ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2006.10.27
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日本と違うところは、広告看板がないことと山並みが見えないことだろう。勿論人家も少ない。ここがあのヴェトナムなのだと思うと、感慨深い気持ちにもなった。ヴェトナム人のガイドは、殆ど
戦争の話をしなかった。日本語は流暢で、地元の国立大学を苦学して卒業していた。ミトーの近くで生まれたとも言っていた。貧しい暮らしだったようだ。


ツアーに同行した大学講師の女性が、「私たちは、いいガイドに巡り合いましたね。」と私たちに囁いた。南ヴェトナム政権時代に「独立宮殿」と呼ばれていた豪華な建物(統一会堂)を見物した時、丁度アメリカの修学旅行らしい少年少女の集団と一緒になった。彼らは、退屈そうに見て廻っていたが、屋上では寝そべるものもいた。全く緊張感はなかった。


地下の展示室に、私たちは案内された。ベトナム市民もいた。そこは、ソンミ事件の写真や、仏教徒の焼身自殺など、生々しい写真が展示してあった。私は、アメリカ人のグループを見かけた後だったので、ガイドに尋ねてみた。「アメリカ人観光客にも見せるのか」と。彼は「ノー」とだけ言って横を向いた。


彼が、「メコンが赤い河だから、ヴェトナム人は、ここで生きていけるのだ」と言った人だ。


凄いガイドがいると思った。彼は、日本人観光客にもアメリカ人にもすべてにおいて負けてはいない。寧ろ勝利者のプライドをもっている人だ。「さあヴェトナムをどこからでも見てくれ」といっていた。


経済的な貧しさも、彼らの所為ではない。いまが貧しくても、彼らには何の障害にもならない。彼らは、未来を手にするだろう。


5年後に、もう一度ヴェトナムを見てみたいと思った。










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最終更新日  2006.10.27 14:22:37
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