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植物学者牧野富太郎の輝く偉業
「日本植物分類学の父」と呼ばれ、今なお、その偉業が輝く牧野富太郎( 1862 ~ 1957 )。今春放映されるNHK連続テレビ小説では主人公のモデルにもなっている。練馬区立牧野記念庭園の学芸員で、牧野博士のひ孫にあたる牧野一澳さん、同庭園の中田純子学芸員に、博士の植物へ寄せる思いなどを聞いた。
今春、連続テレビ小説の主人公に
植物を愛する才能に恵まれ
研究突き詰める楽しさ
1862 年、現在の高知県佐川町で生まれた牧野富太郎は、 10 代で植物学に興味を抱くと、独学で植物採集、研究を始めた。
22 歳で上京し、東京大学の植物学教室への出入りを許されてからは植物分類学の研究に没頭。その人生を植物研究に捧げ、近代の植物人類学の礎を築いた。連続テレビ小説「らんまん」は、その牧野の波瀾万丈の物語として描かれる。
「とにかく植物が大好きで、〝植物を愛する才能〟に恵まれたのがそう祖父の富太郎でした。また、植物を通じてさまざまな人々と分け隔てなく人間関係を広げていたようです」(牧野一洋学芸員)
1946 年生まれの一洋さんは 10 歳の時に牧野がなくなるまで急遽に遭った練馬区東大泉で共に暮らした。晩年も研究や執筆、植物図鑑の改定を続ける牧野の姿が目に焼き付いている。
田中純子学芸員は、牧野の姿を通し「好きな研究を突き詰める楽しさを知ってもらう機会になれば」とドラマへの期待を語る。田中学芸員が現在、調査、整理を進める多くの書簡には牧野の植物を愛する思いがあふれている。
「ただ孜々として天性好きな植物の研究をするのが、唯一の楽しみであり、またそれが障がいの目的でもある」――『自叙伝』に牧野はそう記している。
今も活動を続ける同好会
牧野が命名した植物は新種や新品種を含め 1500 種以上。収集した標本は 40 万枚を越え、描き残した植物図は 1700 枚に上る。この偉業を成さしめたものは何か。
「富太郎は日本の植物を全て網羅し、図鑑にしたかったのだと思います。新種の発見や命名はその結果ではないでしょうか。そのためには資材もすべて投じています」と牧野学芸員は語る。
26 歳で、『日本植物志図篇』を出版。その後、植物学教室の出入りを禁じられるなどしたが、再び助手として教室に復帰すると、『大日本植物志』等の慣行を手がけた。この間、研究にかかる費用はかさみ、多額の借金を背負うこともあったが、妻・寿衛子の献身的な支えや資産家の援助に救われた。
『自叙伝』には、「私が修正植物の研究に身を委ねることの出来たのは何といっても、亡妻寿衛子のお陰」と記される。こうして妻・寿衛子に支えられるなか、牧野が残した図鑑、辞典は代表的なものだけでも数十点を数えるものとなった。
一方、植物研究の普及を目指した牧野は、「東京植物研究会」をつくり(その後、「東京植物同好会」と改名)、幅広い年代や職業の人と共に採集会にも出かけている。田中学芸員は「新種の発見や図鑑の発汗など、日本植物学の発展に尽くされましたが、牧野博士は植物の魅力、植物と触れ合う楽しみをより多くの人に伝えたかったのではないでしょうか」と語る。真木のが始めた東京植物同好会は、「牧野植物同好会」の名称で、現在も活動を続けている。
昨秋「万葉植物図鑑」発刊
幅広い文化人の姿も
生誕 160 年の昨年には、牧野が晩年に構想しながら未完に終わった万葉博物図鑑が刊行された。 15 年ほど前、「万葉植物図」と朱書きされた紙片、 110 枚余の植物図、目録が見つかったのがきっかけだった。
「植物図は、祖母の鶴代(牧野の次女)が大切に保管したものでした。水島南平氏ら、富太郎が信頼した画家の絵からは出版にかける富太郎の思いが強く伝わってきました」と牧野学芸員は語る。
高知県佐川町の教育委員会が所蔵する「万葉植物図鑑」と題した原稿には、図譜の序文、目録の最初に挙げられた「ヲミナヘシ」の解説があり、見つかった植物図とともに「万葉植物図譜」を構成するものであることも分かった。そして、不足する図や解説は牧野が別に持っていた植物図や他の著作から引用するなどし、昨年 11 月、『牧野万葉植物図鑑』(北陸館)は完成した。
田中学芸員は万葉植物図を構想した牧野について、「染料や衣料などの有用植物にも強い関心を持たれていた博士は、生活に因んだ植物を歌った万葉集にも興味を抱いておられたのではないでしょうか」と語る。また、編集代表を務めた邑田仁・東京大学名誉教授は「それぞれの名前の背景にある文化を大いに楽しんでいるように思われる」と指摘する。
『牧野万葉植物図鑑』は、植物分類学者にとどまらない文化人としての牧野の姿を映し出すものとなっている。
◇
植物と触れ合い、植物を愛する心を伝えた牧野富太郎――。個人誌『牧野植物混混録』にはこうつづられる。「慈悲的の心、すなわちその思い遣りの心を私は何で養い得たが、私はわが愛する草木でこれを培うた」と。そして、 2 人は語る。
「富太郎にとって、植物に出あうことは恋人に出会うようなものだったと思います。五感全てを使って向き合った。そうして花や木に愛情をもって接したと思います」(牧野学芸員)
「そこに牧野博士は生きる喜びを感じていたのではないでしょうか。それを私たちは学ばなければならないと思います。そして、その植物に私たちは支えられていることも牧野博士は教えてくれています」(田中学芸員)
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