ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2017.08.31
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ルソーは「卑しい暮らし」をしてきた。その赤裸々な告白をしている。「告白」の現れたころのヨーロッパ文学には、その宗教観の故に美しい自然描写はかつてなかったのである。どうしてルソーは、自然美を発見しえたのであろうか。たまたま「自然の美しさ」にぶつかったというだけではない。


 人間ルソーをきわだたせるのは、ひとつは彼のふかい個別性の意識であるといわれる。ルソーは、この真に新しい理論家は、また新しい文学的イメージをつくりうることを証明した。


 「思い出すのは、郊外のローヌ河だったかソーヌ河だった忘れたが、その流れにそった道の上で、こころよい一夜をすごしたことだ。対岸の道にそって、庭が段々になってつづいていた。その日はたいへん暑かった。夕方は気味が良かった。露がしおれた草をうるおし、風はなく、静かな夜。大気はさわやかだが、つめたくはない。すでに沈んだ太陽は空に赤いもやをのこし、その反映が水面をバラ色にそめていた。・・・」


 「ちょうどわたしの真上に夜鶯が一羽いて、その歌をききながら眠りに落ちた。眠りのこころよさ、それにもまさる目ざめのこころよさ。すっかり明るくなっている。眼をひらくと、水と緑とすばらしい景色。起き上がって、からだをひと振りすると空腹を感じる。残っていた6フラン2枚でうまい朝食を食おうと、陽気に町の方に歩き出した」

                               (桑原武夫訳より)


 描写の美しさには、文学史的にも定評がある。まさに東洋的な感じさえする。独創的な思想のみが独創的な告白を生み出すのであろうか。





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最終更新日  2017.08.31 15:29:53
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