ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2006.10.29
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やはり、彼も最期は、日本の未来を心配したのだ。自由な発想や、自由な創作というのは、確かに、如何に未熟といえど若いころの方が受容体としての感性が豊かだろう。その幾つかの経験が、或いは、学を成した後で、発想や創作に役立つこともあるに違いない。山頂で見た風景とか、初めて触れた昆虫とか・・・が大切なのではないか。


勉強を始めたから、すぐに物事は役立つものではない。それは、目には見えずとも蓄積されたものでも在るからだろう。教育は、そのためにも子どもの頃の、伸びやかな教育こそ大事なのではないか。


アメリカでは、逆にその自由な教育が、行き着くところピッピーを生み、校内暴力を増加させ、学力が落ちたとして、むしろ態勢を閉め直そうとしている。それが最大のテーマになっているらし
い。


これだけ複雑な社会になると、ことは単純には進まないが、自由と秩序の間で、どこに適正値を求めるかだろうという。草柳大蔵のことばである。


>写真は、博多湾クルーズの時に撮ったが、生憎雨だった。暗雲立ち込め雷もなっていた。これも普段と違う視点の福岡の街だろう。





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最終更新日  2006.10.29 07:52:55
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