ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2006.04.23
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初期の人類学は、キリスト教の信仰のみが唯一の宗教という視点からスタートしている。従って、

キリスト教の信仰からみた辺境の異質で、理解しがたい、グロテスクな信仰だという考えである。自分た

ちは文明社会で、大人の合理的な宗教であるという。それに対して、その対極としての未開社会であり、

子どもっぽさ、非合理的で、野蛮な信仰でしかない。それは西洋合理主義におさまらない、はみだしたも

のでしかない。現在に措いて、それは払拭されているかといえば、そうではないだろう。あらゆる

側面で、その視座があるのであって、そのことを忘れては、その認識は一歩も先に進めない。何もこの社会は

複雑でも何でもないが、見せかけの世界が横たわっている。その歴史はながい。宣教師が、世界

を飛び回ったのは、この世界にどんな宗教があるかを知りたかったからだろう。そして、キリスト



思想の限界でもある。世界を知ってしまったという考えは、異教徒への侮りに変わるだろう。

サカの spirit possession に限らず、霊の命令と称して、欲しいものを手に入れようとするのは

いまの時代にもかたちをかえて存在するが、キリスト教徒も宣教師以来、同じ誤りを繰り返している。






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最終更新日  2006.04.23 06:15:36
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