ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2018.09.28
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バリの独特の宗教儀礼がある。店や家の前には、チャナンがお供えされる。人々は、デサ・アダっトの大地を清浄に保ち、穢れを避ける義務がある。







それは、いいことがあればこれからはラッキーだということでしかない。いつまでもラッキーはつづかないということだ。ゲームに勝って浮かれていても、それは偶々のタマでしかなく,長くは続かない。何も騒いで喜んではいられない。喜怒哀楽が、付き纏っている。




時間はひとの遺伝子に組み込まれている。ひとと他の動物との違いは太古か


らのリズムの止揚にある。然し、打ち勝つことはできない。このタイムキー


パーの絶対的支配を受けるのは身体活動だけではなく、気分や感情も毎日


一定のパターンで変動する。原始的な活動も生物時計に支配されており、


セックスの GT は、夜の10時だ。



人は、自然界とのつながりを断ち切りながら進歩してきたというプロセスか


ら逃れられない動物でもあろう。時間は自然界のリズムと、生物時計という


自分の体内のリズムを融和させながら、バランスを取っているが、老化とと


もに崩れて来るのだ。


ヒトの個体は、自分以外は環境であるに過ぎない。このヒトという多細胞


は、独立した存在であり、自分の体内に自分だけの時間をもって生きている


し、「ヘイフリックの限界」がある。然も、環境に順応しなければならな


いという自己矛盾を内蔵している。


自然界とつながりながら、自然界のリズムを断ち切るという離れ業はどこま


で通用するのであろうか。ヒトのもつ時間の意味は、誰もがもつ避け難い難


問なのだろう。


「内的な一日」は、教養と言う素因をどれだけ積み上げることができるだろうか。


薔薇はいつも無条件に薔薇だとは限らない。つまり薔薇は、昼と夜とでまっ


たく異なる生化学システムなのだ。 (by コリン・ピッテンドリ)










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最終更新日  2018.09.28 17:30:36
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