ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.01.29
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メジロとヒヨドリ。庭の写真が撮りやすい場所に柑橘類を置くとすぐ野鳥が見つけてくれる。最初に来たのは、メジロだったが、1時間も経過していなかった。次にヒヨドリがきて、俺のものだと暫く居座っていた。





「機械文明の中の人間」というテーマの講座を受講したことがある。恐らく最初の大学の公開講座だった。科学との触れ合いの最初のものだった。機械文明が当然として受け入れていた自分がいた。科学的真実こそこの社会の基本であり、それに反逆することは間違いだと信じてもいた。機械文明に乗って生きて行くことが正しい選択なのだと思い込もうとした。そして、文明とは肯定して生きることでもあるという信条にもなっていただろう。

 ・大学に対する崇敬は。大学の自治ということばに裏付けられた高い理想でもある。足元にも及ばない理論の集積だと思っていた。それは、目指すべきメルクマールであり、ランドマークだった。然し、いつまでも同じところを歩いている自分に気付いた時、愕然とする思いがした。私だけなのだろうか?自分の怠惰がそうさせているだろうか。競争に参加しなかった所為だろうか。ずっと悩んでもいた。自分が社会の歯車であり、それを務めなければ生きてはいけないことだけは知っていたから。選択はされたのだ。

 ・へ2・・・最近よくクラッシックを聴いているが、何故これを、少年のころにちゃんと聴いていなかったのだろうか、残念でならない。こうして、ブログを書いたり、音楽を自由に聴ける時間もなかったのだ。無理な話である。もう50年以上前のことだ。何と足りないことばかり思うのだろうか。機械文明を肯定して生きてきたが、それが必ずしも人間のためではなかった。私たちが豊かな社会と憧れていたものは、汚れた環境だとは思いもよらないことだった。私たちは騙されていただろうか。否、確かの当時の科学者たちは真剣に機械文明を標榜していたのではないだろうか。やるせない気持ちがする。






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最終更新日  2021.01.29 05:00:05
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