いる。だから、「ディペンデンス」ということを極度に嫌がる傾向がある。
ひとに頼ることは道徳的に悪いことである。だから、アメリカ人にとって、
病気でさえ排除されるべきことになる。病人や病気の存在は生きていく上のマイ
ナスでしかない。例えば肥満でさえ病気の可能性の高さからエリート集団か
ら外される要因になる。喫煙も差別を受けている。医療は、できるだけ早く
自立した社会人としての生活に戻るようにすることが目的であり、早く退院
させられる。医療費も高い。入院したら、見舞いや差し入れは拒否される
し、私物は認められない。男女共通の灰色のガウンとパンツを着せられ、患
者番号をタイプした「腕輪」を嵌められるという。だから、世界でも入院期
間は極端に短くなる。入院は、アメリカ人の価値観の中では、個性が完全に
奪われることを意味しており、恥ずかしいことでもあるだろう。そして、ア
メリカ社会では、仕事の内容が、専門化され、個性化されており、長期の入
院は失職につながるのだ。どれだけでも病人の代替は可能なのだ。いつでも
後釜はいるだろう。
WHO の調査では、日本人の長期入院は世界一である。どうも専門化が少なく
他の人のフォローが可能である。
病気の人間は、アメリカでは暮らしていけない。少なくとも健康でなければ
生活の安定は難しい。考えてみると、日本人は、病気について、それほど否
定的ではないだろう。「あの子は虚弱だから」とかいって、却って大事にさ
れたり、甘やかされたりする。病気を自慢するひとさえいる。日常会話でも
「実はダウンしましてね」と平気で言ったりする。アメリカでは軽蔑される
だろう。アメリカ人には、持病とか体質とかいうコンセプトはないらしい。