ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.01.30
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スイス ベルナー・オーバーランド。クライネシャイデック駅。





国家とは国家権力の意味である。それは漠然としたものだが、それは見ようによっては非常な力でもある。それを感じるのは、恐らく、国民の目には、しばしばではないかも知れないし、それは大き過ぎて見えないかも知れぬ。歴史を学べば、それはどこにでも散らばっている。というよりも、その歴史そのものが国家権力と国民の自由の歴史でもあろう。帝大と言われた時代で学んだ者たちはいわばその洗礼を早く受けていたに違いない。作家たちはそれをどう表現するかで苦心し、正直な者は自滅したかも知れない。


 ・法を学び地方の裁判所の傍聴席でやくざの、恐らく娑婆では肩で風を切っているだろう人物が、肩を落として萎れている姿を見て、これが国家権力のパワーの一断面なのだろうと直感した。法に触れれば処罰される。たとえ総理大臣でも逮捕される。ブタ箱に入れられる。そこでは人間扱いなどされはしない。唆されようが、甘い罠にかかろうが、言い訳にはならない。或いは何もしなくても、犯罪者にされるかも知れない。それは現実にあることだ。どんな生き方をしようと勝手だが、そういう時に自分を助けてくれるものがいるだろうか。それは誰にもわからない。確かに、弁護士はいるし、裁判所も公正な裁判をするというが、それは本当に公正で、誤りのない裁判になるだろうか。それは誰にも保障などできはしないのだ。


 ・へ2・・・何をどう信頼しているといえるだろうか。それは何を根拠にしているだろうか。それは確実と言えるのか。おそらく半端な愛情で相手を守るだけの勇気があるだろうか。自由とは、その勇気がなければ勝ちえない社会でもあるだろう。花たちも心ない人間に踏み躙られれば同じだろう。私たちは何を信じて安穏と生きていられるのだろうか。何も信用などできないだろうか。いざという時に自分を守ってくれる安全弁を持っているだろうか。





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最終更新日  2021.01.30 16:02:45
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