
明治を引き摺って生きてきた日本人はみな西欧コンプレックスから抜け出せなかった。それは文学界に顕著でもある。説話しか知らなかった浅薄な文学が、大波に呑み込まれもしただろう。漱石の神経衰弱もそうした西欧コンプレックスの反動ではないだろうかとさえ思えてくる。彼も文学は、所詮「坊ちゃん」の延長線でしかないのだろうか。世間を知らない「木偶の坊」でしかない。勿論日本人はみな同じではある。病気になった漱石は疲労困憊して早死にした。彼の残した文学とは、広く世界を意識してはいない。然も狭い教養ある人士へのアイロニカルなユーモア小説なのだろう。
・ひとは誰も何かのコンプレックスを持ちながら生きてもいる。それが時々大きくなる。それに潰されることもある。吝嗇なことを考える。人生を狭くしてしまうように凋んだシャボン玉にもなる。何故読書をするのだろうか。それは時間の無駄ではないか。刻々と時は不可逆である。一瞬の喜びもすぐに消えて行く泡沫でしかない。人の苦しみや悲しみも本音は見えないのかも知れない。漱石の文学も哲学も見ように依っては、みな仇花でしかない。
・へ2・・・彼が意識していたものは、西欧コンプレックスでしかなかったのだろう。そして日本人は均しくそれ以後長い深刻な同じ病のシンドロームであった。そしていまもその兆候はある。何故留学をしなけらばならないのだろうか。そんなことはない。自立心がない。国家が人間を育てようとはしない。ひとびとは生きる目的を見失っている。日本の畑は荒廃している。まだ西欧コンプレックスの塊でしかないからだろう。