12月4日(木)
内村鑑三「一日一生」より
(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があきります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。
信仰の綱
わたしは聖人でもないし、義人でもありません。わたしは神様の義を慕う人間であり、神様のたすけや援助を切に求める人間です。わたしの出来ることは、ひとつしかありません。それは、神様がいかに恵み深いかを信じることです。そして、この信仰がわたしをすべての罪より清めることが出来ないなら、わたしが清まる道はほかにひとつもないということです。信仰、キリストにおいて顕われた神様の恵みを信じること、これがわたしのすべての徳と言えるものです、誇れるものです。もしこの信仰の綱が切れてしまったならば、わたしは奈落の底まで落ちて行くでしょう。
「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(83… 2025.12.04
「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(83… 2025.12.03
内村鑑三「一日一生」より 聖書そのもの 2025.12.03