ヘナヘナライター 生態日記

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加藤美保

加藤美保

2014.04.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
またまた続いてフィギュアスケートについて(笑)


先日、フィギュアのスポーツ性と芸術性について書いた。
でもそんなものを凌駕したところに本当の感動があると、私はソチオリンピックの浅田選手のフリー演技を見て思った。
思いの強さで演技することより、人の心を揺さぶるのはない。
そこには理屈も技術も、表現力も関係なく、思いから生まれた剥き出しの発露があるだけだ。

人とは、思いで生きている存在なのだなとつくづく感じる。

思いといえば、2010年の羽生の演技も思いそのもの。
この時期のフリープログラマもやりは「ロミオとジュリエット」だ。
演技途中、足を取られて転倒するのだが、それさえも渾身の力を振り絞って演技する演技のひとつのように感じられるから、スゴい。

人の心を揺さぶる感動は、たぶん理屈を越えたところにある。技術力も表現力も劣っていた2010年の演技に、見る人たちがより感動を覚えるからだ。

フィギュアを見ていると、一番感動するのが演技終盤のステップバイステップだったりする。2014年ソチオリンピック・フリーの浅田もそうだし、2010年世界選手権の羽生の場合もそう。さまざまなことから解放されるこの瞬間、最後のこの見せ場で、選手たちは渾身の力を振り絞って演技をする。実は見た目の優雅さとは違い、ものすごく過酷な競技でもあるフィギュアスケートでは、この最後の30秒で選手たちは性も根も尽き果てて演技しているという。その最後の最後、まるでろうそくの火が燃え尽きる直前により明るく輝く、そんな一瞬の輝きに魂が持って行かれる。







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Last updated  2014.04.23 03:36:39
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