
只管打坐
「一行専一」が日本の禅という。中国の禅の「無事」の禅が変質した。「学道」の禅となる。
親鸞は念仏の一行に、
日蓮は唱題の一行に、
道元は打座の一行に
集約した。一事を専らにするのが鎌倉仏教の特徴で
ある。禅は、「無心」から「無事」への思想だ。無事は日常性に生きることとされる。
「無事」とは、ゆっくり
と焦らず、さわがず、悠々として生活することをいう。天地の運行、自然の摂理に逆らわずに生きることが
無事となる。
「一坐して四十年」という中国の禅がある。時間と空間がひとつになり哲学がある。
科学の向かうところは、平坦ではありえない