ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2017.11.21
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ムクドリ








一人の人間の生命は、地球よりも重い。それは使われ方だろう。イルカとか、クジラの保護にについて運動をしている人たちもいる。では牛や馬は違うだろうか。多くの人が飢餓で死んでいる。ペットを可愛がる愛好家も多いが、殺処分された宮崎の家畜が数10万頭に及んでいる。人間のために殺されても、それは考えの違い、視点の違いというだけでいいのだろうか。それこそ矛盾を孕みながらこの社会は活動もしている。私たちは単純ではない。それでは生きていけないかもしれない。

 ・恐らく文化を利用して行かなければ、私たちの日頃の生活は成り立ちはしない。病気にしても薬の開発で、今すぐの危機から逃れることはできている。然しそのためにコストも払っている。そのツケが何れは圧し掛かってくる。日本の財政赤字も、ツケを回されるのはいま発言権のない子どもたちだ。政治家は自分たちの痛みのないことで勝手なことを云っている。



 ・へ2・・・戦争を指導したものは戦場には行かず、兵隊や市民は数100万も死んだ。テレビで放映された「99年の愛」も、移民した成功者の話でしかない。問題の本質は暈されている。あちこちに配慮した差し障りのない話でしかない。そういうことが事実を覆い隠すことにもなっている。問題のすり替えがされるからだ。それこそ高級ブランドを身に付けた人たちが国会で国民の暮らしを決める論議をしている。





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最終更新日  2017.11.21 13:44:46
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