加納尚明のつぶやき日記

加納尚明のつぶやき日記

問題意識「メディア」(2007.12.30)



特に、テレビというメディアは、良くも悪くもほんとうに恐ろしい存在だと思います。亀田騒動では、テレビの愚を見、薬害問題ではテレビの善を見た気がします。

メディアから流れる情報を自分の価値観でしっかりと考えていくこと、判断していくことが必要です。しかし、その判断が極めて難しいのは、メディアから流れる情報は、その事柄のほんの一部、小さな側面にしか過ぎないのです。背景、関連すること、表に出ないことなど、物事を判断するために必要な情報は、ほとんど私たちの手の中にはないのです。

過去の様々なできごとについて、何年も後になって、告白本などが出版されると、人々は、その真実に驚かされています。あのときの判断は、正しかったのか?思い返せば、そうではなかったなあと思うことも多いでしょう。

娯楽番組は、あくまで娯楽だからその良し悪しは、視聴者が選択をします。報道番組は、本来、娯楽番組ではありません。テレビ局は、正しい情報、核心の情報を報道することに切磋琢磨しているとは思っていますが、限られた放送時間では限界があります。

例えば、インターネットが普及した今なら、放送できなかった事実、経過、背景、テレビ局の社説など、国民ができるだけ客観的な判断ができる情報を同時または後追いで発信することもできるでしょう。

しかし、そこにはコストが伴います。NHK以外のテレビ局は、スポンサー収入で成り立っています。視聴率の稼げない番組は、廃止になります。この構造にメスを入れない限り、テレビ局の良識だけでは、問題は解決しないでしょう。

NHKは、放送受信料で成り立っているので、ドキュメンタリー番組や特別番組は、かなり質の高い、見応えのある番組が多いと思います。歳をとるにつれ、NHKを見る時間が長くなっているような気がします。

非現実的なアイデアかも知れませんが、NHKは、娯楽番組から撤退し、報道番組とドキュメンタリー番組のみを、一日に8時間程度だけ放送する。娯楽系の番組にかけていた制作費を基金に積み立てる。その基金を民放各社にコンペ形式で配分する。民放局は、そのお金を財源として、視聴率に左右されない質の高い番組を提案し、採択されたものを制作する。というのはどうだろうか?

テレビメディアの存在の大きさを感じるが故に、NHKの存在とそこに伴う国民負担が、一NHKだけの問題ではなく、メディア全体の問題なのではないでしょうか?

テレビ局の良識だけに頼らない、質の高い報道が持続可能な制度設計を!


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: