
ヒヤヒヤ、びくびくして生きていると言えば言えないことはない。所謂下女や下僕を雇っている代助も親から兄から食べさせてもらっている。決して自由ではない。30歳にもなって、このまま死ぬまでそのままでいたいと思っている。自分で好きな女ができたとしても結婚もできない。まして友人の妻を奪おうとする。それがインテリだという。結婚に勇気がいるのかと父が言う。これは何かのアイロニ―なのだろうか。課題が見えない。問題の所在が分からないでは話にならない。当時の読者はそれが判っていたのだろう。
・日本の上流社会にはこうして次男三男たちがうようよいたのではないだろうか。長子相続の蔭で飼い殺しにされていた。妻を持てなかった男たちがいたし、結婚もできない女たちもいた。これはどうやら日本だけではないらしい。西洋でも自由に結婚や家族が持てるようになったのはそれほど古くはない。だから悲劇も多かったのだろう。演劇や小説でジェラシーや、三角関係は無数にある。
・へ2・・・何時の時代にも、障害を乗り越えなければならないものはある。日本の小説のラストは必ずしもハッピーエンドではない。漱石も男のジェラシーが語られる。いつまでも前に進まない。よく雨が降る。じめじめした空気が漂っている。昔から、性格破綻者のようなインテリが西欧の理解者だったのだろうか。