ヘナヘナライター 生態日記

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加藤美保

加藤美保

2014.04.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
シンディー・ローパーのファンだと自覚したことはなかった。
もちろん好きな歌い手の一人だと思っていたが、青春時代を振り返る時、私にとってこの大切な時期を象徴する歌い手だと思ったことはなかった。
振り返ると、15歳から20歳までのこのわずかな期間が、私にとってもっとも印象深い年月だったと思う。
とはいうものの、実際この期間で私が経験したことはそうたいしたものではない。というより、挫折に次ぐ挫折で、人生で一番自信喪失していた時期だったようにも思う。高校受験で第一志望の学校に不合格で、人生初めての挫折を経験し、入学した私立の女子高ではやる気もなく、フワフワと日々を送っていた。当然、大学受験ではそのまま浪人。美術大学に進学したかったけれどもそれも叶わず、仕方がないので写真大学に修学した。当時は写真に興味があったわけではない。それしか進学できる学校がれなかったのだ。大学では授業そっちのけで部活に精を出し、アニメ映画なんかを制作していた。
それが、15歳から20歳までの私の生活の全てだ。そして、そんな私の10代の終盤を彩るのが、シンディーの哀愁アフレルの独特な歌唱なのだ。

この時期の私の苦悩、焦り、自己嫌悪、未来への不安感、そして希望、自負心、そんなものを代弁しているのが、シンディー・ローパーの当時のヒット曲だ。10代後半、私はアメリカンポップスに入れ込んでいたのだ。
今でも、ラジオから流れる流行歌の数々は、頭の奥深くに刻まれている。
深夜、聴くでもなくマイケル・ジャクソンやマドンナ、TOTO、デュラン・デュラン、POLICE、ETCを耳にしていた。当時は東京の新宿区に住んでいて、ラジオから流れる流行歌に耳を傾け、ウォークマンを聞きながら、新宿の街を歩いていた。

そんな時代を象徴するのが、シンディー・ローパーだ。


というのは実に不思議なものだ。





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Last updated  2014.04.23 03:55:41
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