進学塾キャラベル 西東京市 都立自校作成・難関私立高校受験

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いわゆる「古典」として歴史上一定の評価を得てきた書物や哲学書を読むことは、書店のベストセラーコーナーに並んでいる小説、ハウツー本、ビジネス書、表面のみ扱った社会科学書を読むのに比べると、かなり骨の折れる作業です。なぜなら古典と現代人との間には時間的かつ空間的な距離・隔たりが存在しているからです。したがって、古典に触れる際には「苦労して読む」という作業が不可欠になります。

「学問とは青年のものである」とヘーゲルは述べていますが、何度も壁にぶつかるたびに、人は考え、そして知恵を付けていくものです。ネットで簡単に情報が手に入るため、現代は思索する時間が減っています。ネットにある情報は、専門書や学術書が丸々載せられているわけではなく、「他の誰かが読んだ本をその人なりの解釈で分かりやすく要約したもの」ばかりです。そうしたネット全盛期にネットで情報をつまみ食いし、単に知識を得ても思考力は身につきません。ともすると、いくら書物を読んでも、全く知恵を得ることが出来ず、即物的な考えに隔たっていきがちです。「論語読みの論語知らず」という言葉がありますが、近代化が進むにつれ、現代人の読書はそうした傾向がますます強くなっているように思えます。だからこそ今、古典を読むことが求められていると感じます。古典や哲学に触れることにより、思索する習慣がつき、考えることが楽しくなります。「古典を読む」という不断の努力が、大局を見誤らない判断力にも繋がっていくことでしょう。

しかし、古典や哲学に触れるだけでは不十分です。古典や哲学書に書かれている理論や思想家の思想を直截(ちょくせつ)的・解釈的に理解するだけでは、そうした古典に包摂されている実践的示唆を読み取る機会を逸します。これからの私達に求められているのは、そうした思想や理論を現実の諸問題や改革に適応させ、役立てることです。そもそも「古典」と呼ばれる書物も、出版された当時は「新刊」であり、現実の諸問題に対応することが目的でした。すなわち、古典と呼ばれる書物は現実の問題に対処する力を秘めているのです。

ニコラウス・クザーヌスは、「人間の思考は、極めて具体的な思考と、叡智界に関する抽象的な思考との間を、ディスクルス(往来)する」と言っています。これは学問においても大切な視点です。たとえば、生物多様性に関する文章を読みながら、スピノザの「能算的」な自然理解について触れたり、同様な自然観を述べているライプニッツ、ヘルダー、ハーバーマス、ヘーゲル、カントなど自然観についても考えることが後々の財産になります。

私達は、日常生活において、常に具体的な事象にのみ意識を傾けますが、そうした具体的・個別的事象を包括している「世界」いや「世界観」についても考えることが大切です。社会現象は社会構造や現代が抱える社会的問題点とだけ結びついている訳ではありません。人間が本来持っている自然性にも根ざしています。したがって、社会現象の背後にある人間の特性まで考察し、そこから社会現象を捉え直す必要があるのです。ルソーは『エミール』の冒頭で「人間を通じて社会を、社会を通じて人間を研究する」と述べています。孔子も『論語』の中で、「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し。(学んでも、その学びを自分の考えに落とさなければ身につかない。また、自分で考えるだけで人から学ぼうとしなければ、考えが凝り固まってしまい危険だ)」と述べています。これこそが古典を学ぶ意義です。

デカルト、カント、ヘーゲル、ルソー、マックスウェーバー、フッサール、ハイデッガー、デュルケーム、ニーチェ、ゲーテなどの思想は現代にも十分に通じる思想であり、中3後期には時事問題と絡めて、様々な思想にも触れていきたいと考えています。

「定期試験の点数を上げたい」という小さな目標にとどまらず、「深く学びたい」「頭を使って色々考えたい」という知的好奇心のある子達にぜひ入塾してもらいたいと思います。


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