
手島実郎は「脳力のレッスン」の序文で、
「狂気に満ちた時代に正気を保つことは、容易ではない」と書いている。
9.11以後、アメリカは「力と正義の論理」という不可思議な論理で「新しい戦争」へ乗り出
し、日本はといえば、戦後培ってきた平和の資産を
かなぐり棄ててまで、アメリカに追随している。
謂わば、「仕方がないシンドローム」だと指摘している。
「イラク戦争」後のステージは、やがて、日本の将来に暗雲を招き入れるだ
ろうか。
03年夏のバクダッド崩落後のあるシンポで、イラクのひとりの高校生の
質問が紹介されている。
「佐世保で少年が、一人の幼児を殺害したことで、大騒ぎしている日本なのに、何故イラクでの何千万何万人もの人間が殺されるかも知れない戦争を日本は支持するのか」
日本の大人社会の欺瞞を衝く質問だろう。
それは、何故日本の高校生からではないのだろうか。否勿論ないはずはない
だろう。そうさせない大人社会があるからだろうと信じたい。
日本も第二次世界大戦では、何百万人もの犠牲者を出して、日本国憲法を制
定して、世界に「戦争の放棄」を宣言したではないか。
かって、ナチの台頭を許したワイマールのドイツは、ヒッラーを冷笑してい
るうちに、抑え難い潮流は大津波となり、多くのドイツの知性をなで斬りに
した。日本も同じだ。
「テロとの戦い」「核の脅威」とは、それは如何に繕うとも戦争を正当化し
ようとする陰謀でしかない。
自分だけは、平和を愛しているというだけで良いのだろうか。それは、
「ワイマールのドイツ」ではないだろうか。何れ何もできない愚民となり、むざ
むざ殺されていく子供たちさえ守れない人間になろうとしているのではない
か。それこそ、私たちは何ものなのだろうか。
この時代の、世界の社会事象の変転の背後にあるものとは何だろうか。
それは、個人レベルの脳力が試されようとしており、この時代に向き合わね
ばならないしたら、私は、非才を顧みず法を学んだものとして知る権利を行
使せねばならない、と思う。