ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2016.01.30
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<作品>「泥濘」





・政治と小説とは違う。そして、何れも、一言二言では済まない。

・カネへの拘り・・・が、TPOで変わっていく。

・読者は、脳をクリアーにして読むこと。

・文学は、「ことば」にならないものを書く。

・趣旨のわからないもの。作家の真意を探す。



  「泥 濘」



・影の部分を視ることが重要。

・自分の気持ちを、「泥濘」という比喩で表現している。

・「自分の気持ちを書きたい」という強い意志がある。

・「時間」に拘る。東京人は、事が、1分でも遅れるといらいらする。

・川端「伊豆の踊り子」・・・「ことことと笑ひ続けた。」表現やモチーフに梶井との共通点。

「拭われたように」感じる。

・気持ちを他のものに転換しようとする。

・「ドッペルゲンゲル」・・・鏡像現象。同じ自分ではない。二重人格。

・胎児が胎内で聞いた母親の心臓の音が、安心させるという。この世に一つしかない音。

・鏡を見て、自分の姿をみる。見る自分と、見られる自分のふたりの自分。・・・幻覚をみる

のが小説家で、それが見られないなら小説は書けない。

・「ぼんやり」・・・文章の中に沢山あるのは何故か?それに気づかないと理解できない。

・「ぼんやり」ということばを簡単には作家は使わない。「羅生門」の最後にも「ぼんやり」と

いう表現がある。

・ぼんやり・・・と生きているのは、凡人で、そうではない「ぼんやり」もある。

・「ぼんやり」は、・・・ぼんやり読んでいては、その意味がわからない。

・作家は、同じ言葉を何度も繰り返さない。(ことばがダレるから・・・)。敢えて使うのは異常である。「泥濘」の、<ぼんやり>が繰り返される。

・梶井の「ぼんやり」・・・単純には理解できない。

・何かに魅せられている。そういう自分に魅せられるこころがわかるかどうか。

・普通にないことを書いている。

・どこが異常なのか。

・不快な気分がないと「想像力」が生まれない。

・「泥濘」の中からイマジネーションが湧いてくる。

・「泥濘」、それがなければ、梶井のイマジネーションが生まれないと感じていた。

・「泥濘」の状態は、異常な精神(心理)。

米科学誌「プレテイン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」2015.1.22の記事では、終末時計は、2分進んで「あと3分」だという。80年代以来とあるが、世界の平和への取組が後退していることの観察でもある。核戦争の脅威や、環境破壊は政治家たちの甘い認識では間に合わなくなるだろう。






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最終更新日  2016.01.30 05:55:46
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