


写真を見ていると、自分がこちらにいてカメラを介してあちら側の世界が圧倒的に長い歴史を持っていることを感じる。ことばは沈黙してしまうだろう。切れ端のことでしかないからだ。視覚から入ってくる情報が厖大であり、それに頼っているが、目が悪くなって、世の中が見えても来る。止まった瞬間の写真は、すでに過去でしかないが、それは夜空の星を見ているようなものだ。
・仕事をしていたころの時間が段々遠のいていく。おそらくもうやれないのだろう。疎外もされていく。自分を社会の中に位置づけようとしてそれは違うだろう。老化は手強い。自分を客観的に見ることは寂しいがそれが誰もが経験することでしかない。私たちは、ヘイフリックの限界の中で一生を終わるしかない。時間がすぐに過ぎてしまう。1億分の1秒という観念の世界をリアルとは言わないだろう。既に過去でしかない。
・へ2・・・自分の中で繰り返される一年の四季を生きている。胡桃の宇宙の中のイメージの中で活きているが、死んでもいる。ことばも沈黙してしまう。