
スピノザは、ひとりアムステルダムの屋根裏にとじこもり、生計をたてるに足るだけのレンズみが
きと個人教授のアルバイトをして、あとは全然世事に関係しなかったという。しかし思索と著述に
あらんかぎりの力と時をそそぎこんだ彼の胸には人類全体のものの考え方を根本的に変革しようと
いう大それた野心があったといわれる。彼の場合、現世よりも、後世が人生のテーマなのだ。
これを、ひとはどう考えるだろうか。そのひとの世界観で違ってみえてくるだろう。
キリスト教は、現世に対して謂わば正攻法であり、仏教は、現世に対して消極的な姿勢を示す。
法然は、社会的地位を得て、戒律と世俗に対して特権と責任を担おうとし、親鸞は、人間的な煩悩
の矛盾をもちながら宗教的境地をひらき、一遍上人は、何もかも捨てて、一生を遍路の旅を続けた
「捨聖」である。人間の積み上げてきたものは何だろうか。
今日も、誰の上にも、温かい陽射しと柔らかな空気の朝がくるだろう。
>海の中道海浜公園内の潮見台。眺望は奈多海岸方面。玄界灘。