
面子に拘るひとが多い。形あるものはいつか壊れる。「壊れるから
よろしい。」のであればやはり拘りではないだろう。或いはひとに対しても拘る
人がいる。何故だろうか。自分の個体以外は、全部非個体である免疫の世界
が生命を支配しているだろう。他を愛するポーズが生きるうえで有利な為だろうか。
「あのひとは、面子に拘るひとだ。」と、安心できるとも思えないが。
今日本の世界一がどれだけあるだろうか。金メダルも見せかけでしかない。狭いエリアで
競技しているだけだろう。黒人たちが、本気でやったら世界記録も変わるに違いない。
何をいまさら,国防だろうか。70年間も戦争をしていないのだ。論理で、生きていくしかない。
守るべき面子などありはしない。
で自分のことを理解していないのかも知れない。それが、ひとや物への拘り
になるかも知れない。本末転倒がよく見られるのは個人的理由があるにして
も、いつかは、自然淘汰されるだろう。
生物学では、ひとの退化も進化のエリア内だと言われる。手足もいつかその役割を
終わる時がくるに違いない。美しい肉体も、そう思える感情もいつかは変わるだろう。
拘りは、視野を狭くするに違いない。明日には持って行けない、ひとの特質
ではないか。あらゆる方向に進むようにできている生物は、いつも拘りを
棄ててきたのだ。