ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2013.04.30
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どうも「僕」と言いたくない。「僕」は「しもべ(下僕)」のイメージが強いからだ。何か諂いの意味あいが強いことと、絶対服従の宗教的な感じがする。「世界観」というのも少し大袈裟だろうか。単に物の考えかたでしかない。況や自意識過剰で言うつもりもない。どうも舌足らずの言動は誤解を招き易いだろう。古来日本語は、地位の表白でもあった。封建社会が長かった所為でもある。自分を「朕」ということばは、その人の社会的地位を指していた。そのことばは天皇以外に使ってもならなかったし、同じようなことばはいくつもあり、決まり文句で、ことは進んでいかなければならなかった。議論の余地さえなかったのだ。


 民衆に言語が自由になったのは戦後からでしかない。併し、本当に民衆が言語を自分のものとし、多くのスキルを経験しその価値を充分活用しているだろうか。それは甚だもって疑問だ。ひとつひとつの言語の語彙が個々人で概念が違ってもいる。それこそ「バベル」ではないが、同じ日本語でさえ意思の疎通ができないで苦しんでいる人びとが沢山いることだろう。


 同じ生活レベルだから人間も同じ意識なのでもない。同じ花をみても受け取り方は様ざまでしかない。どこからみても恵まれた人たちが脆くボロボロと破綻してもいる。経済面だけでなく精神面で人間性を喪失していく現象が顕著でもある。また日本でもスラム街ができるのだろうか。ワーキングプアという人びとが増えることが予想される。格差社会が顕在化するだろう。


 子を棄て、親を棄てる人たちは、やがて弱者の切捨てに賛成するだろう。多数決ですべてを進めていけば、少数者を抹殺することにも反対しなくなるだろう。それを繰り返していけば残るのは、世界中で、僅かなひとたちのグループになってしまうに相違ない。そして絶滅するだろう。


 私の世界観は、これからも変わっていくに違いなく、・・・ただ、それだけに過ぎない。






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最終更新日  2013.04.30 22:07:17
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