ヨーロッパにおける市民的理性は、そもそも出現のときから、自然支配的性格の刻印を自分に刻んでいる。人間は、自然を支配する過程を通じて、自然の一環としての自己を自己によって支配された自然から疎外させないわけには行かない。人間の自己疎外の原過程は、自然からの根源的自己疎外であり、自己確立と自己疎外の弁証法的過程である。
歴史的理性は、その発端において、進歩と疎外の弁証法的モイラ Moira を背負っている。
理性は、神話からすべての材料を受取ながら、神話を破るために、この材料を逆用しよとし、逆に、神話の呪縛に落ち込む危険を孕んでいる。つまりヨーロッパの形而上学が自然と人間の永遠的秩序を規定する為に使用した根本的カテゴリーの重要な部分が、統一的神話をルーツとしているという事実である。