ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2007.10.30
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


   self learner の悩み



  MIT OCW でself learner というのがあったけど、ひも付きでないと、研究ではないのだろう。資格のない

ものの仕事はゴミにされがちだ。というよりゴミなのだろう。フロムの「自由からの逃走」は、いつまでも付き

纏う悲劇でもある。大樹の陰は、安泰で平穏だが、それは与えられた安泰で在り平穏でしかない。

植村直巳や、堀江の太平洋ひとりぼっちもどこかで現世と繋がっていて、そういう意味では、真の自由で

はないだろう。世間から離れて自然の中に生活するのが自由だと勘違いしているが、それは幻影でしか

なく、monologue の世界でしかない。こころの自由ではない。勿論、ライフスタイルとしての自然との関



う。それは、仕組まれたワナでしかないが、易々と魅せられてしまうらしい。それは、何なのだろうか?

英和辞典で、self-leaner を調べたけど大辞典でもなかった。謂わば、新語なのだろう。そういうエリアが

あっても不思議ではない。しかし、それだけでしかない。日本はアメリカに依存し期待するが、逆から

はそうではない。どうやら、神経が麻痺しているのだが、それが分からない。米軍が岩国の駐留基地を

グァムに移転する費用の60%を何故日本が負担するのだろうか。それは、あとに残された米軍基

地も将来そうなるという前例になるだろう。小泉政権の5年間は、やはりそういうことの為にあったのだ

ろう。オーソライズされたものは、いつも正しい選択をするとは限らない。寄らば大樹の陰は、太陽の

光を浴びることはないのだ。人工的な光を照射されているだけだろう。システム化された日常の中で

それこそ足腰が退化して行くのだ。何れ自分では歩けなくなる。もしいま充分なサラリーを貰い、快

適な生活と、恵まれた環境を与えられているとしたら、それは、沈黙する羊たちなのだろうか。

美味しい肉を食べるには、食肉がいる。そのためには屠殺場が必要なのだ。ひとは奇麗事だけで生



考えてみれば、どこにあっても人間は孤独な生き物でしかないだろう。その役割を自覚できているかに

過ぎないのかも知れないと想う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007.10.30 23:15:39
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: