
60兆個の細胞と100兆個の腸内細菌たちと共生している人体を私たちはそれぞれが持って生きている。複雑系の生物は一つの宇宙船に喩えられる所以だ。生きるための生命活動は、私たちが簡単に理解できるものではない。そのビッグバン以来の歴史と、或いはその前にも時間が無かったとは言えない。人間にはいまだに想像できない世界やスペースがあるに違いない。人体と微生物の間の関係を「飼いならして生きている」と雑誌ニュートンの記事に書いてあったが、星の王子様の「アプリボワゼ」を思い出した。
・日常を情報の氾濫の中で、他の人間や社会との共感も得られないまま生きているような気がしている。自分のからだが、無生物から始まる生命誕生の不思議から物理学者シュレーディンガー「生命とは何か」までのプロセスがあり、そこからスタートしている分子生物学の理解をしなければ分からないことがある。科学者の翻訳なしには、その世界を理解することはできないだろう。
・へ2・・・アプリボワゼのない世界で生きてはいけないだろう。人は愚かで壊れ易い生命をもっている。然しその生命の存在のここまでに至る奇跡は、どんなものよりも貴重であることは間違いではなく、それは個々の人の生きる意味であり、価値でもある。独りで生きていながら、独りではない。それは比喩でも何でもない。普遍的な事実でもある。私が死ねば、60兆個の細胞が死に、100兆個の微生物も死ぬのだ。