鱧と虎魚


 なじみの魚屋に立ち寄る.
 いきのいい魚を物色.
 魚屋は鱧を勧める.
 今日は冷酒とひとりほくそ笑む.
 とりあえず鱧のおとしを注文.

 この季節の鱧は好みの一つである.
 五月.
 ○○人は鱧と鯖寿司に目が無い.

 先日南座の帰り,錦<市場>に立ち寄る.
 引きつけられるように”鱧のやいたん”を買い求める.
 大きくてたいへんにぶあつくやわらかてうまい.

 少ししょうゆをかけた白焼きの状態.
 ウナギのたれの少し甘みを抑えたたれをかけていただく.
 鱧はもともと庶民のおかずだった.
 昔手頃な食べものとして親しまれてきたものも,今は出世して中級高級品にのし上がった食材の何と多いことよ.

 この京言葉の一つ,”やいたん””炊いたん”にはこだわりがある.
 決して”焼き物”で有り”炊き合わせ”で有ってはならない.
 ”たん”という二文字が料理にうまさを加える呪文と化す.

 学生時代出来る限り標準語を良しとした.
 今は方言とひらがなを大切に思う.
 中年となった今,どうも若かりし頃の思考回路とは異なるようである.

 隣の夫は何を買おうかと迷っている.
 おこぜに睨まれ少し大振りのもの二匹買い求める.
 北海道産らしい.

 煮付けるも良し,唐揚げも良し.
 結婚前二人でよく行った料亭○○のおこぜを思い起こす.
 あそこのおかみは今どうしてるのだろうか・・
 くだらないことに頭をもたげ,その一秒後には夕食の準備の輪郭を描く.

 唐揚げはあぶら?リットルは要りそうなので煮付けることにする.
 味付けは自分の舌加減.
 こればかりはいくら足掻いても仕方がない.
 実力分の味付け.
 そこそこにうまい.

 夫の方が料理が上.
 男性は料理づくりが向いている.
 夫は”お料理”を作り,女房は”おかず”を作る.
 女性にはこだわりが無い.
 こだわっていては家計に響く.

 ちょっと間延びしたおこぜを持ち上げる.
「おお,この顔この顔.」
 小学五年時に好きだった武者小路実篤を思い出す.
 ...失礼..

 腹はあらかじめ魚屋に処理してもらう.
 やっかいだと踏んだ私の感は的中.
 おこぜは背中から切り口を入れ腹が出されていた.
 墨絵でも描いてからと考えていた夢,無惨にも破れる.


 夕食時に待望のおこぜを厳かにいただく.

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 味付けは自分としては完璧.
 しかし...
 何かが違う,何かいただけない.

 淡泊な白身.
 味もかって食したものとさほど変わらない.
 さあ,食えといわんばかりの面もおこぜそのもの.

 何かしら食感が,
 ....違う.
 身の引き締まり方がなんだか怪しい.

 食後早速広辞苑で調べてみる.

 虎魚<おこぜ>
  1,オニオコゼ科および近縁の数種の硬骨魚の総称.
  2,・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この1の”数種”
 数種とは何ぞや?

 私は数種の内のどれをこんなに期待して食べたというのか.
 おこぜにもぴんからきりまで格付けがあるというのか.
 道理で魚屋は造りなど他のものを勧めていた訳で有る.

 教訓その?

   魚屋の忠告には耳を傾けるがよろしい.








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