ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2015.04.30
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天草四郎は、一瞬輝き暗闇に消えて人びとの網膜に焼付いた、陰画(ネガ)だという。

口の中にこっそりチョコを頬張って図書館のなか。内緒だ。目前に「飲食厳禁」

の貼紙がある。


・天草四郎
・吉田松陰全集 上
・飯沼二郎著作集 全5巻・・・「書物の知識は軽蔑すべきだ。」

内容から
・異なった社会現象の国家と「比較」することによって、その社会現象の底にある本質を突き止めることができる。
・近代農業革命の典型とされる19世紀のイギリスの農業革命の研究から、近代日本社会の農業との比較研究の価値があリ得る。
・「近代主義」は、西欧の「価値」を基準としていることが明らかだ。
・日本は、中国の「官僚制度」を導入したが、「試験制度」を取り入れていない。朝鮮との相違が注目される。寧ろ、官僚制と氏族制をドッキングさせた。中国では皇帝は、最も優れた人格の所有者であって飽くまでも「個人」であるが、日本は、「神格化」されたこと。
・日本の支配階層は、7世紀から明治維新まで、1300年間中国の文化を利用して、日本の人民を支配したこと。それまで、支配層の資格は中国文化についての知識量で決定された。寧ろ固有の
文化は無視された。精々趣味の程度であった。
・それが、維新後「中国」が「西洋」に変わっただけで、精神構造は変わっていないことが指摘される。
・その後、日本の知識人は、「先進国」と「後進国」との区分を行い、先進国に向かって一歩でも近づくことをもって進歩とし、それを自らの役割としたのだ。
・開国したアメリカから、国情の違いから、やがて関心がドイツに向かう。


日本の歴史は、隙間だらけのようだ。風穴がいくつも空いている。自然科学と違い、すぐに成果の

上がらないからだろうか。それともな著作資料が多く厖大過ぎるのであろうか。

裏と表といわれるが、表で行動しているわけではない。国と国の付き合いも、裏が現実か、表がすべてではないのであり、本当のことを言えば平穏では生きられないのだろう。財政赤字の日本は、実の経済でないとよく言われるが、日銀は、本当に現実をどこまで見ているだろうか。責任を取れるのだろうか。責任を取ることが自殺で済むことでもない。後味の悪いことばかりあるが、若者たちの血が流れるのではないだろうか。死ぬのが、自殺が美徳ではない。特攻隊をつくったのは自滅の思想でしかない。愚かな政治が先行している。見栄だけの人生を生きてどうする。






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最終更新日  2015.05.01 03:45:36
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