

>アヤ・ソフィア モスクとして使用されていたので数百年間漆喰で塗りこめられていたが、最近博物館になってから、顔が出てきたと話題になっていた。
信仰深い処女が裸にされ、手足がちぎれるほど鞭打たれ、乳房を切り取られ、皮をはがれ、油鍋でゆでられた挙句、首をはねられてしまう。このヒロインのようにアガタなどウォラギネの「黄金伝説」に出てくる聖人や聖女は、普通なら一度で命を失うような拷問や処罰を繰り返しても死なないのは、途中で神や天使が現れて、その都度いやされるが、最終的には天に召される。
殉教者に加えられる残酷な仕打ちは、ひどければひどいほど、それに耐える信仰者の徳性が裏打ちされ、フロツヴィトの文学も残酷というより、女性の貞潔と魂の救いを賞賛するための手段と見るべきだろう。
聖女アガタの殉教を画題とした一枚がある。両手をしばられ上半身をの衣服をはがされたアガタが、その豊か乳房を二人の男によって大きな剪定鋏で切り取られようとしている場面。アガタには苦痛の表情はなく、口を半ば開いて右手上方を見ている、そこには天使の姿がのぞいている。
アガタは、シチリアの提督の好色な誘いを拒んだため、娼婦の身分におとされ、次にはこの絵のように両乳房を切りとられ、更には熱したガラス片の上を裸でころがされ、殉教してしまう。
絶えず世紀末のトラウマに脅えていたヨーロッパの人たちが、人間性を喪失した行動に走ることが多かったのは何故だろうか。その心理の奥にあるものを探り出すことは、同じ人間として知らなければならない課題ではないだろうか。
日本人にも昔も今も、隠された残忍な行為があるであろう。人間性の問題は、私たちが生きている間は、常に注意を払うべきテーマでもあるのだ。