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心魅かれる、素敵な本に出会いました。マーヤ、あなたのおかげよ!ありがとう!!
2011年01月31日
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自分の踊りを基礎から見直してみようと、様々なレッスンを、様々なジャンルで受けさせて頂いています。今までは、感覚的なことで学ぶ事がほとんどでした。新しい世界には、当然新しいことがあります。今は、理論的なことで学ぶことも多くなりました。どちらにしろ、今の私が実感するのはイメージすることの大切さ。まだまだカウンセリングが必要になる日のさなか、余計に、イメージが体現に直に影響する、ということがわかります。イメージに対する私の努力か、元々あった私の思想に対する評価や期待なのか、今、できうる限りを精一杯やっている私の姿勢を見守って頂けているのか、そもそも私自身の存在そのものを受け入れて頂けているのか、見えない力の思し召しか、細かなことは計りえませんが、御縁には間違いありません。小さなチャンスと大きなチャンスに出会いました。小さなチャンスは、いつでもどこでも転がっている。以前のブログにも綴りましたが、転がっているのを、正しく拾ってあげられるかどうかは私次第。今日は、その小さなチャンスを活かすことができました。感謝すべき方がたくさんいます。感謝を、行動に起こすことで返そうと思います。大きなチャンスは、私1人で手にできるものではありません。キッカケを頂いた方、背中を押して頂いた方がいます。それもやはり、感謝を、私が行動に起こし返すのみです。すべては繋がっているんだなぁと感じました。
2011年01月30日
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翌朝のゴハンを前日までに作ることが多くなりました。何年か前は、よくパンを焼いてましたがさすがにこの時期、家庭用オーブンでの発酵には時間がかかります。。。。全行程、約4時間という長丁場!なので新しいレシピを・・・ということで巷で流行りの「ケーク・シュクレ」にチェンジしました。元々はフランスの惣菜パウンドケーキ、とでも言いましょうか?甘いスウィーツタイプは「ケーク・サレ」と言って、パウンドケーキにいろいろ具が入ったものです。シュクレは、チーズの香りたっぷりが基本ベース。チーズの種類や具が違うだけで、香りも味も変わります。具の相性もあります。具と具をつなげて一つにする役割の具もあります。毎回、面白いなぁと思いながら作っています。まるで人と人。心と心。新しい発見があります。元々は、家にあるもの(余り物)で作る、という発想の気軽な家庭料理。気軽にいろいろレシピしてみるものの日本人の朝食に合うように意識していないと、毎朝食べる習慣にはなりませんね。長い間、シェフの娘という肩書きを嫌い、料理の世界から遠ざかっていましたが料理を作るのも、考えるのも、お菓子を作るのも、考えるのも好きです。シェフの娘という肩書きも受け入れてあげようと思いはじめ、料理が苦手なフリをやめました(笑)まぁ・・・管理栄養士さんには劣りますから、その辺りは妹や、現職の方に学ばせていただこうかな!ひとつひとつ、本来の自分を大切に取り戻してゆこうと思います。
2011年01月29日
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いろいろなところにチャンスが転がっていますね。「転がっている」とは・・・失礼かしら(笑)でも、今の私には「転がっている」が一番しっくりきます。今までは、チャンスはやってくるものか、自らが作り出すものしかないと思っていました。だからこそ無駄にはしたくないって思っちゃう。“転がっているチャンスも在る”ということを知って、それを拾うか蹴るか素通りするか。それを私が自由に選べるんだということも知りました。私が、誰のレールでもなく、誰の期待も考える必要もなく、自分で自由に選べることもあるんだなぁと思うと自分の足で生きている心地がして嬉しいです。コソコソ指をさされてもあのしんどさに比べたら、世間体なんてものは小さな事だなぁ。きっと、まだまだ囚われの身でしょうが・・・・。
2011年01月27日
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1月も半ばを過ぎ、良いキッカケを頂いて最上稲荷に参拝しました。いわゆる初詣ですね^^;最上稲荷は、何かに迷った時、落ち込んだ時、良くない事が続く時、必ず足を運ぶところです。心を清めて自分と向き合うことが目的ですが、御籤に期待して参ります。こちらの御籤には道標を感じるのです。マーヤも御籤を引きたいと言うのでマーヤの分をほぼ私が引いて、且つ私の分としても引きました。御籤の内容(結果)が、やはり面白いんですよね。マーヤの御籤からの私の御籤。内容がきちんと繋がっているんです!最終的には、神や仏といった高次元のモノに触れなさい、感化されていく、という内容でした。今までなら、宗教勧誘の一種か!?と思うかも(笑)前々回に少しだけ綴った、不思議な力を持った先生との出会い。これが影響しているのかなぁと思います。何の抵抗もなく「あぁ、なるほど」と受け取れました。魂レベルで物事を考える。魂に問いかける。何か変なモノに影響されちゃったんじゃないの?おかしな事を言い出したなー!難しいー!なんて声が聞こえてきそうですね(笑)かく言う私でさえ、先生の不思議な力云々については自分の中で処理しきれていないので(笑)いつもの如く、御籤は大切に持ち帰りました。今回、私に付き合ってくれた方々とテッパンで粉モノをつつきあいました。静かに語らい、大いに笑い。そしてまた自分を振り返り、見つめ直す。魂レベルで(笑)とても素敵な時間なんじゃないかなぁと思いますが・・・・
2011年01月23日
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どんなに格好悪い自分を見せてもどんなにサイテーな自分を見せても好かれたり、尊敬されるっていうのはどういうことなんだろう?と思います。「けっこうな人が、かなこを上に見てるみたいやけど 俺にはそうは見えないんだよねー」ありがたい言葉です。「そんなかなちんが好きなんです」いや、本当にありがたい気持ちです。恥ずかしいくらいに。「ひとりで頑張っとるんは知ってたけど 今の私じゃ助けてあげられんて思よーったんよ。 よぉ頑張ったなぁ、ごめんね」一緒に泣いてくれました。嫌なことを言われたとか、されたとか傷つけられた言葉よりもそれ以上に言われて嬉しかったこと、されて嬉しかったこと、元気になった言葉、励みになった言葉、その人の心を感じた言葉ほどよく覚えています。本当に人道的に許せないことは心に留めておきます。私が人にしない為に、です。人が人にしない為にも、です。自分でどこかブレてたような気もしたのかな?背筋を伸ばされるような、そんな素敵な出逢いがありました。「切磋琢磨」ありがちですが、この方とはこんな関係になるんじゃないかなと思っています。ありのままの自分をありのままに受け入れるってこと。簡単なようで、実はかなり難しいです。ってか、できてません。。。。
2011年01月22日
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9月の末。搬入された先で、ある先生と出会いました。とても不思議な先生です。私に「必要になるから」と2通の紹介状を渡し、長々と、警告ともとれる不思議な話をされました。今だからこそ、警告だったんだと気づいたんでしょうが・・・。先生に言われたこと、そしてその通りに現実に起こったこと、それによって私が思い、考え、決断し、行動したこと、目の前にある現実のこと、容易く綴ることができませんし、綴りません。多くと深くは私の口から発せられるべきであってたとえ私の心を映す私のブログであろうとも綴りません。敢えて言えるのは・・・・先生に渡された2通の紹介状は、本当に必要になりました。3つ目の病院には、本当にお世話になりました。外出許可と外泊許可、そして無断外泊という失礼までやらかしましたから(笑)あ!ケータイやTVも怒られました!今だから笑えます。病院のお世話になっていないように振る舞い、過ごしてました。最終的に10月半ばに退院しましたがその後も通院と入院を繰り返し、不安定な時期でした。検査や点滴以外は暇なので「指編み」なるものでマフラーを編んだり、ティペット編んだり、小物を編んだり。メッセージカードを作ったり、ハロウィンの飾りを作ったり。塗り絵もしたかな・・・。モノ作りってのは心を穏やかにする効果があったみたいです。そんな、いわば二重生活のような状態でも、本当のことだけを伝えた方はいたんですよ。先生の警告を無視して。確かに、人間のおしゃべりってのは、よくできていますね。それに惑わされる人間が、面倒なのかもしれません。私は先生とは違って「哀れみ」を感じました。惑わされ、自分の目と耳と心を見失うっていうのが「自分を見失う」ってことなんですね。そんなこんなで、今頃になって家計が火の車です。保険を本気で見直したいなーと思いました。
2011年01月18日
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新しい年になりました。「心機一転!」といきたいところですが今年はなかなか難しいです。年末に受けた、あるセラピーでは私の意識は既に未来に向いているそうですが・・・はたして(笑)。「ブログが停滞している=心が停滞している」と考える私にとっては下書きも何も遺してこなかった、遺せなかったこの数ヶ月を ブログに綴る覚悟が やっとできました。噂や憶測で尾ひれがついて囁かれるのは承知、ならば尚更、当事者以外の人に真実だけは汚されたくないという思いで、本当に多くの方を混乱させてしまいました。混乱させてしまった事、呵責に苛まれる日々もありましたが、他人にとっては所詮、他人事(言い方が悪いですが...)。真実がどうであれ、おおごとではないのだと気づいてからはラクになりました。 人の目の数だけ、見方があると思いますが、 その人の目では見えないところにも真実はあるのだと。9月の末に大阪で出会った先生がいるのですが、この先生はそのことを私に教えると同時に、私を守ってくれたのだと思います。この先生に纏わる真実は、また改めて綴ります。覚悟はできましたが、なかなか適切なコトバが浮かびません。どんな表現やコトバを綴ろうとも、事実は変わらず、人を不快にさせてしまう内容になるのは間違いないのです。ですが、できることならスマートに、日本文学並の美しい言葉と日本演劇並の間で綴ってみたいのが本音です(笑)私がどういった経緯で、どういった心情で「死」を意識して「死」に追い詰められ思い詰めるようになったか....この数ヶ月の間に、頂いた手紙がたくさんあります。おそらく、それが一番に真を捉えているのだろうなと思いますのでそれをそのまま転載しようかと思います。 これも改めて。2010年は、ベビーラッシュでした。自分の子どもが 不憫に思えることありますか?可哀想で 可哀想で 可哀想で嘆くことはあるかもしれません。でも 殺そうと考えますか?ありえません。アタマではありえないんです。 彼を守るために彼の幸せを心から、心から願い、 一番に、彼が一番に幸せに生きていける道と可能性を絞り出して ハマーに すべての希望を託しました。託児所の資料を用意し家計の一切を、印鑑に至るまで整理し、ハマーに託しました。苦しくないわけがありません。でもホッとしました。 唯一の 奇蹟の 愛の証を 守ることができるんだと思ったからです。この時の選択に 後悔はしていません。もしも あの決断をしていなければ 今、温かい彼を抱きしめることはなかったかもしれないからです。昔、チャイルドシート着用義務ができた頃“抱いている方が危険です”というニュアンスのCMが印象深く残っています。母親の認識では、自分の肌で感じるところにギュッと抱えた方が安全だと思うのですがそちらの方が死亡率が高いと訴えるCMでした。あの十数秒のCMに多くを考えた記憶があります。そういった ひとつひとつの経験や考えが正しいのか誤っているのかは別として「私」という人間を作っているモノのひとつなんだと思います。まだまだ息子と自分に向き合い、闘わねばならぬことは山積みです。
2011年01月07日
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