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2006年08月28日
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テーマ: 戦争反対(1190)
 驚いた。こんな証言が今頃出てくるなんて。福岡の幼い3兄弟が無くなった飲酒運転の記事でも書こうかとブログを眺めていたら、 しろたん0606さんの記事 から知った。

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん(イザ!)
 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。

 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。
 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。
(中略)
【用語解説】渡嘉敷島の集団自決
 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。
【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法
 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。
(以下略 イザ!)



 歴史は捏造される。真実は真実には成り得ない。歴史学に多少とも関わる身として、これまでも歴史の真実を知る事の難しさというものを痛感してきたが、今回ほど衝撃的なことは珍しい。歴史学というのは第三者の伝聞をもって成り立つが、真実というものはあくまでも伝聞者の主観を経由した時点で真実ではなくなるというアンチテーゼがあり、今回の証言は意図的な捏造が真実になってしまった過程を如実に語るものとして興味深い内容である。

 歴史の多くは、伝聞する個人の主観によって意図的、または無意識に歪められているものだが、これほどまでに歪められた意図を超越して非真実が真実として流布していた例が判明するのも珍しい。
 歴史が捏造されていく過程をみてみよう。

 歴史を捏造したのは村長、厚生省担当者らわずか数名の当事者であった。彼らが現職、生存中であればいくらでも事実を否定できる状態にあり、責任問題から言えば、比較的安易なレベルにある。
 一方、渡嘉敷島関係者の遺族らもこの捏造を知っており、年金受領の問題もあり、口を封じるという行為で捏造に加担する。この時点で渡嘉敷島の歴史は渡嘉敷島の歴史でしかない。従って捏造の歴史であっても関係者全員が捏造と知っているわけだから、歴史的事実から派生する事柄に対してさほどの問題もない。
 ところが、この問題がマスコミや大江健三郎のような作家に真実として公表されると、歴史は一転して日本の歴史になってしまった。ここで大きな変化点は、当事者ではない第三者が歴史に介入してきた事である。捏造を真実として公表してしまったことは、真実に出会っていない第三者はあくまでも伝聞という形式でしか判断できないのであるから、住民からも関係者からも捏造であると聞き出す事ができなかった以上、仕方のない部分もないわけではない。しかし、これが意図的ではないとすれば、捏造が非意図的に、無意識的に認められてしまった瞬間なのである。ここに歴史の一人歩きの原点がある。
 さらに、真実を知る第一世代の住民が亡くなるなどすると、継承者である第二世代が当事者となるが、捏造を知らされていなければもとより、捏造を伝聞されていたとしても、直接関わっていない以上、歴史の捏造への責任感は激減する結果となる。これはどういうことかというと、大江氏の書籍による伝聞と、第一世代からの伝聞が対等の価値になってしまうのである。どちらも伝聞である以上、相反するどちらが真実かを検証する術がないのである。そして、直接関わった当事者がいなくなった時点で、真実への遡及は不可能になる。


 何だか退廃的な文章になってしまったが、決して歴史学を否定しているわけではない。歴史記事は、第一次当事者の真実もあるだろうし、伝聞した者の主観や、執筆した者の主観が入り交じっている歴史ドラマであり、その中から色々な視点での人生観や経験論を学んでいくことができる。当事者でないなら、真実など知る必要もないし、知るべきでもない。知りたいけど・・・。
 そう言う意味で、今回の証言はめくるめく大どんでん返しの歴史ドラマであったという訳だ。もし、証言がないまま照屋さんが亡くなったら・・・・、その恐ろしさを実感する事も歴史ドラマ学の醍醐味なのだと改めて実感したのだった。

 ところで、渡嘉敷島の集団自決は私の好きな映画「 激動の昭和史 沖縄決戦(1971) 」にも登場する。軍に命令されて自決するシーンをなんの疑いをなく見た私は、すでに捏造された歴史に毒されていた馬鹿者というわけですな。





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最終更新日  2006年08月28日 13時26分00秒
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