烏 森 神 社

2006年01月16日
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カテゴリ: 神道豆知識
節分には「豆まき」を行うのですが、なぜ豆まきを行うのでしょうか?

節分のルーツは、中国で古くから行われていた追儺<ついな>の儀式に由来するものと考えられています。追儺は、紀元前3世紀の秦の時代にはすでに行われており、豆で鬼打ちをし、 疫病や災害を追い払う というものでした。日本へは、遣唐使によってもたらされ、宮中の年間行事として、鎌倉時代末頃までは大晦日に行われていました。今でも節分を、年越し、年取り、節変わりと呼ぶ地域があるのは、その名残でしょうか。
さて、節分と言えば「福は内、鬼は外」の豆まき。宮中の行事が民間に伝わっていったとも、中国の明時代の風習が輸入されたともいわれていますが、日本では文献に初出する豆まきの記載は、室町時代に遡り、将軍様も豆打ちに興じたという話も残されています。それによると 豆まきは疫病等を祓うために行われていた ようです。

日本人は健康であることを「まめ」といいます。豆に語呂を合わせたもので、大豆はまさに健やかさの象徴です。節分には煎った大豆を、年の数だけ食べるというのが習わし。また一部では、年よりひと粒だけ多く食べて、「来年もまめで達者で」と願う地域もあります。
豆には「魔<ま>滅<め>」の意味があり、さらに、その生命力、繁殖力が尊ばれました。
つまり、 節分に豆をまくのは新しい年を迎えるにあたっての魔除けの意味合い が強いのです。

古事記 の神話 の中にあります。

死んだイザナミをさがして黄泉<よみ>の国へ行ったイザナギは、鬼に変わったイザナミの醜い姿を盗み見た為に、黄泉の国の軍勢に追われます。そのとき、イザナギはとっさにかたわらの木から桃の実を3個ちぎって投げつけ、追っ手を退散させたといいます。桃は聖なる力と生命力を持ち、その桃の持つ霊力で追っ手(=死の穢・恐怖)を退散させたのです。

節分に豆をまくのは、 大豆にもこの桃の実と同じように魔をはらう霊力があると信じられていたから 、という説もあげられます。

豆まきの他に、同じような意味合いの習わしもあります。
ひいらぎの枝に、焼いた鰯の頭を刺したものを玄関口や門にたてるという習いがそうです。これは、悪病が入ってきても、ひいらぎの棘に刺さって痛がり、鰯の悪臭にびっくりして逃げていくように、という意味が込められているのです。

では、節分には欠かせない憎まれ役の「鬼」とは何なのでしょう。
これは 冬の寒気 であり、 病気 ひいては 死の恐怖 であったと思われます。暖房も医療もままならなかった時代には、冬はことさらに厳しい季節であったはず。「 人に災いをもたらす、目に見えない隠れたもの 」を鬼とし、家のすみずみから追い払うことで、我が身にふりかかる一切の災難を振り切り、健康で平和な暮らしを営むことができるようにと想いを込めたのでしょう。

平安時代の和名鈔によると、鬼はもともとは「隠<おぬ>」といい、「おぬ」がなまって「おに」なったのだそうです。
そして、鬼の持ち物は金棒、小槌、隠れ蓑の三つで、本来、鬼は目に見えないものだったようです。



古来より北東の方角を鬼門としていました。北東の方角は、かつての表し方だと丑寅の方角といいます。
すなわち、丑寅の方角=鬼門、と、いうことから鬼は牛の角があり、虎の皮のふんどしをつけた姿で表されるようになったといいます。

「節分」と「豆まき」…そして「鬼」について今日はご説明致しました。





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最終更新日  2006年01月17日 00時23分51秒
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