
卑屈なる根性を根絶し、「自主自由の真意義」を自覚し人間としての真価を取り戻すべきだと宮崎 touten は論じた。「ワマカシ」(肥後方言)とは、人間本来の自由をみずからのもとを取り戻すための、因習への反逆であり、時代風潮に対する反抗の精神である。
「己れを馬鹿にし了って而して人を馬鹿にし世を馬鹿にする」
当時の肥後藩は、朱子学が盛んで「屁理屈」が多く「小党分立」し、いがみ合っていた。「偽善」と「虚礼」で鼻持ちならない風潮があったなかで、一部には反骨の精神の気風も育っていた。
そのころ永山という権勢を驕る男がいて、横にいざるようにして歩き、コシで出かけていた。
「永山は一人か、つれしゆ(衆)はないか、つれしゆァあとからコシで来る、
キンキキラ(綺羅)キンの蟹政(ガネマサ)どん、
蟹政どんの横バイバイ。 」
当時大流行したこの歌をある子供が歌っているところにばったり行き合わせた永山はカッとなって無残に斬殺した。このように、藩公の威光をかりた権力がとぐろを巻いて閉塞感が漂ってもいたのだ。
この「ワマカシ」の潮流が、明治に入り、一方で「神風連」事件となり、このあと精神は徐々に堕落したが、個性的な熊本人である、蘆花や蘇峰など、の人物たちも輩出した。
私も熊本で育ったが「ワマカシ」ということばも伝統も、知らない・ただ「モッコス」ということばは、残っている。意味的には近い意味であろう。
世界中どこも不親切なのだ。それをツアーに行って理解することになる。日本人は日本人にはふつうは親切だが、これもいざとなるとどうなるか?アウトローに対する目は厳しくなる。外国人が、敵ではない限り、平和な時は親切にできるだろうが、事態が変わればわからない。日本は治安が良いと言われているが、犯罪は増えているのではないだろうか。しかも凶悪事件が多い気がする。どうも刹那的な風潮があるのではないだろうか、そして頽廃的でもある。めしが食べれ無くなれば人格も変わるだろう。なぜ避難民は欧州に行くのだろうか。ちゃんと理由もある。貧富や格差社会の根源が世界史の中に刻まれている。私たちは卑屈な根性を植え付けられてもいる。それはすべての悪のルーツでもある。