ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2006.11.26
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ニーチェはいう。

「しかしわれわれは、われわれが本来あるところのものになりたいと思う、・・・新しい人間、一回的な人間、比較できない人間、自律的な人間、自己創造的な人間に、・・・そしてそのためにはわれわれは、この世におけるすべての法則的なもの、必然的なもののこよなき学び手・発見者とならなければならぬ。われわれは、この意味で創造者たりうるためには、物理学者でなければならない」    (氷山英広訳「悦ばしき知」)


私たちは、何を学んできただろうか、と時々滅入ってしまう。そのまま動けなくなってしまうひとも多いに違いない。孫悟空のように岩に閉じこまれてしまうのだろうか。三蔵法師が通りかからなければ物語にもならなかった。三蔵法師は、実在のひとで、当時中国には、坊主修行のための律法がなく、それを天竺まで行き持ち帰ったのだ。誰もしないことをしたひとだ。そこにロマンがある
それが下地となり、西遊記を生んだのだろう。


聖書もひとりで書かれたものではない。多くのひとびとが残したものであろう。やがて、中には仇花もあるが、それでも、野には花が溢れている。





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最終更新日  2006.11.26 10:16:52
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