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カルーア啓子さんサイド自由欄
トイヤ港にやってきており、商談や調査がなされていた。
スパン帝国は国名をスパン王国に改め、皇太子がスパン国王になり、国王は君臨すれど統治せずという立憲君主制の国家に変わっていた。ロマスク帝国に亡命していた皇太子に立憲君主制をたきつけたのは他ならぬ日本であった。スパン王国も首都マドラに日本大使館を建設中である。
スパン南基地には軍事上の機密があるもので取り外しのできないものが多く、港湾、空港を含め、現状以上に広げないという条件で日本の領土と認めてもらった。元々何もない国境近くの未開の地だったことも幸いした。基地にはリベルテ国に行っていた76式戦車など戦闘車両も戻っており、護衛艦かがも停泊していた。
ロマスク帝国も首都カーペに、プロリ共和国も首都ポンリに日本大使館を建設中であった。日本と東方大陸の4か国との交易も始まり、日本国内には多くの課題が残っていたが、国家間の状況は落ち着いてきた。
そして、惑星歴498年が暮れ、499年が始まった。伝承によると、古の民の帰還まで後1年。日本より50年も100年も、もしかすると1000年も科学技術が発達していると考えられる古の民。この惑星のどこかにいるのか、宇宙にいるのか、この惑星の実像を知るべく、日本は偵察衛星を多数打ち上げた。
第5章 (完)