ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2017.07.30
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
  • DSCN8459 (3).JPG
  • DSCN8475.JPG
  • DSCN8484 (2).JPG
  • DSCN8504 (2).JPG
  • DSCN8509 (2).JPG
  • DSCN8519 (2).JPG
  • DSCN8523 (4).JPG
  • DSCN8529 (2).JPG
  • DSCN8540 (2).JPG
  • DSCN8554 (2).JPG
  • アオサギ




 ・民のふえるさまを草にたとえていう語。たみ。人民。あおひとぐさ。と広辞苑にある。

 ・へ2・・・ふと「民草」という語が浮かんだ。これは多分かなり高いところからイネの生育していく様でもみながら思った人もいたのだろう。その実りは豊穣のシンボルでもあった。環境をさえ整えてやれば間違いなく収穫できただろう。多くが不安定な時代に為政者にとってそれは信用のおける少ないなかのひとつでもあっただろう。水を与え、防虫しなければならなかった。手間のかかる収穫でもあっただろう。農耕民族は戦闘は日常ではない。


 ・夜明けを待っている。未だ九州では5時が近いというの外は暗い。しかし関東ではもう明るいだろう。日照も一様ではない。この狭い国土でも日照時間のタイムラグがある。当然環境に影響されて多少性格も違うかもしれない。

 ・へ2・・・与えられた環境と個性で一人一人違うが、似たような形質もある。もう民草にたとえられるような時代ではないが、遺伝子として残るものもある。自分では気づかないが潜在的な意識とはそうとう根が深いだろう。自分の二つの目は、目の前にあるものしか信じようとしないのはそれが即自分の生命にも係ることだったからだろう。


 ・5世紀ころから朝鮮半島からどっと渡来人たちが集団移動してきた。そして多くのものを伝えたのだろう。土着の人々は彼らを必要としたのだ。それは外圧から身を守るためでもあった。騎馬民族の末裔の血が必要だったのだ。

 ・へ2・・・長い目で見たら、無駄なように思えることもよくみるとそうしなければならなかった理由があったこともわかってくるものだ。因果関係があるだろう。私たちは、個人という殻の中でしか物事を理解しない。それこそ天皇のように高見から民草をみることはできなかった。しかし「民草」という語は、確かに現在も私たちの脳裏に残っている。


前にも書いたが、今ほとんどのイネは改良されて、背か高くならない。水と防虫剤がないと生きていけないと思えば少しイメージも変わってくるかも知れない。高見からみれば皆同じようなイネであろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017.07.30 11:03:50
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: