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兵主大社 先にご紹介した兵主大社は、坂本からの遷座。坂本にある日吉大社に倣ってでしょうか、野洲にも兵主二十一社があります。山王二十一社と同様、上七社・中七社・下七社からなります。野洲へは兵主二十一社はもちろんのこと、兵主大社のことも全く下調べせずに行きました。レンタサイクルで御上神社や生和神社を廻り、地図を見ながら朝鮮人街道周辺の神社を探しながら廻ったのです。兵主大社が実は坂本から遷座したことも二十一社のことも知らなかったのですが、いくつかの神社を廻って不思議に思ったことがありました。 神武遙拝所と、そしてこの亀がいる手水舎。野洲の神社にはこのような手水がいくつか見られました。廻っている時は、この地域独特の信仰に関係するのかとも思いましたがこれは亀に乗って御祭神が琵琶湖を渡ってきたという兵主大社の社伝によるものでしょう。上の手水は木部神社のものです。木部神社野洲市木部 ■御祭神 素盞嗚尊 亀が見られたように、兵主二十一社のひとつ。元は「悪王子神社」と称し、地名から木部神社とされたのは明治になってから。元の社名から、素盞嗚尊の荒魂(あらみたま)を祀っていたのかも知れません。乱暴者のイメージもある素盞嗚尊ですが、悪王子の「悪」はそういう意味ではありません。「悪」とは行動的、強力という意味です。素盞嗚尊は天照大神の弟ということになっています。しかしそれは、天皇を中心とした大和朝廷が確立してから作られた神話でのこと。私の個人的な想像ではありますが、この素盞嗚尊は須佐之男(須佐の男、又は王)とも表記されるように高天原系ではなく、出雲の神だったのではないでしょうか。出雲と言えば大国主命のイメージがあるかも知れませんが実は須佐之男を祀る神社の方が、圧倒的に多いのです。 浅殿神社野洲市比留田 ■御祭神 積羽八重事代主神 大国主神兵主神社から南西に約1kmのところ、比留田にある浅殿神社。こちらの手水舎が亀だったかどうかは覚えていませんが、ここも兵主二十一社のひとつです。事代主命は、記紀の神話では大国主命の息子ということになっています。しかしこれも神話で作られたものであって、元々は大和の神だったかも。葛木氏の神社に多く祀られていますし、宮中八神の一柱でもあります。「宮中八神」とは、天皇守護に関わる神で元々は神祇官の八神殿に祀られた神々のこと。現在は皇居内にある宮中三殿の神殿に祀られています。大国主命の息子が、天皇家の守護として宮中に祀られているのは違和感があります。 二之宮神社野洲市西河原55 こちらは二之宮神社。ここも兵主二十一社のひとつです。用意した地図には載っていませんでしたが、兵主大社に行く途中に見つけた神社。例によって例のごとく、田んぼの中にこんもりと茂った森を見つけたのです。二之宮という名称から、兵主大社に次ぐ社格を有していたのでしょうか。境内からは12世紀頃からの庭園遺構も見つかっています。 ■御祭神 天兒屋根命 小振りではありますが、なかなか立派なお社だと思いました。質素ではありますが、気持ちのよい境内で社殿には気品も感じます。境内には小安神社、愛宕神社などもありました。拝 殿 二之宮神社境内にある、比利多神社。こちらは式内社です。御祭神は開化天皇の皇子、日子坐王命。関西人にとっては馴染みの薄い皇子ですが、美濃開拓に携わったとか。日子坐皇子墓も美濃にあるようです。元々は比留田にあったものが、こちらに遷されたとのこと。 タイトルには「兵主二十一社」と書きましたが、今回参拝出来たのは、以上4社のみ。 .
2011.04.11
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神社巡りを始めたのが、2004年の終盤だったと記憶しています。その翌年から、毎年伊勢に行くようになりました。ずっと日帰りの参拝でしたが、今年は日帰りでの参拝は全く考えていませんでした。その最大の理由が、ここ瀧原宮へ参拝したかったから。 昨年も、例年通り1月に日帰りで伊勢に行きました。そして9月にも2泊3日で伊勢へ。念願だった内宮・外宮の早朝参拝(と言うより撮影)のためです。しかし、さすがは神宮。夜明け前からの参拝だったのにもかかわらず、大勢の参拝者が・・・。薄暗い参道には、既に参拝を終えた人の姿もありました。その意味では期待はずれだったのですが、収穫は瀧原宮でした。内宮のミニチュア版のような瀧原宮のすばらしさに圧倒されたのでした。内宮から30kmほど離れた山間の地にあるにもかかわらず大勢の参拝者がいたことにも驚きました。 なので今年の伊勢訪問でも、絶対はずせない場所になったのです。とは言え伊勢はどこでもすばらしいのですが、伊勢に行って瀧原宮に寄らないことは考えられませんでした。瀧原宮をはずせないとすれば、日帰りでは無理なんです。本当はここも早朝参拝したいところですが、今回の行程の都合で正午頃の参拝となりました。 この日も、参道の撮影ではかなり「待たされた」ほどの参拝者。(「待たされた」=人影がなくなるシャッターチャンス)ところが奇跡のようなことが起きました。私たちが境内に入ると同時に、3組ほどいた参拝者がみんな帰り始めたのです。それから約15分、瀧原宮は私たちの貸し切り状態でした。 神宮参拝を毎年続けていたご褒美をいただいた気分でした。次に参拝者がやって来たのは、参拝を終え境内の撮影を夫婦で堪能したあと、宿衛舎で御朱印をいただいていた時でした。しかも一度に10人くらい(団体客ではなく)。たとえ15分とは言え、瀧原宮を独り占め出来るとは思いませんでした。 瀧原宮は境内も参道もすばらしいのですが、独特の風格を感じます。神宮の別宮や所管社はどれも同じ形をしているのですがそれぞれ雰囲気が違うので不思議です。昨年の瀧原宮参拝多岐原神社(2009) .
2010.09.26
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多賀大社(通称・お多賀さん)滋賀県犬上郡多賀町多賀■御祭神 伊邪那岐大神 伊邪那美大神とてものどかな場所にある神社ですが、古事記にも登場する、由緒ある神社。日本最古の神社としては、大神神社、大和神社、石上神宮など山辺の道沿いの神社が知られています。しかし、日本神話の順に従えばこの多賀大社はダントツで「日本最古」と言えるかも知れません。 女性には少しキツイかも知れない「そり橋」を渡り神門へ。その先に見えたのは、驚きの光景でした。周辺ののどかさからは想像も出来なかったほどの参拝客。そして何より、想像も出来なかったほど立派な社殿に圧倒されました。 伊邪那岐大神(イザナギ)は三貴神(天照大神・月読尊・素盞嗚尊)を生んだあと、隠退して淡海(近江)の多賀に祀られたと古事記に記されています。一方、日本書紀には「幽宮を淡路に造って、静かにお隠れになった」とあります。淡路島にも「多賀」という地に伊弉諾神宮があります。多賀大社と伊弉諾神宮は、どちらがイザナギの真の幽宮かはともかく興味深い「共通点」があります。そのことについては、私の地元の神社をご紹介した記事をご覧ください。 伊射奈岐神社2座 その1 伊射奈岐神社2座 その2 神門を入った瞬間から、私も家内もしばらく言葉が出ないほど感動しました。大勢の参拝者で賑わっていましたが、どうしても「手ぶら」で帰る気になれずこのあと予定していた訪問地はあきらめることにして多賀大社の撮影をすることにしました。 私の場合「神社を撮る」ということは、すなわち「人を排して撮る」ということ。このことに関しては家内も異論はなく、結果、境内で1時間半以上ねばることになりました。 「多賀大社前」駅前の大鳥居 この神社は「長寿の神」としての信仰も深く、車椅子の老人たちや、介護士に付き添われた老人グループが多く見られました。境内の段差がある箇所には、全てに段差プレートが設置されています。駐車場には観光バスの姿はほとんどなく、車椅子を搭載出来る「福祉車」が多く見られました。 京阪神にお住いの方にとっても、ちょっと不便な場所ではありますがオススメ度、「五つ星」級の神社です。 .
2009.10.12
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朝熊神社 朝熊神社(あさくまじんじゃ) 皇大神宮 摂社■御祭神 大歳神(おおとしのかみ) 苔虫神(こけむしのかみ) 朝熊水神(あさくまのみずのかみ) 朝熊御前神社朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ) 皇大神宮摂社■御祭神 朝熊御前神 ■参拝日 2019/3/3傘をさしての参拝でした。御祭神は農業の神や水の神なので、雨天の方がお似合いかも知れません。前回参拝した日も雨が降っていました。朝熊神社に続いて、少し前に御造替を終えたばかりの朝熊御前神社。周辺の整備がまだ終わっていない感じでした。朝熊御前神社の方はまだ遷座祭が終わっていないようです。入口から神社前までの参道は、少々の雨なら傘がいらないほど木が生い茂っています。ここの参道は、摂社・末社の中では屈指のものだと思います。125社巡りを完遂した年は別として伊勢には年に一度くらいしか訪問する機会がありません。しかしこうして御造替が執り行われた神社への参拝や好きな場所が増えて行くと2~3度訪問したくなります。今年はもう一回くらい、伊勢行を計画したいと思います。この日Facebookで知り合った、地元在住の125社めぐらーにお会いしました。彼と共同で125社巡りに関する何かをやりたいと考えています。※2014年の朝熊神社 / 朝熊御前神社ここには書けないホンネとウラ話龍水御朱印帳・索引と過去記事.
2019.03.10
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2005年以降、伊勢神宮には毎年必ず参拝しています。本当は新しいお札(角祓)をお迎えするためにもっと早い時期に来たかったのですが、年初より体調が悪くこんな時期になってしまいました。あいにくの天気と思いきや、予想外の好条件。平日の雨模様とあって、いつもは朝早くから人出の多い内宮ですがほとんどシャッターチャンスを待つことなく思う存分に無人の宮域を撮ることが出来ました。人のいない宇治橋や参道なんて、めったに撮れるもんじゃありません。やはり伊勢に来るとテンションが上がります。木洩れ日の差し込む早朝の参道が大好きですが、雨に濡れた宮域もすばらしいと思いました。神宮の常若の杜は最も元気な季節に備え、恵みの雨を喜んでいるように見えたのです。木々の緑は、朝陽を浴びたときとは違った輝きを見せていました。また今年もこうして神さまの前に立つことが出来て本当にありがたい気持ちになりました。やはり伊勢は特別な場所です。もう12年も通い続けているのに、いまだに神さまの前では噛み噛みのご挨拶しか出来ません。荒祭宮風日祈宮雨模様の平日とは言え、到着したのはいつもより1時間以上遅い時間。こんなにゆっくりと内宮を堪能できるとは思いませんでした。そして今回、忘れずに見ておきたいものがありました。以前このブログで内宮や外宮にある「石」をご紹介したことがあります。その時は知らなかった「もうひとつの籾種石」を今回はどうしても見たかったのです。この角度では籾種のようではありませんが、別の角度から見ると籾のような形に見えます。※「伊勢神宮のみどころ~内宮編2015その1~」場所は荒祭宮に向かう参道、御稲御倉神の少し下あたりになります。今回の伊勢は、時間の都合で外宮は正宮だけの参拝でしたが草奈伎神社・大間国生神社や松阪市の神服織機殿神社など、2014年の125社巡り以降に遷御が行われた神社に参拝しました。それらも後日、こちらに参拝記録をアップする予定です。ここには書けない龍水のホンネ「龍水御朱印帳・裏ばなし」~伊勢神宮125社巡り再び?~.
2017.04.11
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宇治山田神社(うじようだじんじゃ) 皇大神宮摂社 伊勢市中村町918 ■御祭神 山田姫命(ようだひめのみこと) 「興玉森(おきたまのもり)」と呼ばれる丘の上に御鎮座。祀られているのはこの地区の水の神。境内は苔生しており、内宮周辺では最も印象深い摂社。 やぶ蚊の猛攻がなければ、立ち去り難い気分でした(参拝日9/24)。 市街地の中にもこういう神社があるとは思えないような場所。やはり伊勢は奥が深いと改めて思います。外宮付近では度会大国玉比賣神社 / 伊我理神社、内宮付近ではここ宇治山田神社が お勧めです。 伊勢神宮125社巡りVol. 46107/125 那自賣神社(なじめじんじゃ) 皇大神宮末社宇治山田神社御同座■御祭神 大水上御祖命(おおみなかみのみおやのみこと) 御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)御同座されている那自賣神社の御祭神も水の神。近くを流れる五十鈴川の川水の神だそうです。鎮座地の興玉森は23号線(南勢バイパス)からも確認できますが、神社への入口はなかなか見つかりませんでした。 伊勢神宮125社巡りVol. 46108/125 例によって、壁のように刈り込まれた木。入口のかなり 手前から、ここが鎮座地だとわかります。周辺は住宅街で、入口も家の横から上る感じです。 付近に駐車スペースはありません。私は23号線沿いにある月讀宮の駐車場から歩いて参拝しました。月讀宮には以前は御幸通り側にしか駐車場がありませんでしたが、最近23号線(南勢バイパス)側に大きな駐車場が出来ています。 .
2014.12.13
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参拝を終えて宇治橋を渡る前に、参道から宇治橋とは逆方向神宮司庁の方向に進むと「 大山祗神社・子安神社」と書かれた看板があります。その立て看板の奥には森の中に佇む鳥居。手前にあるのが子安神社、奥にあるのが大山祗神社です。 子安神社(こやすじんじゃ) 皇大神宮所管社 ■御祭神 木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)浅間神社などでは、火山の神、火の神として信仰される御祭神。ここでは安産の神として信仰されています。それらの信仰は、猛火の中で山幸彦、海幸彦などの御子を生んだ神話から。 社殿の横に、子宝や安産祈願の小さな鳥居が奉納されています。この小さな鳥居は、おかげ横丁の神具屋さんにあるそうです。 現在は奉納棚に整然と並べられている鳥居ですが、 以前は社殿の周りに納められていました。 2009年/9月撮影 伊勢神宮125社巡りVol. 2771/125 大山祗神社(おおやまつみじんじゃ) 皇大神宮所管社 ■御祭神 大山祗神(おおやまつみのかみ) 奥の一段高いところに鎮座されている大山祗神社。祀られているのは山の神。 そして木華開耶姫命の父神です。 ここは皇大神宮・宮域内の神路山の入り口にあたるそうです。 伊勢神宮125社巡りVol. 2772/125 .
2014.11.05
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御手洗場(五十鈴川) 「伊勢神宮の見どころ ~ 内宮編2015 ~その2」からの続きです。荒祭宮から元の参道に戻る少し手前、右手に小さな神社が2つ並んでいます。イラストマップにも載っている、皇大神宮所管社・由貴御倉(ゆきのみくら)と古くはお酒を醸造する施設だったと言われる御酒殿神(みさかどののかみ)です。左手には見逃してしまいそうな場所があります。※皇大神宮(内宮) イラストマップ こちらも皇大神宮所管社で、四至神(みやのめぐりのかみ)。宮域の境界を守護する神様で、外宮にも同様のものがあります。社殿も玉垣もなく、石神として祀られています。四至とは四方八方の「四方」のことだそうです。イラストマップには載っていませんが、こちらもこれで125社の1社です。 帰路では小さな池の近くを通ります。 イラストマップでは説明書きの吹き出しに隠れて見えません。名も知らぬ池ですが、私はけっこうここの景色が好きです。 朝6時ちょうどに内宮に到着し、1時間余りの参拝と散策。宇治橋の手前、神苑あたりから見る蒼空はいつ見ても特別に美しいと感じます。降り注ぐ陽もほおをなでる風も、なにもかもが有難く感じられる伊勢。 参拝を終えて宇治橋を渡る前に、参道から宇治橋とは逆方向神宮司庁の方向に進むと「 大山祗神社・子安神社」と書かれた看板があります。その立て看板の奥には森の中に佇む鳥居。手前にあるのが子安神社、奥にあるのが大山祗神社です。 皇大神宮所管社・子安神社。御祭神は木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)浅間神社などでは、火山の神、火の神として信仰される御祭神。ここでは安産の神として信仰されています。それらの信仰は、猛火の中で山幸彦、海幸彦などの御子を生んだ神話から。先の外宮編では、私が勝手に「縁結びスポット」と決めつけた「ハート型の石」をご紹介しました。しかし、こちらは正真正銘の安産祈願の神社です。社殿の横に、子宝や安産祈願の小さな鳥居が奉納されています。この小さな鳥居は、おかげ横丁の神具屋さんにあるそうです。外宮の「ハート型の石」で恋が実ったら内宮で「子づくり祈願」話が早くていいじゃないですか。伊勢神宮の隠れた見どころのご紹介、いかがでしたでしょうか。宮域内の125社については、別の場所でご紹介しています。それらの記事については、下記リンク先をご覧ください。内宮・外宮とも広い宮域なので、これからも何かと新しい出会いがあるかも知れませんね。ここには書けないお気楽記事「龍水御朱印帳・裏ばなし 」伊勢神宮で縁結び?伊勢神宮の新しい「愛のスポット」誕生か?豊受大神宮(外宮)宮域~別宮~ 豊受大神宮(外宮)宮域豊受大神宮(外宮)宮域 3 豊受大神宮(外宮)宮域 4 内宮めぐり ~ 正宮・別宮 ~ 内宮めぐり その2内宮めぐり その3饗土橋姫神社 内宮めぐり その4 .
2015.08.26
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融神社(とおるじんじゃ)滋賀県大津市伊香立南庄町1846...社殿の近くに駐車場があります。しかし境内まで歩いてみたくなる美しい参道です。あまり知られていない神社で、私も最近まで知りませんでした。神社巡りを始めた頃から尊敬しているサイト、「神奈備」さま「玄松子の記憶」さまにも掲載されていない神社です。..参拝日は2020年8月16日。実は3回目の参拝でした。初参拝は2018年11月でしたが、駐車場に車を止めただけで鳥居すらくぐらずに帰りました。地元の方と思われるグループがいらっしゃったので、遠慮したのです。2度目は2019年10月。ちゃんと参拝したのですが、2回ほどシャッターを押したところでまさかのバッテリー切れ。..■御祭神 源融公(みなもとのとおる・右社殿) 大原全子(おおはらのぜんし・左社殿)源融は平安時代の貴族で、嵯峨天皇の皇子。大原全子はその母。3度目の参拝でやっと撮影のお許しが出た形ですが、神様から「出直してまいれ」と言われても仕方ない理由がありました。私はこの日まで、ここを「ゆずる神社」と読んでいたのです。ろくにリサーチせずに参拝するのはいつものことですが、さすがに神社名を間違えて訪問することは稀です(皆無とは言い切れない)。。。しかも御祭神の名を見ても、どういう神様なのかわかりませんでした。まだまだ白状しなければならないことがあるのですが、これ以上の露悪的な話は「裏ばなし」の方に書くことにします。ところでこの源融公という人はどんな人物で、どのような経緯で御祭神として神社に祀られるようになったのでしょうか。入口付近にあった「御由緒」には、特に理由のようなことは書かれてありません。。。御祭神がどんな人物だったかは、Wikipediaをご参照ください。「源氏」だから武将ってわけじゃなくて、貴族。左大臣にまで出世した人で、しかも美男子だったとか。のちに紫式部が書いた「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルとも言われています。陸奥国塩釜の風景を愛し、それを再現したとされる六条河原院を造営。難波の海(大阪湾)から取り寄せた海水で、焼き塩を作っていたそうです。尼崎市に源融が海水を汲んだという伝承地があるそうです。融神社の「御由緒」には、全国で唯一「源融公」を祀る神社と書かれていますがその尼崎の伝承地にある琴浦神社の御祭神も源融公だそうです。。。その六条河原院は融の死後、息子から宇多天皇に献上されたそうです。源融公の晩年がどうであったか、例によって藤原氏などとの権力闘争があったかなどざっと目を通した資料から、付け焼刃的な想像しか出来ません。しかし宇治拾遺物語などに、源融公が亡霊となって現れた話があります。「融」という謡曲にもなっているそうです。この神社は鎮魂のために建てられたのかも知れません。鎮座地は源融公の所有していた荘園だったそうです。➡ 「龍水御朱印帳・裏ばなし」 神様からのダメだし 「出直してまいれ」.
2021.03.26
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皇大神宮・所管社、神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)。。参道を抜けると、この光景が目に飛び込んできます。初参拝は2014年3月。伊勢神宮125社巡りの第一社目、スタートの神社でした。感動の一瞬だったのですが、今回はあの時とは少し違った光景です。その「違い」については後述します。。八尋殿。御塩殿神社の幄舎を見ることは出来ませんでしたが、伊勢市在住の知人から情報をいただき、急遽ここ神服織機殿神社に参拝。その「情報」とは、神服織機殿神社の御神事に関するものでした。一週間後の「神御衣祭(かんみそさい)」に向けて、奉織作業が始まっているとのこと。その奉織作業は、八尋殿で行われます。。。到着したのが早朝だったため、これから作業の準備が始まるというタイミングでした。その作業風景も気になりましたが、実はこの時の私はそれどころではありませんでした。記事の冒頭で光景の「違い」について、思わせぶりなことを書きました。。。この写真は2017年4月7日に撮影した、神服織機殿神社です。2015年11月にご造替された社殿が美しいですね。今回の光景との違いにお気づきでしょうか。。。神御衣祭は一週間後でしたが、神服織機殿神社では幄舎が設置されていたのです。御塩殿神社の幄舎を見るために来た、今年二度目の伊勢でしたがここの幄舎を見ることが出来て、来た甲斐がありました。【伊勢神宮125社】解体撤去されていた御塩殿神社の幄舎。。今年2度目の伊勢の記録(アメブロ)【伊勢神宮125社】御塩殿神社【伊勢神宮125社】 なんと嗚呼!!御塩殿神社!!【伊勢神宮125社】 気を取り直して江神社図らずもとうとうあの「伊勢名物」に手を出してしまった…幄舎(あくしゃ)!!幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄舎 幄伊勢神宮125社巡り「完遂」から10年。
2024.11.12
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三重県伊勢市二見町松下 ■御祭神 素盞嗚尊加木牛頭天王社、御船社、蘇民の森とも言われているそうです。この辺り、松下地区の氏神さまでありパナソニックとは関係ありません 小さなお社ですが、伊勢の人たちにとっては重要な神社のようです。新年だけでなく、注連縄を1年中飾る地域がありますがこの辺りも独特の注連縄を年中飾る風習があるそうです。 この注連縄には「蘇民将来子孫家門」と書かれてあります。謂われは風土記にも伝わる「牛頭天王と蘇民将来」の民話。 竜宮城に向かう牛頭天王(素盞嗚尊)は旅の途中、富豪の巨旦(こたん)に一夜の宿を断られ途方に暮れてしまった。しかし貧しいながらも、牛頭天王を暖かくもてなした蘇民将来は牛頭天王からもらった珠のおかげで裕福になった。代々蘇民将来の家の人は、牛頭天王の言いつけ通り「蘇民将来」と書かれた木札を身につけ、御守りにして幸せに暮らしたとのこと。 この民話に基づいて、悪いことが起こらないように「蘇民将来子孫家門」と書いた注連縄を飾り「ここは蘇民将来の子孫の家ですよ」と言って厄除を祈願しているのだそうです。 境内にある「蘇民祠」御祭神は蘇民将来です。この蘇民社で毎年12月26日「蘇民将来子孫」と書かれた桃符が配布されるのだそうです。 境内にあるクスノキは、三重県指定の天然記念物。目立たない神社ですが、地域の産物を販売している「民話の駅 蘇民」が目印。 ※参拝は2009/9月 .
2010.01.07
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加努弥神社(かぬみじんじゃ) 皇大神宮末社 伊勢市鹿海町■御祭神 稲依比女命(いなよりひめのみこと) 祀られているのは五穀の守護神。社殿はなく、石畳の上に石神として祀られている神です。上記リンク先の地図や他のネットの地図ではなぜか「加賀宮神社」と表記されています。 逆光なので情けない画像ですが、 裏から見た加努弥神社の社地の全景です。宮域外(内宮・外宮)の神社では、最も狭い社域の神社なのだそうです。神社の正面は田んぼ。裏手の道は車1台がやっとの狭い道です。神社の周囲には駐車場も駐車スペースも ありません。 伊勢神宮125社巡りVol. 53116/125 .
2014.12.18
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長く神社巡りをしていると、しばしば「ご縁」を感じることがあります。人とのそれと同じように、出会うべくして出会ったと感じたりまた逆に「まだ参拝する時期ではない」とばかりに参拝の機会を逃したり。お社の前で神様にご挨拶をしながら「呼んでいただいた」と感じることもあれば、「本気で来る気があるのか」と試されることもあります。五十鈴川のほとりの丘の上に鎮座する朝熊神社と朝熊御前神社。この圧倒的な存在感は、明らかに他の摂社よりもひとまわり大きな社殿のせいだけではありません。この両社の神さまは非常に厳しく、3回目の訪問でやっと向き合うことが出来ました。しかも降りしきる雨の中での参拝、撮影となりました。神社周辺の地図は先の「鏡宮神社」記事か最下記のリンク先をご参照ください。 朝熊神社(あさくまじんじゃ) 皇大神宮摂社 伊勢市朝熊町 ■御祭神 大歳神(おおとしのかみ) 苔虫神(こけむしのかみ) 朝熊水神(あさくまのみずのかみ) 向かって右側のお社が朝熊神社。先ずこちらの神社から参拝するのが正式な参拝順序。朝熊神社は27社ある皇大神宮摂社の第1位の社格。別宮に準じた祭儀が行われ、必ず神職が参向して奉仕されるそうです。他の摂社に比べ、多くの祭祀があるそうです。 伊勢神宮125社巡りVol. 55118/125 朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ) 皇大神宮摂社 ■御祭神 朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)こちらの摂社としての社格は朝熊神社に次ぐ第2位。「御前社」ですが、他の神社の御前神と違い、本社である朝熊神社と同じ大きさの社殿を持ちます。比べようがないので見た感じでしか言えませんが、とにかく他の摂社よりはひとまわり大きな迫力ある社殿です。豊受大神宮の摂社第1位の草奈伎神社は、これほど大きくはなかったと記憶しています。 伊勢神宮125社巡りVol. 55119/125 神社入口前にはそこそこの駐車スペースがあります。ただし参拝者用の駐車場というわけではないと思いますから、駐車の際は近隣の方々のご迷惑や神宮関係者への注意、配慮が必要かと思います。車での参拝については別記します。 それほど急こう配ではありませんが、一部苔生した石段をのぼって社殿に向かいます。参道にも風格を感じました。 神様から見下ろされていると感じながら社殿前に進むと、「よく来たな」と言われる代わりに激しい雨に見舞われました。御祭神は五穀の神とともに、水の神でもいらっしゃるので厳しい神様なりの歓迎の徴だと思うことにしました。 しっとりと濡れた社殿や森。そして参道の石段も、晴れた日のそれよりも数倍美しいと思いました。 .
2014.12.19
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拝 殿坂田明神宮滋賀県米原市宇賀野835-2。■御祭神 坂田宮(内宮) 天照皇大神 岡神社(外宮) 豊受毘売命坂田明神宮は元伊勢「坂田宮」と、式内論社の岡神社の二社からなる神社。とは言え、参拝時には全く気づきませんでした。毎度のことながら、リサーチなしの参拝だったからです。しかも幣殿で参拝後、ろくに本殿の確認もしていなかったため二社あることに気づかなかったのです。参拝日は2016年2月19日。当時のナビの性能がイマイチで、境内入口にある駐車場には行けませんでした。と言うか、その存在すら知りませんでした。あまり褒められた方法とは言えない駐車をしていたため、落ち着いて参拝出来なかったという、言い訳をしておきます。。幣 殿。従って、鳥居をくぐって境内に入っていませんでした。後で調べてみると、ここは境内をJRの線路が横断している珍しい神社でした。私は線路を挟んで駐車場の反対側から境内に入ったようです。。四所宮・七所宮倭姫社。四所宮(写真・左)は外宮・別宮の御祭神。七所宮(写真・右)は内宮・別宮の御祭神。こうして境内社の写真は撮っていますが、参拝時は御祭神はわかっていませんでした。境内案内図は線路の向こう側にあったからです。。。幣殿と本殿(岡神社・外宮)。幣殿の後ろに少しだけ見えているのが外宮(岡神社)の屋根。あの日、どうして本殿に注目しなかったのか不思議です。幣殿の美しさに圧倒されていたのかも知れません。路肩に無理やり駐車した車のことも気になっていましたが…。。。幣殿と本殿(坂田宮・内宮)。こちら側からは内宮の屋根が見えています。そもそも本殿の存在を忘れていましたから、千木の形状や鰹木の数は不明です。。。。次に訪れる機会があったなら、ちゃんと駐車場に車を停めて踏切を渡って参拝したいと思います。内宮・外宮、両方の本殿はもちろんのこと境内社にもちゃんとご挨拶しようと思います。それにしても適当な参拝しかせず、しかも8年前の画像を使ってよくもこれだけ参拝記録記事が書けたものです。先の数記事同様、壊れたPCから多くの画像を救出出来たことがよほどうれしかったのだろうということでご容赦ください。
2024.02.18
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湯田神社(ゆたじんじゃ) 皇大神宮摂社伊勢市小俣町湯田983 。■御祭神 大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと) 御前神(みまえのかみ)伊勢神宮125社巡りに挑戦した、2014年以来2度目の参拝。修繕は2022年5月。真新しさは薄れていますが、今回の参拝では初参拝時には気にもしなかったことに気付きました。社殿が他の摂社よりも大きいこと。そして鰹木が別宮並みに6本あることです。ほとんどの内宮摂社と末社の鰹木は4本です。。。。2度目の参拝でしたが、たどり着くまでに苦労しました。神社前の細い道を、レンタカーのナビが認識していなかったからです。スマホの地図を見る助手席の妻のナビゲートで、なんとかたどり着きました。地図を参考にしながら、実際に見つけたのは目視。壁のように刈り込まれた木を見つけたからでした。10年前の125社巡りの時の苦労を思い出しました。。。。社殿の大きさと、鰹木の数の違い。まだまだ気付いていないことがあるかも知れません。やはり伊勢神宮は奥が深いと感じました。2014年の湯田神社伊勢神宮の摂社・末社・所管社の形状の違いについて(アメブロ)園相神社は大きいかも…(アメブロ)摂社の鰹木について(アメブロ)。
2024.11.03
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湯田神社(ゆたじんじゃ) 皇大神宮摂社 伊勢市小俣町湯田983 ■御祭神 大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと) 御前神(みまえのかみ) 御祭神はこの土地の農耕の神。持参した道路地図にもナビにも掲載されておらず、探すのに苦労しました。付近にそれっぽい森がいくつかあるものの、なかなか見つかりませんでした。次回からは、上記リンク先の地図などを準備して行こうと痛感しました。 一般の神社のように案内板や看板があるわけでもなく、目立つ場所に鳥居があるとは限らないことが、おぼろげながらわかってきました。雑草だらけの小さなスペースに車を止めて、やっと見つけた湯田神社。どうやら伊勢神宮の摂社は、上の画像にある壁のように刈り込まれた森が特徴のようです。 境内に入ると、そこはやはり伊勢神宮独特のご神気に包まれます。境内もその周辺も、人の気配や人が訪れた形跡もありませんが隅々まで掃き清められた境内。苦労してたどり着いた分だけ感動もありがたさも加わるのですがこの湯田神社参拝は、既にお昼を回った時点でまだこの日4社目。15時くらいまでに14~15社の参拝を考えていましたが大幅に計画が狂いそうな予感がしました。伊勢神宮125社巡りは、相当綿密な準備が必要のようです。 伊勢神宮125社巡りVol.421 / 125 .
2014.04.30
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松下社(まつしたやしろ)三重県伊勢市二見町松下■御祭神 素盞鳴尊 菅原道真 不詳一座素盞鳴尊 菅原道真 という男神を祀っていますが、千木は内削ぎで鰹木は偶数。この地の伝承から、皇大神宮摂社の神前神社の旧地とする説があるそうです。千木と鰹木は内宮の摂社の名残でしょうか。この神社も伊勢神宮と同じく、20年毎に社殿の造替が行われます。。。。境内入口にも境内にも、狛犬がありません。これも伊勢神宮と同じです。境内のお隣に「民話の駅 蘇民」という、道の駅のような施設があります。そのため十分な駐車スペースがあり、参拝に便利。この「民話」とは、「牛頭天王(素戔嗚尊)と蘇民将来」の話。。。。。。伊勢市では1年中しめ縄を飾る風習がありますが、それは「蘇民将来」にちなんだものです。しめ縄には「蘇民将来子孫家門」と書かれてあり、裏には安倍晴明ゆかりの「セーマン・ドーマンの印」も描かれているそうです。蘇民将来のしめ縄は伊勢市内の神具屋さんにもあるそうですが、この松下社が本家本元と言えそうです。【参考】蘇民将来伝説(二見町)蘇民将来のしめ縄について。蘇民祠(通称・蘇民社)。境内に入ってすぐ左手にある、蘇民祠。社地はけっこう広いのですが、鎮座しているのは小さな祠。祀られているのは、蘇民将来です。。。。。蘇民祠。祠の下にある木の束は「榊巻(さかきまき)」と呼ばれるもの。本殿の床下など境内に全部で14カ所ある、榊の枝を束ねて重ねたもの。榊は毎年巻き重ねられていき、20年毎の社殿の建替え時に榊巻も新しくするそうです。榊巻神事は毎年12月31日に行われる、この松下社独特の神事。。拝 殿。前述のように境内には狛犬がなく、拝殿前の「狛犬の定位置」に榊巻が置かれていました。場所は夫婦岩で有名な二見興玉神社から約1km。境内には三重県指定の天然記念物、樹齢2千年とも言われる大クスがあります。。。
2023.05.26
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皇大神宮・摂社朝熊神社(右)と朝熊御前神社(左)三重県伊勢市朝熊町字櫻木。。■御祭神 ・朝熊神社 大歳神(おおとしのかみ) 苔虫神(こけむしのかみ) 朝熊水神(あさくまのみずのかみ) ・朝熊御前神社 朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)参拝日は2024年3月17日。5年ぶりの参拝でした。造替・遷座から5年経っていますが、真新しさが少し残っていました。板葺き屋根とは言え、他とは明らかに違う大きな社殿。しかも二社並んでいる姿には、何度見ても圧倒されます。。。。2019年3月3日撮影。前回の参拝は、造替工事が完了したばかりの頃。朝熊御前神社は遷御祭(3/7)直前のタイミング。朝熊御前神社の前にロープが張ってあるのはそのためです。。 朝熊神社。 朝熊御前神社。。それぞれ皇大神宮・摂社の第一位と第二位の神社。「大きい」とは感じるのですが、そのサイズは不明。参考までに摂社・第三位、園相神社サイズはWikiに載っています。長さ9尺(≒2.7m)×広さ7尺(≒2.1m)×高さ7.8尺(≒2.4m)。ちなみに平均的な大きさと思われる朽羅神社のサイズは長さ6尺(≒1.8m)×広さ4尺(≒1.2m)。園相神社(そないじんじゃ)も他よりもひとまわり大きいことがわかります。朝熊神社・朝熊御前神社も園相神社と同等かそれ以上の大きさだと思います。なお、外宮の摂社・末社にはこれほど大きな社殿は見られません。。。鎮座地は五十鈴川と朝熊川の合流地点東の丘の上。水の神を祀る神社だけあって、ここは雨の日が似合う境内です。小型車であれば、この参道のすぐ下まで行けます。未舗装ですが、駐車スペースもあります。。。朝熊川の対岸には鏡宮神社(皇大神宮・別末社)があります。徒歩で対岸に渡ることが出来ます。2019年の朝熊神社・朝熊御前神社。
2024.05.04
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