獣の捕獲等をすることができる」を、市街地は狩猟可能区域ではないはずだから、一般人には無関係と軽く流してしまっていたようです。しかし、実際には狩猟禁止区域の方が限定的で、市街地でも「垣、さくその他これに類するもので囲まれた住宅の敷地内において銃器を使用しないでする狩猟鳥獣の捕獲等」は、同条において無許可狩猟が認められていました。つまり、例えば私が家の敷地内で、発見した衰弱したスズメの若鳥を拾い上げても、原始的なワナなどで捕獲しても、何の問題もないと見なせます。 そして、狩猟鳥獣の飼育については規定がないので、捕まえたスズメを愛玩動物として扱っても、それは自由と言うことになりそうです。 ・・・では、なぜ結構以前から方々で大騒ぎしていたのでしょう?やはり窓口レベルで混乱しているのでしょうか。それなら、統一ルールが必要だと思うのですが、困ったものです(まだ誤解している点がありそうなので、お詳しい方はアドバイスいただければ幸いです【と言いつつ、自分には無関係な話なので乗り気ではないのですが・・・】)。【追記】10/12 別件で狩猟時期について気づいたので(8月にヒヨドリのヒナを保護した事例)、施行規則を確認したところ、狩猟期間は「11月15日~2月15日」となっていました。 ・・・となると、スズメのヒナが多く見られる春夏は、自宅敷地内でも捕獲が禁止されていると見なさねばならないと思われます。つまり、あくまでも飼育をしたい場合は、捕獲場所を狩猟可能区域、捕獲時期を狩猟期間内としなければならないことになるようです。 やはり、インターネットなどで公表はしない方が無難だと思われます。【追記】11/6 住宅敷地内での捕獲については、第十一条の規定が優先され、狩猟期間は無関係になるようにも思われます。
2009年10月06日
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7月6日に申請し、12日に行政側の実況見分を受け、昨日書類を交付するとの連絡を受けたので、本日区役所に出向き、動物取扱業登録証と動物取扱責任者証を戴いて参りました。受領印を押すだけで、交付は極めて簡単でした(1年に1回3時間の「研修」があるはずだが・・・)。 ・・・いちおう登録期間は5年間で、以後は継続の形になるわけですが、この制度自体が、長続きするか少し怪しいかもしれません。個人的には、悪質な犬のブリーダーに対する「脅し」になるとは思うのですが、あくまでも厳格な運用をしないとザル法になり、結局違法のままひどい環境で繁殖を行う者どもが後を絶たないように思うのです。とりあえず、一般の人は、この登録をしていない業者から、犬を購入するのはやめるべきで、またそういった啓蒙活動が必要になるように思います。 しかし、この制度は、犬の販売・繁殖業者を念頭にしているので、鳥類くらいは分けて考えて欲しいです。また、年に1回3時間の研修など無意味な嫌がらせでしかないので(犬も鳥も一緒?遠隔地の人はどうすれば良いの?)、お役所お得意の法令順守を促す通知を郵送するに止め、その代わり行政側に時間があるなら、一般からの情報を元に、登録事業者を抜き打ち検査すれば良いと思います。また、業者ではない一般の人は、より安易に登録できるような制度を別立てしても良いかもしれません。動物を飼って、それに繁殖させて、生まれた子供をほとんど無料で他人に譲るのに、「~業」とするのは不適当だと思うのです。 動物愛護法が改正され、こういった登録制度が出来たわけですが、将来的により良いものになっていって欲しいものです。
2007年08月29日
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せっかくなので、経過を書いておきます。 生き物を取り扱う、例えば繁殖して誰かに売り渡すには、動物取扱業の登録をしなければならないことになっています(何度も継続的に行なう場合)。私自身は、今のところ大々的に里親を募集する機会は無いのですが、今後そういったことになった時に困らないように、いちおう申請することにしました。 横浜市の場合、申請用紙はインターネットでダウンロード出来るので↓、プリントアウトし、書けそうな所は適当にうめました。なお、実務経験は、とりあえず初代のヘイスケを買ってきた年から数えて14年としました。 http://www.city.yokohama.jp/me/kenkou/doubutsu/toriatukaigyou.html 飼育する場所の見取り図を大まかにに描いた紙も用意し、7月6日区役所2階のの福祉衛生課食品衛生係の窓口に行きました。そこで、職員から埋められなかった箇所を指摘してもらいつつ書き足し、身元確認のため免許証を提示し、写真(2.5×3.0cm)を用意するように言われ、また、状況確認に職員が来るために必要な家までの地図をごく大雑把に描き、15,000円の登録費を1階の銀行出張窓口に支払い、その領収書を提示(係の方でコピーをとる)して、職員による状況の確認が12か13日になるが問題ないかと訊かれて、窓口手続きは終了です。所要時間は、15分程度だったと思います。 7月9日に12日午前10時に状況確認を行なうので、それまでに写真を用意するように電話がありました。そこで、10日にスーパーの前にある証明写真ボックスに行き(700円)、カッターで大きさを整えておきました。 12日、9時頃に事前に電話があり、ほとんど正確に10時なってから3人の職員がやって来ました。特にどうと言うこともない軽い指導を受け流し(例えば敷き紙などを処分する際にフタのついたポリバケツなどを用意した方が良いなど)、提示された必要書類を書き、登録証などについて説明を受け、それの発行が1ヶ月半ほどかかってしまうとの話を聞き(おそらくお盆休みがはさまるから)、さらに販売する際の動物愛護法上の手続きについて触れたくらいでお帰りになりました。やはり所要時間は15分くらいでした。 以上の経過の中で、職員の方たちは皆しっかりしていて、分けのわからないことを言うことも無く、特に不快な気持ちになることは無かったです。役所がからむ手続きとしては、ごく簡単だったように思います。 私はこのような登録手続きよりも、必要なのは、現在登録している営業所の抜き打ち指導だと思うのですが、日本の行政はどのような分野でも、そういった点が弱いようです。
2007年07月12日
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今日は浮世の義理で文鳥たちと遊ぶ時間を削って、横浜駅近辺の居酒屋で飲まねばならなりませんでした。まったくうっとうしい限りです。ただ、旧友たちを居酒屋にに案内したのは私です。初めは『一鶴』という鶏のモモ焼きがメインの店、続いて相鉄線改札側の『星の屋』というおでん・焼き鳥屋でした。 それはどうでも良い事ですが、その不毛な飲み会の前に、区役所に動物取扱業の届出をしてきました。昨年の動物愛護法の改正で、この登録をしない限り、基本的には、自宅で生まれた文鳥を有償で売ることは出来なくなってしまったのです。 私自身は今まで売買したことはありませんし、今後どうなるかわかりませんが、念のため申請しておいたわけです。登録には15000円必要で、5年ごとに更新料が1万円かかり、さらに年1回どうせくだらない講習が必要となるようですが、申請自体は簡単でした(必要経費などは自治体で異なるかもしれない)。なお、来週あたり、念のため飼養状況を確認しに来るらしいです。 こういったザル法のくせに面倒な手続きが必要になったために、生体販売の小売店は少なくなっているようです。今日、時間つぶしに横浜東口そごうの屋上に行ったところ、そこにあったペットショップは消滅していました。一体何を目的にした法律なのか、少し疑わしく思うこの頃です。
2007年07月06日
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