ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2017.11.21
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 人が肩を寄せ合って生きていた時代から、私たちは勝手にひとりで生きている気がする。そういうことのできる社会になったからでもあるだろう。誰の世話にならなくても何でも側にあるように見える。それは自分の思い違いなのだろうが、他人と関係なく生きているような錯覚さえ持っているひともいるだろう。だからそれが子供のころからそれがライフスタイルになれば、何も知らない人間ができてもしまう。本当に何も知らないのだ。おかしいくらいだ。笑いごとではないが、私もその一人かもしれない。呑気なのと、周囲に無関心でもあったからでもある。


 ・自分のことを書くつもりではなかったが、どうも私自身もその一員でもあることに気がついた。世間のことでどこで何がおきているのか意外と知らない。博多の天神にも最近ほとんど行かなくなったし、博多駅の建て替え工事も最近の進捗状況を知らない。それよりも、常識をどれだけ習得しているだろうか、それからその問題意識を客観的に把握できていると言えるだろうか。触れたもの読んだものしか見えないとしたら、たいした知識ではない。それは一部でしかない。殆ど知らないことばかりではないだろうか。


 ・へ2・・・現代社会は、ひとの評価は商品価値があるかどうかであるといわれる。価値のないものは無視される。放置され捨てられる。しかし商品価値があるというものが本当の価値があるのではない。ただ時勢の問題であるに過ぎない。利用価値でもあるだろう。そしてそれでひとびとはスポイルされるのだ。他人を利用していると思っているものが実は他人に利用されている。誰かの餌に慣れている。人は人に対して狼でしかないだろうか。言えることはひとは社会の歯車であって、いつか摩耗してしまうことだろう。風景の一部であろうとするものには、全体を見ることはできないのだろう。





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最終更新日  2017.11.21 13:33:35
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