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2005年12月19日
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テーマ: ニュース(95899)
カテゴリ: 教育時事
 政府の「規制改革・民間開放推進会議」がいよいよ美術館・博物館の民間開放にむけて、独立行政法人国立博物館の市場化テスト導入の検討を始めた。これまでも、数多くの公共事業の民営化が進められてきたが、ついに文化分野にまで及ぶに至り様々な議論が起こっている。

 推進派は、これまでの民営化と同様に公共事業の「効率化」を主張し、サービスの最良化・効率化を目指そうというものだ。これまでの公立博物館の独占的運営が、いかに効率が悪く独善的であったかを指摘するもので、民間導入でより良いサービス、より良い人材登用が可能になるとしている。
 確かに、民間ノウハウの導入により、「もっと魅力的な展示の開設」「子供・児童向けコンテンツの充実」「夜間開館など柔軟な対応」が可能になると思われ、美術館・博物館のイメージは一新されるものと思われる。

 一方、反対派の文化庁、日本画家の平山郁夫氏などは、日本文化の継続性は一時の変革によって惑わされるべきではないという視点に立ち、総体的な文化事業の運営は高い専門性を要求され、長い蓄積と経験が必要である(公共主導のもとで行われるべき)とする。平山氏は民間公開により、文化の蓄積が失われ、国際的信用も失うだろうと指摘する。
 確かに、現段階で民間が十分にこれまでの美術館・博物館の蓄積と経験を肩代わりできるとは思えない。民間がそれを得るにはさらに数十年の年月がかかるであろう。

 さて、両者の議論はご覧の通り、焦点が一致しておらず平行線のままである。推進派は経済性を重視しており、文化のなんたるかは眼中外である。一方反対派は文化の特殊性に言葉を借りて、利権に固執している感がなきにしもあらずだ。

 ここで、そもそも美術館・博物館はどのような経緯で作られているのかを考えてみたい。日本国民たるもの文化を公平に享受できる権利がある。また、国家にとっては国民に日本伝統の文化を滞りなく知らしめる事が日本文化の伝承、ひいては国家安泰のためになる。そういう視点から、公共機関が設置した美術館・博物館は設立されたと言って良い。博物館法による定義では「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む)し、展示して教育的配慮の下に、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(博物館法第2条第1項)」とある。
 つまり、日本文化(外国文化も含めて)を網羅的に収集し、国民に提供するのが主たる業務なのである。ここで、勘違いしてはならないのは、「一般公衆の利用に供する」という点であり、これは博物館側が一般公衆に「見せてやる、見てくれ」というのではなく、一般公衆の「見せてくれ」という要望に応えるものであるということだ。

 上記の点を考えるに、確かに現在の美術館・博物館行政はサービス面ではまだまだ改善すべき点が多い。民間参入により、一般公衆の「見せてくれ」というニーズにもっと柔軟に対応できるだろうし、そうした声を拾う事も可能になるだろう。推進派はまさにこの点を撞いているのであり、ニーズに応えれば観客も増え、収入も増え、その分さらに新たなコレクションも購入できるし新たなサービスも可能になる。この観点においては何ら異論を挟む余地はない。


 歴史系博物館で言えば、一つの文書を展示するにあたり、その文書の解読と出所の調査、関連する歴史文献の調査などを経て、文書が展示に値するかどうかを判断する。それがあって初めて展示物が博物館資料としての価値を得る。つまり、一作品の展示の背景にはその何十倍もの時間と労力が隠されているのだ。こうした背景の調査研究がなされていない展示物は、まさに単なる珍品陳列でしかない。
 文化庁、平山氏はこの点を強調しようとしているのだ。美術品の価値評価そうだが、特に歴史系の場合、歴史認識の正統的評価は蓄積と経験に裏打ちされたものでなくてはならず、歴史問題が国家間問題に発展するように、政治的、経済的権力から独立した公正な視点である必要がある。

 民間開放を受けて、今後の実際がどうなっていくかを考えた場合、やはり文化庁・平山氏の懸念は払拭できない。想定するに、企画展示は観客の入るものを設定することになろう。私が知っている美術館などでは年に数本ある企画展示のうち半数以上は大赤字だそうだ。黒字になる企画展は、皮肉にも平山郁夫氏など超大物作家の展示なのだそうだ。確かに、平山郁夫氏などの著名展示を行えば黒字にはなるが、そのかわり余り名の知られていない地元作家や、学術性の高いコンセプト企画などは見向きもされず抹殺されていくだろう。歴史系にしてもしかりである。これらは確かに一般公衆のニーズに応えたものと言えるが、博物館活動が網羅的ではなく局所的になっていく危険性をはらんでいる。このことは更には美術館・博物館が儲かるものに偏っていくという特化化につながり、収集、調査研究業務が偏ることにもなる。ついでに言えば、全国の美術館・博物館が同じ儲かるものに集中する事により、美術館・博物館の淘汰が行われ、当然のことだが地方の美術館・博物館は潰れていく運命にある。
 先に挙げた一般公衆の「見せてくれ」という要求は、単に珍品・逸品だけにあるわけではない。マイナーかも知れないが、網羅的な調査研究の成果を「見せてくれ」というニーズに応えるのも美術館・博物館の重要な責務なのである。大学の研究は特化したテーマを深く掘り下げるものだが、広範の情報を体系的にまとめあげる調査は、美術館・博物館学芸員の仕事でもある。これを肩代わりできる機関や民間組織はないであろう。

 美術館・学芸員が行う調査研究の多くは、直接企画展示に結びつくものはあまり多くないと聞く。しかし私は、これらの行為が無駄というのではなく、日本の文化を継承していく上での貴重な下地であるという点を強調したい。これらの体系的に整理された情報があってこそ、世に出るメジャー作品の価値付けにつながってるのだから。歴史を理解する上でも、メジャーな出来事だけに着目した研究は必ずや破綻する。武家の生活を研究する上で、平民民衆の生活を知らずして語れないのと同じ事である。

 21日に最終答申が出るそうだが、果たして結果はどうなるのか。管理部門の民間開放は推進すべきだと思うが、学芸部門の開放は時期尚早だと思う。まあ、国立博物館はもともとお上の博物館だから、多少の民間開放でも問題はないだろうが、この市場化テストの余波が地方に及んだとき、日本の文化性が失われるかもしれない。
 最後に、ある知識人が、「金にも役にも立たない研究など無駄だ」と暴言を吐いた事があったが、自国の歴史を知らず、文化を尊重できないなど余りに愚かだ。自己の存在価値を捨て去る刹那主義でしかない。これこそ赤化革命の論理と一緒なのである。

規制改革・民間開放推進会議

規制改革 神戸新聞社説





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最終更新日  2005年12月19日 10時35分43秒
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